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四章 謎解きの時間


天野は立ち上がり、遺書を僕に手渡した。


「伊月、この遺書を読んで何か違和感を感じなかったか?」


「違和感?」


この遺書に何かあっただろうか。僕は懸命に遺書を調べる。


「……文面がワープロで書かれている、とか?」


「そう、それも一つだね。普通遺書を書くなら手書き、と、そういう決まりなんて全くもって無いんだけれど、何故か暗黙の了解でそうされることが多い。そうでなければ本当に本人が書いたのかわからないからね。もちろん、普段からミステリを書いてワープロを使い慣れている根布谷さんが、遺書をワープロで書くのは絶対におかしいか、と言われれば、必ずしもそうではない。だからここでは『違和感がある』程度に留めておこう。他には?」


「遺書では冨山を殺したとあるが、実際には冨山は生きているな」


「それは根布谷さんが冨山さんの死をしっかりと確認せずに自殺してしまったのだと考えれば不自然ではないね。だけど、殺した、いや、正確には殺すつもりだった順番はどうだろうか」


「順番?」


「根布谷さんは張間さんが好きで凶行に及んだ。僕がもしその立場なら、先に冨山さんを刺し、最後に張間さんを刺して、返す刀で自殺するね」


なるほど、確かにそうかもしれない。彼は張間との心中の形をとりたかったはずだ。ならば、張間の後に冨山を襲うのは少々引っ掛かる。


「ただこれも『違和感がある』という域からは出ないんだけどね。そしてもう一つ、これだ」


天野は遺書のはじめの文章を指差す。



『日田さん、張間さん、そして富山さんを殺したのは僕です。』



「これのどこがおかしいんだ」


「わからないかい?文字だよ、文字」


天野が『富』の字を指でなぞって囲んで見せる。


「だからこれのどこが……あっ……!」


「そう、正しくは『冨山』。だがこの遺書では全て『富山』になっている。明智さんの話では、根布谷さんは非常にマメな性格で、校正を任されていたりもしたという。そんな彼がこのような間違いをするだろうか」


「ただ知らなかっただけじゃないのか」


「いや、それはない」


天野が即座に否定する。


「部室にあったネームプレート。あれは根布谷さんが作ったらしいが、そこにはちゃんと『冨山』と表記されていた」


「ということは、遺書を書いたのは他の人物……」


「かもしれないという可能性が出てきたわけだ。他にも、根布谷圭人=犯人説には不自然な点がある」


「まだあるのか?」


「冨山さんが刺された位置だ。冨山は背後から脾臓のすぐ近くを刺された。脾臓は()()()()()()()()()()()()から、背後からその近くを刺すとなると、必然的にナイフを()()()握らなければならない。すなわち左利きの人物による犯行である可能性が高いわけだが……」


「根布谷は()()()だ……」


僕は根布谷の右手にあった大きなペンだこを思い浮かべた。


「そう、彼が犯人ならわざわざ利き手ではない左手で冨山さんを刺したことになる。これは不自然だと思わないか?」


「た、確かに……」


「まだある。何故張間さん殺害の際はナイフを刺したままだったのに、冨山さんを襲ったときはナイフを持ち帰った? わざわざ二つ用意する手間を考えれば同一のものでも構わないはずだ」


僕はもう混乱してしまっていた。確かに天野の言うことは筋が通っている。だとすると……


「今挙げた『違和感』はどれも単体では根拠として弱い。だが、それがここまで集まってくると、どうだろうか」


天野はここで一呼吸おき、


「僕は()()()()()()()()()()()()と結論づけた」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。根布谷が犯人でないとすると、一体誰が犯人だと言うんだ。根布谷以外の全員には第一、第二の事件でアリバイがあるじゃないか。他の人物の犯行か?」


「いや、そのセンはないだろう。遺書の中で根布谷さんが張間さんに好意を持ち、五月に告白していた事が言及されている。これは研究部内の人間しか知り得ない情報だ」


確かに人見知りで口下手の根布谷が、自分の恋愛事情を他人に話すとは考えにくい。


「そこで僕は三つの事件を『犯人は根布谷圭人以外の誰か』だという目線でもう一度見つめ直してみた。すると、一つどうしても無視できない謎が出てきた。ヤギのレインコートの人物だ」


そうだ、レインコートは根布谷の部屋から発見され、()()()()()()毛髪や皮脂が付着していたのだ。さらに、張間の自宅の近辺でそのレインコートを着た根布谷の姿が目撃されていたと諸星も言っていたではないか。犯人が根布谷でないのなら、それは一体……


「まず、第一の事件では目撃証言がなく、レインコートの人物――仮にXとしようか――は確認されていない。続く第二の事件でXは初登場する訳だが、この時のXは恐らく根布谷さんだろう」


「じゃあ、やはり張間を襲ったのは根布谷なのか?」


「まぁ待て、あまり焦るんじゃない。根布谷さんは近頃、張間さんの自宅近辺で目撃されている。張間さん自身も何者かの気配を感じていた事から、恐らく根布谷さんが張間さんのストーカーであったということは事実なのだろう。だから事件の日もいつもと同じように張間さんのことを見ていたんだ」


