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魔王、辞めます。  作者: 稲生景


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50/50

観察者たち、見守る。

 ――のどかな昼下がり。

 今日もロストたちは、変わらぬ日常をのんびりと満喫していた。


「兄様、あーん」

「あむ……うむ! やはりレティの作ったプリンは、いつ食べても絶品だな」

「ありがとうございます、兄様♪」


 庭のベンチで仲睦まじくおやつの時間を過ごすふたり。その微笑ましい光景を、少し離れた大樹の上からじっと見つめる影があった。


「――今日も相変わらず、魔王様は妹君の手作りプリンを幸せそうに食べてるな……いいなぁ、俺も食べたい……」

「仕事中だ。感情に流されず、監視に集中しろ、ドバ」


 枝の上に身を潜めていたのは、鳥のような頭部と背に立派な翼を持つふたりの男――ドバとポウポである。

 彼らは魔王の側近・ロウズに仕える密偵であり、ロストの行動を陰から見守り、日々の様子を詳細な報告書にまとめて提出する任務を担っていた。


「でもさぁ、あの笑顔見てると、なんかもう“平和”って感じがして……報告書に書くことなくないか?」

「それでも書くんだよ。『本日の魔王様、プリンを三口で完食。笑顔が実に素敵だった』――こんなふうにな」

「そんなの誰が読むんだよ……」


 枝葉の影で小声のやり取りを続けるふたりの翼人。しかしその目は真剣に、魔王とその“妹”の穏やかな日常を見つめ続けていた。


「それは当然、現魔王であられるゼノム様に決まっているだろう」

「でもさぁ、ゼノム様って、本当に筋金入りのブラコンだよな……今までロスト様の“兄弟愛”を独り占めしてたのに、急にあんな可愛い子が“妹”として現れたからって、諜報部隊まで使ってふたりの関係を調べさせるとか……。男の嫉妬ほど見苦しいもんはねぇっての」

「……口を慎め。それがゼノム様の耳にでも入ったら、お前の運命はローストチキンだぞ」

「わかってるよ。でもさ、一番気の毒なのはロウズ様だよな……知ってる? 報告書を執務室に届けに行くたびに、疲れ切った顔で戻ってくるの」

「ああ、あれか。城では“魔王様のストレス直撃コース”って呼ばれてるらしいぞ」


 ぼやきながらも、ふたりの視線は再び庭へと戻る。

 そこでは、ロストが空になったプリンの器をそっと置き、レティの頭を優しく撫でていた。レティは嬉しそうに笑い、そのままロストの肩にもたれかかる。


「くそ~っ、羨ましい……」

「また感情に流されてるぞ、ドバ。……しかし――」


 ポウポがふと目を逸らし、庭の奥――ロストたちとは反対側の一角に視線を移す。

 そこでは筋肉質な少年――勇者ラックが、巨大な岩を気合とともに天高く持ち上げていた。


「……あの人間も、よくロスト様の無茶な特訓に付き合っていられるものだな」

「だよなー。さすが“選ばれし勇者”ってことか……」

「うん、馬鹿だけど、ラックはやるやつだ」

「一応、あの勇者の行動も報告書に記載しておこう。ロスト様の“周辺人物”としては重要だからな。……今、誰か近くにいなかったか?」


 ポウポが辺りを見回す。風が木々を揺らす音のほか、特に変わった気配は感じられなかった。


「気のせいじゃね? それより見ろよ、ロスト様たち。今度はバスケット片手にピクニックに出発するみたいだぜ」

「よし、気取られないように付いていくぞ」


 ポウポの合図で、ふたりの翼人は木々の枝を伝って静かに移動を開始する。

 一方、地上ではロストとレティ、そして蟻人たちと勇者一行が仲睦まじく歩みを進め、ピクニックの目的地を目指していた。


 目的地に到着した一行は、さっそくレジャーシートを広げて、ティータイムの準備を始めた。


 バスケットの中には手作りのサンドイッチ、彩り豊かな果物、そして香り高いスイーツがぎっしりと詰まっている。そのどれもが美しく、見ているだけで甘やかな香りが漂ってくるようだった。


「……ロスト様、マジで料理上手くなったなぁ」

「いや、あれは妹君の手作りだろう」

「いいなぁ……俺も、あのお茶飲みてぇ」


 枝の上から地上を見下ろしながら、ドバがぽつりと呟いた、その時――


「……ん?」


 ふと視線を逸らした隙に、二人の目の前に――湯気の立つ湯飲みと、上品に盛られた茶菓子の皿が、いつの間にか置かれていた。


「……え、なにこれ」

「……見たか?」

「見てない。お前は?」

「俺もだ。気配も音も、何ひとつ……なかった」


 一瞬で空気が張り詰める。二人は背中の羽を震わせ、わずかに身構える。

 もしどちらかが仕掛けたのならともかく、完全に気づかれずに接近されたという事実――それが、何よりも危険を物語っていた。


「……間違いない。誰かに、見られてる……!」

「どこだ。どこから見てやがる」


 すぐさま周囲を索敵しはじめるドバとポウポ。

 枝の上から林の広がりを見渡し、風の流れ、草葉のざわめき、陽の傾きすらも見逃すまいと目を光らせる。


 次の瞬間――二人の視線がぴたりと同じ方向を捉えた。


「――あそこだ!」

「いくぞッ!」


 翼を広げ、枝から勢いよく急降下。葉を巻き上げながら、気配の元へ一直線に飛び込む!


