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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

トカゲ姫と蔑まれ、奴隷市場に売り飛ばされた私が最強の龍神に溺愛されています!?

作者: 黄鱗きいろ

「さあ、最後にご覧に入れますのは、世にも珍しいトカゲ姫でございます!」


 大仰な口上とともに布が取り払われ、わたくしを閉じ込める檻が公衆の面前に晒される。


 檻の前に集まっているのは、身なりのいい紳士や魔導士然とした男たち。彼らは皆、お互いの顔がわからないように目元に仮面をつけている。


 だが、その仮面を通してもはっきりとわかる下卑た視線に、わたくしは体を縮こまらせて少しでも彼らに肌を見せまいと抵抗した。


 トカゲ姫。


 それはわたくし――クラリス・ロンバルドが生家で呼ばれていた蔑称であり、今ではわたくしという奴隷を表す商品名だ。


 わざとボロボロの服を着せることによって露出させられたわたくしの肌には、ところどころにトカゲのような銀色の鱗が浮かび上がっている。


 それに好奇の目を向ける者もいれば、まだ誰にも踏み荒らされていないわたくしの素肌を肉欲に満ちた目で舐め回すように見てくる者もいる。


 どちらに落札されるのがマシなのか。思考を巡らせようと思ったがすぐに諦めの気持ちが胸に満ちる。


 今まで誰も助けてくれなかった人生だ。今更、助けてくれる人が都合よく現れるわけもない。


 憂いを帯びた表情で肩を落とすと、最前列の男が嗜虐的な笑みを浮かべながら舌なめずりをした。


 彼のような人間に買われて一生慰み者として生きるか、それとも珍獣として展示されるか、はたまた解剖されて魔法の素材として売り捌かれるのか。


 もうどうだっていい。もはやわたくしにできるのは一秒でも早く安らかな死を迎えられることを願うだけ。


「それではご入札ください! 10万ルドーから!」


 司会者の呼びかけに、観客たちは次々に手を上げてわたくしの値段を釣り上げていく。


 それを遠くに聞きながら、わたくしはここに至るまでのことを思い返していた。






 わたくしの名前は、クラリス・ロンバルド。


 大陸の北部に位置するリュリーク王国。その国の屈指の名家であるロンバルド侯爵家の令嬢だ。


 ただし令嬢というのは名ばかりのもの。生まれつき体のところどころにトカゲのような醜い鱗がついていたわたくしは、一家の恥として屋敷の外れにある物置小屋に幽閉され、正式な娘として扱われることは一度もなかった。


 使用人も必要最低限しか訪ねてくることはなく、物置小屋のドアが開かれるのは食事が運ばれてくるときだけ。窓には鉄格子が嵌っていて外には出られない。


 わたくしに唯一許されているのは、ロンバルド侯爵家の家業の一つである魔導書の写本を作り続けることだけだった。


 幸いにもわたくしにはインクに魔力を込めて書く才能があった。使用人たちの噂話に聞き耳を立てたところ、わたくしの作る写本は評判が良く、高値で売り買いされているのだとか。


 この国で扱われている魔法は、魔導書を媒介して天界にいる神に祈りを捧げることで行使できるものだ。それゆえに、魔導書を書くことができる人間は尊敬されるし、彼らはとても指先を大事にしている。


