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ネイトからの手紙を読んだメリッサは、アメリアの馬車を追いかけようと馬車どめへ向かって走る。自分が今アメリアへ隠さなければいけない金髪姿ということも、帝国でピアニストになる計画も、すべて頭から抜けてしまっていたが、冷静なジョッシュが馬車を出させなかったことで、追いかけることはできなかった。
馬車どめで呆然と立ちつくすメリッサへ一人の使用人が声を掛けた。この春先から働いている、ネイトより少し年上の料理人見習いの彼はメリッサに頭を下げている。
「お嬢様、ネイトが連れ去られたのは私のせいです。ロートンでのお嬢様のことを教えて欲しいとアメリア様に言われ、金髪のこと以外、いろんな話をしてしまいました。たまたま見えてしまったネイトの長い前髪の下が美形だったこともです。私のせいでネイトに興味を持ったんだと思います。お嬢様がロートンへ来たのはアメリア様のせいだと知っていたし、金髪のことは話してはいけないと言われていたはずなのに、本当に申し訳ございません」
彼のせいではない。「メリッサが金髪だとアメリアとジョンストン公爵へ話してはいけない」としか緘口令を敷いていなかったのだ。アメリアは一応メリッサの妹。計算高く、平然と嘘をつき、口がうまく、簡単に人を陥れることができる美しいアメリアに、姉のことを知りたいと健気に言われたら何でも話してしまうだろう。ジョッシュやジョッシュの息子たちよりも聞き出しやすそうな、若い男性で料理人見習いの彼をアメリアは選んだのだ。むしろ彼が金髪の秘密を隠しきれたことにびっくりする。
頭の中ではそう考えていたが、声も出せずに呆然とし続けていたメリッサ。気づけば料理人の彼はいなくなっていたがジョッシュが退席させたのだろう。
ローズとジョッシュへネイトについての疑惑を話そうか迷い、ただでさえメリッサの出奔で迷惑をかけている二人をこれ以上巻き込んで良いのかと悩む。そして、ネイトもこんな風に悩んで、メリッサへは何も言わずに行ってしまったのだと気づく。
手紙の前半の文章はおそらくアメリアに書かされたもの、走り書きの部分がネイトの本音。ネイトが走り書きした“計画通りで”とは、メリッサが帝国で平民になってピアニストになる計画のことしか思いつかない。ネイトの事情を教えてもらえなかったメリッサは、ネイトに突き放されてしまったのだ。
体の中から何かが落下していくような気がして、涙がはらはらと落ちる。一度涙が流れると止まることがなく、メリッサはさめざめと泣き続けた。
そんなメリッサを見守るしかできなかったジョッシュとローズ。ローズはすぐにネイトの叔母へ事情を説明しに辺境伯領まで行ってくれた。ジョッシュは、それから1週間後に、急いで作らせたアメリアが注文したピンク真珠のネックレスを持って、王都のジョンストン公爵家へ行ってくれた。
ジョッシュがジョンストン公爵家で見たネイトは、長い前髪で顔を隠したまま、他の使用人と変わらない様子でアメリアの従者として働いていたそうだ。怪我をしていたり、やつれていたり、拘束されている様子もないけれど、ジョッシュに気づいても近づいてくることはなく、何もやり取りはできなかったらしい。
そして、ネイトの叔母と会ってきたローズから、ネイトの母親のことを聞いたメリッサは、ネイトが魔法学園でやりたいことも、「メリッサが受け入れてくれるなら」と言った意味も、朧げながら理解した。
アメリアに連れ去られたのはおそらく偶然だろうが、間違いなくネイトのやりたいことには近づいただろう。ネイトはロートンへは帰ってこない。アメリアの考えがわからないことが不安だが、メリッサはネイトのことを受け入れて、全てが終わったネイトを帝国で待つことにした。
本当は今すぐにでも王都に行ってネイトを止めたい。でも、ネイトから目的を話してもらえなかったメリッサでは止めることができない。
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ネイトが王都へ行ってから半年経った今日は帝国の貴族学園の入学式。
メリッサは無事、父から帝国の貴族学園への入学を命じられた。本来は悲しいことなのだが、希望通りの結果にジョッシュとローズと共に喜んだ。
そしてローズは無事ジョンストン公爵家の侍女を辞め、今はロートンの領主館で働きながら、帝国で平民として暮らす準備をしてくれている。
ローズがいない寮生活だが何とか生活できそうだと安心する。入学前にローズと一緒に練習したおかげだ。
帝国の貴族学園にも少ないながら自国の貴族子女もいるため、メリッサは念の為茶髪のカツラを被り、そのカツラへネイトが初めてクッキーをくれた思い出の青緑色のリボンをつけた。平民がつけるようなリボンで、貴族学園にはふさわしくないのだが、他国の貴族学園に入学している時点でおかしいのだから構わないだろう。
入学式が始まる前の待ち時間、沢山の家族連れの中で知り合いも家族もいないメリッサは、同じく一人でいた入学生に声を掛けられる。
「もし、ウェインライト王国の方ですか?」
ウェインライト王国とはメリッサの出身国だ。声を掛けてきたのは、入学生の印として胸に付けられた造花の薔薇が霞むほど華やかな美少女。同い年のはずなのにメリッサよりずっと大人っぽい。
「はい。ウェインライト王国のメリッサ・ジョンストンと申します」
「私はウェインライト王国のオーブリー・クライトンです。お互いウェインライトの社交界からこの帝国へ追い出されている訳ありの身ですから、気楽にいきませんか?」
クライトンは確か伯爵位でワインとフルーツが名産の歴史ある家。メリッサが頷き了承すると、オーブリーは堰を切ったように話し出した。
「やっぱりウェインライト人だと思ったぁ。私のことはブレイって呼んでね。メリッサ様って名前で呼んでもいい?」
「メルでいいよ」
いきなりの令嬢らしからぬ遠慮のない言葉遣いにびっくりしたものの、ネイトで慣れていたメリッサは気にならない。
「メル、あそこにいる令息とあの木の下にいる令嬢もウェインライト人だと思う。所在無く一人で影がある感じ、絶対そう。一緒に声を掛けに行こ!で、みんなで不幸自慢しよう!……私はね、今風に言うと『継母と異母妹に家を追い出された令嬢は帝国で皇太子に愛される、戻って来いと言われてももう遅い!』かな」
声を掛けてきた時は高貴で近寄りがたい印象だったのに、それを忘れさせるほど気さくなブレイ。メリッサも“所在無く一人で影がある感じ”だったのだろうなと、思わず苦笑いしてしまう。
「皇太子はまだ決まっていないし、第一皇子殿下はまだ3歳だったはず……」
「知ってるよ!今、帝国で流行ってる恋愛小説風に言ってみただけだって、って、メルもしかして知らなかった?……流行り物を押さえとけば友達ができるって言われたのに……」
「流行りの恋愛小説はわからないけど、友達になってくれたら嬉しいわ」
こうしてメリッサはブレイと出会った。ブレイが目星を付けた令息と令嬢もやはり事情があって帝国へ追いやられたウェインライト人で、4人で肩を寄せ合うようにして入学式へ参加した。
王都へ連れ去られたネイトと会うこともないまま、メリッサの帝国生活は始まった。