骨肉の争いに疲れた女皇帝は、純白の屍衣を身に纏う(4)歌と、孤独
「事業団は、ダメだな、いろんな意味で」
「私も、ちょっとダメだと思うよ。予算については、落ち着いたころを見計らって、直談判しようと思っているが」
「落ち着く日がいつになるか、分からんがな」
「いつかは来るだろう、たぶん、百の和歌の蘇生が終わる頃には…」
ヒギンズは、遠くに目をやっているサラを見据えながら、言った。
「サラ、君はこのまま事業団で仕事を続けようと思っているか」
「教授? なにを急に」
ヒギンズは厳しい顔で話を続けた。
「正直に言う。昨日、私は君を守りきれなかった。あの隣人の少女が来なければ、君がどうなっていたか分からない。これまでも危険なことはたくさんあったが、命の危険まで感じるほどではなかった。だが、今回発見された歌集の和歌たちは、これまで扱ってきた歌とは桁違いの歌力を秘めている可能性が高い」
サラは頷いた。
「確かに。昨日の皇帝の抱える業はあまりにも深く、しかも他の歌の魂たちとの連関を強く感じた。これから蘇生する歌たちは、さらに凶悪な想念を抱えているかもしれないな」
「私としては、次の歌を具現化する作業には、防御魔術の技量の高いサポート要員を、事業団に多数用意させるつもりでいた。私くらいの力を使える魔導騎士なり、盾役の冒険者なりを集めれば、より安全にサラを守れると考えたのだ。しかし、事業団が臨時予算を即金で出さなければ、次に予定されている蘇生作業はどうにもならん。我々が自腹を切って保たせるにも限界がある」
サラは、ヒギンズが言いたいことを理解した。
ヒギンズは、サラを全力で守ろうとしている。
そして、どうしても確実に守る手段を得られなければ、強行手段を取ってでも、手を引かせようとするだろう。
けれども…
「私は辞めないよ、ヒギンズ教授。この仕事は、私が為さなければならないものだ。私が桁外れの巫力と、歌の巫術の才を持って生まれたのは、この仕事に出会うためだったのだろう。精霊たちも、そう言っている」
厳しい表情のヒギンズをよそに、サラの傍らで寝そべるミーノタウロスが、サラの言葉に共鳴するかのように、「にゃー」と声をあげている。
「宿命と精霊に従う、と言うのか」
「自分の意志で従うが、殉ずるつもりはないよ。それに、ミーノたちは、共に支え合う仲間だと、私は思っている」
ヒギンズは、深くため息をついてから、覚悟のこもった声で言った。
「分かった。仲間として、私も協力しよう」
「ありがとう」
サラの顔に柔らかな笑みが浮かんだ。
ヒギンズに心配をしてもらえるのは、嬉しい。
けれども、絶対にやめろ、手を引けと強く言われてしまえば、サラは彼と対立してでも、この仕事を続けようとしただろう。
サラの得意とする歌の巫術は希少な能力だが、使い所はそれほど多くはない。
和歌蘇生という仕事に出会うまで、巫術師としてのサラの立場は、かなり微妙なものだった。
役立たずと、はっきり言われることこそなかったけれども、それに近い扱いをされることは少なくなかった。
古代の遺物や言語に籠る、亡き者たちの想念を引き出すだけであれば、サラよりも技量の高い巫術師が、いくらでもいるからだ。
けれども、歌力産出を目的とする和歌蘇生の技量に限れば、サラに比肩するものは、世界のどこにもいない。
すべての歌は、歌われるために生み出されたものであり、歌うために生まれてきた巫術師サラであるからこそ、その真髄に触れて蘇らすことができるのだ。
そのことは、巫術師としてのサラの矜持を支えるだけでなく、いまでは生きる勇気そのものでもあった。
(歌は、決して私を孤独にしないから…)
サラの覚悟の言葉を聞いて、ヒギンズもまた、心のうちで決意を固めていた。
ヒギンズは、サラが、歌のなかに広がる世界に、孤独な心を寄せていることを知っていた。
仕事を通して、サラが無意識に抱える深い傷にも気づいているヒギンズには、彼女の意志に反して仕事を辞めさせることなど、できるはずがなかった。
(君を、二度と孤独の中には置かない)
「どうにかして、君が傷つかないやり方を探そう」
「そうだね。私だけではなく、あなたも、精霊たちも、誰も傷つけたくはない」
お互いを見つめながら、二人はしっかりと頷き合った。