転落
3
真っ暗な空間で頼りになるのはネーピアの手だけ、履いた下駄が石の床と大きな音を立てている。
「そこ、木の根がある。気を付けろ」
必要以上に上げられた足。おかげで躓かずに通過できた。小さな水たまりを踏みつけて、二人は奥へと進んでゆく。少女にとって、ネーピアとの唯一のつながりが離される。
「ちょっと待て。敵だ」
剣を抜き構えられる音。見えないはずのその場所で、彼は敵を確実に仕留めていく。落とされた獣の首三つ。ついた血液をその場で払う。嫌なにおいが、風のない空間に充満し始める。
「悪いな」
戻ってきた彼が手を掴む。怖くは無い。
「後ろから一匹、やれるか?」
ネーピアは少女の両肩に手を置くと、後ろへと振り向かせた。どこにいるのかは分からない。でも、何かがいるのだけは分かる。
「場所、わかんない」
両手が頭を支える。そして、わずかにその向きを変えるとこう言った。
「視線の先、十メートルほど。頭だけ出して様子を見ている」
何も見えないその空間。爆音が木霊した。熱い空気が、肉の焼ける匂いを運んでくる。
「よくやった、見事に頭を爆破したぞ」
二人は敵を切り、爆破しながら奥へと向かう。ようやくたどり着いた最深部。また、巨大な扉が行く手を遮っていた。
「さっきと同じだ。頼んだぞ」
肩車によって、視線の高さが大きく変わる。てさぐりで中央に手を置くと、呪文を唱えた。
「おし、まだ扉をあけるなよ。もうそろそろ、呪文の効力が消えそうだ」
反射し響く、彼の呪文。先ほどと同じく、最後に感謝の言葉を述べた。
「流れる魔力はだな、時間が過ぎれば淀み、流れなくなってしまう。淀んだ魔力は制御でき……」
「しってる、あけるよ」
話を途中で遮り、少女は扉を開け始める。動きに合わせて落ちる砂。そして、扉の隙間から灯りが漏れ出す。蝋燭の優しい光。その揺らめきは、暗闇に慣れた二人の目を傷めつけるほどではなかった。
「いらっしゃい、よくきたねぇ」
四角い部屋に、ログハウスにでも置かれているようなテーブル。端にある暖炉からは緑の炎が上がり、上に置かれたポットからは蒸気が噴き出している。薄い絨毯の上を、ゆっくりと移動する一人の老婆。彼女は置かれたポッドを手に取ると、湯呑みへと注いだ。蒸気と共に注がれるのは緑茶だった。
「こんなところにお客さん何て久しぶりだねぇ。どうぞ」
ろうそくに照らされたテーブルの上。二つの湯呑みが置かれた。ネーピアはそっと近づくと、剣を抜きながら叩き割った。
「俺はあんたと仲良くお喋りに来たわけじゃねぇ。化石、あんたが持っているんだろ?」
ニッコリとほほ笑むような表情を、老婆は一切歪めない。向けられた剣先に、怯えの欠片を見せることなく口を開いた。
「化石の力、お前さんに扱えるとは思えないけどねぇ。それでも欲しいのなら、持っていきな。力づくで、ね」
ネーピアの唐突な突き攻撃。その攻撃は老婆の頭を貫いた。だが、手ごたえは無い。空をつく感覚。背後からの存在を察知し、いち早く横へと転がる。先ほどまでの足元にナイフが突き刺さった。
「よく避けたねぇ。ほとんどは、さっきので死んじゃう事が多いのだけどねぇ。お前さんの魔法、探知するタイプかい?」
老婆はナイフを拾いあげ、二本の指で挟みこむ。その瞬間を逃すネーピアでは無かった。水平に一振り、勢いをそのままにもう一度切り付ける。刃が届くよりも早く、老婆はテーブルの下へと逃げ込んでいた。
「もし、お前さんが探知系魔法であるならば、不利なのはこちらだねぇ。でも……」
テーブルの上から剣の重量に任せて振り下ろす。彼の筋力に重量が合わさり、真っ二つになる、はずだった。弾ける腕。落ちる剣。片腕を吹き飛ばされ、肉が焼ける激しい悪臭が広がる。
爆破魔法。この場で爆破魔法の使い手と言えば、一人しかいない。
「真愛、てめぇ」
