骨肉の争いに疲れた女皇帝は、純白の屍衣を身に纏う(6)手料理の夢
「あ、あーっと、そうだな。荒事ばかりでなく、静かにコツコツと積み上げることも、私は学ぶべきだよな、うん」
どうにも落ち着かない気持ちを押さえつけようとして、サラは手元の謎茶を勢いよく飲み、見事に咽せた。
「けほけほけほっ、うげほっ」
(何をやってるんだ、私は…)
あわてて立ちあがろうとするサラを、ヒギンズが止めた。
「落ち着け。動くと余計に咽せるぞ」
「けほけほけほっすっまない…」
見ていられないという表情で、作業台の下からのっそりと出てきたミーノタウロスが、サラの背中に前足をぽてっと当てた。
「けほっけほ……あ、止まった」
「うにゃー」
「ほう、精霊の癒しの術か」
「そうなんだ。ミーノには、しゃっくりを止めるのもうまいんだ」
「しゃっくりに癒しの術が効くとは、知らなかったな」
「ミーノの癒しが特別なんだと思う。気持ちを和らげて、安らぎを与えてくれる名手なんだ」
「ぶにゃーん」
巨大猫が得意げな顔を向けてくるのを見て、ヒギンズは、ついチクリと言いたくなった。
「その特別な癒しの安らぎを、ぜひとも和歌の荒ぶる想念にも発揮してほしいものだがね、ミーノ君。竜巻にじゃれついて余計に巨大化させるよりは、よほどサラに喜ばれるだろうに」
「ぶにゃ…」
「ははははは、手厳しいな、教授は」
しゃっくりとミーノタウロスのおかげで、サラの心はようやく落ち着きを取り戻した。
そして、ふと気がついた。
「和歌の魂を癒すことは、できないだろうか」
ヒギンズも、同じことに気づいたようだった。
「想念を具現化させる前に、魂が抱えている負の情念を癒すことができれば、狂奔を避けられるかもしれないな」
口寄せの巫術によって、サラは魂の抱える想念を読み取ることが出来る。
けれども、サラの思いを魂に伝えたことはなかったし、それができると考えたこともなかった。
もしも、自分との対話によって、歌の魂を少しでも癒し満たすことができるなら…
「魂との意思疎通は、可能だろうか」
「可能だろう。君と精霊たちは、魂の想念を具現化し、それと戯れるるというやり方で、魂を絡め取っている呪縛から解き放ち、鎮めているのだから」
「戯れるというより、命がけの殴り合いだがな」
「殴り合いで伝わるものがあるから、魂が鎮まるのだろう」
「そういうものか」
サラは、異世界格言集にあった、『殴り愛は世界を救う』という言葉を思い出し、情けなくなった。
「殴って救う、か。私には、雅のカケラもないな…」
サラの同業者の多くは、優美に舞い踊りながら巫術を使う。そのため異性を強く引きつけ、思いを寄せられる者が少なくない。それはサラとは縁のない巫術のあり方だった。
「君は武人でもあるのだ。思いを伝える方法のひとつが武力であるのは自然なことだし、むしろ、伝える強さを持つことを誇るべきだ。それに、殴り合いには私とミーノタウロスも関わっている。『みんなで殴れば、怖くない』だろう?」
どこまでもサラを肯定しようするヒギンズの前で、これ以上卑屈な言葉を吐くべきではないと、サラは気づいた。
「そうだな。『殴り愛も、愛のうち』だ。私自身が自分のやり方を否定していている場合ではないな。前に進むためにも」
「ああ。『右の頬を殴られたなら、左の頬を殴り愛せ』、だったな」
異世界格言集を引用し合いながら続く会話に、サラは思わず吹き出した。
「あなたもずいぶん読み込んだのだな」
「辞典や図録の類いが好きだと言っただろう? 格言集や用例集のコレクションも多いんだ」
「…いつか、蔵書を見せていただきたいな」
「いつでも構わないよ」
ダメ元で口に出した訪問の願いに、ヒギンズが軽く請け合うものだから、サラは内心混乱の渦に巻き込まれた。
(ひゃっ、百の歌を全て蘇らせたなら、手料理など持って、お礼かたがた教授の家を訪問……いやいやその前に、料理の修行を完遂せねば……いやいやいや、仕事中に私は何を考えている!)
サラの混乱をよそに、ヒギンズは話をあっさり戻した。
「思うのだが、君と魂の意思の疎通は、和歌への口寄せの段階でも起こっているのではないだろうか」
「え? あれは私が一方的に想念を読み取っているだけだよ」
「一方的ではないと思う。発掘された時点では、魂は和歌の中に沈みこんで、完全に眠っている。生き物であれば、ほとんど仮死の状態だ。君の口寄せは、魂に働きかけて仮死から目覚めさせ、想念を多少なりとも動かせるところまで戻せているのだ。つまり魂は、君の思いを受けとっているということにはならないだろうか」
ヒギンズの言葉に、サラは大きく目を開かれる思いがした。
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〈あの世っぽい世界〉
疲れている某女皇帝
「早う起こさぬと、本気で永眠するぞ…」
*疲れている某女皇帝……持統天皇。
*異世界格言集……異世界の古文書から抜き出された格言(?)を集めた書物。未知の世界の言葉であるため、正しく翻訳・解釈されているかどうかは、誰にも分らない。著者はイルザ・サポゲニン。