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綺麗なお兄さんは好きですか? がキャッチコピーの年上男性を籠絡していく乙女ゲーの世界で暮らしてるわたし。④

 

 わたしにとって、今日という日は決戦だ。

 毎週決まった曜日のランチタイムは、同じ講義を取っているメンバーに加えて柴田先生と一緒にお昼ご飯を食べるのだけれど、六月に集まるのは今日が初なのだ。


 六月と言えば……例の、小悪魔ロリータヒロイン美鈴ちゃんが年上の男性達と恋愛劇を繰り広げる乙女ゲームにおいて、遂に柴田先生との出会いイベントが発生する可能性がある月なのだ。

 攻略対象の中で柴田先生が一番最後の登場だけあって、六月から七月まで、とにもかくにもイベント目白押しなんだよね。どちらも好感を抱かないように、出会いイベントそのものを阻止するに限る!

 今月こそ、わたしの頑張り所と言える。


 と、いう訳で。

 今日のお弁当を、わたしは一段と気合いを入れて用意した。

 昨日、スーパーで偶然会った美鈴ちゃんとレシピ交換したおかずを猛練習して今日のお弁当箱に詰め込んできたのは、決して、柴田先生がゲームのイベントで美鈴ちゃんのお弁当がとても美味しいと嬉しそうに舌鼓を打っていたからでは……ごめんなさい嘘です。本当は、柴田先生がお好みで(ゲーム情報)、美鈴ちゃんの得意料理をわたしが先んじて柴田先生に差し上げて、好感度アップを画策しているからです。


「皐月、お前また何か企んでないか?」


 今日も今日とて、ちょっと遅れてしまっている柴田先生の到着を待って、内心ウキウキしながら芝生の上に腰を下ろすわたしに、斜め前に座ったあっ君が胡乱な眼差しでわたしの顔を覗き込んできた。


「なになにサツキちゃん。何か楽しい事? 面白い計画なら乗るよ?」

「……つーか静香、パンツ見えてる」


 ランチタイム仲間の静香 (しずか)ちゃんと泰介 (たいすけ)君のカップルが、こちらに興味を惹かれたように口を挟んでくる。泰介君はわたしやあっ君、静香ちゃんよりもいっこ上の先輩で、静香ちゃんとは高校の頃からの知り合いだったそうな。

 うん、それにしても静香ちゃん。ミニスカートでサカサカ四つん這いはどうかとわたしも思う。普段はパンツスタイルばっかりだし、面白い事が好きな性格で普段の言動もどっか子供っぽいんだけど……今日はもう少し気をつけた方がっ。


「あんたどこ見てんのバカじゃないの!?」

「見せ付けてきたの、そっちだし」


 静香ちゃんの背後で、お弁当箱の包みやマグを持ったまま突っ立っていた泰介君からボソッとツッコミを入れられて、ようやく今日のファッションを思い出したらしき静香ちゃんは、顔を真っ赤にして慌てて立ち上がり、泰介君の胸元をポカポカ叩くけれど、泰介君は全然堪えていないようで、何か眠たそーで気怠げな表情を浮かべ、あっ君の前に座った。

 静香ちゃんは頬を膨らませて泰介君の隣に座るけれど、「ほら、ちゃんと手を拭け」とウェットティッシュを差し出す泰介君は、不服そうな彼女のご機嫌を全く意に介していなさそうだ。


「うーっ、ラブラブカップルなんてこの世から消えてしまえぇぇぇ」


 そんな仲良しカップルのやり取りに、わたしの前にドスンと腰を下ろしたカナが、ミネラルウォーターのペットボトル片手に、やけに低い声音で怨嗟の呪いをかけ始めた。


「カナ、またフラレたの?」

「あんた、高望みし過ぎなんだよ」


 コンビニ弁当が入ったレジ袋をガサガサいわせながら、よくカナと一緒に行動しているサチとオリエも芝生の上へ優雅に腰を下ろす。しっかり敷物を準備してる辺り、抜かりが無い。


「つーかカナ、この前合コンで性格イケメンと意気投合したとか言ってなかったっけ?」

「だから、それに『彼女にするのは無理だけど、僕達いいお友達でいましょう』って言われたのね」


 あっ君が首を傾げると、オリエがばっさりと一言で切って捨てた。


「あれだけイイ感じになっておきながら、いざ告白したら『友達』って、『友達』って何よーっ!?」

「あー、そりゃ早めに見切りつけて正解だわ」


 ワッと泣き崩れる(フリだけ?)カナに、泰介君が静香ちゃんの腰の上に自分の着ていたパーカーを掛けつつ、あっさりと言い放った。


「『本当の友達』って、恋人とはベクトルが違う絆があるじゃん。深く理解しあう同志っつーかさ。

告白の断り文句に『考えられません』とかなら、まあちゃんと考えてその上で無理だったって事だが、『お友達でいましょう』ってのは、つまり直訳して気持ちに真摯に向き合う気はありませんって事だろ?」

