第一話 作戦会議(と称したおとまり会)
第一話 作戦会議(と称したおとまり会)
「それでは、これより作戦会議を行います。司会はうち、議題はあんたたちが今後出走するレースについて。いいわね?」
「はーい」
「です」
あたしの部屋に3つの声が響く。うん、3つ。今までは湊子しか遊びに来なかったあたしの部屋に、今日は空ちゃんが来ているのである。
時刻は夜の9時。女子高生である空ちゃんが不用意に出歩くには、既に危険な時間帯である。そんな時間帯なのにあたしの部屋に空ちゃんと、湊子がいる理由。それは、
「でもこれって、作戦会議と称したお泊まり会だよね?」
そう、お泊まり会なのであった。
「お友達の家にお泊まり、初めてです」
そんな可愛らしいことを言ってくれる空ちゃんの格好は、空色の下地に鮮やかなひまわり模様があしらわれたパジャマである。うん、本当にちっちゃくて可愛いなあ。思わず頭を撫でようとベッドに腰掛ける空ちゃんへと手が伸びるが、それは空ちゃんの手によってペシリ、と、払われる。
「あんた、最近空に対してのスキンシップが犯罪的になってきてない?」
「湊子のその格好よりは健全だと思うけどね……」
そう、空ちゃんの斜め前の床にあぐらをかいて座る湊子の格好は、なんとレースいっぱいな黒のベビードールであった。なんというかスケスケであり、正直見ているこっちが恥ずかしい。というか、この格好はまだ15歳である空ちゃんには刺激が強すぎではなかろうか?
ちなみに、あたしの格好であるが空ちゃんと同じふつーのパジャマである。色は淡いピンクのチェック。まあ強いて特徴を言えば胸元が苦しいのでボタンを多めに外していることぐらいだろうか。
「お姉さまの格好、すてき、です」
あたしはどうかと思うのだが、湊子をお姉さまと呼んで慕う空ちゃんは、湊子のベビードール姿を気に入ったらしい。彼女はいつもそうするように、ペタペタと湊子にひっついている。なんというか、湊子、ずるい。あたしも空ちゃんにぺたぺたされたいのに、なんで湊子のところにばかり行くのだろうか。本当、世の中不公平である。
あたしはそんな状況を打開しようと、エヘン、と、わざとらしく咳払いをして、その場の空気を仕切りなおす。
「で、作戦会議だよね」
話がこっちに戻れば空ちゃんも湊子から離れると思ったのだが、その言葉に二人はキョトン、とした顔で反応を返してくれた。
「お泊り会じゃなかったの?」
「です」
「いやいやいや、作戦会議って言ったのは湊子でしょ!?」
多分、その時のあたしはすごい顔をしていたと思う。なんせ二人が怖いものを見る目であたしを見ていたのだから。
◆◆◆
さて、今度こそ仕切りなおしである。
湊子の言う作戦会議、まあ正確にはそれは作戦会議と言うよりもあたしと空ちゃんの今後の予定を決める話し合いのようなものだ。
自転車の世界においてあたしたちの道先案内人であり、本日の司会進行でもある湊子は、お泊まりセットの入った大きなスポーツバッグの中からピラリ、と、二枚の紙を取り出す。
「とりあえず、比較的近所で、今からでもエントリーできるレースの情報を持ってきたわ」
「「おー」」
「まず、こっちがこないだあんたたちが参加したのと同じ形式のレース、ヒルクライムレースね」
ふむふむ。あたしたちが参加したレースというと、あたしと空ちゃんが争った、あの金剛山を駆け上がったレースのことだ。あの時はそれはもう本当に、本当に、本当に苦しい思いをしたのである。
「そしてこっち、こっちはクリテリウムレースね」
「くりてりうむ、です?」
空ちゃんがその大きな目を見開き、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。おそらく、あたしの頭上にもクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。
「そうね、じゃあ先にそっちの説明からしましょうか」
そう言って湊子が膝の上に両手を乗せ、やや身を乗り出して説明を行う体制に入る。というか、その体制だと湊子の大事な部分がチラチラと見えるので非常に、なんというか非常にまずい。女の子同士でも、そこは、ねえ?
