》1話
きゅっ、と髪を束ねる。
きっちりと纏めると身が引き締まるような気がするから、この行程は実は結構好きなのだ。
他に身に纏う武器や防具に不都合が無いかを軽く確かめてから「よしっ」と合格を出す。
まだ早朝とも呼べる時間。
しかし、私にとっては日常と何ら変わらない時間だった。遅れたら大変と私は移動を開始した。
ヴィヴィアン王子との婚約を破棄してから早一年。
私、ヒルガディア・マクベス。親しい人は私を『ヒルダ』と呼ぶ。私は現在―――『王立騎士団』の平隊員よりちょっとだけ上、な立場になっていた。
日課となっている騎士団の厩舎の裏にある畑まで行くと手頃な野菜を手際よく調達していく。今日はトマト、きゅうり、それからナス。レタスは昨夜の残りが確かあったはず……あれ?私侯爵令嬢だよね?すっかり町の主婦じゃない?……うん、深く考えないわ。
騎士団に所属するまで全く知らなかった。我が国の騎士団は自給自足で生活しているなどと。騎士団スゴい。
勿論多少はズレた感覚を保有している(ちゃんと自覚はしているわよ)侯爵令嬢も流石にそれには参ったわ。
修道院じゃないけど、此処で本気で引き込もってやろうかと思った。
ええ、本気で。
―――あの婚約破談となった時、これ幸いにと修道院にでも引っ込んでしまおうと考えていた。幾ら破談となった婚約だとしても相手は王子様、此方の体裁は最悪だ。
噂話が社交界の至るところに蔓延っている状況ではどんな形であれ此方の方が分が悪い。喩え事実がどうであろうと。確かに面と向かって王子様否定出来る人がいるならそれはそれで凄いわよね。
しかし王は婚約破談は直ぐに認めてくれたものの、私が半隠居生活を送ることを認めては下さらなかった。困った顔をされているのに『いいよ』と頭を縦には振られない。
……何故だ。
息子可愛さか。
一応うちの父様だってそれなりの要職に就いているのだから私も名前くらいは有名人なのに。こんないたいけな少女にあの社交界に舞い戻れと――――ちょっとは部下の娘も同情してくれればいいのに!!大人しくしているから!!
もうっ、修道院で1年くらい泣き暮らしてやろうと思っていたのに。
精々同情を買いまくり人の心象を掴みまくりほとぼりが冷めるまで楽隠居してやろうと思っていた。……ちょっと、人の事を悪どいとか失礼ね。
だけど最終的には私もこのダスティン王国の一臣民、しかも侯爵家の人間だろうと所詮ただの小娘。王の命には逆らえない。王が私の社交界からの辞去を認められないなら―――何で私がと憤慨したいけど――――それに異を唱えられる筈もない。
筈もない、はずだったのよ。
『陛下、畏れながら宜しいですか?』
『是非我々の意見をお聴き戴ければと』
『ほう?発言を許そう』
『………………………………』
気が付いたら二人の人間に背後を取られていた。
右側は青灰色の髪にガッチリとした体格の美青年。
左側は砂色の髪にすらりとした体格のタイプ違いのこれまた美青年。
二人は同じ白の制服を身に纏っていて。
……何で。
この国の『有名人』が。
振り向きもせず視線を向けることも出来ず、だけどどんな風に私が囲まれているのかが何故か判った。この2つの声の主。それはこの国の国民なら皆知っている第一王子と第二王子その人達だ。二人が居れば王国の将来は安泰だ、と云われている。うん、元婚約者ながら
第三王子様立場的に可哀想ね。別にもう同情などしないけど。
だけど何でそんな大物が私の背後に。
背筋に変な汗が流れるのを感じながら尚も2つのサウンドが耳に入ってくる。真面目さを装っているけど判る―――やけに愉しそうな声が。
『ありがとうございます。ヒルガディア令嬢は技剣の修得をされていると伺いました』
『我々の騎士団では『薔薇』の地位に就くものが永く不在です。なかなか『王』の騎士団に所属出来る条件をクリアする令嬢がおりませんでしたので』
『また、このまま単に社交界に戻っても令嬢にはこれまで愚弟の婚約者としての実績すら考慮されず肩身の狭い思いを強いることになりますよ。このままでは表面では何とも言われずともヴィヴィアンにも令嬢にも宜しくない噂が囁かれます。それは王家にとっても宜しくないでしょう?』
『…………ふむ?して?』
『ええ、ですから―――』
『彼女は『王立騎士団』で預かります』
――――ちょっと、いい笑顔で何を言い出しているのよ!!
顔は上げることなど出来ないので内心で叫びまくる。内心なので当然誰にも聴こえないけれど。
『王立騎士団』はその名の通り騎士団なのだ。
しかし当然女性が所属するなどそうそう起きない。永い歴史の中でもほんの一握り。
因みにその永い歴史の中で出てくる女性騎士は当然のように有名人だ。一部の熱狂的な女性ファンが後を絶たないのもまた有名。
どうして婚約破談となっただけの別に取り柄の無い私がそんなところに!?
…………なんて歯向かえるわけ無い。
ああ、ちらりと視線を向ければ流石に鉄仮面などと云われているお父様も驚きが隠せていないわ。
どうしてこうなったの。
これ、もしかしてそのまま社交界にいた方が楽だった?
何て後の祭り。
周りが眼を白黒させているうちに、『そして此方が完全に不名誉―――社交界での噂の的(何故なら噂の王子様は学園にいるままなのだ)になること――――を可能な限り排除する』との言葉より、私の『王立騎士団行き』が強制的に決まったのだ。
……その時の王子達の顔は憎い記憶として私の脳裏に焼き付いた。
「ヒルダ、おはよう。相変わらず早いな」
「おお、また今日も隙の無い着こなしで」
朝から眩しい王子達がお約束で現れた。いや、今更言わなくても朝の『鍛練』をしているのだ、二人は。
そして朝同じような行動を繰返していればお約束でばったり逢う。こんな光景も1年経てば『日常』になっていく。
キラキラな二人組も気が付けば見慣れているとか、私、一応女性なのに。
ああ、何でまたこうなったのかしら?