春雷
「あれが?」
白虎の背中に乗っている青年が言った。
白虎の姿は、熊より大きな狼に似た魔物だった。
青年の名は『春雷』、今年19になった。
春の訪れを知らせる者の意味で両親が付けた、と春雷は祖母から聞かされていた。
『うむ』
春雷と白虎は、山と山に挟まれた盆地にある村を山頂から見下ろしていた。
村は都の周りに点在する村の1つで、村を囲むように桑畑が広がっていた。
「あそこに父がいるのか」
確かめる春雷の声は固い。
1度深呼吸してから、行こう、と白虎を促した。
『待て』
白虎は村を見て動かなかった。
「どうした?」
『結界が張られておる。それも幾重にもな』
「結界?」
春雷が眉間にしわを寄せた。
『春には見えぬか』
白虎の体が陽炎のようにぼやけ空気が淀んだ。
そうすると、春雷の目にも結界が見えるようになる。
「4つ?5つ?複数掛けてあるな」
『術者は1人ではあるまい』
「破れるか?」
春雷が少しだけ顔を曇らせて聞いた。
『破れても騒ぎになろう』
春雷は迷う顔で村を見下ろした。
「あの山に近い家だな」
父との再会を諦めきれず、村で1番大きな屋敷を見ながら春雷が言う。
幼い記憶に残る父に、どうしても会いたかった。
『時を待て』
「やっと見付けたのに、まだ待つのか」
春雷が悔しそうに言った。
『良く見てみろ』
春雷と白虎が気付かれないよう後ろから付けてきた荷車が村に入ると、村人の様子ががらりと変わった。
「まさか…」
『農民に姿を変えておるが』
30人ほどの農民が武器を手に警戒していた。
『兵ではない』
白虎は屋敷の畑に働く女子供だと言った。
「あれがどうした」
『春の目は節穴か』
ムッとした春雷が目を凝らす。
「…あ」
女子供の手足と首には、隠蔽の術で見えないようにした『呪』が掛けられていた。
「あれは、人質か?」
『春が奪還に来た時の人質であろうな』
春雷は体を震わせぎゅっと両手を握り締めた。
『春。今は退け』
「分かった」
春雷は悔しそうにもう1度村を見下ろしてから、帰ろう、と白虎を促した。
白虎は春雷を乗せて走る。
主の菩薩が戦いの神の手に倒れて後、戦いの神は『柩の子』に封じられた。
全てが終わり転生の流れの前で白虎と緋龍は、主である菩薩の元へと転生を願った。
しかしその願いは叶わず、神獣の白虎と緋龍はこの星である【永遠さま】の力で時が満ちるまで【聖地】の【命の木】の中で長い眠りに付いた。
そして、時が流れ【永遠さま】に与えられた使命は、幼き春雷の庇護だった。
天空で【永遠さま】と水鏡で産まれたばかりの春雷を見た時が、昨日のように思い出された。
『何故に人の子など』
不満を口にする緋龍に【永遠さま】は説いた。
『春雷の中に【鳳來】が眠っている』
それには白虎も緋龍も絶句した。
『2度目の転生だと?』
白虎が確かめるように言った。
『1度目は誰の中に?』
緋龍が白虎に重ねるように聞いた。
『はぐれになった風の王の中に』
その答えに、更に2体は驚いた。
自由奔放なはぐれと、傍若無人な【鳳來】がどうしても結び付かない。
『【鳳來】の記憶があるのか?』
【永遠さま】が不思議そうに聞いてきた。
『微かながら。菩薩さまが転生の流れに乗せた時の星を揺るがす波動は忘れられませぬ』
『あの時は菩薩にすまぬ事をした。許してくれ』
誕生したばかりの【永遠さま】に【鳳來】を止める力があるはずもなく、菩薩が身を呈して止めた。
その無理が菩薩の力を弱めた。
それがなければ、戦いの神にむざむざ殺られる菩薩では無い事を、2体は知っていた。
帰らぬ過去を思い出しているうち、無意識に【永遠さま】を見ていた事に気付いた白虎が目を伏せた。
【永遠さま】がくすりと笑った。
その姿は2体の記憶にある少女のそれではなく12、3歳の少年だった。
『我が不思議か?』
『申し訳無く』
白虎が慌てて詫びた。
『良い』
【永遠さま】はふわりと少女の姿に変わった。
【永遠さま】に性別はないと知っていても、目の前の変化に2体は息を飲む。
『春雷を通して、【鳳來】に心を見せて欲しい』
『諭すのではなく?』
『命の機微を感じさせて欲しい。それをどう受け止めるかは【鳳來】よ』
都の外れの春雷の館には緋龍が待っていた。
緋龍も本来の姿では無く、手のひらに乗る大きさで目立たないようにいた。