「『お友達から始めましょう』は?」


 はーい、と手を上げ類似例を出すサチに、泰介君は「んー」としばし考える素振りを見せた。


「そりゃ、あんま親しくない場合、お互いの事を知り合いながら前向きに考えます、か? 結局は先延ばしだけど、考える時間って大事。

似てるようで、微妙に違うな」


 そんなエセ性格イケメン、やめとけやめとけと片手を振る泰介君に、カナはガシッとその手を掴んだ。


「泰介……あたしと付き合って!」

「だ、ダメ! 泰介はあたしのっ!」


 冗談なのか本気なのか分からないカナの要求に、静香ちゃんはさっきまでの拗ねっぷりを忘れたように大慌てで横から泰介君に抱き付く。


「あー、オレは静香一人で手一杯だから無理」

「あたしが手間掛けてるみたいな言い方しないでよ」


 静香ちゃんは不満そうに泰介君に噛み付くけれど、彼氏さんは彼女の頭をぽんぽんと軽く叩くだけ。仲良いなー。


「くっ……! 何で世の中のいい男は皆、彼女持ちなのよ……」

「そりゃ、早い者勝ちだからでしょ」


 友人のコントに全く興味を示さず、コンビニ弁当を袋から出して、ビニールのパッケージを剥いでいるサチは手元から視線を外さず呟く。


「もしもしカナさん。ここにもフリーのいい男が一人、居るんですが?」

「実家暮らしで、毎日、母親から手作り弁当を作ってもらうマザコンは無理」

「大学は実家から徒歩で通えるほど近いし、弁当も経済的だっつーの。それだけでマザコンだと判断するとは……短慮ちゃん」

「ムリッ! あんたは性格的に無理!」


 ははん、とか笑うあっ君とポンポンやり合うカナは、とても楽しそうに見えるんだけどなー。


「何だか、今日は賑やかだね」


 ヒョイ、と頭上から影が差して、そんな柔らかい声が掛けられた。わたしが振り仰ぐと、いつの間に寄ってきたのか椿先輩と風見先輩が背後に佇んでいた。


「あっ、椿先輩ー」

「光先輩、今日はお昼、どうされるんですかぁ?」


 ちょっ、サチもオリエも分かり易すぎ。声音がいつもよりも1オクターブぐらい高い猫なで声になってるし、髪の毛整える仕草とか、明らかに先輩達の事を意識してるなあ。この二人、椿先輩や風見先輩のファンだったのか。


「今日はお弁当なんだ。良かったら俺らも混ぜてもらっても良いかな?」

「……オレは構いませんけど、むしろ石動センパイの方が大丈夫なんスか?」


 お邪魔させてもらうねーと、オリエとサチの間にしれっと腰を下ろして、きゃあきゃあはしゃがれている楽しそうな風見先輩はともかく。わたしとカナの隣に笑顔で座った椿先輩に、あっ君は気掛かりそうに問い掛けた。

 うんうん、ここでお昼ご飯を食べて、ブナさんが来たらどーするの?


「あー、それは……」

「ふっふっふ……そんな時にお役立ち」


 椿先輩がお弁当箱が入っているらしき巾着の紐を緩めつつ、何か言いかけたのを遮り、あんなに両脇から騒がれていてもわたし達の会話が聞き取れていた、地獄耳風見先輩がポケットからジャーン、と、何かを取り出した。


「ズバリ、寄ってくるなら寄らせてやろうぜホトトギス作戦!」

「何ですかそれ、面白そうな匂いがプンプンします!」

「オレはノリで試して失敗談量産の匂いを嗅ぎ付けた気がする」

「奇遇だな、オレもだ」


 頬にサラリと零れた髪の毛を軽く耳にかけ、風見先輩がそれをわたし達の前に突き出すと、静香ちゃんが身を乗り出した。

 あっ君が目を眇めて呟けば、泰介君もコクリと頷いて同調する。作戦内容も聞かないうちから盛り上がっている女性陣とは、彼らと微妙に温度差を感じる。……ははん。さては泰介君もあっ君も、風見先輩にヤキモチ妬いてるんだとみた!


「目的は単純。猫アレルギーのツバキちゃんに、野良猫が引っ付かなきゃ良い。

屋外遭遇アレルゲンって、本体の周囲にそんな大量には舞ってないんだろ?」

「まあ、そうだな。撫で回したりするならともかく」

「椿先輩、猫アレルギーなんですか?」

「えーっ、可哀想……」

「うん、俺、猫好きだから愛でられないのは辛いんだよね」

「なら、あたしの秘蔵の猫たん画像差し上げますよ!」

「わあ、嬉しいな」


 風見先輩の作戦解説がまだ途中なんだけど、それを遮って、持参のマグからカップに緑茶を注いで寛ぐ椿先輩に、きゃいきゃい騒ぐサチとオリエ。あなた達も、割と気ままよね。

 しかし、ぐぬぬ……椿先輩め、美鈴ちゃんという者がありながらまた女の子に良い顔してーっ。


「おーい、続き説明するよー?

まあ要は、猫の興味をより強く引く対象として、ツバキちゃんよりも強烈そうなマタタビを用意してみた訳だ。後は、ツバキちゃんに近寄られないよう捕まえておけば、安全圏の確保は確立されたも同然」

「あー、な~る。キャンプの時、ランプを複数用意して、強い光は遠くに置いておくのと同じ理屈ッスね?」

「そう、まさにソレ!」


 わたしの不満感丸出しの眼差しにまるで気が付いていないのか、はたまた黙殺されているのか、椿先輩はサチとオリエの対応に追われてメルアド交換なんかしている。秘蔵猫画像がそんなに欲しいの?

