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綺麗なお兄さんは好きですか? がキャッチコピーの年上男性を籠絡していく乙女ゲーの世界で暮らしてるわたし。③

 

 お酒が入った事による周囲の盛り上がりからは、ちょっとだけ離れた長テーブルの隅っこにて。わたしとお隣の柴田先生は、マッタリと居酒屋さんのお料理を頂いていた。

 柴田先生は自分の取り皿に、いそいそと大皿に盛られたエビマヨを取り分け、わたしにも勧めてくる。


「御園さん、僕のイチ押しはこのエビマヨなんです。是非食べてみて下さいね」

「はい、頂きます。ところで柴田先生は、何を飲んでいらっしゃるんですか?」


 柴田先生は最初の乾杯の時には、皆さんに合わせてかビールだったけれど、二杯目以降はわたしと同じ茶色い飲み物を頼んでいる。……えっと、やっぱりこれは烏龍茶かな。先生、今夜はあまりお酒を飲まないおつもりなのかな?


「これは烏龍ハイと言って、見た目は烏龍茶そっくりですが、焼酎で割った立派なアルコール飲料です。居酒屋のお料理は油分が多いせいか、これが飲みたくなるんですよ。

……御園さん、うっかり君と僕のグラスを取り間違えて、飲んじゃ駄目ですからね?」

「わあ、気をつけます」


 そっか、先生のグラスもお酒なんだ。本当に自分の烏龍茶のグラスと間違えちゃいそう。

 わたしは神妙な顔で頷きエビマヨを自分の取り皿に取って、早速パクついてみる。……そしてわたしは衝撃のあまり、目を見開いた。お、美味しい……なにこれなにこれ!?

 単なる市販のマヨネーズじゃない、手間暇が掛かってる! 旨味が凝縮されたマヨで和えられたエビは新鮮でプリプリしてて……デリーシャス!


「皐月ちゃんって、いつもご飯を美味しそうに食べるね」

「だって、本当に美味しいんですよ」


 わたしがあまりにも感動を素直に顔に出していたのがおかしかったのか、対面の椿先輩が笑いながら口を挟んできた。


「御園さんが気に入ってくれて嬉しいな」

「そーいや、今回の飲み会、店の希望を出したのはヒバリセンセーでしたね」


 そっか、この居酒屋さん、柴田先生のお気に入りのお店なんだ。何だか得した気分。

 そうやってわたしがウキウキしながら見渡した宴会の様子は、加速度的に参加者のアルコール濃度が高まっていっている気がする。


「ヒバリちゃん、呑んでる~?」

「ええ、美味しく頂いていますよ」

「キャハハハ」

「イッキ、イッキ!」


 ビールジョッキ片手に柴田先生に絡みに来るエリナ先輩だとか、一応今日の宴の主役であるお誕生日の先輩である永沢 (ながさわ)さんに、笑いながらビール一気飲みをはやし立てる先輩方だとか……ああっ、永沢さん、周囲の煽りにノリノリでグイグイいっちゃったよ!


「ヒバリちゃ~ん、あっちであたしらと一緒に呑もうよー」

「はいはい。分かったから、袖を引っ張らないように」

「あ、柴田先生……」

「なぁに、サツキちゃん。酒の肴を連れ出す邪魔立てなら許さないわよー?」

「い、いえ何でも」

「すみませんが、ちょっと行ってきますね」


 そしてわたしが隣をキープしていたかった柴田先生は、酔っ払った先輩に絡まれ苦笑混じりに女子の集団に連れて行かれてしまった。ううっ、普段は清楚な雰囲気なのに酔っ払うと目が据わってて怖かったです、エリナ先輩。

 て言うか、柴田先生が肴ってあの集団は何をする気……うん、先生を囲んで内緒話してる。あれはちょっと気になるなあ。わたしもこっそり、あっちに混ざってみようかなあ。


「いやあ……うちのゼミの面々で開く飲み会って、いつもながらカオス化早いよね」

「そうなんですか?」


 移動を迷っていたわたしとはテーブルを挟んだ対面側で、チビチビと舐めるようにオレンジジュースを飲み、おつまみのお料理をパクパクと食べていた椿先輩が、テーブルを囲む面々の惨状を見渡して呟いた。

 あ、永沢さん、ビール一気飲み二杯目いったけど、大丈夫なのかな、あれ。


「はっちゃけるのが好きな奴らばっかなんだな、きっと」


 箸を置き、頬杖をついて呟く椿先輩。アルコールが入っているせいか、その頬はほんのり上気している。

 と、椿先輩の視界の端からそろそろと回り込んできた風見 (かざみ)先輩が、椿先輩がグラスを手にしていない事を確認するようにテーブルの上に素早く視線を走らせ……居酒屋の天井からのライトにキラキラと輝く飴色の髪をついと耳にかけ、ニヤリとした悪役っぽい笑みをわたしに向けてくるや否や、


