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 騎兵隊に続いて、歩兵隊が靴音を大きく鳴らしながら足並みを揃えて進む。更にそれを追いかけるように、魔法部隊が行進を開始した。金管楽器の高らかな音を背に、燃える炎で造られた獅子が、しぶきを上げる水で浮き出された鮫が、幾枚もの葉で象られた鹿が、その背に魔法使いを乗せ、競うように駆けていく。


 勇壮なパレードの様子を見通せるバルコニーの隅に置かれた豪奢なスツールに、ヘレナは例年通り腰掛け、”遠見”のうえ”記録”していた。

 ”遠見”の魔法を持つ隊員はそれなりに居るが、”記録”はほとんどいない。兵士としては役に立たない魔法だろうが、事務官としてはそれなりに活用の機会がある。

 パレードなど、式典の”記録”もその一つだ。ヘレナは入隊後、自らが所属する魔法部隊は護衛にまわっていた昨年までも、今年と同様にここで”記録”していた。隣に並ぶ文官から出された”記録”担当も、昨年と同じ人だ。

 数歩先には、パレードを観覧される国王と王妃が揃う。

 今年は加えて、シャーロット第二王女も。


 ”遠見”している限り、その光景に支配されて、彼らの姿は目に入らない。

 それでも、パレードが終われば、”遠見”の必要はなく——文官から少し遅れて”遠見”を終了させたヘレナは、目を慣れさせるという体で、追加でさらに数拍の時間をかせいだ。


「セオドア、魔法使いというのは幻影にも乗れるものなの?」

「いいえ、殿下。あれは幻影に合わせて自らを浮遊させていたのです」

「まあ、それもすごいわ。魔法使いは皆浮遊できるの?」

「人によりますね。あれほど細かに調整して浮遊できるのはごく僅かですが、大魔法使いなら簡単にできるでしょう」

「そうよね……。あの幻影は、本人が出していたのかしら?」

「それは——」


 いかに目を背けていても、耳には会話が入ってくる。周りに悟られぬよう、小さく息をついて、ヘレナは遠くではなく、目の前をしっかりと見渡した。

 昨年までとの違いの一つ、王族に並び、公爵家の一員として騎士服のセオドアが座っている。並ぶシャーロット王女と絶えず会話しているのを、周囲は微笑ましく見守っていた。誰も声には出さないが、考えていることなど容易に想像がつく。——なんてお似合いなんでしょう。

 

 少なくとも軍部では、「シャーロット殿下はセオドア・パンターソン卿に夢中」という話がまことしやかに囁かれているが、ヘレナは実際に2人でいるところを見るのは初めてだった。そもそも、王女を直接お見かけする機会など殆ど無い。

 そして今、目の前にいる2人は、まるで絵画から抜け出してきたようだった。

 シャーロット王女の、丁寧に手入れされた金髪は、きらきらと陽の光を反射させて美しい。肌は透けるように白く、精巧につくられた人形のようで、確かな気品がある。

 その美しい姫君が、セオドアに真剣な眼差しを向け、心から関心を寄せるように質問を重ね、魔法部隊の動きの一つひとつに感嘆の声を上げる。その声でさえ、鈴の音のように澄んで愛らしい。

 また、隣で落ち着いた声音で丁寧に応じるセオドアも、その整った容貌に金の髪が輝いている。わずかに微笑みを浮かべながら王女の話に耳を傾けるその姿は、端的に言って美しかった。


 シャーロット王女とセオドアは、まるで、神が用意した一対のようだ。

 第二王女と公爵家嫡男。並ぶ姿は、血筋や地位にも裏付けされた、確かな調和がとれていた。


 ——番相手に、想う人がいたら。

 番だと相手に認識されていない場合、そもそも他人でしかない。

 相手に想う人がいようがいまいが、相手の人生に、番が関与することはないのだ。


 番など、この時代では無意味で無価値だ。それを裏付けるかのように、シャーロット王女とセオドアは、番ではないはずなのにあまりにも完璧だった。


 事務官になってから、ヘレナとセオドアの距離は確かに近づいた。いくら押し留めようとしようと、セオドアと夕食を共にし、特別に声をかけてもらえていると、どこかで期待が膨らんでいくのも止められなかった。