 そんな当事者とにかわ取り巻きのやり取りに挫けず、作戦を開示した風見先輩に、あっ君が合点がいったように相槌を打った。


「でも、風見先輩。そのマタタビをわざわざランチタイムに被ってご飯を食べる役を、いったい誰が担うんですか?」


 お箸を口にくわえたまま静香ちゃんから発せられた根源的な問い掛けに、風見先輩もコテンと首を傾げた。


「……誰が被ろうね?」

「おい光、おま、何でそんな基本的な所を押さえずに実践に移ろうとするんだよ?」

「いやー、よく考えたら虫に集られるランプ役とか、フツー押し付けられたら嫌だよね?

全ッ然そこら辺思い至らなかったわ!」

「……ホトトギス作戦、早くも頓挫の気配が強まって参りました」


 ゲラゲラ笑い転げる風見先輩と、話が違うと友人に詰め寄る椿先輩。そんな彼らを眺めつつ、冷静に解説する泰介君。まだ柴田先生は到着されていないと言うのに、今日のランチタイムも早々にカオスだ。


「……カナはあいつらと一緒に、風見センパイや石動センパイにキャーキャー言わねえの?」


 友人達のはしゃぎっぷりをヨソに、静かにコンビニ弁当の蓋を開け、割り箸をビニールから取り出すカナに、あっ君が小声で問うた。


「遠巻きに観賞する対象が近くに居るからって、わざわざ騒いで疲れる趣味無いし。あの子らはミーハー心でアイドルにいちいち騒ぐのが趣味なのよ。

あたしが求めてるのは虚構の偶像じゃなくて、本心から触れ合える恋人よ」

「そういう触れ合いを求めるなら、まずは毎日コンビニ飯止めたら?」

「ホント、アキはうっさいなー。どーせあたしは料理なんかてんで出来ませんよーっ、だ!」


 カナはわたしの膝の上に置いたお弁当箱をチラッと横目に見て、ついで自分の膝の上のコンビニ弁当を見下ろして、頬を膨らませてプイッと顔を背けた。


「拗ねるな拗ねるな。ほれ、タコさんウィンナー分けてやるから」

「あら、くれるもんは貰うわ。お返しはあげないけどね!」

「さもしいぞお前」


 白米の上に乗っけられたタコさんウィンナーを、もぐもぐとじっくり噛んで飲み込んでから、カナは「ところで」と再び唇を開いた。


「さっきから気になってたんだけど、もしかして椿先輩のお弁当作ったのって、皐月?」

「へ?」

「え?」


 思いもよらない疑惑をかけられて、わたしは間抜けな声を発していた。わたしとカナの間に座っている椿先輩もキョトンと瞬きをして、お互いのお弁当を見比べる。


「……あれ? ホントだ。おかずのラインナップがほぼ一緒?」


 椿先輩のお弁当をジーッと眺め、わたしが思わず呟くと、風見先輩が「ふーん」と相槌を打つ。


「珍しくツバキちゃんが『昼は弁当だから』なんて言い出すから何事かと思えば、そーゆー事。

皐月ちゃん、椿に愛妻弁当とか作ってやってんのね」

「ち、ちちち違いますよっ!?」

「皐月ちゃん、どもってるのが余計怪しいよ」


 風見先輩から細められた眼差しで見つめられ、わたしは慌てて両手を振って否定したのだが、それが真実味を感じさせない態度だったらしい。ファン心理がどう動いたのか、サチとオリエのこっちに向けられた視線が厳しいっ。

 当の椿先輩は、全く動揺もせずに三種類詰めてある俵結びを一つ口に運んでいる。因みにわたしの方のご飯は、白米を敷き詰め梅干しを乗っけた日の丸弁当だ。


「皐月ちゃんって、もしかして美鈴ちゃんと一緒にお弁当作ってるの?」

「え? いえ。ってそのお弁当、美鈴ちゃん作なんですか?」

「うん。良いでしょー」


 自慢気に周囲へお弁当を見せびらかす椿先輩に、サチとオリエのビシバシ尖っていた眼差しが生ぬるくなる。あ、これ、泰介君が静香ちゃんに傾倒しだした頃の表情と同じだ。

 しっかし、わたしと美鈴ちゃんの今日作ったお弁当のおかずがほぼ同じって……ああでも。


「そういえば昨日、美鈴ちゃんと一緒にスーパーでお買い物して、お弁当のおかず用に殆ど同じ食材買い込みましたね……」

「ああ、だからか。本当に、皐月ちゃんと美鈴ちゃんは仲が良いんだね」


 美鈴ちゃんも早速わたしが教えたレシピ、試してみたって事か。

 美鈴ちゃんは甲斐甲斐しく想い人に手作り弁当を差し入れし、それをまた嬉しそうかつ幸せそうに食べる椿先輩。……すっごいラブラブだ。もうこの二人、完璧付き合ってるよね!? 美鈴ちゃんからそんな話は全然聞いてないけど! でも状況証拠からして、まず間違いないっ。


「石動センパイ、もう噂のかわいこチャンな『ミスズちゃん』と付き合いだしたんスか。相変わらず手ぇ早いっスね」

「こらこらアキ。俺が節操なしだって誤解されて向こうに伝わると困るから、止めて」

「でもどーせ、やれメールだ電話だデートだって、噂のミスズちゃんに石動センパイ構いまくってるっしょ?」

「あはは、当たりー。今度の休みには、蒲郡の紫陽花祭りで温泉街デートなんだよね。……温泉、つかりたいな~」

「……石動センパイ、皐月の前で作戦思案してたら、かわいこチャンに筒抜けッスよ」

「おっと。皐月ちゃん、美鈴ちゃんには今のはナイショでお願い」

「はあ……」


 ……椿先輩、温泉好きなのかな?


