第4章 幼少期の冒険と教育 ― 科学はいたずらのはじまり
朝、庭先。
「いけーっ!ナトリウム弾、発射ーっ!」
「火花確認!化学反応成功ッ!」
「いや、ちょっ……空、それ水に投げたらヤバいってばっ!」
――次の瞬間、庭の水槽から「ボンッ!」と音がし、小さな爆発とともに金魚が跳ね上がった。
俊介が研究室から飛び出してきた。
「誰だ!誰が“ナトリウム”持ち出した!?」
「……すまん、父上。だって、ムック本に“水と反応して爆発”って書いてあったから、確認しないと未来には進めないと思って」
「陸一郎ォォォ……!」
三兄弟はいつも元気だった。
朝は裏山で虫採り、昼は図鑑片手に野草の観察。夕方には小川で自作のろ過装置を試し、夜は兄弟会議で成果を発表。
「今日採った“スギナ”は煎じたら痛風に効くらしいぞ」
「それ、出典が『戦国薬草図鑑』ってムック本じゃん……あやしいよ」
「でも、においはまあまあだった。ママに飲ませよう!」
「やめなさい、それは違法な“臨床試験”だ!」
時に彼らの“科学”は、母・みさをの外来や手術室にまで及んだ。
「このホルマリン瓶、勝手に触ったでしょ?」
「いや、標本に“動き”があった気がして……」
「勝手に中の神経標本を取り出してレジンで固めて何がしたいのよ!」
「お守り……?」
「もう、全員お仕置き!」
祖父・善一が家に来ると、騒ぎはさらに加速した。
「よーし、今日は“真空”ってやつを見せてやろう。冷却器はどこだ!」
「おじいちゃん、それ、ママが“ぜったい触るな”って言ってたやつ!」
「大丈夫だ!大人の実験は大人が責任取る!ついでに大吟醸も冷やそう!」
「酒冷やすの!?真空で!?」
善一は、科学を“感じろ”と教え、分厚い図鑑よりも、「鉄の棒を持って空を仰げ」と言うような人だった。
「お前ら、勉強なんてつまんないもんを無理にやる必要はねぇ。ただ、何かを“知りたい”と思ったら、そこにあるもんは全部使え。自然も、道具も、言葉も、頭の中の宇宙もな」
その言葉は、兄弟たちの心に深く刻まれていった。
そんな三兄弟にとって、“妹”という存在は最初、未知の生物に等しかった。
赤ん坊の宙結が家にやってきたとき――
「うわ、ちっちゃい……」「髪の毛ふわふわー」「でも鳴き声、けっこううるさいね」
数年経ち、彼女が言葉を覚え始める頃には、兄たちは既に“ちゅゆは話が通じないもの”と認識していた。
だが、それは誤りだった。
ある日の兄弟会議。
「今日の実験結果、オレのロケットが最も飛距離が出た!」
「いや、僕のやつの方が滞空時間は長かったぞ!」
「空のは、そもそも発射台ごと飛んでたもん……」
宙結が、ぽつりとつぶやいた。
「でも三人とも、重心の位置が違うだけで比べても意味ないよ?」
「……え?」
「あと、火薬の量がばらばら。比較するなら条件そろえなきゃ、統計的に無意味」
兄たちは口をぽかんと開けた。
「お前……いつの間に……」
宙結は自信たっぷりに言った。
「おじいちゃんに教わった。“考える前に感じろ。でも、感じたことは論理で証明しなきゃ”って」
宙結は年の離れた妹だったが、誰よりも観察眼に優れ、冷静な分析者だった。兄たちの暴走を止めるブレーキであり、時に鋭くツッコむ参謀でもあった。
みそっかす扱いされることもあったが、本人は意に介さなかった。
「だって、みんな私の言うこと最終的に聞くもん」
夜。
俊介とみさをは、子どもたちが寝静まった後、静かにベッドに並んでいた。
「……今日も風呂場が戦場だったよ」
「おつかれさま。宙結も泡立て担当に昇格したし、助かるわ」
俊介は天井を見つめながら言った。
「陸は、理論を詰めすぎて行動が遅い。でも、判断は正しい」
「海はね、ちょっと妄想癖がある。でもAIと話してるときだけは、本当に雄弁になる」
「空は……“行けると思ったら飛ぶ”タイプだな。制御不能だけど、妙に勘が鋭い」
「宙結は?」
みさをはにっこり笑った。
「ママの補助脳、全部吸収してるみたい。誰よりも冷静で、誰よりも情に厚い。最終的に、兄たちを導くのは……きっとあの子ね」
俊介は彼女の手を握った。
「……なあ、みさを」
「なに?」
「すごいな、俺たち。こんな面白い四人を育ててるなんて」
みさをはふふっと笑って、彼の胸に頭をあずけた。
「まだまだ序章よ。あなたの理論と、私の現場感覚。最高のチームでしょ?」
「……ああ。宇宙の果てでも、君となら迷わない」
二人の間に、未来への確かな光が灯っていた。
――そしてこの兄妹は、やがて世界の運命を背負う存在となる。
だが今はまだ、小さな手で、小さな爆発を起こしながら、未来を夢見るだけの子どもたちだった。