 聞くところによると、非常に出来の良いわたくしの写本を通じて直接神託が下されたこともあるらしい。


 しかし、そんなわたくしの功績は、全て妹であるサラ・ロンバルドに横取りされていた。


「あら、トカゲのお姉様。まだ生きていらしたの?」


 いつものようにサラはドアを開けて早々にわたくしを詰る。彼女の横には、専属の使用人が何人も控えていた。


 わたくしは何も言わずに彼女たちに頭を下げる。そうしないと、苛烈な罰が下されるからだ。


 サラは私が机に積み上げた写本の完成品を一つ手に取ると、その内容をパラパラと確認した。


「ふーん、まあまあの出来ね。今日はあと10冊この写本を作りなさいな。出来上がるまで休むことは許さないわよ?」


 手にしている短い鞭でバシッと机を叩かれ、わたくしは反射的に縮こまる。怯えを含んだ眼差しをちらりとサラに向けると、彼女は不機嫌そうにこちらをにらみつけてきた。


「なあに? 何か不満でもあるの?」


「そ、そんなことは……」


「口を閉じなさい! お姉様には文句を言う権利なんてないの。お姉様のような気持ち悪いトカゲのバケモノを生かしてさしあげているだけ侯爵家の温情というものでしょう?」


 わたくしが答えないでいるとサラは短い鞭の先を使って、床を示した。掃除なんてされたことのない、薄汚れた木張りの床だ。


「ほら、トカゲらしく地面に這いずって感謝を述べなさいな。いつも通り、ちゃーんと皆に聞こえるようにね」


 悪意の籠もった声色で強制され、わたくしは従順に床にひれ伏す。


「わたくしは、生まれるべきではなかったバケモノです。侯爵家とお嬢様のために奉仕する以外に生きる意味はありません。どうしようもないバケモノのわたくしに慈悲をかけてくださりありがとうございます」


 平坦な声で、教え込まれた通りの言葉を口にする。こうして己が思い上がらないようにすり込んでいるのだろう。


 だが、悔しいという思いはもはやない。わたくしの心はとうの昔に凍り付いてしまっている。これが日常だと諦めきってしまうぐらいには。


「ふふ、自覚があるならいいのよ。今日もわたくしのために励みなさい?」


 そう言い残すと、サラはさっさと物置小屋から立ち去っていった。バタンと音を立ててドアが閉まり、鍵もかけられる。


 わたくしの写本は、全てサラが書いたことになっている。サラはその功績をたたえられて、立派な魔導師となる未来を約束されているらしい。


 こうして侯爵家に搾取されることしかできないわたくしとは大違いだ。






 そんなわたくしにも、ひとつだけ心の救いとしていた交流があった。


 その交流のきっかけは、数年前、窓の鉄格子を抜けて一羽の伝書鳩が迷い込んできたのがきっかけだった。


 伝書鳩の足にくくりつけられていたのは、名も知らぬ誰かからの手紙だった。


 どうやら手紙の主もわたくしのように気軽に外に出られない日々を送っているようで、どこかの誰かと文通がしてみたいと伝書鳩に手紙をくくりつけて飛ばしたらしい。


 わたくしは魔導書用の紙を少し拝借して、その手紙に返事を書いた。すると、数日後に伝書鳩はまたわたくしのもとに現れたのだ。


 こうして始まった見知らぬ誰かとの文通を、わたくしは密かな心の支えにしていた。


 手紙の内容は本当に素朴なもので、日常のなんてことはない出来事ばかりだ。それでも、幽閉されているわたくしにはどれも新鮮なことに思えて、わたくしは手紙の返事が来るのを毎日心待ちにしていた。


