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魔王、辞めます。  作者: 稲生景


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37/50

元魔王一行、竜王城でくつろぐⅣ

 ――夕食後、ロストたちは魔茶を片手に、くつろいだ雰囲気で世間話に興じていた。


「そういえばゼノム君、ご両親はまだ到着していないようだが、何かトラブルでもあったのかね?」

「いえ、そこまで深刻なことではありませんが……」

「てっきりお前と一緒に来るものだと思っていたが……父上たちは今、何をしてるんだ?」


 ロストが問いかけると、ゼノムはため息混じりに肩を竦めた。


「式に出席する時のドレスを父上と選んでいたらしいのですが……またいつものように、途中でいちゃつき始めてしまって……結局、選び終わるのが遅れたとのことです。まぁ、明日には到着すると思いますけど」

「ハハハハハ! いやはや、相変わらずだな、あのお二人は」

「兄様とゼノム様のご両親って……一体どんな方たちなんですか?」


 レティが興味深そうにロストに尋ねた。


「ん? どんなって言われてもな……まぁ、どこにでもいる普通の親だぞ?」

「いやいやロスト様、それはないですって」

「そうそう。あのお二人が“普通”なら、世界中の親はモンスターだらけですよ」

「まぁ、ロスト様から見ればあの方たちも普通に見えるのかもしれないけどねー」

「普通……普通の親……」


 レティがうつむき、小さな声で呟く。それに気づいたロストが眉をひそめた。


「レティ? どうした? どこか具合でも悪いのか?」

「あっ、兄様……大丈夫です。ただ、ちょっと考えごとしてただけです」


 そう答えるレティは、どこか無理に笑顔を作っているようにも見えた。


「……」

「さて、私たちはそろそろ部屋に戻るとしよう。ロスト君たちも、ゆっくり休むといい」

「皆さん、おやすみなさいね〜♪」


 バジュラ王とルピア王妃はダイニングルームをあとにした。


「俺もそろそろ戻るか……ロスト、明日こそ決着をつけるからな」

「ああ、望むところだ」


 ロストの返事に満足げに笑みを浮かべ、部屋を出ていく。


「それじゃあゼノムちん、私たちも行こうか〜♪」

「は? なぜ私が貴女と一緒に?」

「もちろん、私の部屋で恋人同士のお話をしたり、イチャつくためだよ〜ん♡」


 ラピスは両手を頬に当て、身体をくねらせながらウィンクした。


「お断りです。私はこれから兄上と兄弟水入らずで語らう予定が——ぐはぁっ!?」


 ラピスがゼノムの首根っこをひょいと掴む。


「も〜、素直じゃないんだから。でもそんなゼノムちんも……ス・テ・キ♡」

「は、離せっ……私は兄上と……兄上と……!」


 ゼノムの言葉も虚しく、ラピスは彼をずるずると引きずって出て行った。


「兄上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!」


 ゼノムの哀れな叫びが、廊下にこだました。


「ゼノム様、大丈夫でしょうか……?」

「まぁ、いつものことだしな」

「うん、あの二人はなんだかんだで仲がいいよねー」

「うむ……まったく、羨ましいくらいだ」


 ロストは微笑を浮かべながら、静かに魔茶をすすった。




 一時間後——。


 ロストは自室のソファに座り、ひとりくつろいでいた。そんな時、部屋の扉がノックされた。


「誰だ?」

「私です、兄様」

「レティか。開いてるぞ、入っていい」


 ドアが静かに開き、寝間着姿のレティがそっと入ってくる。


「こんな時間にどうした? まぁ、そこに座れ」

「はい、兄様」


 ロストに手招きされるまま、レティは彼の隣にちょこんと腰を下ろした。


「あ、兄様は何をしていたんですか?」

「ん? 月を見ていたんだ。ほら、あそこに」


 ロストは窓の外を指差す。夜空には、静かに光を放つ満月が浮かんでいた。


「……とても綺麗な満月ですね」

「だろ? こうして何も考えずに眺めているだけで、不思議と心が落ち着く」


 二人はしばし黙って、月を見つめる。


「知ってるかレティ、月にはウサギが住んでるらしいぞ」

「ウサギが……ですか?」

「ああ。餅をついたり、仲間と遊んだり……子どもの頃、母上がよくそんな話をしてくれた」

「お母様が……」


 レティの表情が翳る。それに気づいたロストが、そっと視線を向けた。


「……レティ、お前、今日何かあったのか?」

「え?」

「何というか……夕食の時も、お前の笑顔が少し不自然だったような気がしてな」

「……」


 ロストの言葉に、レティは俯いたまま小さく息を吐いた。


「あの時、兄様が言いましたよね。ご両親のことを“普通の親”だって……」

「ああ、言ったな。それがどうかしたか?」

「……私には、父親も母親もいませんでした」


 その一言に、ロストは静かに目を細めた。


「知識としてはありました。けど……本当に“普通の親”というものが、どんな存在なのか……分からなかったんです」

「……そうか」

「それに……今日、ヴィオラさんのお屋敷で、働いてる方たちに会って……」

「ああ、あいつらか。気さくでいい連中だっただろう?」

「はい。とても明るくて、楽しい方たちでした。けど……」


 レティの声がかすれ、表情が曇る。


「その中の一人が……私のことを“天使みたいだ”って言ったんです……」

「ほぉ、それはいい目をしてるな。レティは本当に可愛いからな」

「……私なんかが、そんな……天使なんて……。私は……穢れてるんですから……」


 レティの手がかすかに震える。その瞳から、光が失われていく。


「こんな私なんて……本来なら、あの時、死んで——」

「この大馬鹿者がっ!!」


 ロストの怒号が、部屋に響き渡った。レティは驚いて肩をすくめる。


「“こんな自分”だと? なら聞こう。お前は誰だ!」

「え、あ、私は……」

「お前は俺の妹、レティ・モナークだ! 違うか!」

「……はい! 私は兄様の妹です!」


 その言葉に、ロストはふっと微笑み、レティの背を抱き寄せた。


「そうだ。お前は俺の、たった一人の妹だ」

「あ……」

「お前の過去がどんなものであろうと、俺は気にしない。知りたいとも思わない。そんなことより——」


 ロストの手が、レティの頭を優しく撫でる。


「今ここにいて、俺を笑顔にしてくれるお前こそが、俺にとってのレティ・モナークだ」


 レティの目に、光が戻る。そしてその光は、涙ににじんで揺れた。


「兄様……兄様ぁ……!」

「……さっきは怒鳴って悪かった。怖かっただろう」

「……大丈夫です。兄様の声で、目が覚めました……」


 レティは両手で涙をぬぐい、くすりと笑った。


「兄様……私、兄様に出会えたこと、心の底から感謝してます……」

「俺もだよ、レティ。お前と出会えて、本当に良かった」


 ロストの言葉に、レティはその夜いちばんの笑顔を浮かべた。


「これからも、何者でもない、ただの俺の妹として……その笑顔で、ずっと俺を癒してくれよ」

「はい、兄様!」

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