「……ちょーっと待って?

ツバキちゃん、アキホちゃん、オレ、話の前提からして理解してないんだけど?

『ミスズちゃん』って誰?」

「風見センパイ、アキホちゃん呼びは止めて欲しいッス」


 あっ君の呆れた呟きに抗議する椿先輩。それから惚気を語り始めた椿先輩と、聞かされているあっ君の間に風見先輩が割って入り、聞いてないよと友人に詰め寄る。

 ……男同士の友人関係だと、だれそれに片思いしてるのーとか、だれそれにアタック中だとか、そういう話題って上らないものなのかな?


「皐月ちゃんちのお隣に住んでる、俺が家庭教師代わりに勉強教えてる年下の女の子で、素直で可愛くて料理上手で気配りさん。とにかく作ってくれる飯が美味い」

「ほう。家庭教師と教え子ときたか、ツバキちゃん。まさかお前が、そこまで守備範囲が広いとは……流石は紳士と書いて『ヘンタイ』と読ませる男だ」

「だから光、お前にだけはそれ言われたくない」


 んー、と、考えながら答える椿先輩に、風見先輩が感心したように下顎を撫でる。

 静香ちゃんがズイッと身を乗り出した。


「そこですかさず椿先輩に一問一答です。

五秒以内にカノジョさんの特筆すべき点を述べよ」

「特記事項は『ツッコミに光るものがある』かな」

「迷わず即答!? ちょっと意外……あたし椿先輩の事、人格決め付けて見くびってたのかも……」

「くのいち静香、不意打ち失敗して返り討ちに遭ったでござる」

「うむ、任務失敗の罪は重い。極刑を申し渡す」

「のぉぉぉっ!?」


 脈絡なく問い掛けられたというのに、椿先輩から慌てずすかさず笑顔で五秒以内に答えられて、刺客の静香ちゃんは上官役? のカナから死罪を申し付けられ、恩情の一等免罪と称しておかずを一つ、巻き上げられている。カナ……さっきあっ君からも、タコさんウィンナー貰ってたよね?


「ツバキちゃん、ツバキちゃん。ちょいとお耳をお貸しになりやがりなさい」

「痛い痛い、引っ張るなよ光」


 風見先輩はわざわざご自分のお弁当を置いて回り込み、笑顔で椿先輩の耳を引っ張り、その耳に何事かをもしょもしょと囁いた。


「んー、それが、どーやら俺の見当違いだったっぽい」


 椿先輩は普通の声量で答えているので、返答だけは聞こえてくる。だけど、尚ももしょもしょと囁く風見先輩がいったい何を話しているのかは、相変わらず全くの不明だ。


「へ? いやそれ違うし、そんな話は知らないけど? つーか、初耳。

しかし光君、チミ、もう少し上手く事を運んだら如何かね?」

「うるせえ、誰のせいだバカ椿!」

「ちょ、ギブギブ!」


 あ、椿先輩のわざとらしい取り繕った口調に風見先輩が普通の声量でブチッとキレて、ヘッドロック仕掛けた。真顔で泰介君がその横でカウントを始めて、椿先輩の膝の上からお弁当箱が滑り落ちてひっくり返らないよう、あっ君がすかさずわたしの眼前に避難させた。……以前から練習していた訳でもないだろうに、何だろうこの素晴らしい連携プレー?


 止めるべきかそのままにしておくべきか。計りかねてわたしが彼らを眺めていると、校舎の方から柴田先生が早足でこちらにやってくるのが見えた。


「あ、柴田先生ーっ。こっちですーっ」

「遅れてごめんね、皆」

「ヒバリセンセ、呑気に弁当広げてないで、可愛い教え子を悪漢の魔の手から救って下さいよっ……!」


 風見先輩と椿先輩のジャレ合う傍らを素通りして、ふんわりと白衣の裾を広げ、わたしの隣に腰を下ろし微笑む柴田先生に、わたしもつられて笑い返していると、後方から抗議の声が飛んできた。


「やあ、相変わらず風見君と石動君は仲が良いね。

先生も、やんちゃだった頃が懐かしいなあ」


 椿先輩の訴えにちょっと首を捻って後方を眺め、柴田先生は微笑ましげに感想を伝え、お弁当箱を開けた。表でプロレスごっこをしている教え子よりも、お昼ご飯を食べる事の方が大事らしい。


「えーっ? ヒバリセンセーって、昔はやんちゃだったんですかー?」

「実は先生はその昔、ご近所でも有名なガキ大将だったんですよ?」

「あははは、全然見えな~いっ」


 ここだけの内緒話だよ? なんて悪戯っぽく前置きしながら暴露される過去に、オリエはクスクスと笑っているけど……ゲーム情報によると、実はそれ、本当の話らしいのよね~。柴田先生の家で、アルバムを見るスチルがあったもん。


「おや? 御園さん、今日はお弁当箱をもう一つ用意してきたんですか?」


 ふと、わたしの前に避難された食べかけのお弁当を見つけ、柴田先生は不思議そうに問うてきた。わたしはいえいえと片手を軽く左右に振って否定する。


「いえ、それは椿先輩の分のお弁当です。ジャレ合いでひっくり返らないように、中條君がこう、椿先輩のお膝から素早く移動させたんですよ」

「あんた、妙な所で速断行動よね」

「非常時には頼れる男、と評判だ」

「平常時にはノータイム思考、と悪評だ」


 カナがあっ君を呆れた目で見やっても、あっ君はふふんと胸を張る。そこへすかさず泰介君が合いの手を入れた。


「そうそう、それ、料理上手で可愛い可愛いツバキちゃんのカノジョちゃんの、愛情たっぷり手作り弁当ですよ。ヒバリセンセ、制裁を加えましょう」

「ほほう、石動君の彼女の手作り弁当。……確かに、美味しそうですね?」

「食べたいですよね? 死守してないのが悪いと思いますよね?」

「弱肉強食、という理は普遍でしょう」


 ようやく椿先輩を解放した風見先輩が、わたしと柴田先生の間にヒョイと顔を突っ込んで会話に加わってきた。何で、そんな不穏な単語が出てくるんだろう?