『首尾は?』
春雷が緋龍に話して聞かせた。
『なれば怪しまれぬよう本宅へ顔を出さねばならぬ。風邪で休むと知らせてはあるが、疑っておろう』
「分かってる」
春雷が面倒そうに出ていった。
残された白虎と緋龍が頷き合った。
【永遠さま】の元で、緋龍は春雷が5つになるまで時を待ち共に暮らした。
水鏡に映る親子は仲睦まじく、そのまま時が流れるとその時までは思っていた。
突然春雷の父が気の病にかかり人里遠く離れた村に隔離され、母がそれを苦にして自害した。
真実は隠されて、病死と公表された。
公表したのは父の父の祖父で、国の役職にいて都の1つを任されていたから醜聞を嫌がったからだっだ。
後を継ぐ父の隠居は隠しおおせる物では無かった。
幸い春雷が居たので世継ぎの問題は大きくならず、表面上は収まりを見た。
春雷の祖父にはそれが計算外だった。
祖母の目を逃れ、祖父にはもう1人息子がいた。
祖父は春雷から見れば叔父に当たるその息子を跡継ぎにしたかった。
しかしそれを祖母は許さなかった。
その時代には珍しいが、祖父は入り婿だったから物事を決める権限は全て祖母が持っていた。
祖母が春雷と決めればそれはくつがえらない。
それでも諦めきれない祖父が春雷の暗殺を手下に命じた事で、何度も命の危険に晒された。
苦慮の策として、10歳になったら春雷の神獣として姿を表す予定だった緋龍が5年早く庇護に動いた。
人が集まる年始の席で、5才の春雷の肩に小さくなった緋龍が乗った事で、祖父の夢は完璧に絶たれた。
その結果、祖父は父を閉じ込めた屋敷に祖母が死ぬまで叔父を隠すしか無くなった。
それで終わるかと思ったが、祖父は諦めなかった。
春雷を亡き者にしようとする動きは止まらず、予定では姿を現さず見守るはずだった白虎まで動いた。
伝説となっている姿を不本意な狼の魔物の姿に変え、神獣として地上に降り立った。
その日、祖父の配下に騙され深い森に入った春雷を刺客が襲った。
それを返り討ちにし、白虎は春雷を背に戻った。
証言させるために敢えて殺さずにいた刺客を、祖父は闇に紛れて消した。
そんな水面下の攻防を知らず、祖母は春雷の20才を以て当主とすると公表して前の年に亡くなった。
この時を待っていた祖父は、世継ぎを叔父にしようと周りに働き掛けた。
が、神獣2体の庇護を得ている春雷を押す親族の声には勝てなかった。
逆に婿に来た分際で隠し子がいたのか、とそれまで隠し子の存在を知らされてなかった親戚からも祖父は窮地に立たされる事になった。
『ご苦労だったな』
『なんの』
『後半年で春も20才だ』
『漸く我らの役目も終わる』
『これにてやっと菩薩さまの元へ転生も叶おう』
2体は春雷の庇護を勤める代わりに、終わったら菩薩の元への転生を願った。
『しかし、何故こんな面倒な者のところへ【鳳來】を転生させたのか』
緋龍が人に聞かれぬよう白虎に『念話』で送った。
『転生は【永遠さま】ではなく閻魔の采配。文句は閻魔に言うのだな』
『分かっておるわ』
緋龍が不機嫌な声で言った。
『戻るまで間もあろう』
白虎は広い庭に結界を張った。
ブルブルと体を揺らす姿は大きな狼に似ていた。
前の姿も白虎の本来の姿ではないが、小山1つもある体は菩薩が居なければ抑えが効かず暴走する。
再会するまではこの体に甘んじるしかない。
力も体に比例するのか、戦いの神に遅れをとった悔しい記憶が消せずにあった。
『では我も』
緋龍は結界を抜け海へと向かい、体を戻して存分に海の上を飛び回った。
巨大な赤い龍が天を駆け上がる姿を、海に住む者たちが見上げていた。
白虎と違い、神獣になるまで今一度の転生が必要な緋龍の力も限られていた。
どちらも万全ではないが、人の世でこの2体に敵う者などあるはずもない。
2体に力を傲る慢心が無かったとは言えないが、その自覚は微塵も無かった。
緋龍が戻っても春雷は戻らなかった。
『警護は着けているな』
『地龍が地の下から見張っておる』
待ちくたびれて、2体は向かえに出た。
『白虎。お前から怨霊の名残を感じる。もしや出先で負の魂に接したか?』
『いや、山頂から下の村を見下ろしたのみ』
『嫌な予感がする。誰ぞ死んで怨霊になったか?』
緋龍の懸念は春雷に会ってなお強くなった。