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4章-6

 キャリバーは白百合との距離を詰めてきた。

 距離を取れば角度に対する移動距離が大きくなる。白百合の機動力を活かした攻撃を避けきれないと判断したのだろう。常に側面や後方に回り込むように動き、慎重に攻撃を仕掛けてくる。

 その慎重さから何とか攻撃を避けられていることは不幸中の幸いだった。しかし危うい場面ではリミッターを解除してしまうため、素子温度は一向に下がらない。このままではいつか致命的な攻撃を受けてしまう。

「このままではいつまで持つかわかりません!」

 システムの負荷状況をモニタしていた空は苛立ち混じりの声を上げた。

 これまでのレーザーによる攻撃とプロセッサの発熱により艦内温度もかなり上昇していた。冷却性能は低下し、素子温度の下がり方も最初より随分と鈍くなっていた。

 日向の心にも義務感と責任で押さえ込んだ死の恐怖がじわりと頭を上げる。

 ここまで来たら腹をくくるしかない。日向は動きの鈍い両手で頬を強く打ち気合いを入れた。

「これからまたプログラムを書き換えます」

「まだ負荷を減らせるんですか?」

「先ほどよりは効果が薄いですが、可能です。ただしメモリ上のプログラムを書き換えるのでかなりのリスクを伴います。よろしいですか?」

「それでこの状況を打開できるならもちろんです」

 日向の問いをゆかりは承諾する。

「いえ、ただの時間稼ぎです。あまり大きな期待はしないでください。その間に何か作戦を思いつけると良いのですが……」

 近頃のコンパイラは非常に優秀だ。手作業で多少最適化したところで気休めにしかならなかった。それでも何もせず死を待つよりは遙かにマシだ。

「かまいません。少しでも可能性があるなら」

「わかりました」

 日向はメモリ上の慣性制御プログラムをバイナリエディタで開いた。慣性制御には特殊な専用命令を多く使用し、この専用命令が素子温度を上昇させていると日向は予想していた。

「いよっし!」

 画面を見た日向は驚愕と歓喜と別の意味での絶望で声を上げた。空は突然横から上がった声に肩を震わせながら問いかけた。

「ど、どうかしましたか?」

 しかし返事をするどころではない日向は空の言葉を黙殺する。画面上に表示されたプログラムは非常に非効率なものだった。複雑な専用命令を多用しているプログラムは従来の汎用コンパイラでは最適化しきれなかったのだ。

 メモリ上の空き領域を確保し、関数単位で機械語を直接打ち込んでいく。両手で1バイトずつ出来るだけ早く、しかし確実に。

 コンパイラもアセンブラも通さない機械語の直打ちは間違いがあったとしてもワーニングすら出してはくれない。日向には1ビットの間違いも許されないのだ。しかし打ち込むプログラムはより煩雑なものとなる。

 まさにぎりぎりの綱渡りだった。

 関数を一つ書き換えるごとに、わずかではあるがプロセッサの負荷が下がっていった。

 しかし戦況はじりじりと追い込まれていく。

 少しでも長い時間を稼ぐには、もっと大きな最適化が必要だった。しかし効果の大きい関数はあらかた書き換え終わっていた。

「冷やしたらどうでしょう?」

 ゆかりがまた呆けたことを言い出した。それができないから苦労しているのだ。普段なら可愛く思える発言に一欠片の余裕もない日向は苛立った。モニタから目を離さずに無視して血眼で変更箇所を探す。

「冷却能力ももう一杯一杯なんです」

 空が黙り込む日向の代わりに答えた。

「いえ、そういうことじゃなくて、素人考えかもしれませんが、液体窒素か何かで外からぶあっと……」

「それだ!」

「それです!」

 日向と空が声を揃えて答える。

 もちろん本来は推奨されるような方法ではない。しかし、生死の懸かったこの局面では至極シンプルで効果的な方法であった。

 なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろうか。日向は悔いるように自問した。ソフト面で解決しようとばかり考えてしまっていた。それはソフト屋の性なのかもしれない。物事はもっと色んな角度から考えてみろと酒の席で行われた課長の説教を日向は思いだす。もっと真面目に聞いておけば良かった。