だが湊子は自分のそんな体勢が当たり前だというような体でクリテリウムレースについての説明を始めてしまった。うーん、集中、とりあえず湊子のあそこのことは置いておいて説明を聞くことに集中しなければ。
「クリテリウムレースっていうのは、あれね。公園とかの短くて、きついコーナーのあるコースで行うレースよ。基本的にコースは超平坦。そしてコーナーのたびに減速と加速を繰り返すから鋭い加速力が求められるわ」
「ふむふむ」
「それで、あくまで大抵の場合なんだけれど、コースが狭いから場所取りのために身体がぶつかることも多いわ」
「え」
「お、お姉さま、それはどういうこと……です?」
湊子の口からさらっと飛び出た言葉に、あたしと空ちゃんはサーッと、顔を青くする。
「まあ、本当に言葉通りの意味よ。だから、今からちゃんと集団走行の練習をしとかないとね。いい?」
「う、うん……」
「です……」
結局、恐怖で下がりきったテンションは、母がお菓子を持ってくるまで上がらないままなのであった。
◆◆◆
「あら、じゃあ湊子ちゃんはかなちゃんや空ちゃんが今度出るレースには出ないの?」
「ええ、うちはその日はちょっと別件で、滋賀県の方に」
「あらあら湊子ちゃんも忙しそうなのねえ」
「いえ、まあ趣味でのことですから」
お菓子と紅茶を持ってきたついでにちゃっかり居座ったお母さんは、湊子のスケスケな格好にもひるまずそんな話をしていた。というか、最初からティーカップを4つ持ってきているあたり居座る気満々だったのだろう。
空ちゃんはまだ慣れない、友人の母親という新たな登場人物に怯んでいるのか、珍しく、本当に珍しくあたしの側へと移動してきていた。あたしの後ろに隠れるようにやってきた空ちゃんの視線の先が、あたしではなく、母のネグリジェに包まれた大きな胸にいっているのが残念ではあるが、まあ致し方あるまい。だってほんとうに大きいのだもの。
「名は体を表すといいますが……平、なのにおっぱいは平らではないのですね」
そんなことをあたしの耳元で、あたしにだけ聞こえるようにぽつり、と、つぶやく。
いや、まあ、たしかにあたしの胸もお母さんほどではないけれど結構大きいし、自分でも苗字が平なのに全然平らじゃないなとは思ったことがあるけどね? 直接そんなことを言われたのは初めてだよ。
どう反応していいものか困ったあたしは、苦笑いをしながら後ろを振り返る。振り返った先では空ちゃんが自分のわずかに膨らんだ胸をペタペタと触っており、それを見たあたしは苦笑いのまま動きを止めてしまった。
あたしが見ていることに気がついた空ちゃんは動きを止め、その大きな瞳であたしを捉える。
「……何か?」
「いや、その……まだまだこれから大きくなると思うよ?」
空ちゃんが、今度はあたしの胸へと視線を移す。
「おっぱいさんもボクぐらいのときは小さかった、です?」
「え、あ、まあ、その……今よりは、ね」
嘘は言っていない。実際あたしが15のときはカップが3つほど小さかったのだ。
「具体的に言うと、何カップ、でしたか?」
「えっと……その……」
空ちゃんの大きな瞳が、ちょっとばかり伸びすぎた前髪を、そして眼鏡のレンズを貫通してあたしの瞳を射抜く。
「う……あの……」
「何カップ、ですか?」
ジーっと、責めるかのようにあたしの目を射抜く視線に、あたしは耐えられなかった。
「Dカップ……かな……」
その言葉に、目測Aカップなバストを持つ空ちゃんの表情は暗く沈んだのであった。
◆◆◆
「そんなわけで、うち、あんた達が今度出る高取城ヒルクライムレースは見に行けないから」
空ちゃんと、彼女に引きずられてお通夜モードに入っていたあたしにそんな言葉が投げかけられた。
「そうなのですか」
空ちゃんは未だ、俯いて自分の胸をペタペタと触っている。うん、嘘でもAカップとか、若しくはBあたりだった言っておくべきだっただろうか? などと、そんなことをボーっと考える。
「うん、だから、再来週の土日は二人で頑張ってきてね」
「はーい……って、今なんて?」
「いや、だから、今度のレースあたしは行けないからって……」
「「ええっ!?」」
湊子の言葉に、眠りから目が覚めたように湊子へと向き直ったあたしたちは、驚きの言葉と表情を示した。
「えっと、今までの話、聞いてなかったの?」
「あらあら」
ジト目であたしたちを見る湊子と、いつもどおりのニコニコ笑顔な我が母親。その2つの真逆の反応に、あたし達は恥ずかしさから身を小さくしてしまう。
「ごめんなさい、です」
「あらあら、いいのよ空ちゃん。わたしみたいなオバサンが部屋に入ってきちゃったから、緊張しちゃったのよね」
先に謝った空ちゃんにはお母さんからのそんな言葉が。
「湊子、ごめんっ!」
そして、空ちゃんの後に両手を前で合わせて謝ったあたしには、
「悪いと思うのなら、次のレースで彼方は自分の勝ちを捨てて、空のアシストね」
そんな厳しい言葉が投げかけられたのであった。って、さすがにそれは扱い違いすぎないかなっ!?