「動くなッ!」

「……きゃっ!?」


 飛び込んだ先にいたのは――小さなカゴを手にした、レティだった。


「え、えっと……あなたたちは……?」


 驚いた様子で戸惑うレティ。その姿を目にした瞬間、ドバとポウポは心の中で叫び声をあげた。


(い、い、妹君ィィィィッ!? なんでここにぃぃぃー!? さっきまでロスト様たちと一緒にいたはずじゃあ!?)

(やっべえ……これはマズい……このままじゃ、監視してたのがバレちまうぅぅぅ!)


 息を呑む緊張の中、レティが穏やかに口を開いた。


「もしかして……この森で暮らしている方たちですか?」

「え? ……あー、そうなんだよー! 俺たち、森で暮らしてるドバとポウポって言うんだよ! なんか楽しそうな声が聞こえたから、つい気になって来ちゃってさ!」


 ドバが慌てて笑顔を作りながら言う。ポウポも無理やり笑みを浮かべて話を続けた。


「ああ、でもこんなところで人間に会うとは思わなかったなー! 本当にビックリだ!」

「そうだったんですね。初めまして、私はレティです」


 レティは優雅に頭を下げて自己紹介した。


「実は今、森の中でピクニックをしていたんです。よかったら、ドバさんたちも一緒にいかがですか?」

「え゛!? いやー……ご一緒したいんだけど、その……」


(どうする、ポウポ!? 一緒に行ったら絶対バレるだろ!?)

(当たり前だ! ロスト様が俺たちの顔を覚えてなくても、同行してる蟻人たちは諜報部隊の存在を知ってる。下手すりゃ即バレだぞ!)

(じゃ、じゃあどうすんだ!?)

(誤魔化す! とにかく、誤魔化すしかない!)


「……あの、何か困ったことでも?」


 首をかしげるレティに、ふたりはぎこちない笑みを浮かべて必死に取り繕う。


「いや~、実はこのポウポ、人見知りがひどくて……初対面の人がたくさんいると、極度に緊張しちゃうんですよね!」

「そ、そうそう。だからまたの機会にってことで……!」

「そうなんですね。じゃあ、せめてこれを――」


 レティはカゴから二切れのサンドイッチを取り出し、そっと差し出した。


「私が作ったサンドイッチです。よかったら、どうぞ」


「え、ああ……ありがとう」

「レティー! どこだー?」


 遠くからロストの声が響く。レティがぱっと顔を上げる。


「兄様の声」


 その声に反応し、ドバとポウポはあたふたと翼を広げた。


「そ、それじゃあ俺たちはこれで!」

「また今度会おうなー!」


 ふたりは慌てて空へ飛び去っていった。

 その直後、ロストがレティのもとへやってくる。


「レティ、ここにいたのか。何かあったのか?」

「兄様、実はさっき、この森に住んでいる方たちに会ったんです」

「なに? この森には誰も住んでいないはずだったが……」

「今度、一緒にピクニックをする約束をしたんですよ」

「ほう、それは楽しみだな。では、その時に俺も挨拶させてもらおうか」


 微笑むロストにうなずきながら、レティは再び皆が待つ場所へと歩き出した。





「……あっぶなかったぁぁぁ……」

「まさか妹君が来るとは……心臓が止まるかと思ったぞ……」

「でも、なんとか切り抜けたな……」


 ドバは手に持っていたサンドイッチを口に運んだ。


「……うっま! ポウポ、これ、食ってみろよ!」

「ああ……うん。確かに、美味いな」

「なんかさ、このサンドイッチ食べたら、また頑張ろうって気になってきたわ~!」

「お前はほんと、能天気だな……しかし――」


 ポウポはふと空を見上げながら、呟いた。


「結局、あの茶と茶菓子を置いたのは……誰だったんだ?」





「そういえば、シキさん。さっき、ふっといなくなってましたけど……どこに行ってたんですか?」

「んー? 暇つぶし」


 勇者一行の一人、シキはほとんど変わらぬ表情のまま、悪戯っぽく笑って右手でピースサインを作った。

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