 柴田先生は興味深そうに、わたしの膝の上と避難されたお弁当箱を見比べる。

 ……うっ、美鈴ちゃんの料理の腕と比べられるのは、ちょっと不安。お裾分けするのはおかずだけだし、って気楽に考えて手抜き感丸出しの日の丸ご飯じゃなくて、せめてわたしも、ふりかけでも良いから、おにぎりか混ぜご飯にしてくれば良かったよー。


「という訳で、ツバキちゃんがめっちゃ優越感に満ちた顔で『美味い美味い』と自慢してくるカノジョちゃんの手料理、頂きま~す」

「石動センパイ、ゴチになりまーす」

「椿先輩、ありがとうございます!」

「石動君、ありがとう。僕も遠慮なく頂きますね」

「ちょっ……俺の弁当!」


 背後でゲホゲホと咳き込んでいる椿先輩の了承を得ぬまま、風見先輩が笑顔でお箸を突っ込んだのを皮切りに、次々と同席者達が椿先輩のお弁当に箸を伸ばす。わたしは味を知っているので、一応遠慮しておいた。


「こっ、これは……っ」

「う……」

「旨味が凝縮されている、だと……!?」

「馬鹿な、これが素人の手料理だと言うのか……!?」

「噛めば噛むほど、旨味が湧き出て溢れる!」


 美鈴ちゃん作のおかずを、それぞれ口に放り込み咀嚼した一同は、驚愕と共にカッと目を見開く。まるで何かの料理番組みたい。本当に皆、ノリが良いなあ。

 美鈴ちゃんのお弁当一口目を食べ終わり、一同が無言のまま再び箸を伸ばした矢先に、タッチの差で呼吸を整えた椿先輩がお弁当箱を両手で掬い上げ、高々と掲げてそれ以上の蹂躙を辛くも逃れた。


「これは俺の! お前らはちゃんと自分の分があるだろ!?」

「まあまあ、いいじゃんか、ツバキちゃん。こっちからもおかず分けてやるから、ほんの一口ぐらい」

「一口分はもうやった。人のメシにたかるな!

だいたい光、お前そのブロッコリーは、単にお前が嫌いなだけだろうが」


 どうやら、よほど美鈴ちゃんのご飯が口に合ったらしき風見先輩が、ホレホレと自分のお弁当箱からブロッコリーを摘んで差し出すと、椿先輩が呆れたように脱力する。


「光先輩、ブロッコリー嫌いなんだ」

「意外と可愛い一面があるのね」


 仲の良い先輩方のやり取りに、クスクスと笑い声を漏らすサチとオリエ。


「あっ!? 最後の楽しみに取っておいた鶏の唐揚げが消えてる!

誰だ食った奴!?」

「あ、それ、オレオレ」

「このオレオレ詐欺め! くっそぉぉぉ! 光、お前これ一つデカい貸しだからな!?」

「へーい」


 残ったおかずを確認し、好物が消えうせている事実に椿先輩は食べ物の恨みが籠もった眼差しで風見先輩を睨み付ける。だけど全く悪びれない風見先輩は、飄々とした態度で肩を竦め、自分のお弁当に入っていたブロッコリーを椿先輩のお弁当の蓋に乗っけた。


「いやあ、石動君が自慢したくなるのもよく分かる美味しさでしたよ、御園さん。お料理上手なんですね」


 わたしの隣で、持参のお弁当箱の中から唐揚げをそっと挟んで椿先輩のお弁当箱へ入れて差し上げつつ、柴田先生が笑顔でわたしにそう話題を振ってくる。

 ……し、しまったーっ!?

 美鈴ちゃんへの柴田先生の好感度を上げないように、かつわたしが上げられるように、せっかく柴田先生の好物を作ってきたのに。わたしのおかずをさり気なく差し出すよりも先に、柴田先生、美鈴ちゃんの手料理食べちゃったよ。

 ううん、流石は小悪魔ロリータヒロイン。この場に居ないにも関わらず、着実に好感度を稼ぐなんて……わたし、小悪魔の強運を甘く見てたかなあ。


「そうですか。柴田先生、良かったらこの、チーズささみも食べてみて下さい」

「ありがとう、頂きますね……うん、とても美味しい」

「ありがとうございます」


 にこーっと笑みを浮かべ、先生の好物を勧めてみると、柴田先生は笑顔で美味しいと言ってくれたけれど。……先生がさっき食べた、美鈴ちゃんのだし巻き玉子のインパクトを払拭出来た気がしない。


「ほらカナ、よーく見てみろ。これが、料理上手の特権だ」

「くぅ……だからあんたは、一々しつっこいのよっ!」


 あっ君、あんまり弄りすぎると嫌われるよ?