「えっと、その、まだあたしたちにアシストとかそういうのは荷が重いかなーって……ねえ、空ちゃん」
後ろを振り返ると、空ちゃんはコクリ、と頷いてから言葉を発する。
「そうです。こんなおっぱいさんのアシストなどなくても、ボクは次のレースで立派に勝って、そしてお姉さまにその晴れ姿を見てもらうのです」
「いや、だからうちは見に行けないんだって……」
再び空ちゃんがズーンと沈んでしまった。
湊子はそんな空ちゃんを見て、ポリポリと人差し指で頬をかきつつ言う。
「うーん、これ以上話すと空が沈んじゃいそうだから言いづらいんだけど、うち、あんた達が高取山を登る日には、比叡山の方の別のレースに行かないとダメなのよね……」
「え、ええっ……じゃあ、じゃあ、あたしたちが今からそっちのレースに参加に変更とかは……?」
「高取のエントリー費がもったいないでしょ。というか、そもそもとっくにエントリーは閉め切ってるわよ」
「ですよねー」
頬を冷や汗が一本、たらりと垂れる。
正直、不安である。
だって、今まであたしが自転車で新しい領域に踏み込んでいく時は、常に湊子が傍に居てくれたんだもの。
初めてロードバイク乗った時も。
初めての坂道で泣きそうになった時も。
空ちゃんと友逹になろうと手を伸ばした時も。
空ちゃんと本気で争った時も。
そして今回、誰かと友だちになるためではなく、自分の力を試すためにレースに出る。そんな時に湊子がいてくれないのは正直、怖い。
「あわわわわわ、おね、お姉さまがこなわわわわわ」
って、空ちゃんがめっちゃ動揺してるー!?
「そ、空ちゃん落ち着いてっ!」
「あちゃあ、やっぱり」
慌てるあたしと気まずそうな湊子、そしてめっちゃ動揺している空ちゃん。そんな空ちゃんを正面から、お母さんがそっと抱きしめる。
「大丈夫よ、空ちゃんったらこんなに可愛いんですもの。何かあっても、うちの彼方や周りの人達が助けてくれるわよ」
そう言って、お母さんはいつだったか、あたしにそうしたように空ちゃんの頭を撫でる。
空ちゃんははじめ、恥ずかしそうにその身体を小刻みに動かしていたが、やがて体の力を抜き。母のその、大きな胸へと顔を埋める。
「空、ごめんね? 本当はうちも付いて行きたいのはやまやまなんだけど……」
湊子はそう謝り、そして空ちゃんは湊子に対して小さく、コクリ、と、頷いたのであった。
あたしはというと、そんな空ちゃんの様子に緊張感も不安感もどこかに飛んでいってしまったのであった。
ふぅ、と、あたしはため息を1つついて、湊子へと今降って湧いた新たな疑問を投げかける。
「じゃあさじゃあさ、湊子が来れないのなら、念の為に他の誰かに付いて来てもらったほうがいいのかな?」
「うーん、そうねえ、あんた達初心者だものねえ……確かに、なにかハプニングが起こった時のために誰かに付いて行ってもらったほうが……」
と、その時である。あたしの部屋のドアが勢い良く、バタン、と開かれた。
「そんなこともあろうかと!」
登場したのは今うちにいるうちで今まで会話に入って来なかった最期の一人にして、この場に登場することのできる唯一の男性。あたしの父、平道蔵である。
銀縁眼鏡を光らせて部屋に飛び込んできた父に、大胆な、本当に大胆な格好をしている湊子が“きゃっ“と、彼女にしては珍しい可愛らしい声を出して部屋の隅に積み重ねてあった布団を一枚、その身に引き寄せる。
父はそんな湊子をちらりと見て、うむ、と、謎の頷きをしてから、あたしに向き直って口をひらき、
「ちょっと、あなた」
そのまま額に青筋を浮かべた母に引きずられて部屋から退場していった。うん、何がしたかったのだあの人は。
と、部屋の外から、ずりずりという引き摺り音に混じって父の大声が聞こえてきた。
「かなたー! 心配しなくても父さんが付いて行くからな彼方ーっ!!」
