骨肉の争いに疲れた女皇帝は、純白の屍衣を身に纏う(5)歌語辞典の夢
今回以降、本文下のほうで、和歌の作者の魂が登場して、いろいろとつぶやくことがあります。
ヒギンズは、歌集の表紙を保護ケースにしまうと、先ほどの改造ノートをサラと自分の前に一冊づつ置いた。
「お互いに、今の段階で思いつく限りの案を出していこう」
サラは入れ直した謎茶をヒギンズに勧めた。
「案は、そのノートに書いていくのだな」
「ああ。蘇生方法の変更については、事業団にはしばらく伏せておきたい。余計な狂乱を生むだけだろうからな」
「確かに…」
ヒギンズは、最初のページに今日の日付を書き込んだ。
すると、サラの側のノートにも、全く同じ筆跡の文字が並んだ。
「これは、面白いな」
「お互いの作業経過なども、これで共有していこう。どれほど離れた場所でも、情報のやり取りができる」
「私も書いてみていいか?」
「もちろん」
サラは自分のノートを手元に引き寄せて、ヒギンズの書いた日付の下に、書き込みをした。
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新規に発掘された歌集の表紙に書かれた文字を確認。
表題と思われる文字列
『百 人 一 首』
巫術にて、「首」の文字に残存する何者かの記憶の一部を読み取る。
複数の人間の姿。
追う者、もしくは追われる者が見た光景。
斬首され、地に転がった首。
斬首された者は、
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そこでサラは手を止めて、ヒギンズを見た。
「そういえば、昨日の和歌の皇帝の名前は、何というのだろう」
「意訳を作った班の者たちは、『天智』としていた」
「天智か」
「高邁なる智を天より授かりし…という、彼らが作成した意訳から、便宜的に拾ったそうだ」
「では、本当の呼び名ではないのだな」
「名前の一部、もしくは別称だった可能性はある。分析班の中に加わっている巫術師の一人が、歌の一部分に口寄せを施して、人名らしきものを幾つか拾い取ったのだが、その一つがそれだ」
巫術師と聞いて、サラは僅かに表情を固くした。
「研究班には、巫術師もいるのか」
「ああ、最近になって数名入った。君のように歌を蘇生することはできないが、意訳の叩き台を作るために、単語の抽出や、大まかな意味の特定、語彙の分類などの作業をしているようだ。『天智』の名を読み取った巫術師は、いずれ、歌語辞典を作りたいと言っていた」
サラには、その巫術師が誰であるのか想像がついたけれども、口に出すことはしなかった。
「歌語辞典か。完成すれば、大きな助けになるだろうな。歌力開発事業にとっても、和歌という芸術の世界を知るためにも」
「そうだな」
「本当なら、私自身が手掛けたいところだが…こんな状況なのだ。とても余裕はないな」
心のうちに微かに生まれた蟠りを、サラは軽めの苦笑を浮かべることで、ごまかした。
「いや、私たちもやろう」
「え?」
「時間はかかるだろうが、一つ一つ積み上げていけば、不可能ではない」
「ヒギンズ教授…」
「君がやりたいのであれば、叶えるさ」
サラが咄嗟に言葉を返せずに固まっていると、ヒギンズが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私は幼い頃から辞典や図録の類に目がなくてね。いつの日か、そうしたものの編著者に名を連ねたいと夢見ていたんだ。君との共著ということで、どうだろうか」
サラは、自分がふわふわの雲の海のなかに放り込まれた子猫になった気がした。
(包み込まれて、溺れそうだ…)
「ぶにゃーん」
作業台の下にいたミーノタウロスが、砂でも吐きたいような顔でひと鳴きしたけれども、サラの耳には届かなかった。
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疲れている某女皇帝
「一向に、出番が来ぬのだが……」
*疲れている某女皇帝……持統天皇。