「ところで、結局ホトトギス作戦を講じなくても、今日はブナさんが現れる気配が無いッスね」

「ホトトギス作戦?」


 泰介君がおにぎりを片手にぼそりと呟いたのを、柴田先生がオウム返しに問い返した。わたしは柴田先生の注意をこちらに向けるべく、誰かが話し出す前に唇を開く。


「ほら、椿先輩って猫アレルギーじゃないですか。

それで、猫が近寄ってきても椿先輩ではなく他に気が惹き付けられるように、風見先輩がマタタビを用意したんですよ」

「なるほど、マタタビ」


 柴田先生が感心したようにコクリと頷く。


「だけど、誰かがマタタビを被ってご飯を食べるのも、それはそれで嫌だね、という話になりまして」

「んー、それなら、ブナさんが現れたら何かの器物にマタタビを振り掛けるのはどう?

爪で引っ掻かれて、ボロボロになるかもしれないけど」

「まさに、爪とぎ板ですね」

「もう、俺に擦り寄って来ないなら何でも良いですよ……」


 美鈴ちゃん作のおかずをたかっていった周囲から、今度は問答無用で彼ら自身の苦手なおかずを笑顔で寄贈されつつ、椿先輩がガクッと肩を落として呟く。保温マグに直接口を付けて何か飲んでるけど、お茶は違う色のマグが別にあるのに、あれって何だろう……はっ、まさかのスープ系!? 美鈴ちゃん、どこまで椿先輩に至れり尽くせりなの。


「なるほど、いっそマタタビを持ち歩いたら、僕もブナさんに懐いてもらえますかね?」

「その場合柴田先生に、じゃなくてマタタビにメロメロなだけという気もしますが。

良かったらどーぞ、お役立て下さい」

「ありがとう、風見君。大事に使うね」

「どーいたしまして」


 真剣そのもので考える柴田先生に、風見先輩がポケットから取り出したマタタビの粉末が入った小箱を手渡した。


「せめて、ブナさんにちょっとは僕の存在を認めて貰わないと、今のまま家に連れて帰っても、ふらっと出て行っちゃいそうだから」

「あー。柴田先生、毎回ブナさんに全力で避けられてますもんね」

「あわわ、あっ君!」


 ふ、と、静かな吐息と共にどこか弱気な口調で呟く柴田先生に、あっ君が平然と追撃する。柴田先生は遠い眼差しを彼方へと向けた。


 上手い慰めの言葉も見付からないまま、ご飯を食べ終わり用意しておいたデザートに手を付ける。今日は皆でランチタイムの予定を立てていたので、さくらんぼの缶詰の中身を一缶分、丸々詰め替えて持参してきた。


「よ、良かったら皆、さくらんぼ食べない?」

「あ、貰う貰う!」


 カナが真っ先に飛び付き、へたを摘んで軽く持ち上げ、果実を口に含む。彼女のその一連の動作を、無言のままジーッと眺めるあっ君。待て待て、あっ君。何かまた、弄りネタを考えてない?


「柴田先生もどうぞ!」

「ありがとう」


 幼馴染みが現在考えているであろう思考がイマイチ読めず、恐々としながらも、わたしは先生にさくらんぼを勧めて空気の一新を図る。

 柴田先生は微笑んでさくらんぼを手にしてくれて、ホッと一息。


「さくらんぼと言えば、つい先日、知人が面白いネタを披露してくれましてね」

「どんな話ですか?」


 へたを摘んでさくらんぼを持ち上げ、柴田先生がふと何かを思い出したように、楽しげな笑みを浮かべた。


「さくらんぼのへたを口の中で結べると、キスが上手いという話です。

ねえ御園さん。試してみませんか? 僕と」


 『僕と』と囁きながらさくらんぼの実にチュッと軽く口付けつつ、誘うような流し目を送られて、


「は、ははははいっ!?」


 わたしは思わず声をひっくり返らせた素っ頓狂な奇声を発していた。ほっぺたが一気に熱を持ったのが分かる。

 い、いいい、今わたし、柴田先生から『キスしよ?』って誘われましたーっ!?


「あ、はいはーいっ、あたしも挑戦しまーすっ!」


 と、静香ちゃんが元気にシュタッ! と片手を挙げ、動揺のあまり危うく取り落としかけていた、デザート用のケースからさくらんぼを一つ摘み上げ、果実をお弁当箱に一旦置き、へたの方を口に放り込んだ。


「んっ、よっ、こりぇ、あんらいむじゅかひいね!」


 へたを結ぼうと、静香ちゃんが悪戦苦闘しているらしい。口の中の様子までは、うん、わたしには分からないけど。

 ……あ、あはははは、我ながら恥ずかしい……柴田先生は、ゲーム感覚でさくらんぼのへたを口の中で結ぶの、一緒に挑戦してみる? って誘ってきただけなのに、一瞬、変な勘違いしちゃったよ。


「……お前、空気読めよ……」

「ひぇ? みんら、やららいの?」


 泰介君が静香ちゃんの頭頂部に軽くチョップをかまし、低く唸った。静香ちゃんはへたを口に入れたまま、キョトンとした表情を浮かべて彼氏を見上げる。


「あー、よし、オレも挑戦しよっかな?」

「光先輩って、何となく上手そうなイメージ」

「そう? ふっふっふ……任せて」

「光先輩、格好いいー!」


 おもむろに風見先輩がへたを手に取って高らかに挑戦を宣言し、サチやオリエからおだてられている。あのノリも、わたしにはちょっとよく分からない。

 そして風見先輩は、さくらんぼのへたをビシッと椿先輩の眼前へ向けて突き付けた。物が物だけに、シリアスに決まっていないどころかコントの様相を呈しているのは、わたしの気のせいではあるまい。


