忘れられた記憶
それから数日、私はサクラと一緒に“蝶探し”をするようになった。
放課後の海沿い、人気のない屋上、古い橋の上
彼はいつも何かを追うように走っていた。
まるで、風そのものになったみたいに。
私はそんな彼の背中を、いつも少し後ろから見つめていた。
ただそれだけで、胸の奥が痛くなる。
理由は、わからない。
「……ハナビ、お前、なんでそこまでついてくるんだ?」
夕方、海辺の防波堤。
沈みかけた太陽が、海面を金色に染めている。
サクラはペットボトルの水をひと口飲み、空を見上げながら言った。
「“蝶がきれいだから”じゃ理由にならないだろ」
「う……まぁ、きれいなのもあるけど」
私は小さく笑ってから、膝を抱えた。
潮風が、少し冷たい。
「……サクラが、すごく寂しそうに見える時があるから、かな」
その言葉に、サクラは動きを止めた。
「寂しそう、ね……」
小さくつぶやいて、苦笑する。
けれどその目は、どこか遠くを見ていた。
「……俺、昔さ。この場所で“友達”をなくした」
唐突に落ちたその言葉に、胸がきゅっと鳴った。
「……なくしたって、どういう意味?」
「文字通りの意味だよ。いなくなった。誰も覚えてないのに、俺だけが覚えてる」
サクラの声は淡々としていた。
でもその奥には、何かが張りつめているのが分かった。
「……蝶に、触れたんだ」
私は息をのんだ。
その“蝶”が何を意味するのか、まだ理解できない。
けれど、彼の表情がすべてを物語っていた。
「みんな、そいつのことを忘れた。存在そのものが、最初からなかったみたいに」
沈黙が落ちた。
波が打ち寄せる音だけが、遠くで響いている。
「……それで、サクラは蝶を追ってるの?」
「ああ。俺は――帰るために。あいつとの約束を、果たすために」
約束。
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
サクラは海の方を向いたまま、少しだけ笑った。
でもその笑顔は、夕陽に溶けるように儚かった。
「……本当は、帰る場所なんてもうないのかもしれないけどな」
「そんなこと、ないよ」
気づけば、私は言っていた。
自分でも驚くほど強い声で。
サクラがこちらを見る。
その瞳に、私が映っていた。
「“帰る場所”って、形だけじゃないと思う。
人がいて、想って、覚えてる場所なら――それが、帰る場所だよ」
自分で言いながら、胸が少し震えた。
まるで、自分自身に言い聞かせるみたいに。
サクラはしばらく黙っていたけれど、やがて小さく息をついた。
「……お前、変なやつだな」
「ひどい言い方!」
「でも、ありがとな」
ふっと笑うその顔を見た瞬間、
胸の奥に、言葉にならない痛みが走った。
――この人は、どこか遠くへ行ってしまいそう。
そんな予感が、夏の風と一緒に胸をかすめた。
遠くで、青く光る蝶が一匹、空を横切っていく。
その光がゆっくりと消えていくのを、私はただ見つめていた。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品の感想やブックマーク、評価をして下さるとありがたいです。筆者が泣いて喜びます