「つっ、ばき、ちゃーん!」

「どわっ!?」


 背後からガバッと、椿先輩の首に腕を回すプロレス技? を仕掛けてのし掛かった。予想外の襲撃に、椿先輩は前のめりになりつつ驚愕の叫びを上げる。


「バカ! 重いんだからそこ退け光 (ひかる)!」

「何だ何だ、今日に限って随分とお上品を装ってるじゃないの、ツバキちゃん。

いつもみたくベロンベロンに酔っ払って、万が一にもサツキちゃんに醜態を晒したくないとかか?」

「失敬な。俺はいつだって紳士だろうが」

「あー、そうだったな。お前は紳士と書いて、ルビでヘンタイって読ませる男だったわ」

「その言葉、そっくりそのまま返してやる」

「え? オレって紳士だったんだ?」

「ああ、違うか。光は表も裏も、紛うかたなき純正百パー変態だったな」

「ヒドいっ、ツバキちゃん!」


 相変わらず、うちの先輩達は本当に仲が良いなあ。

 あと風見先輩、これ以上後輩の前で先輩方の威厳が磨り減るのを防ぐというのは、大事だと思います。

 風見先輩が椿先輩に絡み出したせいか、永沢さんも空になったビールジョッキを置いて、四つん這いでテーブルの隅の一角にやって来てしまった。こちらは火照った顔からしても、完璧に出来上がっている。


「しかも、飲んでるのがオレンジジュース……

椿ぃ、てめー、この俺の誕生日を祝う気ゼロかー!?」

「何でそうなる。

まったく……そもそもこれはオレンジジュースじゃなくて、ルジェアプリコット・オレンジだ」

「そのカクテル、四分の三ぐらいはオレンジジュースじゃねーか」


 永沢さんからも胡座をかいた膝に両手を乗せられ、椿先輩はウンザリしたように答え、すかさず風見先輩からツッコミが入った。


「とにかく椿も呑め! この店で、椿好みに甘くてアルコール度数高い酒はどれだ、光?」

「これじゃね? ズブロッカ。『桜のような香りが爽やかです』だとよ。

ジュースかソーダで割れば、椿好みの甘ったるさになるだろ」

「よし、頼め!」

「あいよ」

「お前らな……それウォッカだぞ」


 勝手にお酒を注文された椿先輩が天を仰ぐが、永沢さんと風見先輩は楽しそうだ。


「御園ちゃんも、ついでにジュース飲むよね? リンゴジュースとか、美味しいよ」

「あ、はい。頂きます!」


 相変わらず椿先輩の膝に半分乗っかって、じゃれている永沢さんから満面の笑顔で勧められたので、わたしは反射的に即答していた。酔っ払いの機嫌の変わりようが、よく分からない。


「今日は永沢君が主役ですからね。ある程度の我儘や要望は、気持ち良く飲んでやって下さい、石動君」


 女子の集団に囲まれてお酒の肴にされていた柴田先生が、何か理由を付けて避難する事に成功したらしく、椿先輩の隣の座布団の上に腰を下ろした。わたしはすかさず、隣に置いてあったままになっていた、柴田先生の烏龍ハイのグラスと食べかけの取り皿、割り箸を先生の前にススス……と、寄せてみる。


「先生、これ」

「有り難う、御園さん。うん、やっぱりこのお店のエビマヨは美味しいな」

「センセー、呑気に食ってないで、お目付役らしく可愛い生徒を酔っ払いの魔の手から守って下さ~い」

「おや、石動君は何を言い出すのやら?

僕が今日、この会に参加したのは、女の子の窮地を救いつつ、男の子の難儀を肴にこのエビマヨを食べる為ですよ?」

「酷っ!?」

「さあ椿、遠慮なく呑めや」


 柴田先生はにこりとした笑みを浮かべて椿先輩からのSOSを躱し、風見先輩は……どうしてあんなに椿先輩にお酒呑ませたいのかな?


「だぁっ、もう!

俺は明日、午前中から約束があるから、今日はそんなに呑めないって参加する前に言っておいただろ!?」

「なにぃっ!?」


 椿先輩が割り箸を取り皿に置きつつ怒ると、永沢さんがガバッと上半身を起こした。その勢いについていけず、掛けていた眼鏡がちょっとズレてる。


「椿、さてはお前……また可愛い女の子とデートか!?」


 永沢さんがビシッと椿先輩に向けて人差し指を突き付けると、運ばれてきたリンゴジュースを飲むわたしの方に、椿先輩はちろっと視線を寄越してきた。うん?


「あー、まあ、一応。

確かに相手は可愛い女の子だし、デートって言えばデート、かな?」


 椿先輩が微妙に照れたように肯定している。

 ……あ、ピーンときた。さては椿先輩、美鈴ちゃんと週末デートの約束を早々に取り付けたんだ。さっきの目配せは、わたしが美鈴ちゃんから何か聞いていないか、気になったとか?

 二人の仲がこれ以上無く順調なようで、わたしとしても安心、かな。美鈴ちゃんが悲しむのは嫌だしね!


「うわーんっ! このっ、このリア充め!

彼女いない歴=年齢なこの俺の誕生日に、よくもぬけぬけと!」

「そうだな、ナンパ師椿よ爆発しろ」

「爆ぜろ!」

「いやあ、石動君。あまり気が多いのはそれは流石にどうかと、僕も思うよ?」

「え、何で俺、こんなフルボッコ?」


 風見先輩と永沢さんだけでなく、柴田先生からまでやいやい言われて、椿先輩は目を白黒させている。人気者だなあ、椿先輩。

 風見先輩は、運ばれてきた甘くて強いらしいお酒のグラスを椿先輩の手に握らせ、背後から囁きかける。


「まあ遠慮なく呑め椿。そして明日は寝過ごした上に二日酔いになって、待ち合わせの約束時間に遅刻しやがれ」


 風見先輩、それは呪いの言葉です。


「可愛い女の子との約束破って、振られろ、振られろ!」


 美鈴ちゃん、世話焼きだからなぁ……椿先輩が友達に強引に呑まされて二日酔いになったって聞いたら、振るどころか、むしろいそいそと椿先輩のお世話しにお部屋にお邪魔しそうですよ、永沢さん。