「ツバキちゃん、どっちが早く結べるか勝負する?」

「成功前提か? さくらんぼの品種によっては、結ぼうにもへたの強度が足りないって聞いたような……」

「事前に予防線張っとくとか、石動センパイも案外小さいッスね」

「……アキ、今、何か言ったかな? ちょっと聞こえなかったな」

「別に? オレもやってみようって言っただけっス」

「誰が早いか、待った無し一番勝負、乗ろうじゃないか」


 あっ君、何故、椿先輩を挑発する!? 椿先輩がやる気満々でさくらんぼのへたを手にした。


「泰介はやらないの?

あ、出来ないなら無理はしなくても良いよ?」


 口の中のへたのせいで、やや不明瞭だった静香ちゃんの声は、次の段階に入ったせいか聞き取りやすくなっていた。彼女から尋ねられた泰介君は、無言のままへたを手に、風見先輩、椿先輩、あっ君が車座になっている一角にドスンと腰を下ろして混ざった。「オレが一番上手いんだから、見てろあのアマ……」という、泰介君の低い呟きが。


「……男って何でああして、ことあるごとに勝負事に熱中し始めるのかしら?」

「さ、さあ?」


 カナは呆れたように肩を竦めるが、わたしに聞かれても困る。

 よーい、ドン! というサチの合図と同時に、彼らは一斉にさくらんぼのへたを口の中に放り込む! 無言のまま、口の中で銘々へたを結ぼうと四苦八苦しているようで、外から見るとほっぺのお肉とか顎が普段とは違う動きをしている。

 一応、わたしも挑戦してみようと、へたを口の中に入れてみたけれども。うーん、茎が上手く口の中で曲がっていかないなー。これはなるほど難しい。


「そうそう、それで、さくらんぼのへたを結ぼうとした知人の話の続きなんですが」


 男性陣が懸命にへたへと挑んでいる中、一人混ざらずごく普通にさくらんぼの果実を味わっていた柴田先生が、思い出したように言い出した。


「へたを結ぼうと、彼はとても真剣かつ大真面目に口の中で悪戦苦闘するのですがね。

その表情を、端から見ているとすっきりした顔立ちの方が放つ変顔の連続技で、それがもうおかしくておかしくて。本人は笑わせようとする意図は全くないだけに、余計に笑いが止まらなくなってしまったんですよ」

「ぶぶっ……」

「た、確かに……」


 柴田先生から笑顔で告げられるエピソードに、勝負中の男性陣をジャッジよろしく見守っていたサチとオリエが思わず吹き出してしまい、彼らは何とも言えない微妙な表情で、口の動きを止めた。わたしも思わず固まってしまって、全く気にせず現在も一生懸命チャレンジし続けているのは、静香ちゃんだけだ。


「ね? これとっても面白いネタでしょう?」


 柴田先生、またしても語尾に括弧で先生が、っていう内心の一言が脳裏を過ぎっていきましたが!


「あーっ、途中で折れちゃった……あれ? 皆どしたの?」


 どうやら挑戦は失敗に終わったらしい静香ちゃんが、折れたへたを残念そうに見下ろし、次いで、ビミョーな表情でへたを口に含んだまま、戦意が削がれたらしき男性陣を見渡す。


「うん、いや……」

「お預けで良いよね、これ」

「だな」

「そっスね」


 言葉少なく、あくまでも決着お流れであって勝負続行を取り止める案を消極的に合意しあい、口からへたを吐き出す先輩達。

 いったい何が、そんなに彼らのプライドを刺激したのか。やっぱり男の子の考える事はよく分からない。

 わたしはなんかもう、今更遅い気がするし取り繕うとか良いや。柴田先生が笑ってくれるのなら、身を切ろうと挑戦を続けてやるーっ。


「あれ? 泰介もやっぱり出来なかったの?」

「『出来なかった』んじゃなくて、勝負内容の変更を打診されたんだ」

「そーゆー事にしといてあげる」

「……たまに、この女をどうしてくれようかと本気で考えるんだが」


 ギュッと、拳を握り締める泰介君。


「そんな時は、問答無用で担ぎ上げて部屋に運んで鍵掛けて、ジックリお仕置きすれば良いんだよ、若人よ!」


 ビシッと親指を立て、軽い口調とウィンクを飛ばしつつ、風見先輩が後輩相手に冗談を口にしている。……あくまでも冗談、ですよね? 風見先輩。


「あれ? 皆、もう止めてしまうんですか? 残念だなあ」


 肩を落とす柴田先生の肩を、わたしはとんとんと軽く叩く。へたを今、結ぼうと口の中で動かしてる最中だからね。呼ぼうにも上手く喋れない。


「あ、御園さんは頑張っているんですね。僕もやってみましょう」


 いそいそと、柴田先生もへたを口に放り込み、わたしと先生はお互いに向かい合ってぐにょ~と顔面を変形させながら、口の中で結べるか否かの挑戦に挑む。


「……柴田先生って、よく分かんない」

「大丈夫、うちのゼミの奴らも、よく分かってないのが大多数だから。理解し合ってんのは、サツキちゃんとかシズカちゃん? 系ぐらい」


 はっ。わたしも柴田先生も、そして静香ちゃんも真剣にへた結びに挑戦しているだけだというのに、今、風見先輩から馬鹿にされたような気がするっ。うう、風見先輩って、ちょいちょい意地悪なんだよね……