 それでも、ヘレナはただその姿を見ただけで打ちのめされた。

 彼らが退席するまで、一記録係が動くことなどできない。ヘレナは背筋をただし、身じろぎ一つせず、彼らを見守り続けた。




「ミス・ストリックランド、よろしければ、今夜私と一緒に——」

「まあ、ありがとうございます。残念ですが、本日は兄と約束があるんです。またの機会にお願いいたします」


 相手がすべて言い終わらないうちにお断りを告げたことで、目の前の騎兵隊の男は目を白黒させた。

 ——城内で突然声をかけてくる行為の無礼さを、この返しで理解してもらえれば良いのだが。

 ヘレナは笑顔で男が立ち去るのを待った。

 この廊下は軍部からすれば、主に利用する建物の端だが、面する中庭を挟んで向こう側の建物は宮廷に繋がるものである。軍部と宮廷を行き来する人はそれなりに使用するし、そうでなくてもそれなりに人が通る。見世物になるのは御免だった。


 ここ数日でこうしたお誘いはもう5回目だ。

 ヘレナが予想していたよりも、ヘレナとセオドアの()()()()は世間に知られており、また、パレードでのセオドアとシャーロット王女の仲睦まじい様子も、世間は興味深く見守っていた。間近で見ていたヘレナ以上にだ。

 その結果が、これである。


 曰く、シャーロット殿下は直にパンターソン卿に降嫁されるだろう。曰く、パンターソン卿はストリックランド令嬢と懇意にしていたが、シャーロット殿下に心変わりした。


 セオドアとシャーロット王女の今後はヘレナの知るところではないが、ヘレナとセオドアの関係は以前より上司部下であり、セオドアに心変わりというほどの心は元々ないだろう。


 薄く貼り付けた笑顔すら保持するのが難しくなり、視線を庭の木々に移したところ、未だ立ち止まっている騎兵隊の男が再度口を開いた。


「それでは、来週の夜はいかがでしょう。ラ・コルディエールはご存知ですか? いつでも席を押さえます」

「申し訳ありません。来週は、業務が立て込んでおりまして……お約束が難しそうです」

「では、再来週では?」


 意外にも食い下がられたことに、ヘレナはさすがに簡単に無碍にできず、眉を下げた。そもそも名乗りもされていないが、男は確か伯爵家の次男である。どう無難に断るか、そもそも食事くらい断らずに行くべきなのか。

 ラ・コルディエールは、予約がとれないことで有名なレストランだ。そこで目の前の男と食事をする想像をしようとしても、ヘレナの脳裏に浮かぶのは、何度も食事を共にしたセオドアだった。

 他の誰かと食事に行くことくらいできる。できるけれど、心が踊ることはないだろう。


「難しいでしょうか?」


 熱意なのか意地なのか、それ以外のなにかに所以するのかわからないが、とにかく男は粘った。ヘレナが回答を迷いながらも仕方なく口を開きかけたところ、よく知った声が届いた。


「ヘレナ、こんなところでどうした?」


 宮廷に出向いていたのだろう、セオドアが中庭側から廊下に足早にやってくる。ヘレナは、声をかけられるまでその気配に気付けなかったことに、息を呑んだ。男も驚いていた様子だったが、ヘレナよりも先に気を取り戻した。


「私が引き止めってしまったのです。申し訳ありません」

「そうか。我が事務官がなにか問題でも?」

「いえ、問題ということでは……」

「なら良かったよ」


 男が言い淀んだところ、セオドアは特に気にした様子もなく、ヘレナの方に向き直った。


「ところで再来週、うちでささやかなパーティーを開くんだけれど、ヘレナのご予定は?」

「空いておりますが……、出席予定について、父に確認いたします」


 ——公爵家のパーティーがささやかなわけがない。

 リオカストロ公爵家でこの時期開催されるパーティーといえば、王国内指折りの大きな舞踏会である。例年、父か兄夫妻は参加しているはずだ。

 ひとまず回答を先送りしたヘレナに、セオドアは笑顔で「今年は父君が参加予定のはずだよ」と告げ、また男に声をかけた。


「そういうわけで、彼女は再来週の夜も、君と出かけるのは難しそうだ」


 呆気にとられたヘレナをよそに、男は一度地面を向いたあと、すぐに上官への礼をとった。「失礼しました」と今度は足早に去って行く。その姿を見送ったヘレナが疑問を口にする前に、セオドアはぼそりと言った。


