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本編⑲

 

 気が付けば私は、ふらふらと階段を下りて一階に到着していた。急激な健忘を発症した時枝先輩と、途中からどんな会話を交わして美術室を退室したのか、自分でもまったく思い出せない。


「……アイに聞いてみた方が良いのかな?」


 だが、何をどう確認するべきだと言うのだろう。

 時枝先輩が尋ねていたような内容を、私が重ねて問うたところで『何を言っているのかサッパリ分からない』と、アイからは怪訝そうに返されるのが関の山だ。

 タン、と、階段の一番下の段から一階の床に足を下ろしたところで不意に私の視界がクラリと揺れて、思わず片手を添えていた手すりによろめいて体重を預け、すがりついていた。


「ああ、頭痛い……」


 私はやはり、風邪を甘く見ていたのだろうか。ガンガンと頭部の内側から響いてくる痛みと、喉が熱を持ってひりつく。節々も痛んできた。思えば、これまで風邪をひいた経験なんて、昔の記憶を浚ってもなかなか思い出せないぐらい、あまり無かった。自分が健康体である事に、胡座をかいていたかもしれない。

 小学生の頃、風邪をひいた私の看病をするのだと、治るまで仕事を何日も休むと決めた中年を仕事に行かせる為、私は御園夫人のご好意で隣家に泊まって看病までしてもらって、それ以来なるべく病気にならないよう気を付けていたんだけど。すっかり油断していたようだ。


 真っ直ぐに歩いて動けないほどではないが、ヒンヤリとした壁が気持ちがよくて、寄りかかりながら移動していく。保健室に寄るべきか、サッサと帰宅すべきか……

 いつもよりも多少熱いような、しかし普段の体温とそう変わらないような気もする額に手のひらを当てる。職員室と保健室も程近くに配置されている昇降口、そちらに向かって移動していた私が手にしているカバン、その中に放り込まれていたスマホが、着信を告げた。


「あ、にーちゃんだ」


 そうだ、椿にーちゃんには今日の学校帰りに、買い物の荷物持ちを頼んでたんだっけ。


「はい、もしもし」

「あ、もしもしミィちゃん。そろそろ日直のお仕事終わった?

今、正門の前に居るんだけど……」

「ん、今行きます」


 手短に通話を切って、歩くスピードを上げて昇降口に向かい、靴を履き替え正門に向かう。早歩きで近寄っていく私に、正門付近に佇んでいた椿にーちゃんが、「あれ?」と首を傾げた。


「……ミィちゃん、何だか普段よりもほっぺたが赤いんだけど」

「んーと……」


 散々、風邪をひかないようにと過保護に扱われ念押しされていたのに、雨の中傘も差さずに飛び出し、生乾きの制服を着たまま授業を受けて、間抜けにも風邪をひいたっぽいなどと、正直に告げたら椿にーちゃんに叱られてしまう!

 気まずさから視線を逸らす私の額に、椿にーちゃんは無言のまま手のひらを当てた。


「ミィちゃん、これ絶対平熱じゃないから」

「うーんと、そう、かも?」


 にっこり、と、何だか怖い笑顔を浮かべた椿にーちゃんに抱き上げられ、私は校舎にUターンする結果となった。昇降口から全く迷う事なく足早に移動するにーちゃんに、保健室へ運び込まれる。

 何で昇降口から見て保健室の配置とか道順、知ってるんだろう? ……椿にーちゃんもここの卒業生だとか?


「失礼します!」

「えっ?」


 保健室のドアを勢い良くガラリと開けた椿にーちゃんに、机についていた養護教諭の……ええと、名前は神林先生、だったな。ほんわかした癒し系お兄さんが、椅子に座ったままびっくりして上半身だけで振り返った。


「あれ? 君は父兄の方?」

「この子の知人です。養護教諭の先生ですよね?

この子が体調崩して風邪をひいたようなので、診てやって下さい」

「葉山さん」

「ご無沙汰してます、神林先生」


 神林先生、若いもんなぁ。椿にーちゃんが仮に卒業生でも、推定年齢からして卒業後に勤め始めたんだろうし、面識とか無いんだろうな。

 まくし立てられ、目を白黒させていた神林先生は、私のボーっとした姿に養護教諭としての職業意識が勝ったらしい。すぐに丸椅子に腰掛けるよう勧め、検温と問診が始まった。


「俺、一旦職員室に行って来ます」


 部外者が無闇に入り込まないよう、うちの学校の正門をくぐるには学生証を端末機に通す必要があって、椿にーちゃんは自分の大学での学生証提示で通過した訳だけど。来訪目的とか、ちゃんと通しておく必要とかあるんだろうなあ。

