エピローグ
エピローグ
「それにしても、表彰、惜しかったなあ……」
結局あの日、総合順位は空ちゃんとあたし、7位同着という結果で終わったのであった。
そしてレースから1週間後の日曜日、あたしはサイクルカフェなる自転車乗りが集まる店で、ソフトクリームがたっぷりと乗ったコーヒーゼリーを口に運びながら、そう、ポツリと漏らす。
「確かに、あれは惜しかった……です」
向かいに座る空ちゃんも、うなじのあたりでまとめた髪をぴょこぴょこと揺らし、同じように言葉を漏らす。
「ま、流石にあんたらがあのレースでは一番二番に若いって言っても、男性と女性の体力差があるからねえ」
あたしの隣で足を組み、なんだか格好良くコーヒーを飲んでいる湊子が、そんなあたしたちに対してしそう、仕方がない旨を告げる。
「そんなこと言っても悔しいものは悔しいし」
「です」
湊子に向かって唇をとがらせるあたしに、空ちゃんも同意してくれる。
「まあ、これからの練習次第では男性と比べてもある程度まで走れるようになるわよ。あんたたち、筋はいいんだから、きっと強くなるわよ」
そう言って、湊子はニヤリ、と、いつもの表情を浮かべる。
「スジがいいだなんてそんな、お姉さまは大胆です……」
「人に対して痴女さんだとか、そんな失礼なことを言っていた本人がそんな発言をするのはどうかと思うよ……」
「おっぱいさんはおっぱいだから何でもかんでもエッチな事に聞こえるのです。ボクは決して変なことは言ってない、です」
あたしの指摘に、少しだけ頬を桃色に染めた空ちゃんはそんなことを言ってから、ナッツとメープルシロップで甘く味付けされたフレンチトーストをその小さな口へと運ぶ。
そんな空ちゃんに対して、あたしはあたしの胸をわざわざ指差してまで笑っている湊子の手をペシッと払ってから、身を乗り出して空ちゃんの顔を覗き込み、精一杯の作り笑顔でお願いする。
「というか、というか、そろそろ“おっぱいさん”じゃなくて名前で呼んで欲しいんだけどなー」
空ちゃんの目がまるで変なものでも見たかのように大きく見開かれる。え?あたしそんなに変なこと言った?
「おっぱいさんは、おっぱいさんです」
ブフフー、と、湊子が吹き出した。まだ笑い足りないかこのエアロフォルムめ。
「まあ、彼方のおっぱいじゃあそう呼ばれてもしかたがないわよね」
湊子は笑いながらもあたしの胸へと手を伸ばしてくる。って、こんな公衆の面前で人の胸を揉もうとするなっ!
あたしは両腕で胸を庇いながら、空ちゃんへと再びのお願いをする。
「ね、じゃあ今だけでもいいからさ、流石にその呼び方は恥ずかしいんだけどなー」
「じゃあ、一度だけ、です」
「やったー」
色よい返事をもらえたことに、思わず両手を上げてバンザイをする。空ちゃんはそんなあたしを、その大きな目を少しだけ細めてじっと見てから、
「か……」
「か……?」
「か……」
「カンチェラーラさん」
「いきなり人類最強のタイムトライアルスペシャリストになっちゃった!?」
「うんうん、カンチェラーラはあれはもう強いからねえ。うちの憧れだわ」
ツッコミを入れるあたしを尻目に、湊子はなにやらウンウンと頷いている。いや、カンチェラーラがすごく強いプロの自転車選手だって言うのは知ってるけど、どこに頷くような内容があったのだろうか。
「えっと、そうじゃなくて、ね、ほら、あたしの名前」
そうやって、再び空ちゃんにあたしの名前を呼ぶように促す。
「か……」
「うんうん!」
「カヴェンディッシュさん」
「マン島ロケットは関係ないでしょ!?」
「2009年のツール・ド・フランスでの活躍は恐怖を覚えるほどだったわねえ」
ちなみに、これも超有名な自転車選手である。湊子の家で3人揃って見たDVDでは、一着でゴールに飛び込む瞬間に、スポンサーである携帯電話会社にちなんで耳元で電話を構えるポーズをしていたことが印象に残っている。
「ねえ空ちゃん、自転車選手の名前じゃなくて、あたしの名前を呼んで欲しいんだけどなー?」
そう言うと、空ちゃんの大きな瞳が少しだけ揺れる。そして空ちゃんは三度口を開き、
「か……」
「うんうん、あたしの名前、彼方だからねっ!」
「カデル・エヴァンスさん」
「自転車選手ネタはもういいよっ!」
思わず立ち上がり、おしぼりをテーブルへと叩きつけてしまった。
「ツイてない選手っているのよねー。それにしても、あの顎のお陰で中継では目立ってるわよね、羨ましい限りだわ」
「湊子も!いちいち解説入れなくていいから!!」
湊子にもツッコミを入れてから、再び椅子に座って空ちゃんに向き直る。
「ね、空ちゃん、だからさ、ほら、わかるでしょ?」