 だが、そのささやかな幸せが奪われたのは突然のことだった。






 ある日、いつも通りわたくしが写本を作成していると、窓の外からサラの猫なで声が聞こえてきた。どうやら客人が来ているらしく、その男性に媚びているようなのだ。


 興味を惹かれたわたくしは、そっと鉄格子の隙間から外の様子をうかがった。少し離れたところでサラと話しているのは、高貴な身分だということがうかがえる貴公子だった。


 初めて見る男性の姿に驚きつつも、わたくしはぼんやりと彼とサラの会話に耳を澄ませた。しかしそこで聞こえてきた言葉に、私は目を見開いた。


「サラ、まさか君が文通相手だったなんて。写本の筆跡と同じだと気付いたときは驚いたよ。かの有名な写本の天才と会えるなんて光栄だ」


「あら、うふふ。殿下ったらお上手なのね」


 二人の会話から、彼こそがわたくしと文通していた相手だと察し、わたくしは思わず鉄格子を掴んで声を上げていた。


「違う、その手紙の相手は――!」


 しかし、わたくしの存在に気付いてこちらを見た貴公子は、嫌悪に顔を歪めて開口一番こう言った。


「……なんて醜いバケモノなんだ。サラ、君はあれを飼っているのか?」


「ええ、まあ、ふふふ……ちょっと、誰かあれを黙らせてちょうだい!」


 サラが厳しい声を飛ばすと、使用人たちが小屋に雪崩れ込んできて、わたくしを縛り上げた。


「お嬢様の邪魔をするなんて!」


「この恥知らずのバケモノめ!」


「トカゲが人間様と会話できると思うなよ!」


 使用人たちによって口々に詰られ、折檻される。


 やがて時間は過ぎ、ボロボロになったわたくしのもとに怒り心頭のサラが姿を現した。


「スルザール王子殿下との時間を邪魔するなんて最っ低! お姉様ったら自分にそんな権利があると思ってたの!?」


 サラは使用人たちよりさらに激しい折檻をわたくしに行い、わたくしは全身が傷だらけになる。ぐったりと床に倒れたわたくしの手を、サラは勢いよく踏みにじった。


「っ……!」


 ゴキッと音がして、続いて燃えるような熱さと痛みが指から伝わる。指の骨が折れてしまったのだと悟るまで時間はかからなかった。


「あら、つい興奮して指を折ってしまったわ。これでは今まで通り写本を書けるか怪しいわね」


 ぐりぐりとさらに足に力を込めてくるサラに、わたくしは唸ることしかできない。そんなわたくしを見下ろし、サラは宣告した。


「まあいいわ。そろそろお姉様の醜い姿を見るのも嫌だったもの。用済みになってちょうどよかったわ。処分の日取りを決めないとね」






 サラの言う通り、指を骨折したわたくしは写本を作れなくなってしまった。正しく医者にかかっていれば回復の見込みもあったのだろうが、外部の医者の目にわたくしの姿を入れることを家族は嫌ったのだ。


 用済みになったわたくしには、必要最低限以下の食事しか与えられず、わたくしは日に日に衰弱していった。


 そんなある日、物置小屋のドアが開かれ、両親と見知らぬ男性が入ってきた。


「お父様、お母様……?」


 久方ぶりに会った両親はまるでゴミを見るような目で、仮にも娘であるわたくしを見下ろしてくる。


 お父様たちが見知らぬ男性に何かを囁くと、彼はわたくしの体を無遠慮にまさぐって体中の長さを測り、それから算盤を叩いて両親に見せた。


「一体、何を……?」


 何が起きているのか分からず、思わずわたくしは疑問を口にしてしまう。すると両親は、わたくしに嫌らしい笑みを向けた。


「こちらは奴隷商人の方だ。お前は10万ルドーで売れたんだよ」


「魔導書1冊分の金額になるなんて、バケモノにも使い道はあるものねえ」


 くすくす笑いながら、両親は札束を奴隷商人から受け取る。彼はわたくしの手足を拘束すると、まるで物を運ぶようにわたくしを麻袋に詰め込んだ。


「そんな、お父様、お母様っ……!」


 懇願も空しく、麻袋の口が閉められる。そして、わたくしは奴隷市場に売られたのだった。






「ほう、本当に鱗が生えているんだな」


「魔法の媒体にできるかもしれない。数枚剥がして魔導師に見てもらおう」


「痛っ、やめてください……!」


「うるせえ! 商品が喋るんじゃねえ!」


 服を剥ぎ取られ、奴隷用のみずぼらしい服を着させられる。体中を検分され、研究などと言って鱗を何枚も剥ぎ取られる。少しでも抵抗すれば、しつけと称した暴力が飛んでくる。


 今までの幽閉の日々が天国だったのではないかと思うほど過酷な日々を過ごし、商品価値を確かめられたわたくしは奴隷オークションにかけられることになった。


「20万ルドー!」


「くっ、25万ルドー!」


「40万ルドー!」


 見る見るうちにつり上がっていく自分の価値にいっそおかしくなってしまう。


 強い心を持つ女性であれば、むしろここで殿方にアピールして少しでもいい環境に置いてくれる主人に競り落としてもらえるよう媚びるのだろうが、今のわたくしにはそんな気力は残されていなかった。


 人としての尊厳はもはやなく、ただの商品として売り飛ばされるのを待つばかりの奴隷。


 ふと視線を感じて顔を上げると、見覚えのある人物が熱狂する男たちの後ろに優雅に立っているのに気がついた。


「サラ……」


 仮面をつけていてもはっきりと分かる彼女は、ニヤニヤと口元で笑いながらわたくしの運命が決まるのを楽しんでいた。


 彼女の隣にいる男性は、スルザール王子殿下だろうか。文通相手がこんな下劣な趣味を持っていただなんて信じられず、ショックでわたくしはポロポロと涙をこぼす。


 その様子に観客たちはさらに熱狂し、わたくしの値段をつり上げていく。


「90万ルドー!」


「95万ルドー!」


「98万ルドー!」


「100万ルドー!」


 とうとう100万の大台に乗り、そこでぴたりと金額の上昇は止まる。司会者は、オークション参加者たちを見回した。


「100万ルドー。これ以上はいらっしゃいませんか?」


 男たちは悔しそうな顔で沈黙する。わたくしに100万の価値をつけた男だけは、優越感に満ちた目でわたくしを見ていた。


 その時、やけに冷たい声が、オークション会場に響き渡った。




「――10億ルドー」




 今までとは比べものにならないほど途方もない金額に、司会者はあんぐりと口を開けてそちらを見る。


 わたくしも驚いて顔を上げると、そこに立っていたのはフードを深くかぶった長身の男だった。口元だけでも恐ろしいほどの美形だとわかるその男は、自分がとんでもない言葉を発した自覚を持っていないようで、静まりかえった空間で優美に首をかしげてみせた。