 椿にーちゃんが保健室を出て行き、私は改めて養護教諭の先生と向き合う。

 体調についてあれこれと尋ねられ、体温計を確認した神林先生は、うん、と一つ頷く。


「体温は37.4℃……今出ている症状も、風邪だね。取り敢えず冷えピタを貼るよ。喉が辛いなら、これ遠慮しないで飲んでね」


 神林先生が棚から取り出した冷えピタを貼ってくれたら、ガンガンと響く頭痛に苛まれていたのが、何だか徐々に多少楽になってきた。冷えピタって凄い発明品だな。

 小さい冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクを、有り難く受け取りキャップを外す。一口含むと、乾いた喉に染み込んでいく。スポーツドリンクって、水分の吸収が早いんだっけ。


「神林先生、有り難うございます」

「単なる風邪だからって油断して市販のお薬で済ますんじゃなくて、もしもの為にちゃんとお医者様に診てもらって、適切なお薬を処方してもらった方が良い。ご家族に連絡して、迎えに来てもらおう」

「あ、それはちょっと……」


 私は、我が家が父一人子一人の父子家庭である事と、父がただ今仕事中である事実を伝え、ついでにさっきの保健室に運び込んできたあんちゃんが、私の家庭教師兼半ば子守状態である事を神林先生に伝えた。


「そうか……それなら先生が付き添って病院に行こう、葉山さん。自分の健康保険証はどこにあるか分かる?」

「あ、持ち歩いてます」


 私は病院にかかるような事態には滅多に陥らないけど、いつ何が起こるか分からないから、財布に入れっぱなしにしてるんだよね。


「じゃあタクシー呼ぶから、ちょっと待っててね」

「はい」


 むー、体温計がはじき出した私の体温そのものは微熱よりだと言うのに、タクシーを呼んで養護教諭の先生に付き添われ病院にまで行かねばならぬのか。神林先生が心配症なのか、生徒が学校で体調を崩したら、皆漏れなくこんな対応になるのかな。

 まあ養護教諭って、医師でも薬剤師でも無いから施せる医療行為の範囲は限られてるんだよね。私もこれは風邪だとしか思えないけれど、誤診だったら一大事だもの。


 保健室に舞い戻ってきた椿にーちゃんも神林先生が呼んだタクシーに乗り込んできて、近場の診療所の受付時間は丁度過ぎてしまっていたので、この時間に外来受診を受け付けている最寄りの病院に連れて行ってもらい、診察を受ける。やっぱりお医者様の診断も風邪だった。

 お薬を処方してもらって、帰宅。心配そうにしながら学校に戻る神林先生にお礼を言って見送り、私はまたもや難題に直面する事となった。


「ミィちゃんのお父さんが帰ってくるまで、俺が看病するからミィちゃんは寝た寝た!」

「……今日はお父さんが帰ってくるの、深夜だよ……」

「ええっ!?」


 今朝は遅出だったからなあ、お父さん。多分、また日付が変わるぐらいの時間帯に帰宅するんじゃないかな。


「ミィちゃんが風邪をひいたって連絡入れて、早めに帰ってきてもらう?」

「ううん、良い。お父さんお仕事大変だもん」

「じゃあやっぱり、お父さんが帰ってくるまで俺が一緒に居るよ」


 薬ももらったし、単なる風邪ならば一人で眠るぐらい別に平気なのだが、椿にーちゃんは病気の私を放置するつもりが無いらしい。責任感がおありな事だが、椿にーちゃんにも都合があるだろうし、何よりも現状、我が家にはまともな食材が無い。腹を空かせたままのにーちゃんに、看病をお願いするのもなんだしなあ。

 私も何か食べなきゃいけないんだけど、昨夜炊いたお米の残りで適当に粥作れば良いだけだし。お父さんは自分で何とかするでしょ。


「ほらミィちゃん、早く部屋に行って横になって。俺は氷枕とか探し出してから二階に行くから」

「……いや、冷えピタもらってきたから氷枕は良いよ」


 ううむ。椿にーちゃんは引かない姿勢のようだ。そりゃあ、お父さんだって私が一人で寝てるよりは、帰ってくるまで椿にーちゃんが見ててくれてた方が、安心して仕事に打ち込めるだろうけど。うちの中年はやけに椿にーちゃんを信用してるし。

 ……御園夫人が隣家に御在宅だったなら、思い切って頼ってみるんだけどなあ。


――だが、美鈴さんはまだ、中学生だろう。将来はともかく、今、重要な決断を迫られようが、自分一人で解決出来る、もしくは責任を果たせると意気込んだりしない事だ。


 現在旅行中の心優しい隣家の老夫婦に思いを馳せていたら、ただ今隣家に住んでいる嘉月さんの言葉が蘇ってきた。


「う、う~ん。椿にーちゃんにわざわざ夜まで居てもらうのも……皐月さんに頼ってみるよ」

「皐月ちゃんに?」


 やや不満げに眉をしかめる椿にーちゃん。うーん、椿にーちゃんを遅くまで家に引き留めておくのは、何でか無性に抵抗あるんだよね。にーちゃんがねーちゃんじゃないからだろうか、やっぱり。

 風邪ひいたなら一人で居るのが好ましくない、と思われてしまう私なので、父に仕事を早退してもらうか知り合いを頼るしか無い。流石に幼児じゃあるまいし、風邪の時に一人で大人しく眠ってるぐらい出来るんだけどなあ。


