元魔王一行、竜王城でくつろぐⅡ
――日が暮れ、城下の温泉街に提灯の灯りが揺れ始めた頃。竜王城の一室では――
「……」
ゼノムは真剣な面持ちで椅子に腰かけ、その隣にロウズが控えていた。
「その話、本当なのですね、ロウズ」
「はい。先ほどロスト様たちと廊下ですれ違いまして、大浴場へ向かうとおっしゃっておりました」
ロウズの報告に、ゼノムは静かに、だが確かに笑みを浮かべて立ち上がる。
「ふふふふ……ついにこの時が来た……兄上と共に湯に浸かれる、この至高の時が!」
ゼノムは拳を固く握りしめ、歓喜のあまり震え始めた。
「あの小娘が“妹”になってからというもの、どれほど苦渋を舐めさせられてきたか……だが、ここは風呂場! さすがにここでは奴も私の邪魔はできまい!」
「……」
「久方ぶりの兄弟水入らず……湯船を共にし、背を流し、そして流される……! 何という……理想郷ッ……!」
ゼノムはロストとの背中の流し合いを脳内で想像し、うっとりとした表情を浮かべる。
「……あの、ロスト様にはグレン様もご一緒でしたが……」
「こうしてはいられん! 今すぐ大浴場へ向かわねば、兄上が湯から上がってしまう!」
ロウズの言葉はすでに耳に入っていない。ゼノムは勢いよく扉を開け、廊下へ飛び出した。
「待っていてください兄上! あなたの最愛の弟、ゼノムが、今まさに参りま――」
――ゴキャッ!!
突如、影のように現れたラピスが跳び蹴りを食らわせ、ゼノムの首は信じられない方向に曲がって廊下に倒れた。
「よっこいしょっと……」
ラピスは無造作にゼノムの首を掴んで元の位置に戻し、そのまま部屋の中へ投げ込んだ。
「ロウズ、ゼノムちんのこと、よろしくねー♪」
「か、かしこまりました……」
「それじゃあ、レティちん。行こうかー」
「あ、あの、ラピス様……なぜいきなり飛び蹴りを……?」
「なんかねー、ゼノムちんから“邪念”ってやつを感じたから、ついやっちゃった♪」
「ゼノム様、大丈夫でしょうか……」
「大丈夫大丈夫♪ あの程度で死ぬようなヤワじゃないからー。それより早く行こっ♪」
――大浴場、女湯。
「レティちーん、はやくはやくーっ!」
「そ、そんなに急がないでくださいよ~……」
ラピスは一糸まとわぬ姿で湯煙の中を跳ね回りながら、手招きをする。
「ん~? なんでレティちん、タオルで身体隠してるの~?」
「兄様の家では、いつも一人で入っていたので……なんだか、ちょっと恥ずかしくなってしまって……」
「そっかそっか~。でもねー、タオル湯船に入れたらマナー違反だから、そこだけは気をつけてねー♪」
「えっ、そうなんですか!? わ、わかりました……」
桶でお湯をくみ、身体の汚れを流すと、二人は湯船にゆっくりと浸かった。
「はぁぁぁ~~……一日の疲れが溶けていくようです……」
「だよね~? このお風呂は竜王城の誇りなのだ~♪」
「ラピス様の鱗……濡れると、すごく綺麗になりますね」
「え、そ、そうかな~……? えへへ……」
ラピスは頬を掻きながら、照れくさそうに笑った。
「そういえば、ヴィオラさんの手には鱗が無かったような……?」
「ああ、それねー。竜人の女性はね、それぞれ鱗が生える場所とか量が違うんだよ~。手足までの人もいれば、二の腕や太ももまである人もいるの。私はまぁ、控えめな方かもねー」
「そうなんですね……不思議です……」
「…………むむーっ……」
唐突にラピスがレティをじぃっと見つめ始めた。
「……ラピス様? どうかされましたか?」
「レティちんってさ……」
「はい?」
「エロいよね」
「…………は、はいっ!?!?」
数秒の沈黙の後、レティが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「だってさ~、レティちん小柄だけど、スタイルめっちゃ整ってるし……もしかして、私より胸あるんじゃない?」
「えっ!? あ、あのっ……そ、そんなこと……っ!」
「おまけに……この柔肌~~っ!!」
「ひゃああああああっ!?」
ラピスがレティに飛びつき、頬ずりしたかと思えば、全身を遠慮なく触り始める。
「ああ……この滑らかで、それでいて程よい弾力……たまらんっ♪」
「ラ、ラピス様っ! だ、ダメですっ……そんな、そこは――ひゃうっ!?!?」
「まぁまぁ、今日はずいぶんとはしゃいでるのねぇ?」
「……え?」
突然の声にレティがあたりを見渡すと、湯気の奥――そこには女性がひとり、すでに湯に浸かっていた。