話を聞きながら、何が何だか解らなくなってくる。天野は根布谷は犯人でないと言う。だのに、同時にレインコートの人物は根布谷でストーカーだったとも言う。僕はもう、考えることを半ば諦めていた。


「さて、ここでひとまず話を変えて、第三の事件に移ろう。第三の事件でもXは登場し、冨山さんやその他大勢に目撃された訳だが、このXは先程言った通り、利き手の問題から根布谷さんではないと思われる。つまり、第二、第三の事件のXはそれぞれ違う人物だったということだ。そして、第三の事件の方のXが、この一連の事件の真犯人だ」


レインコートの人物は二人いた。次々と天野の口から飛び出す推理に、僕はついていくのが精一杯だった。


「事件の流れはこうだ」


天野が、こほん、と咳払いをする。


「張間さん殺害の際、犯人は何者かが現場が見える位置にいたことに気がついた。見られた、と思っただろうね。しかし、その特徴的なレインコートから、犯人にはすぐにそれが根布谷さんだとわかった。根布谷さんがそのレインコートを着てストーカー行為をしていたのを知っていたんだろう。見られたからには口を封じるしかない。と、ここで犯人の脳裡に妙案が浮かんだ。全ての罪を根布谷さんに着せるという妙案がね」


天野は一同の顔を見回し、続ける。


「まず、犯人は最優先事項である根布谷さんの殺害を実行した。根布谷さんの部屋を訪ね、そこで撲殺でもしたんだろう。そしてレインコートをくすね、それを着て冨山さんを刺した。もちろん、痕跡が残らないよう中にパーカーか何かを着た上でね。冨山さんが命を落とさなかったのは、『ヤギのレインコートを着た人物に刺された』という証言をさせるために()()()急所を外したからだ。その後犯人は、冨山さんの血液が付着したナイフとレインコート、そしてあらかじめ用意していた遺書を根布谷さんの部屋に置き、根布谷さんの遺体を川に遺棄したんだ。いや、もしかしたら遺体を遺棄したのは冨山さんを刺す前かもしれない。あの場所ならすぐに見つかることはまずないだろう」


逆だったのか。僕は頭を抱える。僕は張間、冨山を襲った後に根布谷は川に飛び込んだものだと信じて疑わなかった。だが、実際には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


「では、三人を殺し、冨山さんに怪我を負わせた犯人とは誰か」


天野はここで一呼吸置いた。いよいよ話が核心に迫っているのを感じる。


「第二の事件に焦点を絞って考えよう。第一の事件は目撃者が少なすぎるし、第三の事件――実際には第四だった訳だけど――は犯人がわざと目撃されるために仕組んだフェイクだからね。この第二の事件では奇しくも僕自身が目撃者となってしまったのだけれど、そこで一つ不自然だと思ったことがある」


「不自然なこと……」


その事件では僕も目撃者となったはずなのだが、いくら記憶を手繰っても不自然な箇所は見当たらない。


()()()()()()()()()()()だよ。気がつかなかったかい?」


「熱気? いや、確かに感じたよ。部屋に入った瞬間にムッとする熱気を感じたのを覚えている。だが、あの時窓が開いていたじゃないか。そこから冷気が逃げたんだろう」


「僕たちは()()()()()()()()()()部屋に駆けつけたんだ。いくら暑さが厳しい季節だからと言って、そんな短時間でエアコンのついた部屋が暑くなると思うか?」


僕は言葉に詰まる。


「それはつまり、物音がするもっと前から窓は開いていたということを意味する。張間さんがあの暑さを我慢して活動していたとは考えづらいから、さらにこれは張間さんが物音がするもっと前に殺されていたのだということも意味していることになる。あの部屋にはラジカセがあり、床にはCDが散乱していた。おそらく犯人は、最初は無音が続いて数分後に物音と悲鳴が聞こえるような音源をCDに録音しておき、張間さんを殺害後、部屋を荒らした上で窓を開け、ラジカセにそのCDをセットし、流した。事件発覚後、そのCDをタイミングを見計らって床に散乱しているCDの中に紛れ込ませれば証拠は隠れる」


そうやって数分の間、『張間があたかも生きているかのような状況』を作り出したというわけか。


「従って犯人は、そんな時間のかかる偽装工作を行うことができ、尚且つ、CDの証拠隠滅を誰かに怪しまれる前に行うことができた人物。もう少し解りやすく言おうか。犯人は、張間さん殺害の際に誰かが部屋に入ってくる心配をする必要がなく、事件発覚後、CDを誰にも見られることなく隠すために最初に部屋に入った人物だ。皆が部屋に入った後では、いくら死体に目がいくとはいえ、流石に不審な行動に思われるからね」


それは……そんなことができた人物は……ああ、()()()しかいないではないか。それに、そうだ。僕はもう一つ思い出し、思わず呻く。()()()は左利きじゃないか。だからあの時も()()()()()()()()()()()、つまり()()()ペンを弄んでいたんだ。


「もうおわかりでしょう」


天野は高々と腕をあげ、そしてその人物を真っ直ぐ指差す。


「犯人は迫田英治さん、あなただ!」


その指の先には、張間の遺体を目の当たりにした時とは比べ物にならないほど、顔面蒼白でただただ茫然としている迫田の姿があった。






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