舞台裏〜暗闇の研究室
「………………」
不意に、何かを感じたようにその人は窓の外に視線を向けた。
此方から伺ってみても残念ながらその人の表情を伺うことはできない。
視線が合わないから、ではなく。その人は全身をフードですっぽり被っているため表情はおろかどんな姿格好だったか知らない人のが多いだろう。しかも極端に部屋から出てこない(まぁそれはこの部所に配属されたもの皆に云える共通項であるが)。
外は宵闇。
星や月の明かりも見えるが宮殿の明かりのほうが圧倒的に明るい。
だからそこまで闇夜ということはない。
その人は、ただ闇のなかを見つめ続けている。
「どうしましたか、レイ」
きちんと気付くように敢えて名前を呼ぶが、その人――――レイはそのままじっと一点を見つめたままこちらに返事を返す素振りもない。……何時もの事だが。
小柄なその人は、暫くしてふる、と首を振った。
――――ひとつ、首を振る動作は、何でもないという意思表示。
……相変わらず回りくどい(しかしそれもこの部所のモノにはありふれた光景なのだが)。
レイはそのまま興味を喪ったように窓辺から部屋のなかへと移動した。あまりにもあっさりと。
自分もそのままついていこうとして―――止める。
この人物は自分の存在など眼にも入れていない。そしてやはりというか、ぱたんとそのまま扉をあっさり閉めてしまった。
自分がこのままついていっていたらどうするつもりだ。―――答えは決まっている。どうでもいい、だ。
「…………『業炎』のレイ、ねぇ…………」
『2つ名』を持つ者はそう多くない。しかしその存在が『どういう人物なのか』を知っている者もまた多くはない。
現に目の前の人物がどういう人物なのか、自分はおろか周りの人間もそう知らないだろう(ただし他の奴等は興味がないため、という注訳が付くが)。
―――――正直面白くない。
そもそもどうして自分がこんな辛気臭い魔術師団に来なければならないのか。
ハッキリ言ってこんな使いっぱしりなど他の奴―――それこそ平民上がりの軍部のやつらにでもさせれば良いものを。
自分のように選ばれた『者達』にはこのような雑務など相応しくは無いだろう。
はぁ、とつきたくもないため息をひとつ零す。
内務省(文官の地位でも花形と云われている場所だ)に配属されてからというもの想定していたような日々―――とは程遠い日常を送っていた。
自分はラングラン伯爵家の人間としてそれなりに重要な人物のはずだ。
現に第三王子殿下の覚えも目出度く『学園』に居た当時は他の奴等を含め俺達の地位は確約されていた。その栄光はそのまま続いていく筈だった。
―――ところが王宮に志向したとたんその歯車が狂いだしたのだ。
何もかもが上手くいかない。
「ああ……本当に納得いかない」
眼鏡のフレームを押さえながら誰にともなく呟く。あんな怪しい魔術師よりも、自分達貴族のほうが身分も人脈も血筋も素晴らしいとハッキリしているというのに、王宮の老者達は何故あのような不気味な連中に敬意を払うのか。
同じ敬意を払うのならば、彼女―――アリス・コーンフィール嬢のような、無垢で愛らしい、人の上に立てるカリスマ性を持つ人物でなければならない。
ヴィヴィアン殿下は庇護されているアリス嬢がまだ『学園』を卒業出来ないため継続して就学されているが、彼女がこのままヴィヴィアン殿下の婚約者に落ち着くのも時間の問題だろう。
畏れ多くも一時期はその瞳に己の姿を映して欲しいと願ったこともあったが、今は殿下と、彼女の側で二人の為に尽力していくことを誓っている。
その為には一刻も早く王宮での基盤を構築して行きたいと思っているのだが―――現実は全く思うように進まない。
自分は、自分達は、このような場所で燻るような者達では無いはずだ。
しかしこのまま殿下や彼女が王宮に戻って来たとしても、明るい未来が安穏と訪れるとは到底思えなかった。
此処に勤め出してから嫌という程に耳に入る。
第一王子殿下の名声を。
宮殿の至るところで第一王子殿下についての言葉は聞こえても、第三王子殿下についての言葉はごく一部―――それこそ殿下の母上である側妃殿下の側など―――でしか聞こえない。
これではいけない。
このままでは。
殿下やアリスには此れからも幸福な未来を送ってもらわねば。
そして自分達はその側でそれを守っていくのだ。
「さて……こんな処で油を売る暇などないですね。そろそろ戻らないと」
そう、限られた時間で成さねばならないことは山ほどあるのだ。こんな場所などで時間を無駄にする必要は無い。
もう一度ちらりと閉じられた扉を睨むように見て(意味はないが無駄時間を割かされた腹いせだ)、また回廊に歩を向けた。
当然目指すのは内務省の己の仕事部屋。
個人の部屋を割り当てられないのは未だに解せないが、とにかく早く上に上がるように仕事をしなくてはならないのだ。
踵を返すとそのまま脇目も振らずに彼は歩いていった。
―――――カツカツと足音を響かせながら去っていくゲイン・ラングランの姿が消えた頃。
不意に、閉じられていた扉がほんの少しだけ開く。
「…………………………」
その人はなにも言わず、ただ彼が去った方向だけ見つめていた。
『こいつ誰やねん』と思った方、この人ほぼ名前しか存在感が無かった(序章でだけ出没・ヒドイww)ヴィヴィアンとアリスのお取り巻きの一人でございますww