045
「魔族は寝ないって自分でいってたじゃない」
アヤカは独りになるとニヤニヤ笑いを止めた。
「きっと、いつの間にか鬼姫自身が明人最大の試練になっている事に、気付いていないんだよね。……弟くん、ちゃんと鬼姫の気持ちに気付いてあげないと、本町は滅んじゃうよ」
真剣な表情を浮かべてそう呟くと、アヤカは立ち上がろうとした。
「あれ?」
アヤカは縄で縛られていたから立ち上がれなかった。
「ひょっとして放置プレイ? ねえ、ちょっと誰か縄を解いて!」
アヤカは助けを求めたが、誰もこなかった。。
洋子は北町に戻ると、すぐに裏庭の祠に向かった。
そこに祭ってあるエルの憑代を手に持ち部屋の真ん中に立てて、ゆっくりと魔方陣を描きはじめる。恐らくエルは自発的に戻ってはこないと思うのですぐに転送術の魔方陣を構築し始めたのだった。
やや複雑な魔方陣だったから、それなりに時間がかかった。
それは朝方にはなんとか完成した。
エルがが戻ってくる気配はない。和紙司からも連絡がなかったので、本町にも戻っていないのだろう。
それから三十分程待ってから、洋子は転送呪文を唄いはじめた。
ゆっくりと魔方陣が宙に浮かび上がり、低速で回転し始める。魔界から魔族を召喚するのではなくこちら側にいる契約対象を転送する魔方陣だった。「戻ってこい」と大声で命令する為の魔方陣だったから、贄はいらない。
契約を結んでいる対象はこれは逆らう事はできない、強制命令だ。始めからこの手段を使わなかったのは本町に誠意を見せる必要があったからで、すでに十分誠意は見せたから今更さら文句は言われない筈だ。
「さあ 疫病神よ戻ってきて」
洋子の呼びかけに答えるように魔方陣の中心に何かが現れ徐々に形作られていく。
それはエルだった。うつ伏せで目が虚ろだった。軽い封印状態にいなっている。洋子は魔方陣を消滅させてエルの近くに行き、様子を見た。
エルは意識がなかった。
「縁? まだ明人さんと繋がってるの?」
北町に戻ってきた事で明人との縁は切れる筈だったが、まだ太い縁が繋がったままになっていた。
洋子は印を結んで柏手を一度叩くとエルと明人をつなげている縁に僅かに傷がついた。
「……思った以上にふたりの縁は強いわね」
洋子は何度か印を結び、柏手を打って、ようやくエルとアヤカの縁が切れた。
「でもいつの間にこんなに強い縁を繋げたのかしらねぇ」
洋子は疫病神がまたフラフラと北町を出てうろつかないように女神像の憑代に疫病神を封印する。
「これで、しばらくすれば北町の状態は元に戻るはず」
◇◇◇
そこは病院の病室だった。
明人は六人部屋の窓側のベットに上半身を起こした状態で、皆から責められていた。
目を覚ました途端、隣にいたヤドリギに「間抜け」と言われた。
「ああ間抜けだ」
もう一方の隣にいた鬼姫も同じ事を言ってくる。
「確かに間抜けですよね」
足下のいたアヤカにも言われた。
「ひどいよ、ぼくにあんな事したヤドリギまで、責めるなんて……」
三人ともエルの事で自分を責めているのだ。しかし、明人は状況がだんだん理解できるとなぜ責められるのか納得いかなかった。
「明人はあの疫病神と一緒にいたかったのではないのか?」
「ヤドリギの言う通りだけど、だったら普通あそこまでする? ふつう死ぬよ?」
「何を言っている? 私は本気だったぞ」
ヤドリギはまじめな顔をしている。そんな本気の顔を見ていると、明人は泣けてきた。
「本気でぼくを殺そうとしたの……?」
ヤドリギが頷く。腕を掴まれて上半身を起こされる。ヤドリギが体を密着してきて、耳元で冷淡な声でささやいた。
「見ず知らずの神族に明人の事をお願いなどと何時間も囁かれてうるさくてしょうがなかったのに、復活したら明人はそのオンナと目の前でいちゃついておった。なんで私が手加減しないといけないのか、ぜひ理由を教えてもらいたい」
殺気を感じてヤドリギから体を遠ざけようとするが、反対側の腕を鬼姫に掴まれてしまい、逃げる事ができなかった。
ガリっとヤドリギに耳を咬まれた。甘噛みでなく本気で咬まれたから血が出た。
「ねえ、もしぼくが死んだら、とか考えなかったの?」
ヤドリギが明人の頬を軽く摩りながら腕をつねってきた。かなり痛いが、地味な攻撃だったので声を上げるタイミングを逸してしまう。
「まあ、私はものすごく心が広いからあの程度だったが、普通はあの場面はふたりとも殺されても仕方なかったぞ」
というか、さっき、ヤドリギは本気で殺すつもりだったと言わなかったか……?
