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ベネトナシュ

 国境近くの小さな村はずれの神殿は、すでに放棄されたに等しいほど荒れ果てていた。

 そもそもこの村は、俺がサバナル王国へ遠征する前に、既に村人の半数が死に、息を潜めて生きているような村であった。

「こっちよ」

 ベネトナシュは朽ちた神殿の扉を開け、祭壇へと案内する。

 この世界の神であるゴメイザの女神像が置かれている。ゴメイザは知恵と戦の神であり、俺をこの地に召喚するように『神託』を下した神だ。俺のこの鎧も剣も、この女神から賜ったと聞いた。

「少し狭いケド」

 彼女はそう言って、祭壇脇の壁をそっと押すと隠し扉になっており、地下へと延びる階段があった。彼女はろうそくに火を灯し俺の前を先導する。ひとひとりがようやくに降りて行ける幅の暗い通路を、俺たちはゆっくりと降りていった。

「着いたわ」

 彼女はそう言うと、目の前にぽっかりと大きな空間が広がった。

「明かりを入れるから、ちょっと待っていて」

 ジッという音かがして、ランプに明かりがともる。ぐるりと見まわすと、大きな書棚に大量の書籍がおさめられており、部屋の中央にテーブルと椅子が置かれていた。床には大きな魔法陣が描かれている。

「鎧を脱いで。手当てをするから」

 俺は頷いて、のろのろと鎧を外す。大きな傷ではないものの、刺された肩から出血しているのが自分でもわかった。鎧の下のシャツが血で濡れている。俺は、痛みをこらえながらシャツを脱いだ。そして、そのまま、椅子に座る。

「思ったより、出血しているわね」

 ベネトナシュはそう言って顔をしかめた。そして、何やらねっとりとした粘性のある冷たい液体をビチャリと、俺の傷口に塗り付けた。

「ッ――」

 激痛が走る。刺された時より痛いくらいだ。

「我慢しなさい、勇者でしょう?」

 勇者だって、痛いものは痛い。しかし、同世代の女の子の前で泣き叫ぶのはさすがに格好悪い。

 涙目になりながらも、俺はぐっと我慢する。

 彼女は手慣れた手つきで、俺の肩口に布を貼り付けて、細い布を巻きつけて止めてくれた。

「どう? まだ痛む?」

「いや、だいぶいい」

 肩口は布で固定されたおかげであまり動かないものの、痛みは半減した。

 俺は、ベネトナシュが用意してくれたシャツに片袖を通す。

「その液体は何?」

 先ほどの傷口に塗った液体を片づけている彼女に、俺が聞くと、彼女はびっくりした顔をした。

「知らないの? 怪我をしたら使う珍しくもない塗り薬よ。止血と治癒効果があるわ」

「そうなのか?」

 よく考えたら、俺はこの世界に来てから、怪我をしていない。あれだけ妖魔と戦ったというのに、かすり傷さえしなかったのは、普通に考えればおかしな話である。俺がそう言うと、

「思っていたより、女神の加護は絶大なのね」

 ベネトナシュはそう言って、ふうっと息をついた。

「あなたには、女神ゴメイザの加護がある。その剣と、鎧を手放さない限りはね」

「鎧と、剣?」

 そう言えば、刺される前に、俺は剣を手放した。その瞬間に女神の加護はなくなったらしい。ならば、正確には、女神の加護は俺じゃなくって、剣と鎧にあるってことだ。

「それで……妖魔が人間って、どういうことだ?」

「順を追って説明するわ」

 彼女はテーブルの上に大きな地図を広げた。おそらく、サバナル王国のモノだ。

 彼女は王宮から離れた山に描かれたバツ印を指さした。

「一年前。ここに、ゲミンガという遺跡がみつかったの。ずっとずっと昔。神代の世に、神とともに戦った建国の王の墓。サバナル王国では決して墓を暴いてはならないと伝えられてきた、伝説の場所よ」