 お父さん宛てにメールを出す椿にーちゃんの傍ら、皐月さんに電話してみる。


「はいもしもし。美鈴ちゃんどーしたの?」

「お忙しい時間帯にすみません、皐月さん。実は……」


 今は丁度、お夕飯の支度時だ。申し訳なく思いながら風邪をひいたと事情を話すと、


「大変! すぐにお見舞いに行くから美鈴ちゃんは安静にしてて!」


 重篤でもないのに何だかやたらと大慌てして、通話は切られた。


「椿にーちゃん、皐月さんが来てくれるって」


 中年へのメールを打ち終えたらしき椿にーちゃんにそう告げて、私は次の言葉に悩んだ。皐月さんを呼んだからにーちゃんは帰って、では、心配してくれている人を恩知らずかつ無情に追い出すような言動だ。

 かといって、椿にーちゃんと皐月さんの距離を縮めるような事態は避けたい。


「うん、俺が玄関の鍵を開けるから、ミィちゃんはほら、自分の部屋に行く!」

「う、うん」


 もしかして本末転倒な選択をしてしまったのではないかと思い悩む暇もなく、私は椿にーちゃんに促されて二階の自室に追い立てられる。カバンを定位置に置いてもそもそとパジャマに着替え、大人しくベッドに入った。

 しばらく横になっていたら、控え目なノックの後に椿にーちゃんが声を掛けてきた。


「ミィちゃん、入っても良い?」

「うん」


 そおっとドアを開けた椿にーちゃんは、私が横になっているベッド脇に腰を下ろし、私の顔を覗き込んできた。


「取り敢えず、ミネラルウォーターを冷蔵庫から出してきたよ。冷蔵庫開けてから、ミィちゃんが今日、買い物に行く予定だった事思い出した……」


 入っているのはバターや調味料ぐらいで、玉子や野菜すら無い綺麗に空っぽな冷蔵庫と椿にーちゃんは対面したのだろう。いや一応、冷凍庫には色々ストックされてるんだよ? スープとかソースとか出汁系の冷凍物はあるので、いざとなればパスタが……あ、パスタ麺切らしてたや。


 熱のせいか、妙に喉が乾くのでミネラルウォーターを受け取って身を起こし、何口か飲んでボトルをベッドボードの上に置いた。

 再び横になる私の顎にまで掛け布団を引っ張り上げ、肩がきちんと覆われるように隙間を埋めて布団を掛け直す椿にーちゃん。甲斐甲斐しいな。


「何か欲しい物はある?」

「んと、アーモンド抜きのピーチ・メルバ」

「ピーチ……ああ。風邪の時にアイスなんか食べて、身体冷やして大丈夫?」

「喉痛いから、アイスが食べたいんだもん……」


 もぞもぞと布団の中で寝心地の良い体勢を探りつつ、上目遣いで訴えると、椿にーちゃんは「分かったよ」と、苦笑気味に笑った。


「皐月ちゃんが来たら材料買いに行ってくるから、しばらく寝ておきなさい」

「うん」


 椿にーちゃんに優しく頭を撫でられつつ、お薬飲まなきゃいけないから、後でお粥作らないとな……などと考えながらも、身体は風邪で疲弊し疲労が溜まっていたのだろう。私はいつしかうとうとと眠りに落ちていった。



「美鈴ちゃん、お粥作ったけど食べられる?」


 うとうとしていた私は、遠慮がちに呼び掛けられて目を覚ました。ほけっとしながら周囲を見回すと、そこは自分の部屋で、私はベッドで眠っていたようだ。

 お盆を運んできたらしき皐月さんが、私の顔を覗き込んできている。


「皐月さんが作って下さったんですか?」

「うん、熱があるのにご飯を作るのもちょっと辛いでしょ?

それに、椿先輩がまともなお粥を作れるとも思えなかったしね」

「……本当の事だけど、皐月ちゃんちょっとヒドい。俺だって頑張れば……」


 ドアの方からは、椿にーちゃんの抗議が聞こえてくる。

 私は笑いを堪えながらベッドの上に上半身を起こした。部屋に入ってきた椿にーちゃんは、私の室内を見回して勉強机とセットになってる椅子をベッド脇に運んだ。


「ミィちゃん、この椅子をサイドテーブル代わりに使っても良い?」

「うん。この部屋、ちゃぶ台とか無いし」


 私の自室に設置されている家具類はシンプルなのだ。唯一、中年土産置物が異彩を放っているぐらいで。


「じゃあ皐月ちゃん、お盆ごとお粥をここに……」

「あれ? 椿先輩が美鈴ちゃんに『はい、あ~ん』をして食べさせてあげるんじゃないんですか?」


 ベッド脇に運んだ椅子を指し示す椿にーちゃんに、お盆を手にしたままの皐月さんは、不思議そうに首を傾げた。そして一拍置いて、「ああっ」と頷いた。


「すみません、わたしがここに居たら椿先輩も美鈴ちゃんも、お互いに甘えにくいですよね!