「何なのお前ら。そんなに人のデートを邪魔立てしたいの?」

「俺の誕生日祝いの席で、『明日はデートなの』とか言い出すのが悪い」

「オレは単に、ツバキちゃんのデート予定に茶々入れんのは楽しそう、とか思ったから」

「……永沢はともかく、遊び人光から責められるのは理解出来ん」

「だって俺、今はフリーだもーん。ツバキちゃんは何だかんだ言って、遊ぶ女の子途切れた試しがねぇじゃん」

「お前らマジで爆発しろー!」


 ……永沢さんが半泣きになって、座布団でバシバシと椿先輩の背中を叩いている。ご飯食べてる所に埃が舞ったら困るんだけどな。

 うーん、でも確かに、椿先輩って色んな女の子に気軽に声掛けるんだよね。せっかく大本命が現れたのに、まだゼミの女の子にも良い顔してるし。まあ例の乙女ゲームでも、椿先輩が自分の恋心を受け入れて美鈴ちゃん一筋になるのは、エンディング辺りだしな……根本的な問題なのか。

 美鈴ちゃんがヤキモチ焼いたり、他の女の子の方が良いんじゃ……って不安にならないか、何だか心配になってきた。もし、あの子が不安そうな素振りをちょっとでも見せたら、『大丈夫だよ』って、せめてわたしが美鈴ちゃんを安心させてあげないと!


「良いじゃんか、永沢の誕生日は、こんなにたくさんの女子が祝ってくれてんだし。

今日という誕生日限りの、仮想ハーレムだとでも思っとれ」

「え、俺のハーレム……?」


 椿先輩の投げやりな励ましは、永沢さんの心に響くものでもあったのか、瞬いてテーブルを見回した。そして、一番近くに座っていた女子であるところのわたしと、真っ正面から目が合う。


「御園ちゃんっ!」

「はい。あー」


 永沢さんがテーブルに身を乗り出してくる。……ええと、実はさっきから気になっていたんだよね、永沢さんの眼鏡がズレてるの。

 わたしも少しテーブルに身を乗り出して手を伸ばし、永沢さんのズレた眼鏡の位置を直した。


「……凄い、凄いぞ椿!

本当に俺のハーレムだ!」

「へ?」

「あー、うん。ヨカッタナー」


 わたし、ただ、永沢さんの眼鏡がいつずり落ちないか、それがちょっと気に掛かっていたから直しただけのに、どうしてだか永沢さんはとてつもなく大興奮している。


「これは皆、すっかり出来上がっているな。ああ、すみませんお水を下さい」


 柴田先生が苦笑気味に店員さんにお水を頼む傍らで、永沢さんは勢い良く立ち上がると、


「エリナッ!

俺に膝枕してくれーっ!」


 長テーブルの反対側に突撃して、エリナ先輩にとんでもないおねだりを繰り出した。


「ちょっ……永沢の奴、迷わずウチの女帝 (トップ)に特攻かけに行ったぞ」

「ヤバい、ツボった……酔ってハーレムだとかおだてられて、女帝 (トップ)にお願いするのが膝枕って……永沢初々しすぎ」


 元凶の椿先輩は呆れるだけで止めに入らず、それどころかスマホを取り出して彼らの方に向けて構えた。風見先輩はお腹を抱えて笑い転げている。


「はあ? 何この酔っ払い。

何であたしがあんたに膝枕してやんなきゃなんないの?」

「今日は俺の誕生日だからだ!」


 エリナ先輩が眉根を寄せて拒否すると、永沢さんは酔い故か謎の自信を無闇に漂わせつつ、駄々っ子のように大義名分を翳して胸を張って言い切る。あわわ。

 ハラハラと見守るわたしと、ニコニコと眺める柴田先生のところへ、店員さんがお水を運んできた。よし、永沢さんにはこれ飲んで貰って、ちょっと落ち着いてもらおう。


「今日が何日だろうが、そんな真似は遠慮するわ」

「エリナ冷たい! 膝枕ぐらい、してくれても良いじゃないか」

「永沢さん、ほらお水ですよー」

「御園ちゃん、エリナが優しくないーっ」

「ひゃあっ!?」


 激化しないうちにと、言い争いをしているところへそろ~っとお水のグラスをさり気なく持って行ったところ。エリナ先輩からすげなくされた永沢さんが、わたしの方へ勢い良く振り向いてきて、手渡すつもりでいたお水を、びっくりして零してしまった。

 わたしと永沢さんの服が、結構広範囲に渡ってお水で濡れてしまう。ひゃー、お酒じゃなくてただの水で良かった。


「ひょわっ!? 俺ハーレムの美少女から水ぶっかけられたー!?」

「すみません永沢さん。故意ではないんです」

「恋じゃない!? 分かってる、分かってたさそんな事……」


 何故か永沢さん、今度は非常に落ち込んでしまった。わ、わたしのせい?


「わ、サツキちゃん大丈夫?

