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パトリック(兄)

「パトリック、これはいつも通りの処理で」


学園の授業が終わり馬車止めへ向かう道中、エルドレッド殿下は個人の紋章が入った手紙を私に渡してきた。“いつも通り”とは“アメリアへ渡せ”ということだ。


アメリアから殿下への手紙を私が受け取ることはないが、時折殿下は王城の図書館で人気のない分野の本棚を探っている。取り出す本はいつも異なるが、二人の中で法則があるのだろう。殿下からの一方通行ではなくちゃんと文通しているのだとわかる。


殿下がわざわざ私を仲介しているのは、王族の紋章入りの手紙が万が一他人の手に渡ることを防ぐため、というのは表向きな理由で、殿下はきっと私とアメリアの関係を疑っているのだ。


アメリアとエルドレッド殿下の隠れた繋がりに気付いている者は私以外にいない。ジャクリーン嬢もクリストファー殿下も誰も知らない二人の秘密のやりとり。人に知られないようにするその行為が二人の関係を盛り上げているのだろうか。


今、社交界ではジャクリーン嬢は兄であるハモンド公爵令息と男女の仲なのだという噂が広がっている。かつては皆が羨むほどに殿下と仲がよかったジャクリーン嬢だが、今の殿下が彼女を見る目は信じられないほどに冷ややかだ。


18歳の男と12歳の少女が男女の仲だという噂は、私には無理があると思うのだが、養子のためか兄のハモンド公爵令息とは不仲だったはずのジャクリーン嬢が、突如この一年は仲の良い姿を度々目撃されていたことで、その噂が真実味を帯びてしまっている。


数年前に領地の火山が噴火したことで大きく財力を落としていたところへ、嫡男と養子の醜聞がとどめになったハモンド公爵家。殿下からの寵愛もない今、ジャクリーン嬢が婚約者候補から降ろされるのは時間の問題だろう。


火山が噴火するまで豊富な財産のおかげで発言力を持っていたハモンド公爵は、ジャクリーン嬢をとりあえず第一王子エルドレッド殿下の婚約者候補とし、ジャクリーン嬢は王太子と婚約するという契約を結んだ。殆どの貴族はエルドレッド殿下とクリストファー殿下どちらが王太子になっても良いようにした処置だと思っているが実は違う。


陛下には寵愛していた側妃がいた。その側妃は12年前、第三王子を出産した時に亡くなってしまったが、側妃は王妃に殺されたのだと思い込んだ陛下が、その生まれた王子を王妃から隠してしまったことは高位貴族の間では公然の秘密となっている。そのため、陛下の寵愛もある消えた第三王子が王太子になるのではないかとハモンド公爵は考えていたのだ。


エルドレッド殿下とクリストファー殿下、両殿下が長年の婚約者候補をすぐに切り捨てた様子を見ていた周囲は「臣下である自分たちのことも簡単に切り捨てるのでは」と危惧している。第三王子の存在を知っている高位貴族の家ほど、密かに支持を放棄し第三王子について調べだしている。もちろん私も例外ではない。


エルドレッド殿下は私と同じ13歳で今は貴族学園の1年。クリストファー殿下はエルドレッド殿下の1歳下で、新年度になる来月貴族学園に入学してくる。そのクリストファー殿下と同い年らしい第三王子。

新入学生の名簿を元に調査しているが、第三王子の可能性がある令息はまだ見つからない。


「パトリック様、お久しぶりです」


ジョンストン公爵家へ帰宅すると、玄関ホールでジャクリーン嬢に会った。胸ポケットに入っているエルドレッド殿下からアメリアへの手紙が気になってしまう。


「久しぶりです。ジャクリーン嬢は今お帰りですか?」

「はい。本日は長々とメルに相談してしまいました」


エルドレッド殿下や噂について相談しにきたのだろう。ジャクリーン嬢を笑顔で迎えているアメリアが、その裏でエルドレッド殿下と繋がっているのも知らずに。


私とジャクリーン嬢の会話が終わると、ジャクリーン嬢を追いかけてきたのであろうアメリアの従者が彼女に声をかけた。


「ハモンド様、こちらのハンカチをお忘れでした」

「まぁ、落としていたのかしら。どうもありがとう」


そう言ってハンカチを渡している従者。よく見るとハンカチの間に何か紙が挟まっている。おそらく、ハモンド公爵家の侍女達に見つからないように、アメリアからジャクリーン嬢への言伝だろう。噂の元となったジャクリーン嬢の迂闊な動きは、どうせアメリアが誘導したのだろうと私は思っている。


ジャクリーン嬢を見送った後、私はアメリアの従者にエルドレッド殿下からの手紙を渡した。


この従者はアメリアの本性を知っている方の使用人だから問題ない。半年ほど前にアメリア自身がどこからか連れてきた少年で、それからはいつのまにかいなくなっていた元メリッサ付の侍女と入れ替えたように、どこへ行くにも連れ回している。長い前髪のせいで顔はわからないが、すっきりとした鼻と口元だけでも容姿が整っていることがわかる。


