一章 名探偵、登場
なかなか変わらない信号を待ちながら、窓の外に目をやる。もうすっかり夏本番となり、気だるそうに葉を繁らせる木々へと太陽がじりじり容赦なく照りつけている。
助手席では、天野があんパンを頬張りながら今の話を反芻しているようだ。
昨日、電話で事情を説明すると興味を持ったらしく、是非協力させてほしいと言ってくれた。そこで今日、普段はあまり使うことのないセダンで天野を迎えに来たのだった。
「君はミステリ研究部に所属しているんだろ? 良かったじゃないか、ネタができて」
天野はニヤニヤしながら言う。
「バカ言え。こっちはそれどころじゃないんだよ。殺しなんてフィクションの中だけで充分だ」
「冗談だよ。で、被害者は日田マイさん、19歳。どんな人だったんだい?」
「なかなかの美人だよ。ただちょっと性格がキツくて近寄りがたい雰囲気なのが難だな。悪い人じゃないとは思うんだけどね」
信号が青に変わる。普段から安全運転は心がけているが、今日は客人を乗せていることもあり、いつも以上に慎重にアクセルを踏む。
「なるほど。性格悪い美人は恨みを買いやすいって言うからねぇ」
「おいおい、不謹慎だぞ」
「おっと失敬」
悪びれもせずに天野は続ける。
「ところで、研究部の他のメンバーは?」
「三回生が僕と明智。二回生が旅井、迫田、張間とあと被害者の日田。一回生が、根布谷と冨山。合計八人だったよ」
「ふむ。じゃあ君たち七人の中に犯人がいるということだな」
「なんでそうなるんだよ」
僕は驚いて聞き返す。
「当たり前だろ。いくら友人でも容疑者から外すわけにはいかない」
天野はさも当然だといった顔をする。
「そこじゃない。いや、そこもだが……どうして外部犯のセンを考えないんだよ」
と、そこまでひとしきりツッコんでから、
「……もしかしてお前、今の話聞いただけで部員に犯人がいるとわかったのか?」
「いや、勘。」
「なんだよそれ……」
一気に脱力感に襲われる。そういえばコイツは昔からそうだった。会話をしているとこちらのテンポが狂わされるのだ。そうやって相手の口から真実を語らせるのだと本人は言い張っているが。
「どちらにしても、とりあえず部員全員から話を聞きたいな。何か手がかりが掴めるかもしれない」
「あぁ、そう言うだろうと思って、まずは大学に向かってるよ。全員は居ないかもしれないが、何人かはいるだろう。事件の直後で皆不安だろうからな」
「殺人犯は内部にいるかもしれないんだけどね」
何か天野が呟いたように思うが、聞こえなかったことにする。
その天野はというと、全く気にすることなく、食べ終えたあんパンの袋を大切そうにしまい、新たに大きなシュークリームを取り出して食べ始めた。
「しかし、よく食うなぁ」
「甘いもん食べないと頭回んないの」
もう一つ思い出した。コイツのあだ名。
「甘野……」
「ん?呼んだか?」
「いや、なんでもない。あ、着いたぞ。我らがH大へようこそ」
部室には三人の部員が集まっていた。
皆自分のデスクに座り、思い思いの作業をしている。だが、やはりどこかぼんやりしていて、まるで集中していない。
「おはよう。紹介するよ、僕の高校時代の友人の天野すばるだ。彼は優れた観察力の持ち主で……」
言いかけた僕を天野が制す。
「どうも、天野です。僕は幼少期からミステリが大好きでしてね。聞くと、友人の伊月が大学でミステリ研究部に入ったというじゃありませんか。どうやら自分達でもミステリを書いているらしい。となれば、是非ミステリ作家の卵たちと話がしてみたいと、先月から伊月に見学を希望していたのです。事件があったと聞き、そんな状況で見学というのも失礼かとは思ったのですが、僕の予定が合わず、無理を言って連れてきてもらったのですが…この様子だとどうやら僕のことを話していなかったみたいだね?伊月君?」
「えっ、あ、あぁ、すみません……?」
僕は思わず謝ってしまってから、慌てて隣でニヤニヤしている天野を小声で問い詰める。
「おい、どういうことだ。お前に話したのは昨日だろう。第一お前は『先が見えるからつまらん』とか何とか言って、全くミステリは読まないじゃないか」
すると天野は呆れたような表情を浮かべ、ちッちッちッと指を振って見せる。
「わかってないなぁ。君たちは連日の取り調べや事情聴取で疲れているんだろう? そこに突然どこの誰とも知れない男が現れて『事件に興味持ったんだ! 話聞かせて!』って言ってきたって警戒されるだけだろう。こういう時は自然に近づいてそれとなく聞き出すんだよ」
「だから嘘をついたのか……」
「その通り」
「だったらせめて事前に言っといてくれよ……」
「あぁ、悪ぃ悪ぃ」
天野はあっけらかんとして言う。
僕は、やれやれ、と頭を振りながら、部長である明智の方へ向き直り、そういう『設定』で話を進めることにする。
「…てことで部長、僕の連絡不足で申し訳ないんだけど、彼に見学を許して頂けないだろうか」
「あぁ、僕たちにしてもミステリに興味を持って頂けるのは嬉しいことだ。構いませんよ。ただ、皆少し疲れているようだから、そこは配慮してやってくれませんか」
「ええ、もちろんです。ありがとうございます」
天野が満足げに礼を言う。