このバカは抑えておくから、タオルか何か借りてきたら?」

「あ、オレが」


 エリナ先輩は永沢さんの頭部をグリグリと、文字通り上から抑えつけ、風見先輩がスチャッと素早く立ち上がって店員さんに何事かを話し掛けて、わたしを手招きしてくる。

 客席から少し離れた、お手洗いに続く通路の影で、わたしは風見先輩から手渡されたタオルで、濡れた部分を拭う。


「ごめんね、あのバカのせいで」

「いえ、被ったのは単なるお水ですし、酔ってる永沢さんに近付いたのはわたしですから。

有り難うございます、風見先輩。もう戻って下さって平気ですよ?」

「んー、それもちょっと。

せっかくの役得だし、もうちょい堪能しときたいかなー」

「はい?」


 役得って、いったい何の話だろう。頭から水を被ったせいで、わたしの服が透けて下着が見えているというのなら、役得だなんて言い出すのも分からなくもないけど。水に濡れたのは、袖がたくさんと、あとはお腹の辺りが少し。

 こんな、居酒屋さんのお手洗いに続く狭い通路の片隅に来るのが楽しいって……風見先輩って、よく分からない。


「ね、サツキちゃん。明日はさ、何か予定とかあるの?」

「明日ですか? はい、ありますよ」


 風見先輩が軽くトンッと壁に手をついて、わたしを近距離から見下ろしてくる。ほんの数歩も歩けば、皆さんが呑んでいる客席からも丸見えだというのに、この狭い通路は壁に遮られて死角になっているせいか、テーブルからの笑い声もどこか遠い。風見先輩の腕が、まるでわたしを客席へと戻すまいと押し留めているかのようだ。

 ……あれ? 風見先輩、見た目はいつも通りに見えるけど、もしかしてもの凄く酔ってる?


「ふーん……先約はブッチしてさ、いっそオレと遊ばない?」

「いや、それは困ります」


 目をスッと細めて、遊びのお誘いをしてくるけど……わたしの明日の予定は一日、柴田先生から借りた聖書を読みふけってレポートを書く、ともう決まっているから、誘われても困る。


「けど、ツバキちゃんはきっと、今夜は永沢に無理やり呑まされまくって、明日は使いモンになんないよ?」


 うん? 何故、ここで椿先輩の話題が出てくるんだろう。まあでも、それに関してはわたし、あんまり心配してない。


「大丈夫ですよ。椿先輩って、一緒にお出掛けする約束とか、絶対破らない人ですから。

永沢さんの絡みを振り切ってアルコールはきちんとセーブして、明日は楽しいデートにしてくれます。わたしはそれを疑ってません」


 なんと言っても、美鈴ちゃんラブな椿先輩だからね!


「まあ万が一、無理やり呑まされて二日酔いとかになったら、椿先輩のお部屋に介抱しに行く、お部屋デートとかになるだけです」


 あの小悪魔ロリータヒロイン美鈴ちゃんは、きっと一人暮らしの男性の部屋に上がり込むの、全然躊躇わないと思うんだよね。何と言っても小悪魔だし。


「……光、お前そんな暗がりに皐月ちゃん連れ込んで、何してんだよ」


 いつまでも戻って来ないわたし達を訝しんだのか、椿先輩がお座敷から下りて周囲を見回し、わたしと風見先輩の姿を見つけ出すなり眉を吊り上げ。ズカズカとこちらにやってきて、風見先輩の壁につけていた腕をグイッと捻り上げた。


「ひっどーい、ツバキちゃんっ。暴力反対~」

「うるさい。か弱い女の子に威圧してた男には相応の報いだ」


 ……な、なんだって。風見先輩のあの行動は、わたしへの威圧だったの? わたし何か、風見先輩の気に障るような事、したっけ?


「皐月ちゃん、大丈夫?」

「はい。別に、風見先輩はわたしを遊びに誘って下さっただけで、脅されてた訳じゃないですよ?」

「そーだよ。オレ、サツキちゃんをデートに誘ってソッコー振られた挙げ句、惚気まで聞かされてたんだよバカ椿」

「はあ?」


 なるほど、わたし、風見先輩からデートに誘われてたのか! ……そっか、よく考えてみれば、男の人から「明日、オレと一緒に遊びに行かない?」って言われるのは、デートのお誘い文句だよね。な、何だか風見先輩のノリが軽すぎたせいか、そういう方面に意識が向かなかった。

 ……い、今更だけど、もうお断りもしたんだけど、何だかちょっと照れくさくなってきちゃった。


「つーか椿、ズブロッカはどうした」

「俺はもう、今夜は呑みませんー。膝枕膝枕って喚く永沢に無理やり流し込んできた。ようやく静かになった」

「チッ。お前が酔い潰れてろよバカ椿」

「……何、光。俺にケンカ売ってんなら買うけど?」

「呑み比べなら売る」

「お前ザルじゃん。俺に勝ち目ねーよ」


 何故か喧嘩腰の先輩方は、しばし睨み合った。おっかしいな。この二人、お互いを『ツレ』とか表現しちゃうぐらい、普段はすっごい仲が良いのに。

 謎の緊迫感は、風見先輩がふいっと視線を逸らす事で霧散した。


「あーあ、サツキちゃんオレも狙ってたのになー。

じゃーね、サツキちゃん。明日のデート、楽しんできなよ」

「えっと、はい……?」


 まずい。展開の速さに、思考がついていけない。えーと、わたしは風見先輩からのデートのお誘いを『明日は予定がある』って断ったのが、何でわたしも誰かとデートをするからだ、っていう認識になってるの?

 客席の方に戻る風見先輩を見送ってから、椿先輩がわたしに笑いかけてきた。


「……ったく。光の奴、何か変な事してこなかった?」

「いえ、何も無かったです。それよりも、椿先輩」

「うん?」

「明日のデートは、絶対に遅刻しちゃダメですからね?」

「はは、これぐらいの量なら全然平気平気。俺、こう見えて結構酒強いからね」


 笑いながら念の為に釘を刺しておくと、椿先輩はヒラヒラと手を振って自信ありげに請け負った。ふーん。美鈴ちゃんからもしも泣きつかれたら、わたしはお兄ちゃんよりも、もーっとずーっと厳し~い小姑に、大変身しちゃいますからねー?