じゃあ、わたし、一階に居ますから!」


 早口で告げてお盆ごと椿にーちゃんに押し付け、バタバタと慌ただしく部屋を後にする皐月さん。……皐月さん、その率直過ぎる気の遣い方はちょっと……


「皐月ちゃんって、本当に面白い子だよね」


 押し付けられたお盆を手に、椿にーちゃんは吹き出す。


「皐月さんは、いつも賑やかだから。まあ、たまにやる気が空回ってるけど」

「うんうん。皐月ちゃんが居ようが、俺達気にしないのにね」


 ビミョーに椿にーちゃんとも、会話の意図に齟齬を感じる。


「じゃあミィちゃん、俺が食べさせてあげようか?」

「自分のペースで食べるから、いい」

「おや残念」


 当初の予定通り、椅子を簡易台代わりにしてお盆を置いてもらう。一人用の小鍋の蓋を椿にーちゃんが持ち上げると、お粥からふんわりと湯気が立ち上った。種を抜いた梅干しが真ん中に入っていて、半熟玉子と水菜、ネギが具材として入っている。

 見慣れぬ器といい、きっと皐月さんが御園家のキッチンでわざわざ作ってから、うちに持ってきてくれたんだ。本当に私、昔からお世話になりっぱなしだなあ……

 ベッドの上へ横向きに座ってレンゲを握り、早速すくったお粥にふうふうと息を吹きかけ冷ます。一口含むと、ほのかに生姜の風味も混じる。


 皐月さんは、椿にーちゃんがマトモなお粥を作れそうに無い、って断じてたけど、皐月さんの品と比較すると私のお粥も適当過ぎる事が判明した。だって私の作るお粥って、こんなに具とか入っていない、単なる塩味薄薄な水っぽいご飯だよ……次からはお粥に何か入れよう。


「美味しい?」

「うん。やっぱり皐月さんって凄いなあ」


 色々入っているから、玉子を混ぜたり梅干しを食べたりして、味の単調さが無い。椅子の傍ら、床に腰を下ろして腕を枕にするようにしてベッドへうつ伏せに身体を預け、こちらに顔だけ向けてきていた椿にーちゃんが、パクパクとお粥を食べる私が食欲旺盛な事に、安心したように尋ねてくる。


「お粥食べ終わったらお薬飲もうね。……ミィちゃんが眠ってる間に、一応ピーチ・メルバの材料も買ってきたけど、やめとく?」

「食べるー」

「えっ、本気?」

「喉痛い時はアイス、これが一番」


 お粥をペロリと平らげデザートを所望する私に、椿にーちゃんは「身体冷えそうだけど良いのかな……」などと、ブツブツと呟いている。


「じゃあ、これから準備してくるから、ミィちゃんは大人しく寝てるんだよ?」

「うん」


 ミネラルウォーターで風邪薬を飲み下し、再びベッドへ寝かしつけられた私は、椿にーちゃんに言われた通り大人しく布団の中へくるまる。

 お粥を食べ終わった小鍋を、お盆ごと持ち上げて一階へ下りていく椿にーちゃんを見送り、私は内心でう~んと唸った。


 結局、私の風邪ひきというハプニングのせいで、椿にーちゃんと皐月さんを接触させる事になってしまった訳だけれども。

 でも、椿にーちゃんは真夜中まで私の看病をすると言ったら、本気でやりそうなんだよなあ。

 頭痛と喉の痛み、熱で思考がぼんやりとはっきりしない状態でうとうとと、目を閉じて取り留めの無い事を考えていたら、部屋のドアがコンコン、とノックされた。椿にーちゃんがピーチ・メルバを作って戻ってきたにしては、やけに素早い。


「美鈴ちゃん、起きてる?」


 音を立てないよう、慎重に開かれたドアの隙間を通って、皐月さんが室内に滑り込んでくる。

 寝返りを打ってそちらを振り向くと、皐月さんがベッド脇の椅子にちょこなんと腰掛けた。


「ごめん、起こしちゃった?」

「デザートの為に、起きて待ってましたから」

「美鈴ちゃんらしいね」


 私の掛け布団の乱れたところをぽんぽんと直し、冷えピタが貼ってある額に手を伸ばしてくる。


「むぅ、熱が計れないっ」

「いや、薬飲んだ直後、すぐには熱が下がりませんから」


 冷えピタの範囲外の額に人差し指を当て、温度を探ろうとする皐月さんに、私は力なくツッコミを入れた。


「お湯とタオル持ってきたから、汗拭いてあげようか?」

「あ、自分で……」

「今日はお風呂入るのは止めておいた方が良いだろうし、背中は大変だからわたしが拭いてあげるね」


 着替えってここ? と、私の部屋のタンスから替えの下着を取り出してベッド脇に置き、廊下に出していたらしきお湯が入った洗面器を引っ張り込む皐月さん。

 むぅ、皐月さんは何故こんなに手際が良いのだろう。……私が気が付いていないだけで、実は嘉月さん、不規則生活が祟って、頻繁に風邪でダウンしてるとか?

