【第2幕】空一郎の帝国 第6章後半 時空間での”遭難”そして”漂着”
――そのころ、空一郎は“光の泡”の中にいた。
時間も方向も存在しない虚無の中で、意識は断片化し、知覚は渦巻きながら崩壊していく。
その瞬間、閃光を突き破るような眩い白光が見えた。
「……あれは……」
その言葉が脳裏に浮かんだ次の瞬間、
空一郎の意識は、まるで“刈り取られる”ように断ち切られた。
意識が、深い霧の中からゆっくりと浮上する。
暗闇——だったのは、ほんの一瞬。
目蓋の裏に透けるような温かい光が差し込み、柊空一郎は、重たいまぶたをわずかに開いた。
柔らかなシーツ。高い天井。淡い金色のカーテンが風に揺れていた。
(……成功、した……のか?)
その問いを頭の中で反芻した瞬間、脳内に小さな声が響いた。
「おはよう、空兄。ちゅゆだよ。無事みたいで、よかったぁ〜……」
どこか眠たげで、それでも嬉しさに弾けたような、甘く透き通った声だった。
「……ちゅゆ? ああ……生きてたか。助かる」
「うんっ。でもね、ワームホール通過時のニュートリノ干渉がひどくて……ちょっとだけ、記録が飛んでるの。あと、ここ、座標ズレてる。ごめんね〜……」
「いや……予想通りってところだよ。想定内だ」
そう言いながら、空一郎は慎重に身体を起こそうとしたが、筋肉が鉛のように重い。頭痛と吐き気。どうやらまだダメージが残っているらしい。
天井の装飾、窓辺の刺繍入りカーテン、そして調度品の一つひとつが手作りであるかのような、古風な温もりを湛えていた。
「……どこだここ。まるで、映画の中みたいだな」
「うんうん、たぶん、パラレルワールドの地球。言語も通貨も、技術水準も中世ヨーロッパ+αってとこかな。あ、でもご安心くださいっ、量子補助脳と《Bible》は生きてるし、Noös Pouchの中身も無事っ!」
AI宙結の声は、まるで小さな妖精のように、空一郎の心を和ませる。
「ちゅゆ、ありがとう。お前の声……ホントに、魔法みたいだな」
「ふふ、えへへへ……ちゅゆは、空兄の守護天使だもんっ」
その瞬間、空一郎の脳裏に浮かんだ言葉があった。
「“十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない”……だっけか。クラークの第三法則。今の気分に、ぴったりだな」
彼は笑いながら、ふと自分の身なりに目を落とす。
黒いタイムスーツはやや焦げたような跡を残していたが、装甲は健在。左腕の義体も異常なし。
そのとき、扉の向こうで人の気配がした。カチャリと音がして、柔らかな足音が近づく。
——入ってきたのは、若い女性だった。メイド服に似た服装をしていたが、見たこともない意匠で、頭には銀の飾りがついている。彼女はこちらの様子を伺いながら、何かを呟いた。
「……ᛒᚨᛁᛚᛋ……ᚷᛖᛖ……?」
まるでルーン文字をそのまま発音したような、耳慣れない言語だった。
「ちゅゆ、翻訳は?」
「い、今、解析中……この言語、現地球には存在しないっぽい。でも文法構造はインド・ヨーロッパ語族っぽいかな……えっと、あと30秒くらい待ってっ!」
メイドは、空一郎にそっと湯気の立つカップを差し出す。
(もしかして、薬草茶……?)