「では、早速ですが、まずは明智さんからよろしいですか?」
「わかりました、なんでも聞いてください」
「ありがとうございます。明智さんはどのような作品を?」
「僕はいわゆる本格派というやつです。どうもこのジャンル以外は好きになれなくてね」
「今も執筆中ですか?」
「ええ。あと数日中には完成する予定です。今日もできるだけ書き進めるつもりですし。何かしていないと気分が落ち着かないので」
「それは完成したら是非見せて頂きたいな」
「もちろん、是非」
「ところで、その左手の包帯、どうされたんですか?」
確かに、明智の左手には包帯が巻かれていた。この前会ったときには無かったのだが。
「あぁ、これはちょっとドジったんです。疲れていたんでしょうねぇ、昨日自転車で側溝にハマって、手のひらと膝を擦りむいてしまいまして。情けない話です」
ほら、と明智はズボンを捲って見せる。膝にも左手同様、包帯が巻かれていた。
「それは災難でしたね。お大事に」
「ありがとうございます。特に日常生活で不便はないんですがね、物を持つと痛むんです。タイピングもしづらくてしょうがない」
その後も天野は明智といろいろやり取りしていたが、事件とは関係のないようなことばかりで終わってしまった。
それでも天野は満足したようで、次は冨山に話を聞きに行った。
「私は昔から本を読むのが好きで、自分でも書いてみたいと思って入部したんです。まだまだ力不足ですが」
「彼女は文章力はあるんだが、独創性に欠けていてね。なんとなく古くさい感じがするんです。今までの読書量が枷になっているみたいです」
明智が口を挟む。
「だからいろいろ頑張ってるんじゃないですか」
冨山が頬を膨らませ、明智に非難の目を向けた。
「ははは、読書量が多いってことは引き出しが多いってことでしょう。きっと良い作品を書けますよ。素人の意見ですが」
「ありがとうございます、天野さん。優しいんですね、部長と違って。」
冨山が明智を睨む。明智は困ったなあ、と頭を掻き、目をそらした。
天野はその後、やはり他愛ない質問をいくつかしたあと、冨山に礼を言って根布谷の方へと歩いていく。
「根布谷さんはどのような小説を?」
「ぼ、僕は、その、SFミステリとか、スパイ小説とか、いろいろ書いてます」
根布谷は消え入りそうな声で答えた。
「彼はすごいですよ。SFミステリなんてね、世界観が複雑で書きづらかったりするんですが、見事にまとめあげてしまう。期待の星ですよ」
明智がまた口を挟む。彼はなんだかんだ言って後輩想いなのだ。だから後輩からもかなり慕われている。
「そ、そんな、とんでもないです」
「このネームプレートも根布谷さんが作ってくれたんです」
何故か冨山が得意そうに『冨山』と書かれた洒落たネームプレートを指差す。各々のデスクに同様のデザインものが置かれている。
「彼は非常にマメでね、校正なんかも任せちゃってて。大助かりですよ」
「なるほど、なくてはならない存在って訳ですね」
「い、いや、そんなことは……」
根布谷は否定はするものの悪い気はしていないようだ。自分の書く小説についてゆっくり語り始めた。
根布谷は超のつくほどの人見知りである。口下手なのでミステリ研究部以外の人と会話している姿を見たことがない。そんな根布谷から簡単に話を聞き出すことができるのは、やはり天野の人柄なのだろう。そういえば、来たときよりも場の雰囲気が少し明るくなっている気がする。
「ノートパソコンがありますが、根布谷さんは原稿を手書きしているんですか?」
天野が根布谷の右手のペンだこを指差して言う。
「い、いや、これは昔から、その、勉強で……。執筆は、わ、ワープロを使ってます」
「あぁ、そうなんですか。冨山さんは手書きのようですが」
「なんでわかったんですか?」
冨山が目を丸くする。
「閉じたノートパソコンの上に資料を山積みにしてちゃ、すぐにわかりますよ。ペン立てに万年筆もありますし」
「どうもタイピングに慣れなくて。万年筆は祖父からもらったんです」
「古風でしょう?」
また明智が冨山をからかう。冨山はもう無視をすると決めたようで、明智に見向きもしない。天野はそれを見て苦笑している。
「さて、そろそろおいとましようか、伊月」
「もういいのか?」
「ああ、充分話を聞くことができたよ。それにあまり長居しても悪いしね」
部員たちに礼を言い、部室を出る。
「残りの3人にも話を聞きたいな。あとは殺された日田さんのことももう少し知りたい」
「それならちょうど良い。日田を含めて四人は同じ所に住んでるんだ」
「何だって?」
「ルームシェアだよ。一人あたりの家賃とか生活費が安くなって良いらしい」
「それにしても男女二人ずつだろう?」
「迫田と張間はルームシェアを始める前から付き合っていたらしい。旅井と日田も共同生活をするうちに付き合い始めたみたいだ」
「カップル二組で共同生活か。なかなか冒険的だね、それは」
「別れたときのことなんか当人たちは考えちゃいないんだろう」
「なんにせよ、僕には好都合だね」
「途中に事件現場もあるから寄っていくか?」
「ああ、そうしよう」
本格的に捜査っぽくなってきたな、と僕は気を引き締め直し、駐車場へと向かって歩き出した。