ヤドリギの方を向くと唇が食っ付きそうな距離にヤドリギの顔があり、ニコリと笑っていた。少し怖かった。
ちなみにアヤカはエルの事をすでに鬼姫とアヤカから説明されている様だった。
「しかし、明人と疫病神には、悪い事をした。すまぬ」
ヤドリギが頭を下げて続けて言った。
「瞬殺すべきだった」
「……瞬殺ですか」
本気で後悔している。もう明人が何を言っても聞いてくれそうもない。
「そうすべきだっだ」と鬼姫が言った。
「殺してはく製にして愛でる?」とアヤカが言った。
「…今まであえて考えなかったけど、ひょっとしてぼくって、虐められてたりする?」
アヤカが足下からベットの上にあがって四つ足で近づいてきた。
「安心して、弟くんはいじめられっ子じゃないよ」
「ほんとに? じゃあ何だと思ってるの?」
「うーん、……おもちゃ?」
人差し指を口元に当てて、さわやかにヤドリギがそう告げた。
明人は号泣した。
「ねえ、そろそろ真剣に話をしたいんだけど」
明人がまじめな顔でそう言うと、皆の顔が真顔になって、近づいてきた。
ぴた。
ぴた。
明人の両頬にヤドリギと鬼姫の唇があたる。近づきすぎだ。
「ずるい」
そう言ってアヤカが正面から迫ってきた。
ぶちゅ。アヤカに唇をふさがれた。
「……ぶはっ。まじめな話をするんじゃなかったの!」
三人を押しやって距離を取りながら明人は少し叫んだ。
「「「いや、つい」」」
この人たちは、ダメだ。
明人は嘆息した。
「じゃあ、あたし達の問題から話すよ。鬼姫さんもヤドリギさんも復活しちゃったよね、これからどうするの?」
アヤカにそう言われると、それは確かにみんなで話さないといけない問題だった。しかし明人にとってはまずエルを何とかするのに頭がいっぱいで、ヤドリギの事はあまり考えていなかった。
考えていないと言うよりも一緒に暮らす事以外に考えられないのであまり悩みようがなかったりする。ただし、鬼姫やアヤカにしてみればヤドリギの事の方がエルに比べると重要なはずだ。
ちなみに鬼姫は明人的にはどうでも良かったからヤドリギとは別な意味で悩みようがなかった。
「ヤドリギよ、先ほど話したと思うが、あまり明人の周りをうろちょろするな」
鬼姫は割と真剣な口調だった。
「そういえば、ふたりとも何で服がボロボロなの?」
見ると鬼姫の服は微妙に土が付いてたり、何カ所か小さな穴が開いてたりする。ヤドリギの服も同じくらいボロボロになっている。
「……」
「……」
ヤドリギと鬼姫が睨み合った。
アヤカが笑いながらヤドリギと鬼姫を人差し指で指さす。アヤカはそのままふたりにの額に指を近づけていった。
「てい!」
「「痛っ!」」
ヤドリギと鬼姫が額を押さえてうずくまる。
「……姉さま? なんで笑いながらデコピンを。……ねえ、鬼姫とヤドリギって、もしかして姉さまのこと怒らせたの?」
ふたりとも顔を背けた。
「聞いてよ、さっきまでこのふたり、すんごい勢いで喧嘩してたのよ。別に喧嘩自体は勝手にやってもらってよかったし、いっそふたりとも相打ちして勝手に戦闘不能になってしまえば、そのまま封印して、弟くんを独り占めできてラッキーとか思ったり、思ったりしたからあえて止めなかったといか、むしろ煽ったんだけど。そしたら、このふたり、もう少しで和紙司神社の社を全壊にする処だったんだから」
アヤカはニコニコしている。
……やはりアヤカはものすごく怒っていた。
「鬼姫が封印を解くのは、もっとずっと後ではなかったか? 少なくとも明人が生きている間は封印し続けるとか言ってなかったか?」
