『その頃フィリーは』後編
<『愛していると言わない』声を大にして言いたい(レグナ編)、『王妃付き侍女ルッティの秘密の小部屋』その13補完話 後編>
(こちらはフィリー視点となります)
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(オーギュストのせいで遅くなったな…後で覚えていろよ)
懐中時計を見て確認した時間に眉を顰めながら、フィリーは夜の城内を早歩きで移動していた。本当ならば駆け出したい気分であったが、世界王が慌てている様子を家臣たちに見せる訳にもいかない。
逸る気持ちを我慢してフィリーは、妻の元へと急いでいた。
その理由は彼の妻アイルフィーダが本日、侵入者によって襲撃を受けたことに起因する。
受けた報告によれば、<神を天に戴く者>と名乗る集団に属する侵入者は、こともあろうに後宮に侵入し、正妃であるアイルフィーダを襲ったのだ。
幸いにレグナがその場にいたこともあり、被害は大きくないと言うが、侵入者には逃げられ―――
(アイルフィーダが怪我をした?)
その場でもっとも守られるべき存在であろうが、狙われたのがアイルフィーダである以上、負傷する可能性は高いだろう。それでも…とフィリーは手の中の懐中時計を握りしめた。
アイルフィーダが怪我をしたこと、その場に自分がいなかった事、何もかもが不甲斐なくて、はっきり言って顔を合わせるのも気が引ける。
だが、そんな感情以上に無事だと報告を受けていようが、自分の目でアイルフィーダの姿を確認したかったし、侵入者に怯えているだろう彼女の心情を思えば、自分が何か一つでも彼女のためにできることをしたかった。
そんな複雑な感情が護衛の兵たちを置いていく勢いで歩を進めるフィリーの正直な気持ちだった。
―――かくして、少しだけ息を弾ませて辿り着いた先にあったものは
「スウスウ」
安らかすぎる寝息と共に、非常に健やかな表情で眠る妻の姿。
てっきり怯えて寝れていない姿か、もしくは、泣き疲れて寝ている姿のどちらかが脳裏に過っていたフィリーはその姿に脱力する。
(……いや、いいんだ。想像していたアイルより、こっちの方がよっぽどいい)
思いながら、いつも自分といる時よりも深く眠っているような様子に彼女が疲れているのが分かり、少しだけ心が痛む。
今はせめて彼女に訪れている眠りが安らなことを願う事しかできないと、フィリーは彼女の頬にかかる髪をどけてやる…と現れた擦り傷に眉を顰める。
白い頬に痛々しい赤くはれた傷。確かに軽傷だろうが、それが何だとフィリーは憤慨する。
(軽かろうが重かろうが怪我は怪我だ。ごめんな…アイル)
思いながらその傷に触れるか触れないかまで手を近づけると、フィリーは手のひらに魔導力を込め、その傷を治す。その際、僅かに手のひらが暖かくなるからか、アイルの表情がふんわりと和らぐ。
(……かわいいよな)
口には決して出さないが、心の中だけでは素直にそう思うフィリー。
それから他にも傷があれば治してやろうと、少しだけごめんと心の中で呟きながらアイルにかかっている掛物を外す。
その際、非常に強い熱視線を感じた。
(ルッティか)
確認しなくても夫婦の寝室を出歯亀しようなんて輩は、彼の周辺には今の所ルッティしかいない。
(餌を撒くには丁度いいが、アイルの寝顔まで見せてやるのも癪だな。俺だって、こんな無防備な寝顔はあんまり見れないのに)
なんて、思いつつさりげなくルッティからアイルフィーダが見えないように場所を移動するが、次の瞬間にはルッティの視線が外れた。
耳を澄ませばレグナの声が聞こえてきて、彼がルッティの覗き見を咎めているのが聞こえた。
それを確認してフィリーはやっとアイルフィーダに向き直る。
外の声は中々大きいにもかかわらず、起きる気配もない彼女だったが、その腕や足には頬と同じように擦り傷や切り傷が所々に点在している。
それを痛ましげに見つめながら、フィリーはその傷を治すべく手を伸ばす。
(言っておくが、これは治療。決して疾しい感情はないからな)
そう心の中で誰ともなく呟き、未だにほとんど触れあう事もない妻に近づくことに自分が緊張をしているらしいと気付く。
だが、それは同時に仕方のないことだとフィリーは自分に言い聞かせる。
何しろアイルフィーダは簡易な寝巻を纏い、深い眠りの中いるため何もかもが無防備で、更にはフィリーにとっては触れることの許されない愛しい相手なのだ。
かくして、細心の注意を払い、極度の緊張状態のままアイルフィーダの怪我を治し終わると、知らず知らずのうちに大きく息が付いて出る。
「ふう…まあ、俺に治療できるのはここまでだな。後は明日の朝にでも女性の治療師を手配しておくか」
さすがに服で隠れている部分まで怪我があるかどうかを覗く気はないらしく、フィリーはそういうと掛物を元通りにして、アイルフィーダの頬を最後にもう一度撫で、騒がしい表を静かにさせるべく寝室を後にしようとした。
「ん…フィリー」
その背中に自分の名を呼ぶアイルフィーダの声。
「アイル?」
寝ていると思っていたアイルフィーダが起きたのかと、また、すっかり名前ではなく『陛下』という呼び方を定着させた彼女に名を呼ばれたことで大きく動揺するフィリー。
慌ててベッドで横になったままのアイルフィーダの元へと駆けつけたが、そこにいるのはやっぱり安らかに眠り続ける姿。
半ば呆然とアイルフィーダを見下ろし続けるフィリーだが、アイルフィーダが再び彼の名を呼びそうな気配もない。
「寝言?」
幻聴でもなく聞こえた声の理由の思い当たる原因を口に出した瞬間、フィリーは顔を真っ赤に染めてその場で思わず蹲った。
理由は分からない。
だが、意識的に名を呼ばれるより、寝言で呟かれた名前に嬉しいやら、恥ずかしいやら、何とも面映ゆい感情がフィリーを襲ったのだった。
その後、涼しい顔で寝室を出て、ルッティやレグナを諌めたフィリーではあったが、その内心は何とも浮かれた感情であったことは、彼自身以外知るよしもない。
当作比ラブ度120%(笑)