魔王、辞めます。
地球とは異なる次元に存在する異世界。
この世界には、“魔王”と呼ばれる存在がいた。
魔王――それは、世界をたったひとりで混沌に陥れるほどの、圧倒的な力を持つ存在。
その強大な力を恐れた人間たちは、何人もの勇者や戦士を送り込み、討伐を試みた。
だが、誰ひとりとして、魔王を倒すことは叶わなかった。
……この世界に、救いの手が差し伸べられる日は来るのだろうか――。
「――魔王様、報告です!」
玉座の間に飛び込んできた部下が、膝をつきながら叫ぶ。
「人間の勇者が、城に侵入しました!」
「……ほう?」
玉座にふんぞり返っていた男――ロスト・モナークの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
次の瞬間、彼の全身から、どす黒い魔力が吹き出した。
「久方ぶりの敵か……いいだろう。血肉が沸き踊る……!」
両手を広げ、狂気すら帯びた笑みを浮かべるロスト。魔王の威圧が空間そのものを揺らす。
「来るがいい、勇者よ! この魔王の渇きを、その身で満たしてみせよ!!」
――だがその直後。
「魔王様……その件ですが……」
別の部下が、申し訳なさそうに声を絞り出す。
「その勇者ですが……先ほど四天王ゼルゲウス様が撃破されました」
「……」
魔力が、すうっと引いた。
「そうか」
ロストは、静かに玉座にもたれかかり、深々とため息を吐いた。
「勇者、来る前に終わってんじゃねぇか……」
「――俺、魔王辞めるわ」
執務室でふいにそう告げたのは、ロスト・モナーク。
歴代最強と謳われた、第349代目の魔王である。
「……は?」
暇つぶしにチェスの相手をさせられていた側近・ロウズは、ぽかんとした声を漏らす。
「い、今なんと……?」
「聞こえなかったのか? 魔王を辞めるって言ったんだ」
「な、何を突然とんでもないことを言い出してるんですか、魔王様!!」
ロウズはテーブルを叩いて立ち上がり、チェス盤の駒がバラバラと床に散った。
「だってなぁ……お前も見ただろ? 勇者が来たって聞いてテンション爆上がりしたのに、また四天王が倒して……。あれだけ気合い入れたのに出番なし。やってられんわ、ほんと」
「……は、はぁ」
「それにだ。俺が毎日何してると思ってる? 机の前で書類見て、ハンコ押して……これ、魔王じゃなくてもできるだろ絶対」
「……はい、まぁ……」
「しかも、俺を倒しに来る人間ども、大半が四天王で止まるし、たまに来ても、全回復させてやったのに一発で終わる。もはや様式美だぞ? このままだと俺、腐るわ。魔王力が腐る」
「……それを私に言われましても」
「というわけで、もう辞める! 田舎でペットと一緒にのんびりスローライフを送ることにする」
そう言ってロストは椅子を蹴って立ち上がり、執務室の扉へ向かう。
慌てたロウズが後を追う。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 魔王様が辞めたら、この城は誰が治めるんですか!?」
「弟のゼノムにでも任せとけ。あいつは頭もいいし書類仕事も得意だし、俺より向いてるぞ。じゃ、そういうことで。ロウズ、元気でな」
「え、ちょ……ま、魔王様ぁーーーっ!!」
――こうして、歴代最強と呼ばれた魔王ロスト・モナークは突如としてその座を放棄し、ペットと数人の部下を連れて、どこかへと姿を消した。
世界は、更なる混沌へと向かうのか――
それとも、意外と何も変わらないのか。
それはまだ、誰にもわからない。