 熱いお湯に浸してから絞ったタオルで背中を拭われ、私は身体をサッサと拭いて下着を替えてパジャマを着込み、サッパリとした気分でベッドに戻った。今が冬場でなくて良かったよ。


「下で椿先輩とお兄ちゃんが、チクチク言い合いながらデザート作ってるから、もうしばらく寝ててね」

「え、嘉月さんもいらしてるんですか?」


 椿にーちゃんも嘉月さんも、声を荒げるようなタイプではないので、下階から話し声はおろか気配すらちっとも感じられなかったけれど。嘉月さんにも、心配をかけてしまっていたらしい。


「うん。ねえ、美鈴ちゃん。今日はどうしてわたしに電話してきたの?」

「……え?」

「てっきり、ひとりぼっちで心細いのかと思ったら、椿先輩に鍵を開けて出迎えられて、びっくりしちゃって」


 皐月さんが、優しい手付きでそっと私の頭を撫でていく。


「椿先輩は美鈴ちゃんのお父さんがお戻りになるまで、自分が看病するつもりだ、なんて言うし。

それなのに美鈴ちゃんが私を頼ったのは、そうして欲しくないから?」

「……私、椿にーちゃんにあんまり迷惑掛けたくない、って言うか……」

「うん」


 布団の上掛けに潜り込みながら、自分の本心を考えた。


「多分、凄く、急すぎるから、まだ馴染んでないんだと」

「馴染む……」

「私とにーちゃん、出会ってからまだ二か月も経ってないから、こんなに面倒見てもらうのは、よくない、ような。そんな気がして落ち着かないんです」


 椿にーちゃんが、こちらに取り入って詐欺を働こうとしていると疑っているだとか、そういう話ではないのだ。椿にーちゃんに素直に甘えれば甘えるほど居心地は良くて、頼る事が正しく当たり前だ、と思わせる安心感。それでいてただひたすらに、『そこまでしてもらえるほど、私達はまだ遠慮の要らない親しい仲ではないのではないか』という、非常に気まずい感情が魚の小骨のように喉奥に引っ掛かって落ち着かない。


「うーん、何か分かる気がする。

要するに美鈴ちゃんは、椿先輩が急激に距離を近づけてきて、すんなり受け入れにくいんだよね」

「はい……にーちゃんの事、私は嫌いじゃないんです。むしろ、凄く好き、なんですけど……何というか、こう……」


 どうも、上手く話せず曖昧にごにょごにょと口ごもってしまう私だったが、皐月さんはグッと拳を握って「分かる、分かるよ」と、力強く頷いた。


「普段から椿先輩の押しに気が付けば流されてたけど、風邪で弱ったところにも押されて、余計にパニックを起こしちゃったんだね」


 そうなのだろうか。確かに、会うたびに距離が近付いて、それはどこか不自然なのではないかと、違和感を覚える事もあった。


「大丈夫。今日のところはわたしが、椿先輩の怒涛の愛情からの防波堤になってあげるから。

事前準備や覚悟どころか、意識も無いまま海に突き落とされたら、誰だって溺れちゃうよ」


 皐月さんは得心がいったようなのだが、私は自分の事なのに自分でよく分かっていない。

 ふんっ! と、気合い満タンで鼻息も荒く拳を握る皐月さんに、私は無言のまま目を閉じて後を任せる事にした。


「ミィちゃん、お待たせ」


 目を閉じて、眠りに落ちるヒマも無く。コンコンとノックの音がして、入室の許可も待たずに椿にーちゃんがお盆を抱えて現れた。


「ごめんね、遅くなって。お兄さんが盛り付けで横からゴチャゴチャ口出ししてきちゃってさ」

「人のせいにばかり、しないでもらおうか。あれは石動君が、明らかに適当に山盛りにして、器へ乗せるから……」

「それでバニラアイスが溶けすぎて、本末転倒で作り直しになって、俺がもう一度買い出しに行く羽目になってしまった訳ですが」


 笑顔で嘉月さんに毒づく椿にーちゃんの後から現れた嘉月さんが、実に不満そうに文句を言うが、二回も買い出しに走った椿にーちゃんは、よほど苛ついているようだ。珍しいなあ、にーちゃんが他人へ向けて怒りを露わにするとか。

 ベッド脇の椅子からどいた皐月さんと入れ替わるように、椿にーちゃんがそこへ腰を下ろす。


「さ、俺が食べさせてあげる」

「いや、自分で食えるよ……」


 笑顔でスプーンを突き刺してすくい上げるにーちゃんに、私はもぞもぞと上半身を起こしてお盆ごとデザートの器を受け取り、上掛けの掛かったままの膝の上に置いた。さっきの鍋は重いし、零して火傷するかもだったけど、こっちの皿は軽いしね。膝からの方が食べやすい。