「あれー!? お母さん、いつの間に!?」
「ふふふふ、貴女たちが来る前から、ず~っと入ってたわよ」
その女性は、竜王国王妃――ルピア・ザークであった。
「ラピス様のお母様……」
「うふふ、ルピアでいいわ。ねぇラピス、私も混ぜてくれるかしら?」
「もちろんだよ~! 一緒にレティちんの柔肌を堪能しようっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいラピス様!? ルピア様までっ!?」
湯船に寄ってきたルピアが、遠慮なくレティの肌に触れる。
「まぁ……可愛らしいお顔に、もちもちのお肌……」
「でしょでしょー!? ロストちんはこんな可愛い子に愛されてるんだから、幸せ者だよねー!」
「あ、あのっ、お願いですから……変なところだけは触らないでくださぁああいっ!!」
「「本当に可愛い~♪」」
ラピスとルピア、母娘コンビに容赦なく弄ばれ、レティの悲鳴が湯気の中に響き渡った――。
――一方その頃。女湯の隣にある、男湯では……
「……いい湯だな」
「ああ……本当にな」
ロストとグレンは、ぐつぐつと煮えたぎる湯に平然と浸かり、まるで岩のように落ち着き払っていた。
この竜王城の大浴場は、男女で湯の種類が異なる。
女湯は『美鱗の湯』と呼ばれ、入れば肌はすべすべ、鱗には美しい光沢が生まれる美容特化の湯。
一方、男湯は疲労回復効果があるものの、王・バジュラ・ザークの趣味により“ある加工”が施されていた。
湯の中に投入されているのは《魔炎石》。火山地帯などで採れる、常に熱を発する特殊な石である。
それがいくつも沈められたこの湯は、もはや常人では危険なレベルの高温となっており、『灼熱の湯』と呼ばれている。
なお、隣には常温の小さな湯船もあるが、入っている者はほぼいない。
「この湯に浸かると、体の芯まで温まる……」
「ああ、不思議と心までぽかぽかしてくる……おい、お前たちも入ったらどうだ?」
ロストは近くで身体を洗っている蟻人たちに声をかけた。
「い、いえ……結構です」
「我々はいつも通り、ブラシで身体を磨いて終わらせますので……」
「というか、あんな煮えたぎる湯に平気で浸かるロスト様たちの神経が……」
「まぁ……今さら驚きはしないけどねー……」
そんな会話が交わされる中、男湯の扉が勢いよく開かれた。
「ハハハハハハ! 湯加減はどうかな!?」
入ってきたのは、竜王国の国王――バジュラ・ザークだった。
「父上!」
「バジュラ王、良い湯加減ですよ」
「ハハハハハ、そうかそうか!」
バジュラは豪快に笑うと、煮えたぎる湯を桶で汲み取り、ためらいもなく身体にかけた。
「うむ、確かにちょうどいい湯加減だな! では、失礼するぞ」
そう言って湯船に入ったバジュラは、深く息を吐き出し、満足げな表情を浮かべた。
「やはり風呂はこのくらいの温度でなくてはな……ところでグレンよ。ヴィオラちゃんの花嫁衣装は、もう決めたのか?」
「っ!? と、突然何を言い出すのですか父上!」
バジュラの唐突な問いかけに、グレンは顔を真っ赤に染め、あたふたと動揺した。
「採寸はもう済んだそうだが、ドレスにするか白無垢にするかで迷っていると聞いてな。ちなみに、私の時はドレスだった。あの時のルピアの美しさといったら、それはもう……」
「心配には及びません、父上。ヴィオラの性格なら、きっと白無垢を選ぶはずです」
「そうか? 決まっているのなら安心だ! 式の日を楽しみにしているぞ。ハハハハハハハ!」
バジュラは満足そうに笑いながら、グレンの背中を豪快にバンバンと叩いた。
「まったく……父上は……」
「バジュラ王も、お前のことを心から気にかけてくれているんだろうさ。……それよりも、グレン」
「ん?」
「風呂から上がったら――一勝負しないか?」
その一言に、グレンの口元が自然と吊り上がる。
「望むところだ。結婚前には、どうしてもお前との決着をつけておかねばならんからな!」
その返事に、ロストもまた静かに笑った。
一時間後。
「――はっ!?」
「ゼノム様、お目覚めになられましたか」
「ロウズ……私は確か、急に謎の衝撃を……そうだ! 今すぐ兄上のいる風呂場へ行かねば!」
「……あの、言いにくいのですが。ロスト様たちなら、数分前に大浴場を出られたとのことです」
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
ロウズの報告を聞いたゼノムは、血の涙を流しながら、地に崩れ落ちた――。