「じ、10億ですか?」


 震える声で司会者が尋ねると、男は傍らに控えていた従者に豪奢な装飾のついた箱を取り出させた。


「ああ。それに匹敵する宝石ならここにある。何か問題でも?」


 ぎぃ、と音を立てて開かされたその箱の中には、見たことがないほど大粒の宝石がぎっしりと詰まっていた。司会者はひっくり返りそうなほど驚いた表情をした後、慌てて鑑定士を呼び始めた。


 それを落札の了承だとでも受け取ったのか、男はコツコツと足音を響かせながらわたくしのいるステージへと上がってくる。そして、司会者が慌てて差し出した鍵を使い、わたくしを閉じ込めていた檻の鍵を開けた。


 男は繊細な美術品でも扱うかのような手つきでわたくしを檻の外に出すと、戸惑いと驚きで言葉が出ないわたくしの顔を上からのぞき込んだ。


「ああ、やはりか……」


 ため息交じりに吐き出された言葉に、わたくしは困惑する。


 一体、彼のどんな琴線に触れて、あんな膨大な金額を提示されたのか。どうしてこんなにも優しい手つきでわたくしに触れてくるのか。


 戸惑うわたくしの顔を、黒い手袋を嵌めた手で男はそっと撫でた。


「やっと見つけた。私の運命のつがい」


「え……?」


 手袋越しにでも分かるほど、男の手は冷たかった。おおよそ、人間が持っていていい体温ではない。そして、触れあうほど近くにいるせいで分かったが、男の周囲には異様な冷気が立ちこめていた。


 きっと、この方は人ではない。


 本能が警鐘を鳴らし、わたくしは動けなくなる。


 そうして無言で見つめ合う形になったわたくしたちに、司会者は手をこすりながら近寄ってきた。


「へへっ、ご落札どうもありがとうございます。そちらの奴隷はまだ初物でしてね。ちゃんと『しつけ』は済んでいるので従順ですが、お客様の思うように調教できますよ。そういった行為の知識だけは与えてあるので、恥じらう奴隷に行為を強いるのもよし、無理矢理に陵辱するのもよし、どうぞお好みの奴隷に――もがっ!?」


 ペラペラとよく回る司会者の口を、男は片手で掴んで、そのまま体ごと持ち上げる。顔を半分隠していてもはっきりとその怒気は感じられ、わたくしは恐怖で硬直した。


「私のつがいに、よくもそのような下卑たことを言えたものだな。よほどその命、惜しくないと見える」


「もご、もがーーっ!」


 客が司会者に乱暴を働いていると気付いた警備の者が、慌ててステージに上がってこようとする。その直前に、男は氷のような声で言い放った。


「死をもって償うがいい、下郎が」


 直後、司会者の全身は一瞬で氷漬けになった。何が起こったのか分からず、観客たちも警備の者たちも口を開けてその様子を見つめている。


 しかし、男が指に力を込めると同時に、氷漬けになった司会者の全身にビキビキとひびが入っていき、次の瞬間、彼の体は砂のように細かく砕け散ってしまった。


「ひぃいいいいい!」


「うわぁあああああああ!」


「バケモノだ……!」


「誰かっ、誰かお助けぇっ……!」


 とんでもない存在が目の前にいることにようやく気付いた観客たちは、我先にとオークション会場から逃げだそうとする。しかし、男が手をかざすと、会場の出口は一瞬で凍り付いて開かなくなってしまった。


