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蜃の見ていたかった夢

作者: qmmkruz
掲載日:2026/04/06

短い、偽哲学SFです。

世界を世界たらしめる主体的な存在。この世界は、それが認識し続けるかぎり在り続ける。


その事実を、もはや疑う者はいない。

俗にいう「蜃の見る夢理論」である。

蜃は神と音が通じることを危惧し、それは通称“観察者”と呼ばれている。


“観察者”以外の存在は、“観察者”が認識している世界が生みだした現象であり、ヒトもまたその例外ではない。

その世界の中で喪われてしまうまでの束の間、それらは“観察者”が認識している世界を共有する。


故に仮説。


 1)ヒトAは世界の主体ではないため、ヒトAが喪われてもヒトAが見ていた世界は継続する。

 2)世界を共有しているため、ヒトBの行為とその効果を、ヒトCは閲覧できる。

 3)“観察者”が認識できる世界は唯一無二であるため、平行または並行する複数の世界は存在しない。


そして、ヒトは考える。

我こそは例外たりえん、と。

“観察者”が喪われることは世界の喪失となるのでは、と。

役目を引き継げるのなら、当代の“観察者”を喪っても世界は続くのでは、と。


解放の日を求める前者は狂信者、我が世の春を謳歌したい後者は既得権益者。


しかし、前述の証明以外に“観察者”について判明していることは実に少ない。

それが、この家で静かに暮らしていたという事実も。


妻は昨日、病院から帰宅した。

手は尽されたが、どうやら今日明日ということらしい。


ケースが特殊なのか、担当医師と看護師も看取りまでこの家に待機したいとのこと。

厚遇に恐縮しつつ、私は許可を出した。


居ないモノになろうと気を遣っているのか、融けた様に部屋の隅に腰かけたまま、身じろぎのひとつもしない。


夕方近くとはいえ、夏の陽はまだ高い。

窓際のベッドで、胸にかけられた毛布は緩く上下している。


今日は工事でもあるのか、まるで機銃掃射の様な連打音が遠くから聞こえてくる。

ああそういえば、今日は川向うの花火大会だ。


この辺りでもよく見えるからか、車と人の気配が濃い。

きっと花火を空中撮影するのだろう、いくつかのヘリがローターで風を切る音もする。


「横から見るか」

そんな言葉が一瞬脳裡に浮かび、沈む。


彼女と初めて会ったのは、依頼者を介してだった。

依頼の内容は彼女を護衛してほしい、目的は世界を続けるために、ということだった。


彼女と依頼者はとある組織に所属しており、彼女はそこで役員を務めている。

その役職名は“観察者”。訳あって狂信者に狙われているということらしい。


職場と送り迎えまでは組織側が担当し、私はプライベート面の護衛を担当する。

作戦の詳細を訊いて少しの質疑応答をした後、依頼を受けた。


彼女の表情は終始硬いまま。

当たり前か。


とはいえ出会ってから六十年。

プライベートを共に過ごしていけば自然に情も湧く。

いつしか付き合い結婚し、子供には恵まれなかったが良い日々を過ごした。


これまでの私の護衛としての実働回数は片手に余る程しかなかった。

それでも私は身を挺して彼女を護った。護り切ったのだ。難なく怪我も無く。


毛布の中で彼女の手を握る。

何度も繰り返して聴き飽きたはずの思い出話を、彼女は目を閉じ黙って聴いている。

時折、極わずかに顎だけが頷く様に。


息を吸う。

胸の毛布が持ち上がる。

止まる。


「ありがとう、あなたは永く……」


毛布が再び持ち上がることはなかった。


部屋の隅に腰かけていた医師と看護師が動き、臨終を告げる。

機銃掃射も、戦闘ヘリのローター音もいつしか止んでいた。


“観察者”が、より防御力の低い自宅へ戻ることを知った狂信者達。

一気呵成に攻めてきたが、殲滅の憂き目にあったらしい。


組織の作戦は、妻を“観察者”に見せかけ、狂信者達の狙いを本物の“観察者”から逸らす。

そしてあわよくば狂信者達の鏖を。


我が家の周囲五キロはすべて組織の所有物であり、住人もすべて組織の職員である。

隣家のじいさんも、コンビニでバイトしている女の子も。


妻は六十年の間、世界を護った。

妻亡きあとも世界は続く。

私が観察()ている限り。


それが約束。

読んでくださって、ありがとうございました。

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