片手で抑え、充血した目で睨みつける。ふらふらと、血を垂れ流しながら彼はゆっくりと少女へと近づく。
「そう、責めてあげなさんな。お前さんは欺罔、って言葉をしっているかい?私の魔法はそれ、なんだよ」
少女の目はしっかりとネーピアに向けられ、敵を見るそれだった。敵意で満たされた二人の関係。
「おいババァ、お前を殺せばいいんだな?」
老婆はようやくテーブルの下から這い出てきた。
「魔法制御者の昏倒により、魔法の効力は消え失せる。でもねぇ。一度やってしまったことの記憶は、延々ときえないねぇ」
落とした剣を片手で拾い、先端を引きずりながら老婆へと近づく。普段は両手で持っていた剣。いつもよりも重たく感じられる。ゆっくりと持ち上げられる。剣先が天上をついた時、激しい痛みと熱とが、血液と共に振りかかる。回転しながら落ちる剣。石の床と刃が当たり、耳障りな高周波を響かせた。
「お前さんじゃ、勝てないねぇ……」
両腕をもがれた彼は深い血だまりを作り、うつぶせに倒れこんだ。彼自身の血が、赤く服を染め上げる。老婆は少女にかけた魔法を解除すると、そっと振り返った。
「お嬢ちゃん、人は皆死ぬんだ。気にすることは無いよ」
少女が敵と認識し、攻撃した存在が目の前に立っている。そして血だまりに浮かぶネーピア。絡まる思考と、恐怖とが少女を絡め取っていた。自身の攻撃が、彼を傷つけた。少女へと、老婆が手を伸ばす。部屋にできていた黒い渦から、少女と老婆の間に何かが落ちてくる。
銀色の髪。
抜身の刀を手に、彼女は老婆へと切りかかる。完全なる不意打ち。老婆は抵抗する間もなく、腹部を貫かれた。彼女は片足で老婆を押さえつけ、刀を抜き去る。
「ごめん、真愛ちゃん。状況が変わった。冒険はここでおしまい」
崩れ落ちる老婆はみるみるその姿を変え、若い女性の姿へと変貌する。部屋に響く男の笑い声。
「祖の神、一体何をしに来たんだ?」
両腕を失い、倒れていたはずのネーピアが、ゆっくりと立ち上がる。大きく広げられた両手には、光の球体が作られてゆく。
「蓄積の神。あんたの思考は読み取った。思い通りにさせる気はない」
血が滴る刀を蓄積の神へと向ける。少女は訳も分からず、ただ一人震える事しかできなかった。
「そうかよ」
両手が振られ、彼女へと光弾が飛ぶ。それが彼女へと当たる直前、黒い渦に光の弾は吸い込まれていった。地を蹴り、爆発的な加速力で接近する蓄積の神。勢い全てを拳に乗せ、全力で彼女へと殴りかかる。
「あんたね、全ての神の上位互換である私に、勝てるわけ無いでしょう?」
見えない壁が、彼女と彼との間に構築される。彼の拳はその壁によって憚れた。激しい攻撃の反動が、殴った拳へと伝わり蓄積される。
「あんたの能力はばれてんだから、いい加減あきらめ……」
「俺なら勝てると思ったんだよ。そうでなければ、あんたに攻撃しようなんざ思わ……」
事前に攻撃を察知した祖の神は、言い終わらない内に攻撃を仕掛ける。見えない壁を挟んで反対側、黒い渦から大量の水が降り注ぐ。
「溺れさせよう、ってかぁ?」
絶え間なく注がれる水の中で蓄積の神は叫ぶ。
「真愛ちゃん。貴方に貸した力、ちょっと返してね」
「おい、馬鹿! やめろぉ! 」
敵から目を離すことなく、彼女は放心している少女の額へと手を伸ばす。少女は何もない、少女へと戻った。
「ありがとう」
彼女は、大きくため息をついた。蓄積の神は、見えない壁を越えようと必死に殴り続ける。皮はめくれ、骨は折れ。その拳からは、血が垂れ落ちている。大量の水を注ぎこんだ渦が消えた。
「だからあんたじゃ勝てない、って言ったでしょ? あと、この世界もきちんと消しとくから」
言い放つと同時に、大量の水は水蒸気へと変わる。瞬間的な状態の変化に、巨大な爆発が周囲を包み込んだ。崩れ落ちる天井。彼女は少女を強く抱きしめながら、黒い渦へと飛び込んでいった。