ああ、そういうこと、そういうことね。
湊子の方を見たあたしに対し、湊子は“いいんじゃない?”といったアイコンタクトを送ってくる。
ちなみに、空ちゃんはさっきまでお母さんに抱きしめられ、その胸に顔をうずめていた後遺症か、うつろな目で虚空へと手を伸ばし、何かを揉むようなジェスチャーをしていた。
そんな中、更に部屋の外から父の声が聞こえてくる。
「かなたー! 父さん頑張って応援するからな彼方ーっ!! フレーっ! フレーっ!か! な! た!」
「ちょっとあなた、近所迷惑ですよ」
いや、近所迷惑とか以前に、かなり恥ずかしいのでやめてくれませんかね。
だが、父はそんなあたしの気持ちや、母が父を諌める声も聞かず、大声を出し続ける。
「フレーっ! フレーっ! 愛してるぞ彼方―っ!」
直後、バキッという音が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。あたしと湊子は顔を見合わせ、そう思うこととした。
◆◆◆
父の退場……と言っても登場して即退場したのだが、それと、別次元に行ってしまった空ちゃんの復帰を待って、あたし達は再び三人、車座になって座り直す。
「さて、じゃあ今度こそ次のレース、高取城ヒルクライムレースの作戦会議に移るわよ」
「「はーい」です」
再び場を仕切る湊子に、あたし達は元気よく、まあ夜なので近所迷惑にならない程度であるが、返事をする。そしてあたしはすっと右手を上に上げ、
「はい、先生! 最近どこへ行っても上りで空ちゃんに置いて行かれるのですが! 今日も空ちゃんに軽く置いていかれちゃったし……」
そう、最近のあたしの悩みを暴露した。
「それはあれよ、あんたのおっぱいが重いからよ」
「そんな身も蓋もない……」
バサリと切って捨てられたあたしに、さらに、いつの間にか後ろに回っていた空ちゃんからの追撃がかかる。
「おっぱいさんのおっぱいは、お母様ほどではないにしろ大きいですからね。むしろこんなに大きな重りをつけたまま山を登れる事自体が驚きなのです」
そう言って、空ちゃんはあたしの両胸をむんずと掴む。そして、寝る前だからとパジャマの下にはキャミソールのみでブラジャーをつけていなかったあたしの胸を、そのままこねくり回す。空ちゃんの方からスキンシップを取ってくれるのは嬉しいけれど、これはちょっと2つも3つも階段を飛ばして駆け上ってないかな!?
「ちょ、ちょっと空ちゃん!?」
「……大きさはこっちのほうが小さいけれど、柔らかさはこっちが上……です」
そんなことを耳元でつぶやかれ、耳が吐息でくすぐられるくすぐったさと、胸を揉まれる恥ずかしさであたしは真っ赤になってしまう。空ちゃんはそんなあたしの反応は気にせず、何かを確かめるようにあたしの胸を揉みしだき続ける。
「ちょっと、その……」
助けを求めて湊子の方を見るが、湊子はニヤニヤと、いつも通り外側から事の成り行きを見守っているだけである。
「…………です……」
「え、なにっ?」
「気持ち、いいです……」
そう言った空ちゃんは、一旦あたしの胸から離れて今度はあたしの前側へとやってくる。そして、そのまま彼女はぽてり、と、あたしの胸へと向かって倒れこんできた。
「えっ!? ええ~っ!?」
状況がよくわからずにそんな声を上げるあたしと、そして、“お落ち着くです”と言ったやいなや、早くも寝息を立て始める空ちゃん……って、早いよ! まだ話すこと残ってるよ!!
慌ててあたしは空ちゃんを引き剥がしにかかる。そして空ちゃんを完全に引き剥がし、彼女が元いた場所にアヒル座りで座ってから、空ちゃんは一言。
「おっぱいの魔力に魅入られてしまっていた、です」
「あー、此方さんのおっぱいに埋もれてた直後だったからね、あれはうちでもやばいわー」
やばいって、何がやばいのだろうか?