「皆さん忙しそうですから、液体窒素は私が手配しますね」

 艦長自ら整備班の詰め所に通信を入れる。

『よう、どうした?』

 秋葉の間の抜けた声がブリッジに響く。

「今すぐ液体窒素を持ってきてください」

 画面に映し出された秋葉はすぐに周りの部下に指示を出す。

『ブリッジにでいいのか?』

「いえ、電算室にお願いします」

『了解。貸し一つな』

「いくつでも借りますからできるだけ早くお願い」

『ゆかりの作ったケーキが食べたいなぁ』

「みんな私に見返りばかり求めて……」

『みんなって何のことだ?』

 問いかける秋葉にゆかりは顔を赤らめた。

 すかさず空が日向にカメラを向け、何か操作をしているが日向は見なかったことにした。

『なるほどなぁ……』

 秋葉はにやにやと笑いを向ける。

『班長だけずるい!』

『私もケーキ食べたい』

 ちょうど台車に積まれた液体窒素を運んできた二人からも甲高い声が飛ぶ。

「もう、ケーキでもなんでもわかったから早くして!」

「これはデートの言質を取ったと考えていいのかな」

「大丈夫です。しっかりと録音しておきました」

 呟く日向に空は楽しそうに親指を立てた。

『元陸上部の実力見せてやるよ』

 それだけ言い放つと秋葉は台車の音を響かせながら走り出した。

「南さん、申し訳ありませんが、これを着て電算室の前で待機してもらえますか」

 空が立ち上がり、ロッカーから宇宙服を取り出した。

「密閉されたところでの液体窒素は窒息の可能性があるんだっけ?」

「はい、後は冷却システムのこともありますね」

 もう大してやれることのない日向は動きづらい手で宇宙服を受け取った。

「作業がし辛いので、それも外してくださいね」

 両腕につけられたR-I/Fの輪を指さす。痛いから嫌だと言える雰囲気ではないのは明らかだった。


 電算室はブリッジの直ぐそば、喫煙所の向かいにあった。艦内温度が上がっているようだったが、頭以外は宇宙服を着込んでいるため日向はそれほど暑さが気にならなかった。

「何だよ、その格好」

 汗だくで台車を押してきた秋葉は笑い声を上げた。

「言ってくれれば酸素ボンベも用意するのに」

「気を使って用意しておいてくれよ」

 冷静に考えてみると酸素ボンベとサングラスで十分だった。

 日向は宇宙服のヘルメットをかぶり液体窒素の入ったボンベを受け取る。

『南さん、扉の中に入ってください』

 扉が開き通信機越しに空が指示を送る。扉の奥にはさらに扉が待っている。冷却性能を高めるため、また気密性を確保するため分厚い二重扉が必要なのだった。

「あーそのあれだ、さっきのことなんだけど……」

 ヘルメットに取り付けられたスピーカー越しに氷室の声が届く。さっきとは一体いつのことなのだろうか。この数時間多くのことがありすぎて、日向は直ぐに思い浮かばなかった。

「ご……」

 外側の扉が閉じられる瞬間を狙って秋葉は言葉を放った。

 言葉は扉に遮られ一音しか届かなかったが、日向はそれでも意味を十分に理解していた。

『内扉を開きます。目を閉じてください』

 言われるままに目を閉じる。開けられた扉の向こうはまぶたの上からでもわかるくらいに明る過ぎる光が満ちていた。すぐにヘルメットのバイザーが黒く染まり光量を調整する。

 部屋の壁は黒一面に塗りつぶされ、中心にたたずむ冷却装置からは赤い光が放たれている。

 光学冷却システム。FN重工業の専売特許ともいえるシステムは、その実、特許の申請はされていない。利用目的が戦闘艦くらいしかなく、高価であるため、技術公開による利益よりも技術の秘匿が優先されたのだ。熱を光に変換して冷却するこのシステムは空気のなくなる可能性のある宇宙空間でも、その性能を十分に発揮することが期待された。

 日向は液体窒素のボンベにホースを繋ぎ、冷却装置の中心にたたずむプロセッサに向けた。

 バルブをゆるめると液体窒素は自身の圧力から吹き出された。気化熱により冷却された空気中の水分が素子を包み込む黒いモールド樹脂の表面にびっしりと白く凍結する。

『素子温度減少しています』

『液体窒素がなくなる前に一気に片をつけます』

 ブリッジの様子が開きっぱなしになっている通信から声が聞こえる。日向は上手く冷却出来ていることを知り安堵した。

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