「じゃあ、わたしとお兄ちゃんは下に居るから」


 つい先ほど、防波堤になると宣言したはずの皐月さんが、嘉月さんの手首を掴んで引っ張り、私の部屋を出て行く。……と、ドアを閉める前に顔だけにゅっと出し、


「美鈴ちゃんがそれ食べ終わったら、ちゃんと下りてきて下さいね、先輩」


 と、付け加えていった。


「……病人の前なのに、皐月ちゃんも落ち着きが無いな。

さ、遠慮せず食べて良いからね、ミィちゃん」

「うん、頂きます」


 椿にーちゃんは皐月さんへ苦笑気味に頷いて、私に向き直るとデザートの実食を促してくる。

 私が椿にーちゃんにねだったピーチ・メルバは、作り方自体は難しくないし、材料はコンビニなどでも気軽に買えるものばかりだ。桃とバニラアイスを器に盛り付け、上からベリー系のソースやジャム、スライスしたアーモンドをふりかける。まあ今回は喉痛いので、アーモンドを抜いてもらった訳だけど。

 缶詰めやコンビニアイスをただ盛り付けるだけの気軽なデザートなので、確かに盛り付けの腕前が問われる一品かもしれない。


 嘉月さんに横から何か言われながら、椿にーちゃんは対抗心が刺激されでもしたのか、バニラアイスを底敷きに、八等分ぐらいに切り分けられた白桃が、フグのお刺身のごとく綺麗な扇状に並べられ、その上に更に苺アイスを飾り付け、真っ赤なラズベリーソースが彩っている。

 凄い、凄いぞ椿にーちゃん。我が家にはアイススプーンなんか無いのに、上の苺アイスをどうやって球体に限りなく近い丸さに形成して、器に盛り付けたんだ。そしてこの、一糸乱れぬ桃の並び……まるで美しく整然と並べられた、光沢のある布地を思わせる。そしてラズベリーソースの鮮やかな赤が全体を引き締め、この甘味が決してチープなものではなく、高級感を醸すに相応しい気品漂うデザートである事を訴えかけてくる……


「どう、ミィちゃん。美味しい?」

「うん。美味しかった。ごちそうさま」


 ……が。食べる方であるところの私は、はっきり言って盛り付けとかどーでも良いので遠慮なくスプーンを動かして崩していき、パクパクと食して空になった器を椿にーちゃんに返した。これで良いのだ。だって、美味しい美味しいってパクパク食べる私を、椿にーちゃんは嬉しそうな顔して見てるし。

 いやー、やっぱり風邪の時にはアイスに限るわ。


 一階の洗面所で軽く歯磨きをしてから再び部屋に戻るべく階段を上る私に、ちゃんと寝てるんだよ、と、空になった器を下げつつ念押しをしてからキッチンダイニングに向かう椿にーちゃん。

 むぅ……椿にーちゃんが皐月さんと何を話すか、非常に気にかかって仕方がないんだけれど。ただまあ、親密になるとかそんな空気が出る前に、嘉月さんが絶対に何か口を挟むと思うのよね。椿にーちゃんがこう、『ピキッ』となる感じの台詞を。

 ベッドに潜り込みつつ、仲が悪い対人関係の相手を向かい合わせていても、こういう場合はむしろ安心材料になる事もあるんだなーと、私は世の中の巡り合わせの妙に感心しながら、すぴょすぴょと早めの眠りについた。



 次に目を覚ました時、視界はすっかり真っ暗闇だったのだが、私の頭をそっと撫でる手の感触に気が付いた。

 なんだかずっと、誰かに撫でられていたような……?


「……んぅ?」

「ごめん美鈴、起こしちゃった?

大丈夫、眠ったらすぐに良くなるからね」

「うん……」


 どうやら眠っている間に父が帰ってきて、私の様子を確認していたらしい。

 お休み、と小さく囁く父の声を半ば夢うつつに聞きながら、私は再び眠りに落ちた。



 明けて翌朝。

 昨日の頭痛や喉の痛みが嘘のように、私はすっきりと目覚めた。実に気分は爽快だ。

 時計を確認すると、現在時刻は朝の六時半。うむ、早寝早起きは健康の元とは言え、流石に病み上がりに早起きし過ぎた感が無くもない。

 ベッドボードに置いてあった体温計を取り上げ、今朝の体温を計ってみる。


「んーと、今朝の体温は……36.8℃、うむ平熱」


 これなら学校に行けるかなーと、考えながらもぞもぞとベッドから下り、着替えてキッチンダイニングへと向かった。

 昨日は夜の八時も回らない時刻に眠ってしまった為、看病に来てくれた椿にーちゃんと皐月さん、嘉月さんが何時まで居てくれたのかは分からないけれども。流石に朝まで居てくれていた訳ではないようで、キッチンダイニングは無人であり、使った食器類も綺麗に片付けられていた。


「ええっ!? 美鈴、もう起きて平気なの!?」

「おはよー、お父さん」


 お弁当の下拵えを昨日出来なかったので、父が仕事帰りに買ってきたらしき食材を適当にパンに挟んでサンドイッチにするべく、キッチンに立っていると、起き出してきた父が背後で仰天した素っ頓狂な声を上げた。