「なんで開かないんだっ!」


「助けてっ、外に誰かいないのか!?」


「お前、魔導師だろう!? なんとかしろ!」


「お前こそ魔導師じゃないのか!」


 半狂乱になる観客たちを一瞥すると、男はわたくしの目に優しく手を置いた。


「私の運命よ。目を閉じて、耳を塞いでいなさい」


 穏やかな声で囁かれ、わたくしは恐怖と安堵がないまぜになってへたりこんでしまう。それを了承と捉えたのか、男は逃げ惑う観客たちを氷の魔法で蹂躙していった。


 あれほどわたくしを下卑た視線で眺めていた観客たちが、片手間のような動作で氷漬けにされていく。悲鳴がとめどなく響き、徐々にその数が減っていく。


 わたくしはそれを呆然と眺めていることしかできなかったが、ふと聞こえてきた聞き覚えのある声にハッと正気に戻った。


「きゃああああ!」


 悲鳴を上げているのはサラだった。泣き叫びながら逃げ惑い、寄り添っていたはずの王子と、互いを盾にしようと醜くもみ合っている。


「っ……!」


 いくら酷い目に遭わせてきた相手だとはいえ、実の妹と大切な文通相手だ。わたくしは咄嗟に叫んでしまっていた。


「おやめください、ご主人様……!!」


 すると男はピタリと動きを止め、不思議そうにこちらを振り向いた。直前まで殺戮を行っていたその目を直視することができず、わたくしは震えながらその場にひれ伏す。


 そのまま地面に頭をこすりつけていると、男の足音が近づいてくるのが聞こえた。


「ご主人様? 私がか?」


 困惑とともに尋ねられ、震える声でわたくしは答える。


「わ、わたくしは貴方様に買われた奴隷でございます。どうぞ、お好みの用途でご使用ください。命を奪うも、尊厳を凌辱するも、ご主人様の自由でございます」


 教え込まれた通りの奴隷としての言葉を口にする。これをこの男がどう捉えるのかはわからない。もしかしたら言葉通りに酷い扱いをされることになるかもしれない。だけど、今のわたくしにはこうすることしかできることがなかった。


 わたくしの懇願を聞いた男は、しばらく沈黙した後、冷たい声で尋ねてきた。


「何をするのも私の自由と言ったな」


「は、はい。なんなりとご命令を」


 ガタガタと震えながらひれ伏す。男はそんなわたくしの前に膝を突いた。


「ならば命令だ。お前は今日からこのアズラエルの妻となれ」


「……え?」


 思わぬ言葉に、わたくしは顔を上げてしまう。そこにはフードと仮面を取った麗人が立っていた。


 銀糸のような髪に、青ざめて見えるほど白い肌。切れ長の目はコバルトブルーで、常ならば冷たい印象を受けるのだろうが、今は優しい色を宿している。


 そして、その額には人ではあり得ない立派な角が生えていた。


「私はアズラエル。天界に住まう龍神だ」


「まさか、アズラエル様って、あの……!?」


 アズラエルといえば、この国の祀る神々の中でも最高位の存在だ。生と死、特に冬を司り、その加護によって本来雪に埋もれるはずだったこの国を守護しているという、この国の民ならどんな幼い子供でも知っている尊い存在。


 その張本人が目の前にいるのだということに震え上がり、わたくしは慌てて床に平伏する。


「あ、アズラエル様とは知らず、失礼な発言を……!」


 最高神に意見するなど、魂ごと消し飛ばされても仕方のない蛮行だ。恐怖でぶるぶると震えながらひたすらに床に額をつけるわたくしの肩にアズラエルは触れた。


「どうかそんな風に頭を下げないでほしい。お前は私の運命のつがいなのだから」


「え……?」


 アズラエルに促され、わたくしは体を起こす。そんなわたくしの手をアズラエルは包み込んだ。


「お前は本来、天界で私のつがいとして生まれるはずだったのだ。だが何の偶然かその魂が天界から溢れ落ち、人間として生まれてしまった」


「そんな、わたくしが……?」


 わたくしは今までただの人間以下の扱いしか受けてこなかった。そんなわたくしが龍神のつがいだなんて、急に言われても信じることはできない。


 困惑するわたくしに、アズラエルは真摯で優しい眼差しを向けた。


「信じられないのも無理はない。だが、その肌に浮かんだ鱗こそその証拠。偶然、魔法の媒体として使われたお前の鱗を見つけ、その足取りを追った末にこうしてオークションとやらにかけられると聞いたのだ。神が降臨して人の世を乱すのは良くないと人間の流儀に従ってオークションに参加することにしたのだが……」


 アズラエルはギロリと生き残っている参加者たちを睨みつけた。彼らは皆震え上がっており、近くにいたせいで話を聞いてしまい、理性がギリギリ働いている者は、彼の正体を知ってひれ伏している。