 なんて、よそ事に意識を取られたのがまずかったのか。ていっと舌で輪っかを作り、一端をその中へくぐらせようとしていたへたが、パキッと音を立てて折れた。


「あー……失敗しちゃいました」


 口の中から折れたへたを取り出し、しょんぼり。うう、せっかく恥を忍んで挑戦してみたのに。力加減が難しすぎるよ。


「あー、ほら、もともと折れやすい品種だったのかも、だし」

「そうそう、惜しかったけど、そもそも強度的に難しいんだから仕方がないよ」


 へた結びに挑まず、高みの見物よろしくごく普通にさくらんぼを味わっていたサチとオリエがわたしを左右から慰めてくれる。ううっ、やむを得ず披露した変顔も、ついでに記憶から消去してくれると有り難いんだけど。


「ま、しょせんはどうやったって折れるでしょ、さくらんぼのへたなんて」


 風見先輩が、恐らくご自分でチャレンジしていた際、口の中に入れていたであろう折れかけているへたを摘まんでひらひらと振り、肩を竦める。そして、ランチ仲間は自然と最後の挑戦者である柴田先生へと視線を集中させた。


「先生もそろそろへた、折れちゃったんじゃないです?」


 風見先輩がお茶のペットボトルを傾けつつ問うと、柴田先生が「そうですね」と言いながら口からへたを取り出し、手のひらに乗せた。


「茎が半ば折れてしまいましたが、一応結べました」

「ごほっ!」

「うおーっ、柴田先生マジか!」

「ヒバリちゃん、すっごーい」


 柴田先生の成功報告は予想外の返答だったのか、風見先輩がお茶でむせた。そこへすかさずサチが、役得とばかりに背をさすってやっている。

 小首を軽く傾げつつ見せ付けられた手のひらの上のそれをあっ君が真っ先に覗き込み、静香ちゃんがキラキラした眼差しを向ける。あ、泰介君が不機嫌そうに舌打ちしてる。静香ちゃん、多分無理だろうけど、彼氏君の機嫌に気が付いてー。


「あれ、御園さんは僕の挑戦成功に驚いてはくれないんですか?」

「うーん。何となくわたし、柴田先生ならあっさり結べるような気がしてました」

「おや」


 隣に座る柴田先生を上目遣いに見上げ、わたしが正直なところを話すと、先生は意表を突かれたかのようにパチパチと幾度か瞬きをして、それからふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、人差し指を唇に軽く押し当てた。


「それはつまり御園さんの中で、僕とのキスはとても素敵なものなのだろう、という期待が寄せられていた、という事ですね?」

「えっ?」


 柴田先生の思いがけない解釈に、わたしはまたしても頬が熱くなるのを感じた。自分でもよく分かってなかったけど、なんかわたし、すんごく大胆な発言してました!? それでもって柴田先生、何でそんな意味深な眼差しで目を細めるのーっ。

 あわあわと、思考も挙動も混乱気味のわたしが弁解する暇も無く、柴田先生の白衣のポケットから、今日もブー、ブーと携帯のバイブレーションの音が響いてきた。


「あっと、時間だ」


 ほんのついさっきまでの、どことなく妖艶な空気はどこへやら。柴田先生はポケットから取り出したスマホのバイブを止め、再びそれを白衣のポケットに滑り込ませると、手早くお弁当箱を片付ける。


「それじゃあ僕は所用があるからこれで行くね。

御園さん、お裾分けありがとう」


 ほわ~んとした、いつもの癒し系の笑みを浮かべて教え子達を見回し、柴田先生は軽い足取りで建物へ向かって歩いてゆく。わたしはその背を見送って、ガクッと力無くうなだれた。


「……また今日も、柴田先生にからかわれたっ……!」

「えーっとぉ……」

「あー、まあ、皐月ドンマイ」


 ばんばんと芝生を拳で叩くわたしの肩に手を置き、オロオロする静香ちゃんと、マイペースに空になったコンビニ弁当の入れ物をレジ袋に片付け、気のない慰めを口にするカナ。


「いや、つーかあれってさあ」

「石動センパイストップ!」

「そこは敢えて、敢えて噤んで下さい。ここは清廉なる学び舎!」


 眉をひそめつつ、何事かを口にしかけた椿先輩の口を、左右から二人がかりで塞ぎ、物理的に口を噤ませる泰介君とあっ君。ていうか、あっ君もよく『清廉』だなんて単語が出てくるね。


「ふーーーん。なるほどねえ」


 蓋を外したままのお茶のペットボトル、口の部分を人差し指と中指で挟んでゆっくりと回しながら、風見先輩は何か得心がいったかのような独り言を漏らした。


「光先輩、どうかしたんですか?」

「ん? いや、いっつも余裕綽々でございと言わんばかりに振る舞ってる柴田先生も案外、教え子相手に対抗心むき出しじゃん。なーんて、ちょっと笑えるな、と思ってね」


 サチとオリエに柔らかく笑いかけてから、風見先輩は低く呟いた。


「さーて、これはなかなか面白い事になってるな」


 ううっ、風見先輩が何かよからぬ悪巧みを考えているような、そんな嫌な予感がする。



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