鬼姫の選択02
怪訝に思った仁が再度訊ねてきた。
「妾の力を使って本町に試練を与えようと思っている。その試練を通じて妾は本町が救う価値があるのか判断する。宮司殿は邪魔せずに、見届けてほしい」
鬼姫は本町を守っている結界が試練に邪魔だと思ったので、時間差で破壊する呪文を唄いはじめた。
つぎに魔界に繋がる穴を十数カ所開けて、今よりもっと低魔族がこちらにやってこれるようにした。
魔族の呪文は人間のそれとは異質なので仁には鬼姫が何をしているのか分からない。当惑しながら、じっと鬼姫を見つめていた。
最後に、鬼姫は本町にいる人間全ての心を支配する呪文を唄う。
三十分ほど唄い続けると、ある程度の手応えを感じた。本町に住んでいる人間の大半を掌握できそうだった。
さすがに宮司である仁を支配する事は出来なかったから、仁は正気を保っていた。しかし鬼姫が本町に大規模な術を展開させているのが分かったのだろう、顔色が徐々に青くなっていった。
「な、何をするつもりだ」
三度目の問いだった。一番切羽詰まっていた。
それは魔方陣も贄もない鬼姫の力業の術だった。そのため本町全員の人間の心を支配する事は出来なかったが八割程度の人間を少しだけ自由にする事が出来そうだった。鬼姫の魔力のほぼ全てを消費しても難しかったが、さきほどヤドリギの力を得たので何とかなりそうだった。
鬼姫はその八割の人間の声を使ってグレゴリオ聖歌を唄い始めた。唄は大合唱になって本町を揺るがした。凜とした厳かな空気に本町が包まれていくのが分かった。
やがて鬼姫の目の前に何かが現れた。
仁がそれに気づいて、慌てて部屋の隅まで後ずさった。そして手で胸の上に十字を切る動作を繰り返した。
鬼姫は唄唄を止めた。しかし本町の人々の唄は続いた。
「本町は私達のものだ」
鬼姫が叫ぶと町中から同じ言葉が発せられた。鬼姫はこれだけの力があればやれそうだと思った。鬼姫は目の前の何かに続けて言い放つ。
「あんた達が造った世界かもしれないが、もう干渉しないでくれたまえ。もう自分達の事は自分達でやれる。例えその結果、滅んだとしてもそれは仕方ない。その時には諦めるくらいの覚悟は私達にはある」
目の前の何かが白く輝き始める。鬼姫は手をかざしながら少しずつ近づいていった。
「本町にはもう干渉しないでほしい。もし干渉し続けるのであれば私達はあんた達と戦う。
ようするに、本町に神はいらない。ということだ」
鬼姫は柏手一度打った。僅かな時間差の後に、本町中から柏手の音がした。
目の前の何かの姿がブレる。
「神はもういらない!!」
鬼姫は神に向かって大声で叫んだ。
「神はもういらない!!」
本町の人間全員もそう叫んだ。
鬼姫は柏手を二度打った。
目の前の何かの姿がポンっと弾けた。
その瞬間、
本町は神の加護を失った。
鬼姫がその場に崩れると同時に術が切れた。
「な、なんてことを」
部屋の隅で尻餅を付いていた仁が、顔を蒼白にさせながらそう呟いた。
「うむ。これで神は本町を加護する事をやめるはずだ。とはいっても神に刃向かう人間を間引く為に今後、使者がくるだろうが……」
「……本町が神から見放されてしまった?」
仁は声を震わせながら独り言を呟いている。それでも何度か急かすとしめ縄を集めて鬼姫に差し出してくる。鬼姫はそれを受け取った。
「お主は神道であろう? 西洋の神の庇護が無くなったからと言ってなぜそれ程ショックを受けるのか?」
「……今の世の中ではカトリックでもプロテスタントでも構わないが西洋の神の影響を受けていない地域は存在しない。それだけ影響力がある神の庇護が得られなくなったら。……君は自分で本町を滅ぼすつもりか?」
神がいると試練が歪曲されてしまう危惧があった。神は邪魔だった。
鬼姫は最後の仕上げをする為に仁を近くまで呼んだ。
「宮司殿、済まぬが先ほど千切ったしめ縄を取ってくれぬか」
消沈していた仁だったが、何度か急かすとしめ縄を集めて差しだしてきた。鬼姫をそれを受け取ると、礼を言った。
鬼姫は受け取ったしめ縄で小さな輪を作り自分の両手をくくる。
「おや、いつの間にか妾は拘束されてしまった」
「何を言っている?」
仁がぽかんとしている。
「これはうかつじゃった。和紙司仁殿は実はかなり徳の高い宮司だったようだ。妾は侮っていた。まさか封印されるとは思わなかった。残念だ。しかし封印されている間、神は妾を倒す事は出来ぬが。ほう? それでも妾を封印するというのか、さすがだ」
鬼姫はニヤリと笑った。
「そうか、和紙司は妾を神から守るために妾を封印するというわけか。であれば甘んじて封印されよう」
そう言って鬼姫は自らを大岩に封印した。
「……明人よ、後は任せた」
ちなみに仁は最後まで口を開けて、ぽかんとしていた。
次回はヤドリギです。
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ではでは