「あの男は無駄に声量が大きいな」

「……聞こえてらしたんですね」

「彼と、ディナーに行きたかった?」


 セオドアの真摯な声に、その瞳を見るのが怖くなって、ヘレナは視線を足元に落とした。

 彼は部下が絡まれているのを助けただけだ。それでも、その瞳に特別な感情が浮かんでいることを、また期待してしまう気がした。


「いえ、どうお断りするか悩んでおりましたので、助かりました」


 うじうじとした気持ちを追い払って、できる限りにこやかな表情を作って顔を上げる。思案げにこちらを見つめていたセオドアは一度眉を寄せたあと、静かに言った。


「ヘレナ。君に負担をかけて本当に申し訳なく思っている」


 ——やはり、セオドアは今の状況をわかっていたのか。

 彼も関係する噂を認識していないはずはないけれど、それでも、まるでセオドアとヘレナに何らかの関係があったかのように思われていることについて、彼が知っているというのは、なんだか堪えた。


「とんでもないです。私で訂正できれば良いのですが、上手くできず。……こちらこそ申し訳ありません」


 正確にはこれまで訂正することに労力を使う余裕がなかったのだが、それには触れず、気にしていないことを示すためにで最大限の笑顔をつくる。

 セオドアは一度口を結び、周囲を目線で見渡してから、少し早口で言った。


「来週には、少しはマシな状況になる予定だ」


 少しマシな状況、が何を指すのかも、その変化のために何が起こるのかも予想が立たず、ヘレナはただ「承知しました」と返した。セオドアはヘレナの反応に微かに視線を下げたあと、続けて囁いた、


「ヘレナ。パーティーの夜に、少し時間が欲しい」


 セオドアからの誘いを断ることなどヘレナにはできない。できないが、彼と向き合い、何かが決定的に変わってしまうのは恐ろしかった。



 翌週とは言わず、翌日には、ヘレナへの”お誘い攻撃”は収まったようだった。ただ、顔見知りの隊員からの、まるで「かわいそうに、パンターソン卿に弄ばれたのね」とでもいうような労りの目線は——過度な被害妄想ではなく、実際にそのようなことを言われもした——むしろ広がっている。

 ヘレナはこの状況になって、セオドアとのこれまでの交流は、傍目に親しげに映るということを真実理解した。これまで、いくら食事に行っても、あまつさえ馬車に二人で乗るようなことがあっても、それが上司部下という関係から一歩踏み込んだ行為なのか、客観的に判断することがどうしてもできなかったのだ。


 そして翌週には、特別業務に追われて嘘偽りなく忙しくなり、気にしている暇はなくなった。強大な魔法使いが多く生まれる隣国、ネブラルドから、今代の大魔法使いを含む使節団が入ったためだ。

 大魔法使いにわざわざヴァルディネアまで来ていただいたからには、魔法部隊としては、外交上可能な限り、その知見を引き出したいところである。そしてまた、外国の要人が絡む行程では、社交と書類仕事が殊更多くなる。セオドアは会食やら舞踏会やらで忙しいのだろう、執務室にはほぼ居らず、ヘレナは存分に集中して事務処理に励んだ。


 使節団が入る前から、その名前——サリファンを書類に記す作業は何度となく行ってきたがヘレナだが、今代の大魔法使い本人を直に見たのは、使節団が入って三日目のことだった。魔法部隊と、使節団の魔法使いの親善試合のために、演習場を案内した際だ。

 案内自体は、顔役として出ずっぱりであるセオドアと、いつもは見せない貴族然とした対応を見せるジャックが行っているため、ヘレナはほぼ数合わせでの出席である。

 サリファンは、ヴァルディネアの血が入っているというが、見た目は典型的なネブラルド人で、白髪に近い銀髪に、象牙のような温度の感じられない肌を持っていた。

 セオドアと同年代という若さで大魔法使いの地位に上り詰めたという彼は、随分と親し気にセオドアと会話している。セオドアは学生時代にネブラルドに留学しており、学友の一人にサリファンも含まれていたと言うが、ここまで親しいとは知らなかった。