「そんな事は言っておらん。それに妾が復活したのは、このバカ明人のせいだ。北町で死神に狙われかかったから、仕方なしに封印を解いたのじゃ」
鬼姫が明人を見ながらそう言った。
「とにかくヤドリギと鬼姫はずっと大人しくしているのよ。へんなことしたらダメだからね」
「ちなみにずっととはどのくらいだ?」
「一万年ぐらい大人しくしていて」
「「長すぎる」」
不満そうなヤドリギと鬼姫をアヤカは睨んで黙らせた。
「いい、ふたりとも持ってる力が強すぎるんだよ。好き勝手に行動されたら本町がふたりのせいでホントに滅んじゃうかもしれないんだからね。折角復活したんだから、……あえてまた封印されてほしいなんて、これっぽっちも思わなかった事はないから、できればとっとと封印されてしまいなさい、って感じだけど。取りあえずふたりが何かすると波紋が強すぎるから本気で大人しくしていてね。でないと、私がふたりの事、再起不能にしてしまうよ。主にエロい手段で」
鬼姫とヤドリギという二大魔神を圧倒する人間アヤカだった。ヤドリギと鬼姫は恐ろしい怪物を見る目でアヤカを見ていた。
「弟くんもよいわね」
「かまわないです」
つまりエルの件については鬼姫とヤドリギの手を借りずに、明人ひとりで解決しろと言う事だった。
「ちなみに手伝う気はないけど弟くんはこれからどうするつもりなの?」
「エルを取り返す」
はっきりと明人は答えた。
「北町は根が深い問題を抱えていたはずだ。でも、まあ頑張れ」
そろそろ面会時間が過ぎたので皆が帰ろうとした。明人はヤドリギを呼び止めて屋上に誘った。鬼姫とアヤカは珍しく気をきかせて先に帰っていった。
「相変わらず汚い空だな。懐かしい」
ヤドリギが腕を広げて伸びをしながらそう言った。
「6年振りだよね」
「ああ。明人は元気だったか?」
「うん」
ヤドリギがフェンス近くまで歩いて行く。下をみると鬼姫とアヤカが歩いていた。
鬼姫がこちらを見上げたので軽く手を振る。
「私の心臓を明人が持っていた事を鬼姫は知らなかったみたいだ。ズルと言われた」
「だってヤドリギは心臓なかったら復活できなかったでしょう?」
「まあな、少なくともあと十年くらいは時間がかかったと思う」
「ヤドリギの意識が戻ったのはやはり鬼姫が復活したからなの?」
「そうだ。鬼姫が復活したら何をするか分からないから意識だけは覚醒するようにプログラムしておいたのさ。もしかしたら私の復活も試練のひとつかもしれないな」
何気なくヤドリギがそう言った。明人はヤドリギの方を向く。
「とうぜんヤドリギがぼくの一番の試練だよ。他の試練なんてたかが知れている」
明人はヤドリギに近づいて抱きついた。
「お帰り」
明人は軽く涙ぐんでしまった。
「ただいま」
ヤドリギはそういってやさしく明人の頭を撫でた。
「でも明人よ、ひとつだけ言わせてくれ」
「なに」
「私は浮気者はきらいだ」
明人はその場に硬直した。
ヤドリギはゆっくりと明人の抱擁から脱出した。
「明人よ、私と疫病神のどちらを選ぶつもりだ?」
「……それは、正直まだ自分でも分からないんだ。でもヤドリギと一緒に暮らしたい」
「私もしばらく和紙司で暮らす事になるだろうが、中途半端な気持ちで会いに来てもらっても困るから、今度話をする時には私と疫病神のどちらと一緒にいたいか答えを聞かせてくれ」
そう言ってヤドリギは屋上からいなくなった。
明人はしばらく星空を見ていた。ヤドリギにきらいと言われたのが相当きていた。明人はちょっと泣いていた。
「でも、どっちかなんて選べないよ」