4章-3
お互いの有効射程に入るまで残り三十分に差し迫った頃、ブリッジは緊張で静まりかえっていた。未だに日向の乗った脱出艇が出発した気配はない。
このままでは脱出艇が戦闘宙域に取り残されてしまう可能性が高かったのだ。
守るべき民間人を危険にさらしてしまうかもしれない。その懸念はゆかり達の掲げた信念を横殴りにしていた。
「氷室さんから通信入りました。繋ぎます」
空が言うと同時に大型モニタに思い詰めた秋葉の顔が表示される。
『……というわけでさっきそっちにバカが一人向かった』
「本当にバカですね」
「来ても役に立たないのにな」
「そんなこと言ったらダメだよ」
二人を春子がたしなめる。
ゆかりは困惑した表情でずっと押し黙ったままだった。
「艦長!」
叫び声に近いほどの大声を出しながら日向は勢いよく扉を開け放った。
何事も勢いが肝心だ。会議の時も小声で正論を述べる人よりも、大声で無茶苦茶言う人間の方が発言力が強い。
一斉に日向に視線が集まる。ゆかりの顔には困惑が浮かんでいたが、目には今にも零れ落ちそうなほどの涙が滲んでいる。
日向は涙よりも笑った顔が見たかった。今は泣かせてしまうかもしれないが、後でしっかりと笑ってもらおう。密かな決心を胸に納めた。
「どうして戻ってきたんですか」
「ハンコを貰い忘れて」
涙声で尋ねるゆかりに課長から貰った雇用契約書を押しつける。
僅かな時間も惜しい日向はそのまま何も言わずに前方へ移動した。三席並んだR-I/Fが使用できる机の中央に座る空に声を掛ける。
「申し訳ないけど左右どちらかにずれて貰って言い?」
上着を脱ぎYシャツの両袖をまくる。リストバンドは既に脱ぎ捨てていた。両手首にはR-I/Fを使用するための端子が埋め込まれている。翠と春子がどんな顔をしているのか日向は気になったが、確認したところでどうにかなるわけではない。
空は直ぐに意図を理解して、右の席へと移動した。コンピュータ側のR-I/F接続端子は左側に一つずつ付けられている。両腕にR-I/Fを持つ日向は真ん中の席に座り、二席を占領する形となった。
R-I/Fを持つと言うことは日常生活に著しい支障を来す。そのため、両腕にR-I/Fを取り付けているものは殆どいない。日向は職業柄R-I/Fを持っているエンジニアにはよく遭遇していたが、両腕に持つ人には未だに会ったことがなかった。現に空も隣から物珍しそうな視線を投げかけている。
「認めません。早く避難してください」
「嫌です。この艦は俺と同僚達が作りあげた製品です。技術者として絶対に沈めたくはありません」
日向はゆかりの言葉を嘘で拒絶する。こんな思ってもないことをよく当然のように言い放てるものだと自分でも感心していた。
「でもそれは民間人の役割じゃありません」
「だからこそ、その書類があるんじゃないですか。早くハンコを押してくださいよ」
「押しません」
綺麗な顔に皺を寄せ頑なに拒否される。だけど日向としてもゆかりに全てを背負わせるわけにはいかなかった。
「では勝手に居座ります。何かあって避難を浴びるのは会社ですし、俺個人は特に困ることがありませんので」
「艦長、もう今から脱出艇をだせるような距離ではありませんよ。ここにいてもらった方が安全です」
空が日向に視線を向け、ウインクしてみせた。
「わかりました」
ゆかりは不機嫌そうに眉を寄せると、大きなため息と共に書類に判をついた。
カバンからR-I/Fの白い輪を二つ取り出すと、空は心配そうに日向を見つめた。
R-I/Fを腕に通し端子を接続すると、その瞬間、神経へ多大な突入電流が流れ痛覚を刺激した。あまりの痛さに日向は思わず顔をしかめる。
「大丈夫ですか?」
空の言葉に日向は精一杯の笑顔と冷や汗で答える。指を開閉するといつも通りに手首のLEDが赤く点灯する。