 シャーロット王女に、ネブラルドの大魔法使い。交友関係からも、置かれた立場の違いが見えてくる。

 ヘレナもいち魔法使いとして、大魔法使いに興味はあったが、どこか心が沈む形でその時間は終わった。


 次にサリファンを見かけたのは、偶然だった。

 とにかく急ぎでセオドアの承認が欲しい、という依頼がそれなりの頻度である。そしてセオドアが執務室におらず、けれど気軽に飛ばせるような文書ではない場合、セオドアが執務室に戻って来るのを待つか、ヘレナがセオドアのもとに承認を取りに行くことになる。今回は後者で、伝令鳥で事前にジャックに場所を確認したうえで、王宮内の庭園まで使われにきた。


 最初に目に入ったのは、言うまでもなく、セオドアだった。

 奥にあるテラスで、優雅にティーカップを口元に寄せている。そしてその隣には、金の巻き毛を一つに結び上げた、シャーロット王女がいた。少女らしく愛らしい白のデイドレスが陽の光に眩しい。思わず足が竦みかけたところで、ようやく、サリファンの姿に気がついた。

 サリファンは、何事かシャーロット王女に話しかけている様子だった。というよりも、この二人だけが話し続けていて、セオドアはそれを見守っているように見える。

 微かに違和感を覚えながらも、ヘレナは役割を遂行すべく、侍女と一緒に隅に待機しているジャックに合図を送った。すぐに気づいてこちらに移動してきたジャックに書類を手渡す。ジャックはどこか迷うような手つきでそれを受け取った。


「少佐もすぐに抜けられると思いますよ」


 場の状況から、ジャックにしては随分と丁寧で遠回しな口調だが、暗にセオドアに直接手渡せば良いと言いたいことは伝わってきた。しかしヘレナとしては、この状況でセオドアとシャーロット王女が揃う場に留まりたくはない。書類はセオドアがサインした後にでもまた回収すれば良いのだ。

 曖昧に微笑んで流せば、ジャックは眉を下げた。書類を受け取った手とは反対の手に持ち替え、何事か考えるようにヘレナの方を見る。そして沈黙を守ったまま、今度は視線でセオドアの方を見るよう促した。


「お二人は、本当にお似合いだと思いませんか?」


 唐突な話題に、ヘレナは息を呑むことも、表情を崩すこともなく堪えたが、思わずジャックを凝視した。ルーシーにはもともとよく突かれていたが、ジャックからセオドアとの関係について言及されたことはない。それがこんなタイミングで突然話を振られたことで、冷水を浴びたような気持ちになった。けれど、ジャックの表情は、あくまでも柔らかだった。

 ——身の程をわきまえろという話ではなく、純粋に、ただそう思ったのだろうか。

 自らを絡めた考え方をした己を恥じながら、ヘレナは努めて穏やかに返した。


「ええ。私もお似合いだと思います」


 実際に、パレードの日にもそう思ったのだから本心だった。ジャックにならって視線をセオドア達に戻す。遠目にも、頬を上気させたシャーロット王女は、先日よりももっと愛らしくみえた。そしてやはり、何事かサリファンと盛り上がっているようであった。

 ヘレナの立つ位置からサリファンの表情は窺えないが、身振りから、彼も熱心にシャーロット王女に話しかけられているように見える。大魔法使いの魔法にかけられたかのように、金の色と銀の色がきらきらと輝く。以前、ヘレナはセオドアとシャーロット王女の二人を一対の人形のようだと思った。だが、当たり前だが、シャーロット王女は生きた人であった。そして、それはサリファンも。

 二人はまるで、この世が二人だけのためにあるかのように、美しく生き生きとしていた。


 ——お似合いの二人、というのはどの二人を指している?


 セオドアに視線をずらすと、彼は珍しく茶菓子を口にしているようだった。この距離で表情など読めないが、ヘレナには、どことなく、面倒くさそうにしているように映った。また違和感を覚えて、じっと見つめれば、セオドアの顔がこちらを向いた。目の色など判別し難い距離だというのに、そのグリーンアイに射抜かれたような気がして、ヘレナはさっと視線をジャックに向けた。


「では、書類、よろしくお願いしますね」

「えー……、はい。何かあればまたお呼び立てします」


 ジャックがいつもの口調で不満を言いかけたことには気づかないふりをして、ヘレナは足早に庭園を去った。


 やけに真剣な顔をしたルーシーから、「王女殿下が大魔法使いと恋に落ちたって、城中の噂になってるわよ」と言われたのは、その日の夕方のことだった。



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