ep 35
セウレラ・アリンスカの屋敷で、貴史は久しぶりに深く、そして穏やかな眠りを得た。昨夜の「どんぶり屋」の激務の疲労はまだ残っていたが、それ以上に、セウレラからの思いがけないプレゼント――本格的な調理道具の数々――への喜びと、彼女の優しい笑顔が心を温かくしていた。
翌朝、一行がセウレラと共に上品な朝食(今日は焼きたてのスコーンと自家製ジャム、そしてミルク粥だった)を囲んでいると、ルーナがふと思いついたようにパンと手を打った。
「ねぇ、貴史。昨日の屋台、すごく繁盛したけど、やっぱり焚き火だけだと火力の調整も大変そうだったし、煙も結構出てたでしょう? そろそろ、本格的な『魔道コンロ』が必要なんじゃないかしら?」
「へ? こ、コンロ…でござるか?」貴史はきょとんとした。地球ではガスコンロやIHヒーターが当たり前だったが、この世界ではまだ焚き火か、良くて竈かまどくらいしか調理の熱源を知らなかった。
「ええ。魔道コンロがあれば、天候に左右されずに安定した火力で調理できるし、煙も少ないから街中で屋台を出すのにも便利よ。それに、貴史のスキルで出す調理器具(セウレラからもらったもの以外)は、いつ消えちゃうか分からないでしょ? 少し高いけど、屋台で本格的に調理するには、やっぱりちゃんとしたコンロがあった方がいいと思うの」
ルーナは、昨夜の貴史の奮闘ぶりを見て、現実的な改善案を考えていたようだ。
「そうでんなぁ! いつまでも焚き火っちゅうわけにもいきまへんしな。それに、安定した火力があれば、ご主人の『どんぶり』も、さらに美味しくなるに違いありまへんわ!」ロードも、美味しいものに繋がる話とあって乗り気だ。
「ああ、良いじゃねぇか、魔道コンロ! ついでに、アタイのメイスを研ぐ砥石とか、新しい革の手袋とか、色々街で見て回ろうぜ!」モウラも、サウルナ街での買い物に興味津々といった様子だ。
貴史は、ルーナの言葉に胸が熱くなるのを感じていた。
(ル、ルーナたん…拙者の体のことまで心配して…いや、屋台の効率を考えてくれているのでござるか…! なんて素晴らしい仲間なのでござろう…!)
彼の目には、ルーナがまるで後光の差した女神のように見えていた(セウレラとはまた違う意味で)。
「皆の衆…かたじけないでござる…! その『まどうコンロ』なるもの、ぜひ購入しとうござる!」
かくして、朝食を終えた一行は、セウレラにサウルナ街で評判の良い道具屋を教えてもらい、早速買い出しへと向かうことになった。セウレラは「わたくしもご一緒したかったのですが、今日は少し領地のことで来客が…」と残念そうにしていたが、「皆様の新しい調理道具、楽しみにしていますわ」と笑顔で見送ってくれた。
サウルナ街の職人通りと呼ばれる一角は、鍛冶屋の槌音や、革製品の匂い、そして様々な道具が所狭しと並べられた店先で活気に満ちていた。一行が訪れたのは、その中でもひときわ大きな構えの「ガルガン道具店」。店内には、農具から武具の手入れ道具、そして生活魔法具まで、ありとあらゆる道具が並んでいる。
「いらっしゃい! 何かお探しで?」
店の奥から現れたのは、小柄だが恰幅の良い、ドワーフの店主だった。
「魔道コンロを探しているんだが、何か良いものはあるかい?」モウラが代表して尋ねる。
「へっへっへ、魔道コンロならうちに任せな! 最新式から、頑丈さが売りの旧式まで、色々取り揃えてるぜ! ご予算と用途は?」
ドワーフの店主は、一行を魔道コンロが並ぶ一角へと案内した。そこには、様々な大きさや形状のコンロが展示されている。炎の代わりに魔力を帯びた鉱石が輝き、火力を調整するダイヤルや、複数の調理器具を同時に置ける五徳ごとくがついているものもある。
「こ、これが魔道コンロ…! 火を使わずに調理できるのでござるか…!」貴史は、その進んだ(ように見える)技術に目を見張る。
ルーナは店主に色々と質問し、屋台で使うこと、持ち運びのしやすさ、そして何より火力の安定性を重視して、中型の卓上魔道コンロを選んだ。銀貨にして数十枚と、確かに安くはない買い物だったが、昨夜の売上と討伐報酬で十分に支払える金額だった。
さらに、セウレラからもらった調理道具だけでは足りない、大きな寸胴鍋(大量の出汁を取るため)、麺を茹でるための深鍋(いつか麺類の丼も作りたいという貴史の密かな野望のため)、そして屋台で使うための丈夫な木の器や匙スプーン、食材を運ぶための大きな背負いカゴなども購入した。
新しい道具の数々を、ロードの背中の「移動式どんぶり屋台(試作一号)」に積み込みながら、貴史は胸の高鳴りを抑えきれなかった。
(新しいコンロ…新しい鍋…! これで、拙者の丼はさらに進化する! もっとたくさんの人を、もっと美味しい丼で笑顔にできるでござるぞーっ!)
サウルナ街の青空の下、田中貴史の「どんぶりマスター」としての新たな挑戦は、頼もしい仲間たちと、そして最新(?)の調理設備と共に、また一歩、力強く踏み出されようとしていた。