「美鈴、熱は?」


 調理中だというのに、私の額にコツンと自らの額を当て、体温を計ろうとする我が父。父よ、そんなに腰をかがめて、痛めても知らんぞ。


「もう下がったから平気。計ったら平熱だったよ?」

「いや、風邪は治りかけが一番油断しちゃいけない期間だって、物の本にも載ってた。

ぶり返してクラスメートに移しちゃ大変だし、今日は念の為に休みなさい」

「う、う~ん……」


 うちの中年が読んだ、物の本とやらがどんなモノかが気になる。

 今は幸いテスト週間でもないし、確かにまたぶり返してふらふらになるのも避けたい。無遅刻皆勤賞を狙ってもいないし。

 学校で何か重大な催しや、すべき役割がある訳でもないしなあ……


「うん、分かった」

「じゃあ、お父さんが学校に電話入れておくね」


 朝ご飯を食べてお薬を飲む私の対面の席で、風邪をひいて休む旨、学校へ連絡を入れる父。


「そう言えばお父さん、昨日は何時に帰ってきたの?」

「夜の十時ぐらいだったよ。

石動さんや皐月さんが、美鈴を心配して看病してくれてたんだってね? お父さんが急いで仕事を片付けて帰ってきた時にはもう、夜も遅いからって広瀬君が彼女らを帰宅させていて、彼が美鈴のそばについてるだけでね……」


 お父さんは何を期待していたのだろうか。というか、皐月さんも私の願いを尊重してくれたのは嬉しいけれど、それで嘉月さんを残していくという選択肢を選ぶのは、どうなのだろう。

 いやいや、そんな恩知らずな事を考えてはいけない。椿にーちゃんにも、とてもお世話になりながらビミョーな感情を抱いてしまっているのだ。これからは、きちんと感謝の意を示していかねば。


「そう言えば、キッチンダイニングに買った覚えがない果物があったんだけど、お父さんが買ってきてくれたの?」

「あ、それは皐月さんと嘉月さんからお見舞いだって!」


 ああ、うん。風邪をひいた娘に林檎一袋だなんて、うちの中年にしては珍しく出来た気遣いだと思ったんだよ。


 仕事に向かった父を見送り、再び部屋に戻って新しいパジャマを取り出して着替え、念の為に体温を計ってみると、先ほどよりも少し上がっていた。学校で活発に動いたら、体調を崩していたかもしれない。

 私は椿にーちゃんや皐月さん、嘉月さんに向けて昨日迷惑をお掛けした謝罪と、お世話になったお礼、それから今日は大事をとって休む旨を認めメールを送信した。


「あ、あとアイにも昨日心配かけた謝罪と、休むから今日の分のノートを写させてもらうお願いメール出さないと」


 昨日は、とにかくもう一回日直やり直しを食らうのが嫌で、体調不良を押して無理やり仕事をこなしたので、アイの下校ギリギリまで心配をかけてしまったのだ。安心してもらうべく、一晩寝たらケロッと治ったけれど、心配症の父が念の為に今日は休ませるだけだと、間抜けな絵文字と説明も追加したメールを送信。


 さて、動き回って本当に熱がぶり返しても困るし、大人しく休んでいよう。起きたら今日の分の授業範囲、教科書確認しなくちゃ……



 たっぷり眠って目が覚めた後だというのに、何だかやけに呆気なく眠りに落ちて、目が覚めると昼に近い十一時を回っていた。身体は風邪と戦って、とにかく休息を欲していたのだろうか。

 頭痛や喉の痛みも無いが、念の為に再び体温を計ってみると、36.5℃と、問題無さそうな数値。

 スマホを確認すると、皐月さんや嘉月さん、アイからメールの返事が届いていて、順番にそれに目を通していく。元気になったら、お詫びとお礼にお菓子を作って持っていこう。


 そして、椿にーちゃんからのお返事が来てないな、もしかして今日はまだ起きてないとか? と、首を傾げた私の耳に、玄関チャイムの音がかすかに聞こえてきた。私の部屋は二階で、特に音が聞こえやすいようにスピーカーが設置されている訳でもないので、家に一人で留守番中、二階に居ると来客に気が付きにくいのだ。

 階下のキッチンダイニングにまで向かい、テレビインターホンを確認してみると、たった今考えていた椿にーちゃんの姿が。


「にーちゃん、どうしたの?」

「やあ、ミィちゃん。風邪はもう大丈夫だってメール来てたけど、心配だったから……」


 インターホンの画面越しに、椿にーちゃんは手を持ち上げてレジ袋を示した。


「昨日、食材あんまり無かったし、お買い物行くのも億劫だろうから、色々買ってきた」


 ……お高い玉子様を、美味しそうだからと躊躇なく手に取るにーちゃんの『色々買う』……どうしよう、嫌な予感しかしない。

 とにかく、外に放置したままでもいられないので、玄関にて鍵を外して椿にーちゃんを出迎える。来客をもてなすには相応しくないパジャマ姿だが、そこは病み上がりだから目をつむってもらおう。