よくわからない、という顔をしていると湊子は空ちゃんと顔を見合わせ、
「だって、あの大きさは、ねえ?」
「ですっ」
と、よくわからない共通認識を示した。
まったく、なんだっていうのさ。
「それで、おっぱいが重いから不利っていうのは冗談なんでしょ? 実際に他の原因とか、さ」
気をとり直したあたしはため息をひとつついて、今度こそ、ちゃんとした答えをもらおうと湊子へと言葉を放つ。
「いやー……やっぱりその胸が原因だと言いたいんだけどね」
ギロリ、と、前髪の下から湊子を睨むと、湊子は再び、ポリポリと頬を掻く。
「あー、じゃあさ、とりあえず空と並んで立ってみ?」
「「?」」
よくわからないので、空ちゃんと二人、言うとおりにする。
「ちなみに彼方、今の体重は?」
「えっと……55kg……だけど……」
「空ちゃんは?」
「42kg、です」
湊子はそれを聞いて頷く。そして、あたしたちに対する説明を開始した。
「まず、山を登る時だけれど」
「うん」
「体重が軽いほうが有利よ」
「それは知ってる、です」
「そうね、基本的なことだものね」
そう言って湊子はチラリ、と、あたしに視線を送ってくる。ふーんだ、どうせ理解してませんよーだ。
「つまり、まあ約10cmの身長差や、その他もろもろを抜きに考えた場合、上りでは彼方よりも空ちゃんが早いわ」
「身も蓋もない……で、でも、金剛山でのレースでは引き分けたよ?」
「あれは、あれは、彼方、あなたが前半の平坦区間で一人でかっ飛ばしてびっくりするほどの差をつけることが出来たからよ。3分差って聞いたときは何事かと思ったわ」
「ボクも、あの時は追いつけないと思った、です」
まあ、実際は追いついてこられたわけだけれど……。
「それで、わざわざ二人に立ってもらったのは、重さに近いけど、ちょっと別の要因の説明」
そこまで言ってから湊子も立ち上がり、横並びになったあたし達の前へと立つ。
「二人共、ちょっとお腹見せてみ?」
うん?おなか?
湊子の言葉にあたしが頭上にクエスチョンマークを浮かべている間にも、隣の空ちゃんがパジャマと、その下のキャミソールを一纏めにちょろっとだけ捲って、その抜けるように白いお腹を露出する。
「こう……です……?」
うん、空ちゃんの目が潤んでいるようにみえるのは気のせいだろう。決して憧れのお姉さまにお腹を見られることにより興奮しているわけではない、と、思いたい。
湊子も空ちゃんのそんな反応をスルーしたのか、それとも既に慣れっこなのか、気にした様子はなく、“うんうん、そんな感じ”とだけ言ってあたしの方を見る。
「ほら、さっさと見せなさい」
「そ、湊子のえっち……」
「誰がエッチか。いいから見せろ」
そう言って湊子は強引にあたしのパジャマを捲ってきた……って、そんなに捲ったら見える!見えたらいけないところまで見えちゃうから!!
慌てて自分の胸をガードするあたしだが、湊子の視線は別にあたしの胸など見ていなかった。うん?なんかモヤモヤするな? でもまあ、湊子の視線はあたしの胸を見てなどいなかったのだ。
その視線の行く先はあたしのお腹。まあ、確かにさっきからお腹を見せろと言っていたのだからお腹に視線が行くのは当然であろう。
で、である。
湊子はあたしと空ちゃんのお腹を見比べた上で、こう言った。
「わかってはいた事だけど、あんたのお腹、ブヨブヨよね……」
その言葉に、湊子を見つめて赤い顔をしていた空ちゃんも視線をあたしのお腹へと移す。
「……おっぱいさんは、おっぱいさんなだけでなくお豚さんだったのですか」
「ぶっ!?」
「まあ、確かに彼方の日焼けしていない肌とこのお肉、合わせ技で白豚ってところよねえ」
「しろぶたっ!?」
「脂身ばかりで胃もたれしそう、です」
「そうよねえ、健康を考えるとあんまり食べたくない感じよねえ」
「二人ともあんまりにも酷くないかなっ!?」
二人の猛撃に、思わず近所迷惑も顧みずに叫んでしまった。
「うるさいわよ、彼方」
「ご、ごめん……でも、二人共さっきの言い方はあまりにも酷くないかな……」
「いや、でも見てみなさいよ彼方。空のお腹、こんなにスベスベできれいなのよ?」
そう言って、湊子は空ちゃんのお腹に手を伸ばし、ナデナデと、空ちゃんのお腹を撫でる。あたしも湊子に習って同じように空ちゃんのお腹を触ってみるが、確かにそのお肌は15歳という若さを感じさせるスベスベ感であり、そして、比較するために自分のお腹へと手をやると、
「スベスベがどうとかって言うより、コレは……」
そう、たしかにあたしのお腹に関する第一印象は、ブヨブヨ、なのであった。
ガクリ、と、手足から力が抜けてあたしの身体はその場に崩れ落ちる。
「いや、そんな崩れ落ちなくても、あんたヒキコモリだったんだしわかってたことじゃない」
いや、そりゃね? あたしはついこないだまでヒキコモリだったですよ?