空一郎は警戒しながらも受け取り、にこりと笑ってみせた。彼女は少し驚いたような顔をし、はにかむように微笑み返した。
「……かわいいな。いや、何言ってんだ俺」
「えへへ……空兄、声に出てたよ〜」
CHUYUの小声に苦笑しつつ、彼は状況を整理する。
「ちゅゆ、どうして俺はここに?」
「多分だけど……空兄の耐衝撃スーツと皮膚が少し避けてメカが見えてる左腕義体、あと装備一式が、ここの人たちにとって“異様に高貴”に見えたんだと思うよ。技術と文化レベルの落差が大きすぎて……まさに“神の使い”か“失われた王族”ってレベル」
「なるほどな……だから、保護されたと」
「うん、それと。ちゅゆが見るに、空兄は“東方の人間”ってだけで、この世界ではすっごく珍しいっぽいの。顔立ちもスーツも、全部が“伝説の遺物”クラス」
「……魔法と見分けがつかない科学、ってやつか」
空一郎は、カップの縁に口をつけた。
温かく、どこか甘い香りが広がる。
今はまだ言葉も通じず、帰還の術も見えない。
だが——
この世界は、彼に何かを期待している。
その直感が、彼を不思議と安心させていた。
空一郎は、翌日部屋から外へ出ることを許された。監視付きで。
ほとんど身振りのみで”外へでたい”という意思を伝てみただけなのだが、特に悶着もなく許された。
そこには、石造りの街並みと、馬車と、煙と、灰色の空と、王侯貴族の荘園があった。
AICHUYUの言葉が続く。
《現地語は解析中。既知の人類語とは完全に乖離。数日の言語サンプル収集後、簡単な会話が可能なレベルにはその後最低72時間が必要です》
「……わかった。ならまずは、生き抜く。観測して、適応して、帰還のルートを探す。兄貴たちの技術、母さんの教え、そしてお前のサポートがある。俺は、やれる!!」
その言葉に対し、宙結Replicaの声が、少しだけ茶目っ気を含んで応えた。
「とりあえず偵察ドローン、上げとく? ステルスモードで。言語サンプルもついでに拾えるよ。あとはこの周辺、10キロ四方くらいをマッピング。数時間でできるわ」
「おお、頼りになるな。さすが宙結」
空一郎は腰のホルスターからドローン出力ユニットを展開し、Noös Pouchとリンク。ポーチの内部空間から、三機のステルス型高高度偵察ドローンが無音で浮上していく。
薄暮の空を仰ぎ、空一郎は目を細めた。
「……あれが、この世界の空か」
その夜――
ドローンが収集した映像とセンサーデータは、空一郎の補助脳に逐次フィードバックされていた。
《以下、解析結果》
現地は中世ヨーロッパに類似した文明段階。ただし明らかに別系統の文化言語、建築技術あり。
重層的な都市構造と、明確な貴族階層が存在。城砦、修道会、衛兵組織などを確認。
市街の大部分には下水道が未整備。伝染性疾患の流行が疑われる。
街道には荷車と家畜の混在交通。一部に簡易蒸気機関的な乗用具も記録されており、技術水準は不均衡。
言語サンプル(街頭演説、商人の呼び声、書簡、祈祷)約900文収録完了。
《AI言語解析:進行度38%。基礎構文の理解と音声対応語彙の構築に成功。会話可能レベルまで、あと16時間以内に達成見込み》
寝室とされた天蓋付きベッドの脇で、空一郎はNoös Pouchからラップ型投影パネルを開き、宙結のホログラムを呼び出す。
「……お前のおかげで、少し楽になったな。状況が見えてくると、動き方が見えてくる」
「私の勝手な推測だけど、この屋敷の“主”は、あなたの装備や身なりから“外交的来訪者”だと思ってる可能性が高いわね」
「野蛮人じゃなくて“客”として扱ってる感じだった」
「だからこそ、明日以降が勝負よ。当主との面会、何を話すか考えてる?」
空は腕を組み、しばし考える。
「まずは“記憶喪失の漂流者”として接するのが無難だな。武器も情報も持ってないって見せておいて、必要なときにだけNoös Pouchを使う。お前は翻訳係な」
「了解。“高貴な沈黙と哀愁を漂わせる記憶喪失者”ね。ちょっと演技指導しておく?」
「……頼むよ女優さん」
ホログラムの宙結が肩をすくめて笑った。
「演技はあんたの担当でしょ、私は脚本とナレーション。あと、安全確保のためにドローン一機は屋敷の外壁に配置しておくわ。非常時は隠し扉から脱出も可能」
空は微笑みながら、ベッドに体を沈めた。
「……それにしてもさ。ほんとに異世界に来ちまったんだな、俺」
「おれ達ね。うん。でも、“帰り道”は、必ずある。信じて。私たちならできるわ」
その言葉に、空は深く頷いた。
「明日からが、ほんとの戦いだな」
寝息のように風が吹き、遠くで犬の吠える声がした。
こうして、異世界での最初の夜が、静かに更けていった――。そしてこの日、
柊空一郎は、別の歴史を歩む“もう一つの地球”に遭難した、最初の旅人となった。
彼の任務は――生き延びること。
彼の使命は――帰還すること。
そしてその旅は、今、始まったばかりだった。