 椿先輩とお喋りしつつお座敷に再び上がろうとしたら、出入りする畳の上に柴田先生が座り込んでいて、わたしは危うくその背中に靴を脱いだ足で蹴りつけそうになってしまった。


「わっ、先生、何でこんなところに?」

「ああ、御園さん。お洋服は大丈夫ですか? 風邪をひかないように気をつけて下さいね」


 柴田先生の背中を避けてお座敷に上がって見てみると、先生の膝の上には何故か永沢さんが頭を乗っけて寝転がっていた。

 こっ、これはっ……! 永沢さん待望の膝枕だ。してもらってる相手が柴田先生だとか、何でそうなってるのかは分からないけど、とにかくすんごい羨ましい。ズルいっ! ズルいよ永沢さん!


「あの、どうして柴田先生が永沢さんに膝枕を?」

「永沢君、膝枕をしてもらうのが夢だったそうなので。

女の子達に片っ端から断られてしょんぼりしている姿が、とっても可哀想で可哀想で……それならばここはせめて、僕が膝を貸してあげようかと」

「ヒバリセンセー、それどう考えても、永沢には有り難迷惑……」

「流石、柴田先生はお優しいですね!」

「ヒバリちゃん、本当にナイスだわ」


 椿先輩は何か難色を示していたけど、わたしやエリナ先輩が柴田先生の親切心を称えると、あっさり口を噤んだ。そして、ポケットから再びスマホを取り出し、柴田先生と寝入ってしまっている永沢さんに向けて構える。


「はーい、柴田先生、今日の記念に永沢とツーショット撮りますよ」

「あ、あたしも撮る!」

「ははは。撮るなら他のお客さんが写らないように、綺麗に撮って下さいね」

「エリナ、『酔っ払い永沢、エリナに膝枕を迫る』のムービー撮ってあるけど、要る?」

「要る要る! いつかそれをネタに永沢をいびる」

「流石はエリナ、ゼミの女帝 (トップ)」


 エリナ先輩を始め、皆さんがどやどやと携帯カメラを取り出し始めた。わたしも撮っておこうかな。見るたびに、永沢さんが羨ましくなっちゃいそうだけど。それにしても柴田先生、膝枕している場面激写を狙って携帯カメラを向けてくる生徒達に、いつも通りのにっこり笑顔だとか、本当に大らかですね。

 そして椿先輩、永沢さんの酔った上での醜態を容赦なく売り渡しちゃうんだ……


「よし、誰かに頼んで、皆で柴田先生達囲んで一枚撮って貰おうぜ」


 デジカメを構えた風見先輩が、早速お隣の席のお客さんにシャッターを押してくれるよう頼んでいる。寝落ちしている永沢さんを膝枕した柴田先生を皆で囲んで、はいチーズ。

 ……うん、今日の主役が真っ先に寝てるけど、これはこれで思い出深い一枚になったよね。


「すみません、こちらに妹が……」


 と、店舗の入り口で「いらっしゃいませー」と挨拶を受けた来訪者が、客ではなく迎えであると弁解している声が耳に飛び込んできた。聞き覚えのある声に、わたしはハッと顔を上げる。


「お兄ちゃん」

「皐月、そろそろ門限だから迎えに来たぞ」


 わたしの姿を認めた兄、嘉月は、店員さんと会釈しあってからこちらに歩を進め、お座敷の手前の廊下……ううん、こういう場所も三和土とか土間って言うのかな。とにかく、お座敷には上がらずそちらで立ち止まり、ゼミの皆さんにも会釈をしてからお兄ちゃんはわたしにそう言った。

 ……今はまだ、夜の九時半なんだけど。いったいいつから我が家の門限は、夜の十時になったんだろう。


「初めまして、御園さんのお兄さん。僕は大学で皐月さんに指導をしている准教授の柴田雲雀です。こんな体勢ですみません」

「ああ、先生でしたか。お会い出来て光栄です。

皆さん、いつもうちの妹がお世話になっております。皐月の兄で、嘉月と申します。

楽しんでいるところにすみませんが、そろそろ夜も更けてきましたので、妹を連れて帰らせて下さい」

「いえいえ、こちらこそ、時間を忘れてこんな遅くまで大事な妹さんを引き留めてしまって」


 お兄ちゃんが先輩方にぺこりとお辞儀をすると、柴田先生が膝に永沢さんを乗っけたまま挨拶を交わした。先輩方も銘々会釈を送っている。


「今晩は、嘉月さん。

皐月さんの事なら、心配せずとも俺がご自宅まで送り届けようと思っていたのに」

「生憎と、まだ知り合って間もない君に安穏と妹を任せられるほど、俺は脳天気ではない」

「いやあ、手厳しいな。それなら早く認めて貰えるよう、頑張りますね?」

「……」


 椿先輩がにっこり笑顔でお兄ちゃんに挨拶しているけれど、お兄ちゃんはどこまでも素っ気ない。よっぽど、この間のお茶会での心証が悪かったとみた。美鈴ちゃん、椿先輩にこれ以上なく懐いてて仲良しだったもんねえ。

 お兄ちゃんは椿先輩の決意表明には答えず、羽織っていたテラードジャケットを脱いでわたしに着せかけると、「さあ帰るぞ」と、促してきた。わたしは慌てて手荷物の確認をし、お兄ちゃんの背中に続く。