「でもさ、でもさ、自転車乗り始めてちょっとはお腹も減っこんだかなって思ったんだよ……」
「悲しい現実、です」
「でもまあ、たしかにこんなに重たそうなおもりをつけていたら山も登れないわけよね」
そう言って、湊子が空ちゃんのお腹から手を離し、しゃがみ込んであたしのお腹をむんずと掴む。というか、掴めるお腹って……。
「そ、そうこ……」
「うん?」
「あたしはなんで痩せないの、かな……」
「まあ、まだまだ乗り始めだしね。痩せ始めるのはもう1ヶ月ほど後からよ」
「1ヶ月って次のレースに間に合わないんじゃ……」
「ええ、そうね」
「じゃああたしはどうやって空ちゃんと戦えばいいの!?」
湊子の右足にすがりつく。そして湊子はあたしの目をじっと見つめ。
「いい、彼方。あなたはあなたの出来ることをやりなさい」
そんなことを言ってくれたのであった。
「う……うんっ!ありがとうおかーさんっ!」
ところで、元気よく返事をしておいてなんだけどコレってはぐらかされたんじゃ……?
◆◆◆
「ところでさ、空ちゃんとあたしのお腹はいいとして、湊子のお腹はどうなのさ」
「どうって、見たまんまよ?ほらっ」
そう言って自分のお腹を指し示す湊子。彼女の場合、お腹もショーツもさっきから丸出しなので、わざわざめくる必要もない。
「見たまんまって、肌の色以外空ちゃんとあんまり変わらないように思うんだけど……」
と、空ちゃんが無言で手を伸ばして湊子のお腹を触り始める。湊子はそれに対してされるがままになっているが……と、不意に空ちゃんが湊子のお腹へと顔を近づけ、さっきあたしの胸にそうしたようにペタリ、とひっつく。
「程よい弾力で、気持ちがいいです」
本当だろうか?なんか、さっきからの湊子の話を聞いていると湊子のお腹は筋肉でガチガチだという印象だったのだが……あたしは事実を確かめるために、湊子のお腹へと人差し指を伸ばす。そして湊子はそんなあたしを、いつものニヤニヤ笑いで観察している。
プニッ
一言で言うとそんな感じであった。それは、あたしのブヨブヨのお腹とも、空ちゃんのハリのあるお腹とも違う程よい弾力であたしの指を包み込み……って、
「湊子、筋肉は?」
そう、それは触った感じ、筋肉の硬い感触とは全く異なるものであった。
だが、そんなあたしの湊子を疑う眼差しにも湊子はニヤニヤ笑いをやめない。
そして次の瞬間、あたしの指と、空ちゃんの頭が湊子のお腹からはじき飛ばされた。
「って、なにこれっ!?どういうこと!?」
「お姉さまのお腹、一瞬でカチカチになった、です」
湊子は驚くあたし達を見て、あははと笑ってから表情を真面目なものに変え、一体何が起こったのかを説明してくれた。
「筋肉には大きく分けて、赤筋と白筋っていうのがあるっていうのは知っているかしら?」
「しらない、です」
「うん、じゃあそこから説明するわね。まず白筋、これは別名で速筋とも言うわ。この筋肉の特徴なのだけれど、素早く、強力な運動が可能なの」
「ふむふむ、です」
「ただ、大きな力が出せる代わりに白筋は長時間続く運動が苦手なわけなのね」
「なるほど」
い、いや、知ってたよ?知ってたからね?