アメリアと同じ年だと聞いた時は、もしや第三王子ではないかと疑ったのだが、来月からの貴族学園へ入学しないので違うだろう。貴族学園の卒業資格がない者は王位を継承できないため、陛下は必ず入学させるはずなのだ。


エルドレッド殿下からの手紙を持って去っていくアメリアの従者を見ながら、アメリアには罪悪感や良心の呵責はないのだろうかなどとくだらないことを思ったが、2年前メリッサが本邸を追い出されるまで、アメリアによってメリッサが苦しんでいるのを見て楽しんでいた私が言うことではないな。


本来なら来月からメリッサも私と同じ貴族学園へ入学していたはずだ。第三王子を探るために確認した入学者名簿にはアメリアの名前はあったがメリッサの名前はなかった。すぐに父上へ確認すると、アメリアがまだ魔力操作ができないためメリッサは帝国の貴族学園へ入学させるのだと言われた。


来月にはメリッサが戻ってくると思い込んでいた私は、暗い闇に引きずり込まれたような絶望で目の前が真っ暗になった。メリッサが魔法学園に入学する3年後まで、あのピアノが聴けないのだ。


メリッサは覚えているのだろうか。メリッサが3歳でピアノに出会った時、4歳の私も一緒にピアノの虜になったことを。


ピアノを弾きだすと周りが見えなくなるメリッサは、私もピアノを弾いていたことに気付いてすらいなかったかもしれない。


ピアノを習いたいと頼んだ時、母上の顔がこわばっていたことを覚えている。ジョンストン公爵の嫡男である私がピアノを弾くことは許されないことを母上は分かっていたのだ。


母上はメリッサにつけたピアノの先生を、メリッサの後に私にも教えるように言ってくれた。私に専属の先生をつけなかったのは、今思えば父上の目をごまかすためだったのだろう。それでも、母上にしか興味のない父上の目をごまかすことは半年しか叶わなかった。


「公爵家の嫡男で第一王子の側近候補として決まっているお前にピアノを弾く時間はない。騎士にもなれない下位貴族の次男や三男がしかたなくピアニストを目指す以外、男がピアノを弾く習慣は我が国には無い。ピアノなど気軽な女の趣味なのだ」


父上はそう言って私がピアノを弾くことを禁じた。せめて勉強の合間の息抜きとしてでも続けさせて欲しいと、父上が溺愛している母上が必死に頼んでも、中途半端に続ける方が酷だからなどと耳触りの良いことを言い許してくれなかった。


私とメリッサは一緒にピアノを始めたはずなのに、私だけ、半年ほどでピアノを諦めることになったのだ。


それからはピアノへの未練も、父上への怒りも、自由にピアノを弾けるメリッサへの羨望や憎しみも隠し、公爵家の嫡男として課された教育をこなしてきた。メリッサのピアノを聴きに行くたびに嫉妬で心が滅茶苦茶になるのに、それでもメリッサが奏でる美しいピアノの音色を聴かずにはいられなかった。


「ごめんなさい。王子妃教育の合間もメルにピアノを続けさせてあげて欲しいの。リックがピアノを取り上げられた時に助けられなかった私が頼むことじゃないと分かっているわ。メルのことは恨まないで。悪いのはメルじゃなくて私と旦那様だってリックは分かっているはずよ」


メリッサの王子妃教育が始まった時に母上から言われたこの言葉で、私が必死に隠していた激情に母上は気付いていたのだと知った。


王子妃教育が始まってもメリッサがピアノを取り上げられなかったのは、私の時と同じように、母上が父上に哀願したからだ。男女の差なのか、その時には父上もメリッサのピアノに魅せられていたおかげか、メリッサはピアノを取り上げられることはなかった。


メリッサは天才だ。あの演奏を聞いたら誰だってそう思う。でもあの幸せな半年間で習っていたピアノの先生は、私の方がメリッサよりも上手だと言ってくれていたのだ。


もしも私がピアノを許されていたとしたら、今のメリッサのように弾けたのだろうか。それとも今と同じくメリッサの演奏に嫉妬していたのだろうか。

どちらにしろメリッサに嫉妬するならば、私はピアノを弾きたかった。


こんな私の心の内を唯一理解してくれていた母上は亡くなってしまった。私が隠していたメリッサへの複雑な愛憎を母上以外に唯一見抜いたアメリアは、結局、母上の代わりにも、メリッサの演奏の代わりにも、ましてやピアノの代わりにもならなかった。


メリッサのことは嫌いだ。でもメリッサが奏でるピアノの音色は心から愛している。アメリアがジョンストン公爵家へ来てから、もう3年もメリッサの演奏を聴いていない。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 本来の公爵家令嬢追い出し、今度はより上位へか。 でもなあ彼女、第3王子の存在は知ってるのかな。 そもそも、この小娘の両親の死も怪しくなってきたが。 [一言] おいおいこいつ、早い段階か…
[一言] この家族は母上が大きすぎたんだなぁ
[一言] お兄ちゃん、シンプルに精神汚染ネタじゃなくてナチュラルボーン塵蟲だった件w これは救いがないな。
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