次に両手のロールを向かい合わせセルフチェックを行った。右のLEDを左の受光素子で、左のLEDを右の受光素子で確認する。左右九つずつ、計十八のLEDはどれ一つ欠けることなく赤い光を放った。
「これから艦の緊急メンテナンスを行います。プロセッサの負荷を減らして温度上昇を減らします。目標は十パーセント削減くらいでいいですか?」
日向の予想ではもう少し期待できたが、少なめに見積もっていた。予想だとか予定だとかいうものは大体が下方修正されるものだ。
「そんなことができるんですか?」
「もともと時間が無くてテスト用のプログラムを使用しているんですよ。製品には必要ない機能も多く、その辺を潰していけばおそらくは……。一応安全なところだけ変更しますが、デバッグをしていないプログラムを動かすので、覚悟だけはしておいてください」
驚く空に答える。
「どのくらいの確率でですか?」
「俺が修正するところを間違わなければまず大丈夫なところしかいじりませんよ」
「許可します」
「上手くいったらご褒美にデートしてくださいね」
「な、な……」
艦長は顔を赤らめながら、何か言おうとしていたがまともな言葉になっていなかった。
日向は我ながら卑怯な誘い方だと感じた。きっとゆかりは断ることなどできないだろう。でもきっとこれも大人の特権だ。
「戦闘開始まで後何分ありますか?」
「二十分です」
「五分前になったら教えてください。システムを再起動します」
手首を机に据え付けられた接続端子に置きシステムにアクセスする。空用に合わせられていた設定を両手用モードへ変更。合わせてビットレートの設定も上げる。
航行制御プログラムのソースコードを開いて不要なコードを片っ端から消していく。慌てず慎重に確実に。それが終わると速度優先設定でコンパイルし直した。プログラムの書かれたソースコードがプロセッサ上で実行可能な機械語へと書き変わっていく。
プログラムの改変は、慣性制御、射撃制御と続く。
最後に射撃制御プログラムのコンパイルと平行して各パラメータの再設定を行った。
大量生産を前提として作られる製品は十分なマージンをもって設計されている。少しくらいマージンを削ったところでどうと言うことはないのだ。まして、白百合は実際にパラメータの評価を行った艦が使用されている。評価結果と照らし合わせれば最適なパラメータを設定することが出来た。
「後何分?」
「残り七分です」
空は驚きを露わにしながら答えたが、日向の予測ではもう少し早くできると思っていた。三日間R-I/Fを外して生活していたブランクが意外にも重くのしかかっていたのだ。
「システムの再起動をお願いします」
空は艦内放送を繋ぐ。
『今からシステムの再起動を行います。疑似重力が無くなるので注意してください』
「再起動に三分かかります。玉置さん、大丈夫ですか?」
「前方に障害物なし。大丈夫です」
必要最低限のことのみを短く言い放つ。いつもの乱暴な言葉の入り交じった口調ではなく、どこか余所余所しい。
日向は椅子に身を預け大きく息を吐き出した。再起動中は出来ることが特にない。モニタやLED照明が落ち疑似重力も無くなった。不意に現れた浮遊感に日向は思わず机にしがみつく。慣れない無重力の感覚は落ち着かなかった。
「十三分でこれだけ出来るなんて凄すぎますよ」
空が驚愕と尊敬の入り交じった視線を眼鏡の奥から日向へ送ってきた。日向はかっこよく胸を張りたいところではあったが、机にしがみつくのに必死であまりかっこよくはない。心の中で自慢しつつも謙遜を返す。
「いやまだまだだよ。うちの先輩にはもっと凄い人がいっぱいいるし」
「システム立ち上がりました」
モニタに起動画面が表示され、ブリッジに明かりが灯る。
日向は再び画面を見つめ、不要なプログラムをわかる範囲で終了させていく。
「有効射程距離に入ります」
「気を引き締めてください!」
ゆかりが声を張り上げた。