あたしのそんな遠回しな言葉に、空ちゃんはコクリ、と、頷く。
そして彼女の口が今度こそ、多分今度こそあたしの名前を紡ぐために開かれる。
「か……」
うんうん、そうだ、天丼ギャグは三回までと相場が決まっているのだ。
「か……」
あたしは胸の前でグっと拳を握る。
「かなた、さん……です」
もじもじと、本当に恥ずかしそうに空ちゃんはあたしの名前を呼んでくれた。
あたしは嬉しさのあまり、思わず空ちゃんの両手を掴んでシェイクハンドしながら言った。
「空ちゃん!これからもよろしくね!」
うん、やっぱり友達って最高だと思う。そう、ちょっとムッとした表情で、でもあたしのシェイクハンドに応じてくれている空ちゃんを見ながら思う。
そんな風にイチャイチャしていると、湊子が立ち上がり、ヘルメットを手に取る。
「あんたたち、イチャイチャばっかりしてないで、そろそろ行くわよ」
「え?なに?湊子ったら焼きもち?安心してよ、湊子はいつまでもあたしの第二のおかーさんなんだからっ!」
「待ってください、お姉さまはボクのお姉さま、です」
あたしと空ちゃんも、それぞれ好き勝手なことを言いながらヘルメットを手に取り席を立つ。
レジで会計を済ませ、カフェの外へと出る。
5月の日差しが、車立てに引っ掛けてあるあたしたちの自転車のチェーンやスプロケットに反射して、少し眩しい。
あたしはその日差しを遮るためにも、メガネを背中のポケットに仕舞い、代わりに取り出したサングラスをかける。
そして、両手にグローブを嵌め、ヘルメットを被り、
「じゃ、行こっか」
そう、しっかりとした声で宣言し、自転車へと跨った。
「湊子、今日はどこまで行くの?」
「そうね、うちは吉野の方を回って金剛山を越えて帰るルートとかを考えてたけど」
「吉野川、綺麗、です」
「そうだねー、じゃあそっちに行こっか」
「です」
「じゃあ決定ね。彼方、あんたちょっと前を引きなさい」
「はーい」
「ついて行く、です」
そうしてあたし達はペダルを踏み込み、走りだす。
「彼方、方向はわかってる?」
「わかってる。とりあえずこの道の、彼方まで、でしょ?」
1巻の読了、ありがとうございます。彼方と空ちゃんが友達になるまでのお話、如何でしたでしょうか?
詳しくない方のために、エピローグの自転車選手ネタを解説させていただきます。
まず、ぼくが敬愛するファビアン・カンチェラーラですが、スイス出身の彼は、自転車の中にモーターが仕込まれているのではないかと疑われたことがあるほどの馬力の持ち主です。彼が得意なのはたった一人で、ハイペースで走り続けるタイムトライアル。そのあまりの速さに有名なレースであるパリ・ルーベや、ツール・ド・フランドルではライバルたちを置き去りにしてラストの50km近い距離を一人で逃げ切ったことがあるという、全身が筋肉で膨れ上がった大柄な体格も相まってまるで馬車馬のような選手です。格好いいですね。
次に、マン島ロケットことマーク・カヴェンディッシュです。彼は2013年現在、最強のスプリンターと言っても過言ではないでしょう。彼はゴール前での圧倒的な加速力によって全てのライバルを置き去りにします。その圧倒的な加速によって2009年のツール・ド・フランスでは全21ステージ中6ステージで勝利を収めました。圧倒的ですね。
そして最後に、カデル・エヴァンスです。不運に見まわれ、そして比較的にチームメイトに恵まれていなかった彼ですが、2011年のツール・ド・フランスでついに、悲願の総合優勝を達成します。彼の愛嬌のあるカエルのような顔と割れたアゴ、そのわかりやすい特徴でロードレースファンに親しまれているオールラウンダーです。
ここまでネタ解説、ここから雑記のような何か。
今まで文章など書いたことがないのに、なんとなく小説大賞に応募してみようと筆を執って約3週間。ようやくこの物語は一応の完結を見ました。
ですが、しかし、彼方たちの物語はここで終わりではありません。彼女たちは未だ、超初心者でしか無いのです。これから彼女たちはより高いレベルのレースへと参加していくこととなるでしょう。
そして、未だにその実力を見せてくれない湊子ですが、彼女の実力は如何程のものなのでしょうか?そして、彼方や空は湊子に追い付くことが出来るようになるのでしょうか?
キャラクターたちが動くに任せてお話を作っているので、執筆者である僕が彼女たちの行く末を一番楽しみに見守っている気さえします。
ですが、そんな僕の拙い処女作を楽しんで読んでくれる人が居たのならば幸いです、是非感想などを送ってください。ありがとうございました。