第十章 誓いと嵐の門出
王都を包む鐘の音が鳴り響く。
白銀の礼拝堂に、アリステリアは荘厳なドレスを纏い、父・ラグエル公に手を引かれて入場した。空一郎は礼装を纏い、騎士たちの列の先に静かに立っていた。
式は荘厳に、神官によって執り行われ、聖なる誓いの言葉が響く。
「……汝は、この者を、愛と信義をもって守ることを誓うか」
空一郎は迷いなく頷いた。
だが、礼拝堂の外では、不穏な空気が渦巻いていた。上級貴族たちは顔をしかめ、囁き合っていた。
「どこの馬の骨とも知れぬ男を……」「あの娘を、よくも異国の……」
空一郎の存在は、改革と混乱をもたらす存在でもあった。
──しかし、空一郎はその声に一切動じなかった。
婚礼の後、彼はラグエルの許しを得て、王都の改革に本格的に乗り出した。
農業では灌漑と輪作を導入し、収穫量は倍増。
工業では、冶金術を改良し、精密工具を発展。
商業ではギルド制度を見直し、貨幣経済の安定をもたらした。
「見よ、これは風車だ。風の力で水を汲み、粉を挽く。時間を、人力でなく、自然で得るのだ」
「この橋は鋼鉄と力学の結晶だ。王都は今後、川を越えて拡張できる」
空一郎の技術と指導は、民衆の心を掴み、上級貴族たちすらも黙らせていった。
アリステリアとの新生活も、穏やかで、時に情熱的だった。
彼女は空一郎の知性と信念に惹かれ、やがて深い愛情を注ぐようになる。
そして空一郎は、己の宿命を自問する。
──この世界に来た意味とは何か。
──家族のもとへ帰る道は、もう永遠に閉ざされたのか。
そんな中、一つの報せが、彼の運命を大きく揺るがすことになる。
《天空の政務と、密やかな夜》
王都・レグラントの朝は早い。夜明けとともに、政務庁の書記たちは厚い書簡と帳簿を携えて空一郎の執務室に列をなす。
「殿下、本日のご報告でございます。南部の水路工事が進捗八割、税収の変動、そして……」
補助脳を通してデータの流れを感じ取りながら、空一郎は机上の卓上端末を開く。AIちゅゆの声が彼の耳元に響く。
「左側の報告書、数字が不自然。南部地域の市場価格と齟齬があります」
「了解。アルグレイ領の監査強化を」
AIちゅゆは無数のセンサーと小型ドローンを通じて、空一郎の領地に広がる農地や街道、鉱山、交易路などの動態情報を収集していた。
「次期雨季に備え、水位調整の設備を優先投資するべきです。特にノルド川流域」
「……異論なし。優先順位を再計算し、予算を組み直そう」
空一郎とちゅゆは、まるで政務の両輪のように日々の決断を下していく。
だが、どれほどの成功を積み重ねても、空一郎の心に満たされぬ想いがひとつだけあった。
──家族。
故郷に残してきた、あの熱く騒がしい家族たち。兄たちの声、母の手、父の叱咤、妹の笑顔。
そして、アリステリア(と妹のAICHUYU)だけが、この世界で唯一の“家族”だった。
ある夜。
アリステリアは深紅のガウン姿で寝室に現れた。
「……こんなにも疲れているのに、まだ目を通すの?」
「いや……今日は、君と静かに過ごしたい」
ロウソクの柔らかな灯が、天蓋付きのベッドの帳を揺らす。
空一郎はそっとアリステリアを抱き寄せた。
「もう、この世界でしか生きられないとしても……君がいる限り、俺は大丈夫だ」
彼女の指が彼の左腕(義体)をそっとなぞる。
「それでも、あなたの手は、私の心に触れてくれる」
静寂の中、二人は言葉少なに、互いの存在を確かめ合った。
そして、ふたりの間にある静かであたたかな夜の時間は、かけがえのないものとなった。
その夜、空一郎は初めて──この異世界に“根を張る”覚悟を、心の奥底で抱いたのだった。