 ベネトナシュはそう言って、首を振る。

「サバナルは、小さい国だわ。ブランクル王国、クアリー帝国などの列強にはさまれ、大した資源も産業もない。ただ、古い歴史だけのある国」

 俺はサバナルの王宮を思い出す。確かに、ブランクル王国の宮殿に比べ、随分と小さく、質素だった。

「サバナル王国の王、サルガスは、ゲミンガの秘密を暴こうとした――そこに財宝があると信じて」

 ベネトナシュの肩が震える。背を俺に向けているから、表情は見えない。

「ゲミンガは――決して暴いてはいけなかったの」

 ベネトナシュは、ゆっくりと奥へと行き、水差しからふたつのコップへ水を注いだ。そして、俺にそれを渡し、もう一方のコップの水を飲みほした。

「そこにあったのは、金銀ではなく、神代の時代に封じられた、肉体を持たない『妖魔』たちよ」

「では、魔王サルガスって?」

「サバナル王国の王、我が父、サルガスのなれのはてよ」

 ベネトナシュは俯いて目を伏せた。再び顔を上げた彼女は、涙の痕はあるけれど、強い意志の光の見えるをしていた。

 俺は息をのんだ。

 緑色の肌をして、髪を触手のように動かし、玉座に座っていた男。

 それが、この少女の父であるという。あれが、彼女と同じ『ヒト』であったとはとても信じられない。

「君のお父さん……」

 声が震える。剣を振りおろし、肉に突き立てた感触が手の中で蘇る。

 そうだ。妖魔が人だということは。 サバナルで俺が切り殺したすべての妖魔は人なのだ。

 薄明りの中で、綺麗なはずの自分の手が、赤く染まって見える。

 身体が震えはじめた。断末魔の絶叫が耳の奥によみがえる。

「落ち着いて。前にも言ったけれど、あなたが倒した妖魔は――もう救えなかったのだから」

 ベネトナシュが、俺の心を見透かしたようにそう言った。


 ジっと油が燃える音がした。

「気持ちはわかるけど、食べなさい」

 俺はベネトナシュがくれた硬いパンを横目に、首を振った。

「無理だ――食べたら、きっと吐く」

 胃液が込み上げるようにムカムカする。

「しっかりなさい。あなたは世界を救う、勇者なのだから」

 ベネトナシュの言葉に、俺は首を振る。

「勇者って何だよ。ただの人殺しじゃないか」

 バカだった。もてはやされて、剣に操られるように妖魔を切った。

 強くなったような気がして。偉くなったような気がして。

「食べたら、出かけるわよ。悪いケド、迷っていたら、ブランクル王国はサバナルの二の舞になってしまう。ここで立ち止まったら、あなたは本当にただの人殺しよ」

 辛辣だけど、どこか優しい言葉だと思った。俺は、彼女の父を殺した男だというのに。

「どこへ?」

 ベネトナシュはニヤリと笑う。

「あなたを呼べと神託を受けた人間に会いに行くわ」

「神託?」

「そう……この剣はね、このままではただ、妖魔の器を壊すだけ」

 ベネトナシュは、鎧の脇に置いてある俺の剣を手にした。刀身がきらりと光る。

「神託を受けた人間にしか、解けない謎があるのよ」

 彼女はそう言って、首を振った。

 確かに、本当に『神』が『魔王』を倒すために俺を呼び、剣を与えたのであれば、これ以上ない、片手落ちだ。『倒した』そばから、妖魔は寄生木やどりぎを変えるだけなのだから。

「では、ブランクル王国のアゲナ神殿に行くのか? 君も狙われるかもしれないぞ、ベネトナシュ」

 兵士たちは明らかに俺を殺そうとしていた。あれが、王の命であるならば、王都に行くことは危険だ。

「行かなければ全てが魔界に飲み込まれるわ。私のことはベネと呼んで。あなたは――」

「リュウでいい」

 俺は立ちあがり、再び鎧を身にまとった。


 アゲナ神殿は俺が召喚された場所でもある。

 ブランクルの王宮の西側にあり、山の高台にあって、街からは随分と離れた場所だ。

 日暮れ時である。

俺とベネトナシュは、迫りくる夕闇に紛れて、道から外れ、山側から神殿に近づいた。

「見て」

 彼女が指をさした先は、神殿の敷地内に、重々しい装備をした兵士たちが、神殿を取り囲むように立っている。しかも、通りに背を向けたような形だ。

「あの兵士たちは、外を見張っているのではないわね」

 明らかに神殿の中にいるものを出さないように見張っている。

「突破する?」

 俺が聞くと、ベネトナシュは首を振った。

「裏側から行きましょう。極力、騒ぎはおこしたくないわ」

 ベネトナシュが先導する形で、神殿の裏側の塀にたどり着く塀の高さは、俺よりもやや高いくらい。耳を澄ましてみたが、石塀のすぐそばには、人の気配はない。ベネトナシュは俺の怪我をしていない肩に足をかけ、塀の向こうを観察した。

「誰もいないわ。リュウは、この塀、越えられそう?」

 ベネトナシュが挑戦的な口調で問いかけた。

「わからない」

 俺は正直に答える。俺はそれほど運動神経に優れているわけじゃない。勇者として『戦える』のは、ひとえに女神の加護のおかげだ。

「そう」ベネトナシュはそう言って、ひらりと塀の上に飛び乗り、俺に手を伸ばした。

「急いで」

 さすがに、女の子に引き上げられるのは躊躇われて、俺は、意地になって、自力で塀によじ登った。

肩の傷が痛んだが、そんなことは言っていられない。

 俺とベネトナシュは、神殿の中庭へと飛び降りた。

「窓が開いているわ」

 神殿の窓が開いている。灯りはともっておらず、人の気配もない。

「罠?」

 一瞬、そう考えて、頭を振る。外の見張りは、『神殿の中』の人間を見張っているようであった。

 窓が開いているとしたら、ひょっとしたら『中』の人間が『逃げ出した』可能性の方が高い。

「入るわよ」

 ベネトナシュはためらいもなく、部屋へと転がり込み、俺は後に続いた。

 部屋は神官の控室のようで、粗末なテーブルと椅子、水差しとコップのほかは、明かりのついてないランプが置いてあるだけである。

 ベネトナシュと俺は床を這うようにして進み、窓の反対側にあった扉に張り付いた。

 俺たちが目配せをして、扉を開けようとしたその時、ガチャリと音がして扉が開いた。

「リュウヘイ、おそかったですね」

 そこに立っていたのは、俺を召喚したカウス・アウストラリスだった。


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