第二十二章 黎明(れいめい)の物語のはじまり
黎明は十歳になった。
その瞳は母アリストリア譲りの深い藍色、しかし意志の強さは父・空一郎そっくりだった。
町では領主の息子として、時に敬意を、時に嫉妬を受けながらも、身分にとらわれず貧民街の子どもたちとも対等に接した。泥だらけになりながら走り回り、時に喧嘩し、時に笑い合う。その中で、彼は「強さ」と「信頼」の意味を、肌で学んでいた。
剣術は得意で、体術の稽古も熱心だった。父との朝稽古は日課となり、額から流れる汗を拭いながらも、竹刀を握る手を離さなかった。打撲や擦り傷は日常茶飯事で、アリストリアが毎日のように軟膏を塗りながら心配顔を見せていた。
「この子、ほんとに骨が折れるまでやりそうだから……あなた、ちゃんと見ててくださいな」
「見てるさ。黎明は強くなる。でも、それ以上に優しく育ってる」
空一郎はそう言って、愛おしげに息子の後ろ姿を見守る。
その夜も、黎明は父の書斎に呼ばれていた。
「はい、今日の英語だ。"The sky is blue."」
「ザ・スカイ・イズ……えーっと……ブリュー?」
「ブルー、だな。『空は青い』って意味だ」
「……なんでこんな言葉、覚えなきゃいけないんだよ」
うんざりしたような声で、黎明が抗議する。
空一郎は微笑み、そっと椅子に腰掛けた。
「お前にだけ教えてる理由……今はまだ言えない。でも、これは“父から息子へ託す願い”なんだ。いつか、お前にしかできないことが起きる。その時、必要になる」
「またそれかよ。大事なことって全部“いつか”じゃないか」
「だからこそ、今がある。お前は俺の宝だ。未来に必要な“鍵”なんだ」
言葉は曖昧だったが、空一郎の目は真剣だった。
その夜、空一郎は脳内でAI-CHUYUと対話する。
『今日も反発してたね、黎明』
「うん、まあ当然だ。子どもにとっちゃ、わけのわからん外国語を毎日教えられるのは苦痛だろう」
『でも、彼の発音は確実に上達しています。この発音なら、十分コマンドに支障はないわね。いい感じよ』
「ありがとう。そういえば、音声入力ができなくなったときのために……」
『ええ、その場合はマニュアル入力が必須になるわ。だからこそ、モニターに表示される文字を正しく読めるよう、日本語と英語の読み書きも必要ね』
「甥っ子だもんな、かわいくて仕方ないか」
『当然でしょ。……あの子、本当に愛しいわ』
CHUYUは母性に満ちていた。
「この世界で血を分けたたった3人の肉親だからな。……俺たちの希望だから」
翌日も黎明は、稽古場で汗を流していた。
「いくぞ、父さん!」
「来い、黎明!」
竹刀が空を切り、木刀が響く。汗と息が交錯し、そこに言葉は要らなかった。
アリストリアはその様子を窓越しに見つめ、心配と誇りを胸に抱いていた。
「きっと、あなたのような人になるのね……」
夜には再び、勉学の時間。
「"Knowledge is power." 意味は?」
「……知識は、力?」
「そうだ。The pen is mightier than the sword、ペンは剣よりも強しって言い方もある。力は腕力だけじゃない。言葉、数字、思想……それが時に、人を救う」
「父さん、ほんとに自分だけにこんな訓練させて、どういうつもりなの?」
ふいに真剣な顔で黎明が問う。
空一郎は静かに頷き、膝をついて彼と同じ目線に立つ。
「黎明。お前にしか背負えないものがある。それはいつか、ちゃんと話す。その時まで、俺を信じてほしい」
黎明は、しばらく父を見つめていた。
やがて、小さくうなずいた。
「……わかった。でも、答えは絶対聞くからな」
「約束する」
二人は、言葉のない固い握手を交わした。
その手の中に、未来への小さな光が宿っていた。