「で、赤筋。これは速筋に対する言葉として遅筋とも言われるわ」
「チキン?」
「遅筋よ遅筋、遅い筋肉と書いて遅筋」
「あ、そっちね、りょーかいりょーかい」
「この話のどこで間違える要素があるのよ……」
湊子は今のあたしの発言で顔を隠して、時折笑い声を漏らしながら震えている空ちゃんが落ち着くのを待ってから話を続ける。
「遅筋は、その名の通り、速筋と比べると瞬間的に大きなパワーを出したりするのは苦手なの。その代わり、白筋よりも長時間の運動が出来るわけね」
「ほー、なのです」
「それで、ここからがあたしの腹筋の柔らかさの話なのだけれど、あなた達、ふだん魚はよく食べる方?」
「お刺身は好きだけど、焼き魚は骨が苦手で……」
「ボクは大抵なんでも食べる、です」
「うん、えらいわね空。彼方はもうちょっと好き嫌いをどうにかしなさい。それでなんだけど、魚の赤身と白身の食感の違いってわかるかしら? そうね……彼方でもわかるように、マグロとタイのお刺身の食感の違いって言ったほうがいいかしら」
「マグロとタイ……です……?」
「ええ、マグロとタイよ」
「えーっと……タイのほうがコリコリしてる?」
「それで正解。つまりね、タイの白身、白身って実は白筋のことなのよね。それで、タイの食感からわかるように、白筋は赤身……つまり、赤筋に比べて力が入っていない状態でも感触が硬いの。でも、赤筋が柔らかいと言っても力を入れれば当然、固くなるわ。あたしの腹筋は赤筋が中心に構成されているから、力を入れてなかったらやわらかかったけれど、力を入れたら筋肉が硬くなって、あんた達はそれに驚いて弾き飛ばされたのね」
「ふむふむ」
「なるほど、です」
「そしてあたし達が行うロードレースっていうのは、マグロみたいに長距離を延々と走り続ける。つまり、長時間の運動に適した赤筋が必要とされているの。だから、あたしたちがつけるべき筋肉はこの柔らかい赤筋ね。けどまあ、説明しておいてなんだけれど筋肉の違いはあまり気にしなくてもいい、かな。とりあえずあたしたちの腹筋が目に見えて割れたりすることはないから安心しておけばいいわ」
なるほど、よくわかった。
よくわかったのだが……。
「お姉さま、その赤筋というものをつけるためにはどうすればよいのですか?」
当然の疑問である。足の筋肉は自転車に乗っていたら自然とつくのはわかるが、腹筋って自転車に乗ってるだけではつかないよね?
「あたしも、知りたいな」
そう言って、湊子にお願いをすると、湊子はさっきまでの真面目な表情から一転、その表情を“ニヤリ”といういつもの表情へと変える。
「知りたい?」
うん?なんか久々にいやか予感が……。だが、あたし達はレースを再来週に控えているのだ。とりあえず今は頷くしかない。
湊子はコクリ、と頷いたあたしと空ちゃんを見て一言、こう言った。
「じゃあ、服を脱ぎなさい」
◆◆◆
湊子の手があたしと、空ちゃんの身体にそれぞれ触れる。
「んっ……」
口からそんな声が漏れる。それはあたしだけではないようで、あたしの隣に、同じように横たわっている空ちゃんの口からも、同じような声が漏れでている。
「あっ……」
再び口から漏れた言葉とも、息とも付かないものと共に身体に力が込められ、そのことによりあたしの胸が揺れる。
「ほら、二人共もっと力込めなさい」
「で……すっ……」
空ちゃんが顔を真っ赤に染めて、その体躯をゆっくりと、しかし確実に上へと誘っていく。
空ちゃんの頬には汗が伝い、身体はピクピクと震えているが、それでも確実に、その身体は上へと持ち上げられていく。
「ぐっ……ぐぅっ……」
あたしも負けてはいられないと、湊子に抑えられた腹部を支点として、気合を入れて上半身を持ち上げていく。
そう、あたし達は汗をかくだろうからと着替えをさせられ、そして湊子に身体を支えられて、腹筋の筋力トレーニングの真っ最中なのであった。
「そ、湊子、やっぱり支える位置が上過ぎない?これじゃあ身体が持ち上がらいんだけれど……」
「ですっ……全然……」
言葉の通り、あたし達の上半身は床から数センチメートルほどしか持ち上がっていない。
「あー、いいのよここで。それよりも、ちゃんと下腹部の筋肉は意識できてる?筋力トレーニングの第一歩は筋肉を意識することだからね」
言われ、自分の腹部へと意識を集中させてみる。
「なんか、それっぽい感覚はある……けど……っ」
「オーケーオーケー、良い感じよ。空もちゃんと身体は持ち上がってるわね?」
湊子がそう聞くが、空ちゃんの声は聞こえない。だが、首肯か何かで湊子に問題のない旨を伝えたのだろう。それを受けた湊子は次の指示を出す。
「よし、じゃあ次は上半身をゆっくりと元に戻して。あ、でも床についたらだめだからね?」
難しい事を言うな、と思ったが、そもそも適切な筋力トレーニングとは難しいものなのだろう。そう思って、湊子の指示通り、ゆっくりと身体を下ろしていく。
上半身を下ろしていく、ただただそんな作業なのに身体が悲鳴を上げ、全身から汗が噴き出してくる。
「はぁっ……はぁっ……」
まるで山を登っている時のような呼吸音が、隣から聞こえてくる。厳しいのは空ちゃんも同じらしい。
あたしもフーッ、フーッっという荒い呼吸をしながら、10秒ほどの時間をかけて身体を床につく、ギリギリのラインまで下げきる。
「よしよし、やっぱりあんたたちスジがいいわね。じゃあ、そのまま自分の限界まで頑張ってみようか」
限界って、ちょっと待って、そこまでやるのっ!?