「これほど醜悪な場所だったとはな。……私のつがいよ。お前の手を傷つけ、尊厳を侵し、そのようになるまで虐げた者は誰だ? 望むままに殺し尽くしてやろうではないか」


 怪我をしたままのわたくしの手を撫でながら、甘い声色でアズラエルは語りかけてくる。わたくしは思わず――ちらりとサラのほうを見てしまった。


 わたくしの視線の先の人物を確認し、アズラエルは目を細める。


 麗しいそのかんばせと目が合う形になったサラは、何を勘違いしたのか頬を赤くして駆け寄ってきた。


「その気高いお姿はアズラエル様! アズラエル様ですわよね? わたくしはサラ・ロンバルド。そこの気味の悪い女の妹でございます! わたくし、小さな頃からあなた様のもとに召し抱えられるのを夢見てきましたの。そんな鱗つきの、小汚い、唯一の取り柄の文字も指が潰れて書けなくなったバケモノ女より、わたくしのほうがずっとあなた様のお役に立てますわ!」


 ぺらぺらとまくしたてるサラを、冷ややかな目でアズラエルは見下ろすと、平坦な声で尋ねた。


「……彼女の指を潰したのはお前か?」


「え? ええ、そうですわ。その汚らわしい女がわたくしの邪魔をするから……」


 サラがそれ以上の言葉を続けることはできなかった。アズラエルが手をかざし、彼女の指先が音を立てて凍り付き始めたからだ。


「ひっ、指が……わたくしの指があ……!」


 氷は見る見るうちに浸食し、彼女の手首まで覆っていく。わたくしは慌ててアズラエルにすがりついた。


「アズラエル様っ……!」


 どれだけ虐げられてきたとしても妹は妹だ。命を奪うことまではしたくない。


 ぽろぽろと涙をこぼしながらすがってくるわたくしを見たアズラエルは、ふっと微笑んだ。


「安心しろ、殺しはしない。お前は優しいのだな」


 そう言うと、アズラエルはわたくしの手を包み込み、何かの呪文を唱えた。すると、指先にほんのりと温かさが灯り、今まで感じていた鈍い痛みが消えていった。


 手を持ち上げて恐る恐る動かしてみると、わたくしの指は元通りの姿になってちゃんと動かすことができるようになっていた。


「指が……」


「私はつがいのためなら、どんな奇跡も行使するつもりだ。覚悟するといい。これからお前は、本来得るはずだった幸せを取り戻していくのだから」


 愛おしそうな声色で囁いてくるアズラエルに、わたくしは今まで凍ったように諦めていた心が溶けていくのを感じていた。


 はらはらと涙を流すわたくしの目元を優しくぬぐいながら、アズラエルは問いかけてくる。


「私のつがいよ。名前を聞いてもいいか?」


「……クラリスと申します、アズラエル様」


「クラリスか。良い名前だ」


 ふっと微笑みながら告げられた言葉に、わたくしはさらに涙が止まらなくなってしまう。


 ちゃんと名前を呼ばれたのなんて、いつ以来のことだろう。皆、わたくしのことをトカゲのバケモノと呼んでいたから、自分がクラリスという人間だということなんてすっかり忘れかけていた。


 顔を覆って喜びの涙を流し続けるわたくしを、アズラエルはそっと抱きしめる。そんな彼の傍らに、彼の従者がそっと立った。


「アズラエル様、そろそろ」


「ああ、そうだな。このような穢らわしい場所に、これ以上クラリスを置いておきたくはない」


 そう言うと、アズラエルは軽々とわたくしの体を抱き上げて立ち上がった。


「聞くがいい、人の子よ。私はこの国に与えていた加護を全て消し去る。じきに深い冬が来るが、お前たちの力で乗り切るがいい」


 冷酷な宣告をされた人々は顔を真っ青にしてこちらを見上げてくる。だが、そんな彼らの縋る視線を全て無視し、アズラエルとわたくしは従者の作った天界への扉をくぐった。


「さあ、帰ろう。愛しい私のクラリス。皆、お前を待ち侘びている」






 ――その冬、リュリーク王国は地図から姿を消した。


 アズラエルの加護を無くした王国は降り積もる雪に対処することができず、国ごと雪に沈んでしまったのだ。


 一方、天界では一人の少女が神の一員として迎え入れられ幸せな生活を送ったそうだが、それはまた別の話である。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

評判が良ければ長編化も考えていますので、ぜひブクマ・評価等をよろしくお願いいたします!

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