「本当は、ここで食材を買い込んできて、鮮やかに調理出来たら格好良かったんだろうけど」


 キッチンダイニングに招いた椿にーちゃんは、そう言ってテーブルの上に置いたレジ袋から、がさごそと中身を取り出していく。


「コンビニおにぎりに、サラダにコンビニのお惣菜……」

「いや、本当はもう少し身体に良さそうなご飯が良かったんだけど、手料理を持ち帰らせてくれる料理屋とか、起き出してすぐに向かっても、丁度混む時間帯だったから仕方がなく」

「ううん。買ってきてくれてありがとう、にーちゃん」


 お昼には、朝ご飯にした食パンをまた一枚焼いて済ませてしまおうと考えていたのだ。わざわざ気を遣ってお昼ご飯を買ってきてくれただなんて、有り難い話だ。そしてコンビニデザートもしっかり購入している辺り、流石は椿にーちゃんである。

 そして現在時刻は十二時。低血圧なにーちゃんが今日、何時に起きたのかは突っ込まないでおこう。


 お茶を淹れて一緒にご飯を食べ、ついでに昨日お見舞いで頂いた林檎を切って出そうとしたら、椿にーちゃんが「いや、ここは俺が」と、マジな顔をして果物ナイフを構えた。

 そして我らの椿にーちゃんは、可食部位の果肉と、皮として切り分けた部分がほぼ同じ厚みになるという、実に奇跡的な切り分けを披露して下さった。そんなあんちゃんは、私に果肉部分を差し出し、自棄気味に皮ごと食そうとするので、皮付きを一切れお茶のポットに入れてアップルティにし、残りの皮は薄く剥いて差し上げた。


「林檎をグルグル回しながら一本で皮を剥くのって難しい……」

「にーちゃん、まずは八等分にした林檎から剥く練習を初める方が良いよ」


 皮が一本で繋がるどころか、途中で千切れまくってますがな。

 やっぱり、このあんちゃんは面白い人である。



 午後から講義があるからと大学に向かうにーちゃんを見送り、自室にて教科書を開いて今日習うはずだった部分を確認したり、簡単に家の中を掃除したり、父へ仕事帰りに買ってきてもらいたい食材リストをメールにて送信。なに、ほんの二十種類だからたいした量じゃない。ついでにお菓子用の材料も記載されているが、どうせ作れば中年は大喜びで食べるので問題は全く無い。


 なるべく身体を休めているうちに夕暮れ時が迫り、今日の授業を終えたらしきアイからメールが舞い込んできた。

 宿題の数学と英語のプリントも出たので、ついでに持ってきてくれて、体調に問題が無いようなら我が家で宿題を一緒にやってくれると言う。


「おお、流石は我が友、気が利く」


 昨日は本当に、何度も忠告や助け舟を出すアイの前で、風邪の体調不良を押して日直の仕事をこなしていたからなあ。職員室に日誌返して帰ろうとしたら、もうフラフラヨロヨロで、正門のところで待ってた椿にーちゃんを仰天させちゃうし。


 一応、パジャマから部屋着に着替えてお茶の支度をし、昨日皐月さんと嘉月さんから、お見舞いとしてもらった果物を切っておき、アイの来訪を待つ。……本当はお菓子も出したいけど、今うちには何も無い。泣きたくなるので中年、仕事帰りの買い出しを忘れないで下さい。


 教科書やノートに筆記具もキッチンダイニングのテーブルに用意し、そわそわしながら待っていたら、学校が終わってすぐに来てくれたのだろう。メールを受け取ってから十分程度で玄関チャイムが鳴った。私は早速出迎える。うん、もう完全に風邪なんかどっかいっちゃったな!


「アイ、いらっしゃい!」

「やあ美鈴っち。……うん、本当に顔色も戻ってるし、咳き込む様子も無いようだね」


 どれどれ、と、片手を私の額に当て、熱を計るアイ。


「うん、もう完全回復したから、明日……は、土曜日だから、月曜日には学校に行くよ」

「うん、それが良い。

何しろ今日の体育はともかく、美鈴っちの愛すべき英語の授業を一時間、受けそびれてしまった訳だからね」

「……思い出したくない事を」


 キッチンダイニングのテーブルに着き、私が淹れたお茶を美味しそうに飲むアイにサラリと告げられ、私は思わず悶えていた。

 流石は我が友、私が英語に毎回苦戦している事を、よ~くご存知である。


「今日の宿題と、授業ノートはこれだ。さて美鈴っち、他に何か、あたしに聞きたい事はある?」


 自らの通学カバンから、今日受けた授業のあれこれを友人から提示され、私は迷わずはっしと英語のプリントを手に取った。


「英語の宿題、教えて下さい先生!」

「もちろん良いけど、そうするとまずは、今日の授業内容からだな」


 アイは優雅に片手でカップを傾け、もう片方の手でついっと自らのノートをめくり、今日のページを開いたのだった。



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