「すみません、皆さん。お先に失礼します」

「サツキちゃん、またねー」

「それじゃ御園さん、また明後日に」

「はい!」


 柴田先生に送り出されて、簡単に機嫌が良くなる単純な自分を自覚しつつ、先導するお兄ちゃんの背中を小走りに追い掛ける。繁華街はあちこちからお店のネオンが周囲を照らしていて、夜の闇を遠ざけている。すれ違う人達も大多数はお酒が入っているせいか、そこかしこで陽気な雰囲気を振り撒く。


「もう、お兄ちゃん歩くの早いよ」

「ん? ああ、すまない」


 今日も素材優先で、あんまり柄とか取り合わせとか考えずに、部屋着の上にひとまず上着を羽織っただけで家を出て来たんだろうなー、と思わせる、Tシャツにシンプルなズボン姿のお兄ちゃん。その背中には、可愛らしくデフォルメされた兎が鼻提灯を膨らませながらベッドの上で熟睡していて、『なーんてな』と、何だか気が抜ける書体で大きな文字が浮かんでいる。

 お兄ちゃんってば、相変わらずファッションに頓着しないんだから。……それにしてもこの爆睡兎、よく見るとお兄ちゃんの雰囲気に似てる気がする……


 お兄ちゃんが差し出してくれた手を握り、半歩後ろから軽く引っ張られるようにして歩く。遠い昔、道草ばっかりしてなかなか帰ろうとしなかったわたしを迎えに来たお兄ちゃんが、こんな風に苦笑しながらわたしをお家まで引っ張って、連れて帰ってくれたっけ。


「皐月、今日の飲み会はどうだった?」

「うーんとね、エビマヨがすっごい美味しかった!

今度、お兄ちゃんも一緒にあの居酒屋さんにご飯食べに行こうね」

「そうか。楽しみだな」


 お兄ちゃんは、半歩後ろを歩くわたしを変わらず軽く引っ張りながら先を歩く。


「……その、皐月。酔っ払った男に、もしや、万が一、不本意で無体な真似などされてはいないか?」


 チラッと背後のわたしを一瞬振り返り、お兄ちゃんは歯切れ悪く確認してくる。……背中の爆睡兎が、まるでお兄ちゃんの言葉の後に『なーんてな』とか、付け加えたみたいに感じる。


「無い無い。もし何かあったら、先生や先輩方が助けてくれてただろうし」

「だがな、あの飲み会には石動君も参加していたようだし……もしも言葉巧みに皐月を言いくるめて二人きりになろうとしているようなら、要注意だろうと」


 お兄ちゃんの懸念に、再び背中の爆睡兎は『なーんてな』と、警戒心や緊張感を削ぐ。


「椿先輩が? まさか。わたしにちょっかいなんか掛けてこないよ。

お兄ちゃんも知っての通り、椿先輩は美鈴ちゃんを狙ってるんだから」

「……だからこそ、油断出来ないんじゃないか」


 はいはい。『なーんてな』だね。



 日曜日をマッタリと過ごし、明けて月曜日。

 わたしはご近所さんからお裾分けして頂いたグレープフルーツを食べきれずに持て余し、大学に持って行く事を思い付いていた。

 お兄ちゃんに「グレープフルーツ、カットしてあげようか?」って尋ねても、凄い勢いで首を左右に振るんだもんな。辛いのや苦いのだけでなく、酸っぱい食べ物まで苦手だなんて、お兄ちゃん今まで何食べて生きてきたんだろう。

 という訳で、差し入れとしてグレープフルーツを紙袋に入れて、柴田先生の研究室に持ってきたのです!


「柴田先生、いらっしゃいますか? おはようございます。御園です」

「ああ、御園さん? どうぞ」


 研究室のドアをコンコン、とノックして声を掛けると、在室していた柴田先生が室内から入室許可を下さったので、早速お邪魔する。

 椅子に座って読書をしていた柴田先生は、パタンと書籍を閉じてそれを机の上に置き、キャスター付きの椅子に腰掛けたまま、向きだけ変えてこちらに振り向いた。


「失礼しまーす」

「いらっしゃい、御園さん。研究室に来るなんて珍しいね。どうしたの? 何か質問でもあった?」

「いえ、実はこれを……」

「うん?」


 わたしが紙袋の口を広げて中を示すと、覗き込んだ柴田先生は首を傾げた。グレープフルーツがごろごろ入っていたら、確かにちょっと意味が分からないかも。

 ……しまった。どうせなら『果実丸ごとごろごろイン紙袋』よりも、差し入れらしくお菓子とかに調理して持ってきた方が、好感度が高かったかもしれない……


「実はこれ、ご近所の方からの頂き物なんですけど、たくさん頂いて家では食べきれなくて……いつもお世話になっている柴田先生へ、お裾分けに」

「へえ、僕にくれるの? 有り難う。……グレープフルーツって事は……」


 紙袋を受け取った柴田先生は、何かを思い出したようにポンと手を叩く。


「ねえ御園さん。このグレープフルーツ、絶対に食べなくちゃダメ、なんて事は無いんだよね?」

「え? ええ。とにかく酸味が強いので、無理に生かじりはお勧め出来ません」

「うん、それじゃあ早速準備してこようっと。

ごめんね御園さん。僕、下準備があるから、ちょっと出てるね」

「あ、はい」

「それじゃあまた講義の時間に」


 何故か柴田先生は、妙にウキウキした様子で立ち上がり、研究室から出掛けてしまった。

 何だろう、先生のあの、ちょっとした悪戯を思い付いたっぽいニコニコ笑顔は。



 それからお昼休みの時間を挟んで午後。柴田先生の講義の時間がやってきた。

 早めに講堂に向かったわたしは、柴田先生がニコニコしながら教壇の上で、何故か幾つもの風船を膨らませている姿を目撃してしまった。空気入れでシュコシュコとポンプを押して、風船を膨らませる柴田先生……先生、カラフルな風船に囲まれている姿が妙にお似合いです。


