》4話
これでも慌てて準備をしたのにいざ終わってみると本当にギリギリだった。
そのまま慌ただしく始まった朝食。自分のお皿に乗っている分には殆ど手をつけていないのに目の前の他のお皿に乗ったおかずも、籠に入ったパンも、お代わりに置いてある鍋のスープも、みるみる間に減っていく。
―――主に一人の胃袋の中に。
「あー、朝から鍛練すると腹が減ってヤバイんだよなー!!」
ははははは、と大笑いしながら平らげていく巨漢の男。
正直その光景を見ているだけで胃もたれを起こしそう……。
そう思っているのは私だけではないみたいで、隣のエレンもげんなりした表情を隠そうともしない。
「ケインさん……もう少し控えてください。他の方のお代わりが無くなるんですけど。そもそも一人でそんなに占拠しないでください」
一応忠告をしているが、半ば諦めも滲んでいるのが分かるわ―――未だかつて、ケインの暴食を止められた人などいないのだから。
そもそもケインに全部取られる前に自分の分くらいは殆どの隊士が確保している。
しないのはとりあえず食欲が減退している私やエレンのような人だけ。
「お前らそんな細い食事で1日鍛練が持たないぞ?そうでなくても何処もかしこも細いんだから」
「騎士全員がケインさんのような筋肉隆々の人間ばかりだったら誰も騎士団に入団しなくなってしまいますよ。只でさえうちの騎士団は『限られた人数』しかいないんですから」
そもそも僕は骨格からして筋肉が付きやすい体質ではないし、ヒルダさんが筋肉隆々だったらありとあらゆる方面から苦情殺到です。
そう言いながらサラダを咀嚼するエレンの言葉を一瞬想像してしまった。
筋肉隆々の美青年。
……うわ、ちょっと……いいえ、かなり嫌。
そして私も筋肉隆々とか、お父様が嘆き崩れること請け合いね。
うん、間違いなく侯爵家から苦情が来るわ。
尚一層げんなりしていると、けらけらとハルが笑う。
「ヒルダ、君が筋肉隆々になんてなったら世の中のお嬢様方が騎士団へ抗議行動を起こしそうだよねー」
「……え、何故?」
「そりゃあ当然だろう。マクベス侯爵令嬢といえば社交界でも一目置かれる存在なのだから」
「それは以前の話でしょう?私はもう社交界に立つことは無いでしょうし」
「君は相変わらず自分の存在価値に疎いよね」
「ちょっと、どういう意味?」
「さぁねー?」
ニヤニヤとまた笑いながらパンをかじる。
何時もそう、ハルはひとつ距離を置いて物事を見ているような感じがする。それが何だか観察されているようで―――見透かされているようで落ち着かない。
何となく1歩引きながら広く空間を捉えている、ハルは参謀という立ち位置にピッタリな男。
「ハル、ヒルダをあまりからかうなよ」
「はいはい、兄上」
ハルのはす向かいに座っていたアインが同じくパンを咀嚼しながらちらりと視線を向けてきた。
アインはハルとは対照的にストレートに言うタイプ。王者タイプというか、真ん中でどっしりと構えているのが板についている。このまま順当にいけば間違いなくアインが玉座に着くわけだから、アインとハルのコンビは非常に良いバランスを持っていた。
今だから分かる。
この二人が揃うと『磐石』なのよ。
―――だから私が第三王子の婚約者に指名されたのね。
アインやハルと違ってヴィヴィアンは然程重要視されていない王子だった。
知や武を兼ね備えた二人の兄。
秀でた物を特に持っていなかった彼に対等になるであろう力―――侯爵家の後ろ楯という―――を画策されたのは当然といえば当然だった。
私も、当人であるヴィヴィアンも、幼すぎて気づきもしなかった。
大人達の目論みに。
そしてヴィヴィアンは一人の少女に恋をして―――あれをそう呼ぶのなら―――私は自分でそれを理解する前にあの学園での存在価値を切り捨てられたのだ。
私の存在という『矜持』と一緒に。
あの出来事は本人にではない、周りにとって最悪の悪手だった―――私は痛いほど理解した。
多分あの『箱庭』にいる彼ら―――そしてヴィヴィアンはまだ気付いてもいないでしょう。
ふと、握られたスプーンの動きが止まる。
そう、悪手。
だけど私にはどうにも出来なかった。
ヴィヴィアンと決して仲が悪かったとかでは無かった。だけどこうして婚約が破談になり、ヴィヴィアンも私もお互い想定していなかった現状になった。
どうすれば正解だったのか、など愚問は問わない。
だけど――――
「―――というわけだけど、ヒルダ、分かったか?」
「―――え?……っ、てアイン!?ちっ、近いわよ!?」
ふっとアインの顔がアップで視界に飛び込んできた!?
考え事をしていたから話を聞いていなかったのは勿論(それは反省するわよ!?)、端正な顔が急に現れればびっくり(これは不可抗力よ!!)するものだ。
くすりと笑いながらアインはもう一度話し出す。
「ごめん、今日だけど、ヒルダは俺と街の巡回に当たって欲しいんだ」
「え?待って、私今日はエレンと組むって……」
そう言ったはず。
そう、それもさっき。
「悪いけどそれ変更。エレンは今日ケインに付いて貰いたいんだよ」
「ケインに?」
「そう。エレンには言うなよ?―――『試験』だから」
「『試験』―――」
その言葉に瞠目する。
それはこの騎士団の人間にとっては非常に重要なもののひとつになるのだ。
なるのだ、けれど―――
「あの……それ、エレン大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、ああ見えてエレンも男だから」
「…………はぁ」
視界の端にまだ言い合っているエレンとケインが映った。
「大体ケインさん、朝食の席に来る前にせめてその『獲物』くらい置いてきてください。部屋に戻るくらい大した手間じゃないでしょうが」
「堅いこと言うなって、何時何時何が起こるか解らないんだ、獲物のひとつくらい手元にないとな?」
「屁理屈言わないでください。貴方側にあるものは何でも獲物にするじゃないですか」
…………心底心配だわ。
それを知ったときのエレンの心情が。
思わず私の顔には心配だと表情に出てしまった。
それを見ていたアインは苦笑いで応える。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ヒルダ。それより分かった?」
「……ええ、大丈夫。分かったわ」
頭では。
だけどやっぱり戦友のことを思うと心配になってしまう。仕方ないけど。
「……ありゃあ解ってないなぁ……」
未だパンをかじりながら同じく苦笑いしてハルがぼそりと呟く。
その声は小さすぎたことと、他の事で気が散っていた私の耳には届かなかった。