思わず身体にムチを打ち、隣にいる空ちゃんの方を見る。と、空ちゃんも同じようにあたしの方に顔を向けていた。うん、空ちゃんの顔は絶望に染まっている、きっと空ちゃんからみたあたしの表情も絶望に染まっているのだろう。
「そうね、ただ限界まで腹筋するってだけじゃあ面白く無いから、これも勝負にしてみようか。言うまでもなくうちが審判ね。で、勝者に与えられる権利は、今日寝るときの布団を敷く場所を選ぶ権利。どう?」
うん? 布団を敷く場所の権利? そんなのあたしが空ちゃんの隣に決まっているではないか。もちろん、湊子が空ちゃんの隣だと空ちゃんはそっちに行ってしまうだろうから、あたしが真ん中。空ちゃんが狙っているのはあたしのスキンシップから逃れるために、真ん中に湊子を挟んだ順番であろう。つまり、空ちゃんが勝った場合あたしは空ちゃんの隣で快眠することが出来ない。うん、これは由々しき事態である。
うん、じゃあ勝負を受けよう。だって空ちゃんのこと大好きだし。
なので、あたしは僅かな動きではあるが、コクリ、と、首を縦に振る。
「彼方は乗るのね。空は? OK、空もやるのね」
空ちゃんのことである、口を利くほどの余裕があったとしたら“おっぱいさんには負けていられません”などと言っていたことであろう。
「よし、じゃあ二人共、あたしのカウントに合わせて腹筋ね。先に背中が床についたほうが負け。いい? いくわよ?」
3、2、1、と湊子がカウントダウンを行い、勝負が開始された。
あたしは力いっぱい、しかしながら全て出しきってはしまわないように細心の注意を払って再び、身体を持ち上げ始めた。
◆◆◆
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!!」
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……っ!!」
3分後、あたし達二人は床へとその身を預けることになっていた。
なにこれ、なんでこんな地味な運動なのにこんなに苦しいの……?
そんなことを考えながらもあたしと、そして空ちゃんは、天井を向いて荒い息を繰り返す。
「ま、流石に初めてだとこれぐらいが限界か。二人共、お疲れ様。汗すごいことになってるわよ」
言われなくても汗がすごいことになっているなんてわかっている。だって、前髪が顔にべったり張り付いてすごく気持ちが悪いんだもの。
隣ではぁ、はぁ、という呼吸を繰り返している空ちゃんが起き上がった。むぅ、なんとなく負けた気分なので、あたしも空ちゃんに対抗して勢い良く起き上が……イタタ、腹筋が痛くて起き上がれない!? しかたがないので両手を床につき、のそり、と、起き上がる。
「どっちの勝ち、です?」
「そうねえ、うちから見てても二人同時だったし、ここは先に起き上がれた空ってことにしておきましょうか」
ぐ、ぐぬぬ……昼間の山に続いてまた負けたっ!
「おっぱいさんは、そのおっぱいが重すぎたのです」
悔しがっているあたしに対し、空ちゃんはその長い髪の毛を揺らし、フフン、と、あたしをあざ笑う。
「だから、そのおっぱいをちっちゃくしてから出直してくる、です」
ちくしょーっ! というかあれか! 今日は徹底的におっぱいネタでいじられる日か何かなのっ!?
結局その日の布団の並びは大体の予想通りで、部屋の奥から、空ちゃん、湊子、あたしとなり、あたし達は順番にシャワーを浴びなおしてから眠りについたのであった。