「おっはよー、ヒバリちゃんサツキちゃん」

「あ、おはようございますエリナ先輩」


 講堂の出入り口でうっかり固まっていたわたしの背後から、わたしの肩を軽くポンと叩きながらエリナ先輩が入ってくる。何故、時刻は既にお昼を疾うに回っているのに、何時に会ってもエリナ先輩の挨拶は『おはよう』なんだろう。いつも不思議。


「それで、今日のヒバリちゃんは風船膨らませて、いったい何するつもりなの?」

「それはもちろん、とっても楽しい事だよ?」

「……風船で?」

「風船で」


 講義の時刻が近付くにつれ、講堂内に生徒達が集まり始めている。

 教壇の周辺が今日は一際ファンシーになっているせいか、普段は開始まで席に集まってお喋りに興じる面々も、教壇を取り巻いていく。


「……風船が今日の講義と、どう関係してくるんです、柴田センセー?」


 面白い事の匂いを嗅ぎ付けたのか、人垣をかき分けてひょいっとわたしの背後から顔を出した椿先輩が、カラフルな風船を一つ手に取り、訝しげに尋ねた。形状としては、よく見掛ける丸っぽい形ではなく、太くて長細い、巨大なソーセージのような風船が多い。何でだろう?


「それはね、石動君。こうすれば分かりますよ。あ、そーれっ」


 柴田先生は空気入れを教壇の上に置くと、まるで野球のピッチャーのような姿勢を取り片手で風船を振りかぶると、気の抜ける掛け声と共に長細い風船を椿先輩に向けて投げつけた。なるほどー、投げるのが主目的なら、丸い形だと上手く相手に向けて投げつけられないもんね。


「何を……うわっ!?」


 ……なんて、感心してるわたしの傍ら、椿先輩にぶつかった風船が突如としてパンッ! と破裂した。椿先輩だけでなく、思わず周囲を取り囲んでいた人垣が驚いて一様に後退る。

 そして硬直している椿先輩に向けて、柴田先生は次の風船を構えていた。……先生の立つ教壇の回りには、カラフルな風船 (凶器)が、まだまだ山ほど置かれている。


「ほーら、楽しい」


 ニコニコ笑顔で生徒に同意を求める柴田先生。……いや、語尾に括弧で先生が、っていう内心の声が今、脳裏を掠めていきましたよ。


「そらそら、どんどんいきますよー」

「先生っ」


 パンッ!


「ちょっ!」


 パンッ!


「何をっ!」


 パンパンパンッッ!


「つーか、何で俺ばっか狙うんですか!」


 最初に手に取った風船を握り締めたまま、椿先輩が風船爆弾を凌ぎきり教壇に上がって怒鳴ると、柴田先生はキョトンとした表情で椿先輩を見返した。


「だって皆、机の陰に隠れちゃうんだもん。石動君は僕の方に近寄ってくるから、『あ、これは期待されてるのかなー?』って思って」

「へ?」


 柴田先生の言葉に椿先輩が講堂を振り返ると、そこには人っ子一人居ない無人の……ごめんなさい、ウソです。ゼミの皆もわたしも、柴田先生が二射目を振りかぶった時点で、皆一斉に机の陰に隠れました。


「すまん、椿! 成仏してくれ!」

「ツバキちゃんの勇姿を、オレは忘れない……!」


 思いっきり笑いを堪えながら、机の影で声を張り上げる永沢さんと風見先輩。お二人とも、迷わず真っ先に机の陰に回り込みましたよね?


「お前らなあ!」

「それでヒバリちゃん、それ、単なる風船にしか見えないけど、どうして椿君に当たったら破裂したの?」


 風船爆弾射出が終わったと見て、ぞろぞろと机の陰から這い出てくるゼミ生達を見回し、椿先輩が憤然と肩を怒らせるのだが、そんな様子には全く頓着せずに、エリナ先輩が柴田先生に疑問をぶつけている。


「ああ、それはね。風船にコレを吹きかけたんですよ」


 柴田先生は教壇の陰から透明な霧吹きを取り出した。中では何だか黄色っぽい液体が揺れている。


「これはグレープフルーツの皮から抽出したオレンジオイルを、水で薄めたものです。オレンジオイルにはゴムを溶かす性質がありますから、投げる直前にこうして吹きかけて……」


 柴田先生は霧吹きで風船に液体を吹きかけ、それを頭上に投げあげると……天井に当たる前に、風船はパンッと音を立てて弾け飛んだ。


「このように、時間差で風船は破裂してしまうという訳ですね」

「そーいや昔、化学だか理科の授業でそんなような事、習ったような……」

「家庭科かもよ?」


 わたしは教壇の上の風船を手に取り、しげしげと眺めてみる。


「わたしが持ってきたグレープフルーツ、こんな使い方もあったんだ」

「なるほど。今日の騒ぎは皐月ちゃんの手引きがあってか」


 いくら何でも、差し入れのグレープフルーツで柴田先生が大真面目にこんな悪戯を仕掛けるだなんて、普通思わない。……美鈴ちゃんと遊ぶ時、ネタになるかも?

 柴田先生の稚気溢れる一面が見れて、まあわたしは得した気分になったけれど、主に柴田先生の風船爆弾に狙われた椿先輩は、苦笑気味にわたしへ苦情を寄せてくる。


「だからほら、石動君。

こうしてよーく狙いを定めてー」

「へ?」

「ばーんっ」


 首を傾げている椿先輩に向けて、柴田先生は、霧吹きがまるで拳銃であるかのように構えて……レバーを思いっきり引き、バシュッとオレンジオイル液を射出させた。


「わっ!?」


 椿先輩が手にしていた、まだオレンジオイルを浴びていなかったが故に無事であった風船は、柴田先生の一撃必殺技を受け、華麗に破裂。音に驚き、一瞬硬直していると、柴田先生は引き続き銃身……じゃない、霧吹きの先端をわたしに向かってロックオン。しまった、わたしも風船を手に持ったまま……


「ばーんっ!」

「ひょわっ!?」


 わたしが慌てて風船を手放すのと、柴田先生が霧吹きのレバーを引くのは、多分殆ど同時だった。空中で破裂する風船は、離れて見ている分には楽しいけれど、近くに居るとやっぱりびっくりする。


「ね?」

「柴田センセー……」


 楽しいよね? と、一番被害に遭った椿先輩に同意を求め、椿先輩は顔を手のひらで覆って天を仰いだ。


「そろそろ講義の時間なんで、悪戯はその辺にして、早く始めて下さい、ヒバリセンセー」

「おや、そんなに石動君が僕の講義を聴きたがるなんて、先生、教育者冥利に尽きるなあ」


 先生はぱんぱんと両手を叩いて講義を始めると宣言し、わたし達は慌てて席に着いた。

 今日の講義の内容は、古来から不思議な呪術を使うと言われている人物が登場する伝承などだった。有名なのは、アーサー王の伝記に登場する魔法使いマーリンなどだろうか。


「こういった不可思議な能力を持つ、とされる登場人物や物語を、あくまでもいにしえの人々の創作の産物、と断じるのは少しばかり早計ではないだろうか。

僕が先ほどやってみせた、風船を相手の手元で勝手に破裂させる悪戯だって、事前知識を持たない人々の前で計算して演出してみせれば、それはまるで魔法のように、純朴な人々の目には映るかもしれない」


 当時、あまり知られていない知識を効果的に活用し、神秘を演出していた知恵者を、現代人がただ一言『胡散臭い』だけで片付けるのは、その時代の在り方の見方を一つ、失ってしまうって事かな。


「アーサー王は、歴史上実在した人物がモデルであるのか、あくまでも物語の中にのみ存在しているのか……

どちらにしても、情報伝達が限られる時勢にこんな物語が成立し、世代を経て長く語り継がれていくだなんて、ロマンがあるよね」


 柴田先生はふんわりとした笑みで、講義を締めくくった。



 六月になったある日の夕方。

 週間の天気予報によると、どうやらこの地域は近々早々に梅雨に入るらしく、わたしは雨が降らない内に食材を買い込むべく、スーパーマーケットへお買い物に向かった。


「うーん。今日のお夕飯は何にしようかな~」

「あれ、皐月さん?」


 カートを押しながら夕飯の献立に悩んでいると、背後から聞き覚えのある声がして、わたしはクルリと振り返る。


「美鈴ちゃん、偶然だね。今学校帰り?」


 制服姿の美鈴ちゃんが、野菜コーナーで悩んでいたわたしの隣へ、お買い物カゴ片手にやって来た。

 わたしは思わず、周囲に素早く視線を巡らせる。……よし、今日は美鈴ちゃん、砂吐き要員を連れていないみたいで安心安心。


「はい。今日のお夕飯と、明日のお弁当の材料を買いに」

「毎日献立に悩むよねー」


 うちもお兄ちゃんが家事能力ゼロだからわたしが担当してるんだけど、美鈴ちゃんチも大抵お買い物に来るのは美鈴ちゃんなんだよね。近所で一番近いスーパーマーケットって、授業が終わった後少し足を延ばせば寄れるここだから、こうして学校帰りの美鈴ちゃんが制服姿でお買い物してるところに、たまにでくわす。

 ……何度か、椿先輩とラブラブ新婚カップル的な雰囲気を辺りに撒き散らしながらお買い物してるところに遭遇した時は、迷わず隠れた。知り合いの姿が見当たらない時の椿先輩って、美鈴ちゃんにメロメロなのを隠そうともしないんだよ。あんなの眺め続けてたら当てられちゃう。


「特にこれからの時期は、お弁当のおかずにも気を遣わないといけませんしね」

「お弁当……ああ、食中毒とか怖いもんね」


 頷いて肯定を示した美鈴ちゃんは、両手をポンと叩いて「そうだ、皐月さん」と、何かを閃いたようだった。


「どうしたの?」

「良かったら、今日の特売品で作れるようなお勧めのお弁当のおかずレシピ、お互いに交換しあいませんか?

流石にいつも同じようなラインナップばっかりだと、飽きるというか」

「それ良いね!」


 美鈴ちゃんからの提案に、わたしは迷わず飛び付いた。早速、お互いの提供するレシピを教え合いつつ、必要な材料をカゴに入れていく。ふふふ、明日のお弁当は普段より一段と豪華になりそうな予感……!


 よーし。今夜はお兄ちゃんに美鈴ちゃん直伝のお料理を供して、お兄ちゃんの口癖『今日の夕飯リクエスト? 何でもいい』を、改めさせてやるんだ!



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