尾の長すぎる怪鳥は、眠れぬ恋を啄み呪う(12)初めての先読み
本文下の「あの世」コーナー。
今回は、ヒトマロくんが持ってきた海産物で、ちょっとした騒動が起きます。
ヒギンズが、まだ事業団の研究棟にいた頃。
「さららの仮宮!」から下がり、自分の部屋──自宅ではなく、ヒギンズが用意してくれた私室に入ったサラは、何もかもが整っていることに驚いた。
居間には、ゆったりと寛げそうな長椅子と、愛らしい作りの座卓があり、サラ好みの古風な色合いの茶道具などの入ったガラス棚もある。
居間の隣には、ひろびろとした書斎が続く。書架はまだ空っぽだったけれども、中央に置かれている大机は、サラ愛用の作業台によく似た色の木材が使われている。
書斎の反対側は寝室になっていて、ゆったりと休めそうな寝台の脇に、愛らしい文机が添え置かれていた。
(まるで家族のように、慈しまれている…)
そう感じたサラだったが、すぐに自分に釘を刺した。
(感情から生まれた願望を、真実だと錯覚しては駄目だ)
巫術の修行をする時に、何よりも戒められるのは、精霊や魂との繋がりに、私情を持ち込むことだった。
心に生まれる気持ちは、美しいものもあれば、醜いものもある。
どんなに行いを澄まして暮らしていても、生身を持つ者は、生きる苦しみから逃れることはできない。
苦しみは容易く邪念を生む。
他人を妬み、恨みを抱えて、害意を向けることすらある。
そうした感情の濁りは、魂や精霊にも影響を及ぼして、術を邪なものにすることもある。
よく鍛えられた巫術師は、たとえ心のうちに濁りを溜めていても、術にそれを混ぜ込むような失態は犯さない。
思いや感情を決して外に出さず、自分自身すら気づかなくなるほどに隠蔽し、生きるのに必要な自信や誇りすらも全否定することを、巫術師としてのサラは、幼い頃から徹底的に求められ続けてきた。
実はそれが行き過ぎた指導であり、意図的な虐待でもあったことを、サラに伝える者はいなかった。
どこまでも温かな配慮に満ちた部屋を眺めながら、サラは、自分の場所はここではないのだと、強く自分に言い聞かせていた。
部屋はまだ他にもあるようだったが、サラは居間に戻り、長椅子に腰掛けた。
長椅子の前の座卓には、ヒギンズにもらった交換日記ノートがあった。
おそらくヒギンズが、神殿(仮)から運び出して、私室に置いてくれたのだろう。
サラはノートを開き、さきほど女皇帝にもらった絹布の歌を書き写した。
『もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の 行くへ知らずも』
「行方知らずも、か…」
口寄せをしなくても、サラには歌の中の情景が、少しだけ見える気がした。
ゆるゆると流れる古代の大河に、頼りなげな木の杭が立っている。
何のために、大いなる流れに逆らい、川底を穿つことまでして、その杭を立ててあるのかは分からない。
いずれは流れに飲まれて、どこへともなく消えていく運命なのだろう。
それでも杭はそこにある。
主君が滅びる姿を見届けた武人が、大河の流れに飲まれそうな杭を見つめている。武人もまた、自分の命運がまもなく尽きることを悟っているのだろう。
全ては、大河の如き時代の流れのままに……
目を閉じて、歌の世界の余韻に身を任せていたサラは、視界にキラキラと輝く粉が降り注ぐのを感じて、身を固くした。
「先読みの光? まさか」
どんなに努力しても先読みの力に恵まれなかったサラにとって、この光は、人伝てに聞いたことしかないものだった。
「…来る」
歌の中にあった大河の気配が消え、赤土の荒野が目の前にいきなり現れた。
黒々とした魔物の群れが、津波のように迫ってくる。
迎え討とうとしているのは、傭兵部隊だろうか。魔物の群れの大きさに比べて、部隊の規模はあまりにも小さく見える。
目をこらすと、決死の表情の戦士たちの中に、サラの馴染みの顔も見えた。
戦士たちは、魔物の群れに一瞬で飲み込まれ、蹂躙され尽くした。
「これは、今から起きることなのか?」
赤土の荒野は国境の近くにあり、魔物の繁殖地に隣接している。
何かのきっかけで大量発生した魔物が集団暴走を始めると、まずこの荒野に流れ込む。
ごく稀にしか起きない現象ではあるけれども、荒野を超えて人の住む領域に突き進まれれば、近隣の町や村に復興困難な被害が生じることになる。
そのため、荒野には傭兵部隊が常駐していて、僅かにでも暴走の兆候があれば、すぐに出動ことになっていた。
いま幻視したような危機が間近に迫っているのであれば、傭兵として務めることの多いサラや、高い戦闘能力を持つヒギンズに、連絡が来ないはずがない。
「教授に知らせるべきか?」
しかし、これまで一度も先読みに成功したことのないサラが、先走ってヒギンズの手を煩わせていいものなのか。
それよりも、傭兵部隊に連絡を取ってみるべきか。
もしも魔物暴走の兆候があるようなら、自分だけでも荒野に向かいたい。何度も共に戦ってきた戦士たちを見殺しにすることは、サラにはできなかった。
「いずれにせよ、セバスティアヌスには話すべきだな」
サラは交換ノートを閉じて、ペンと一緒に祭服の隠しに入れた。
隠しには、空間魔術の術式が仕込んであり、小部屋程度の物量を収納することができるようになっている。
傭兵として働くことのあるサラは、武装や食料、着替えなどを、常に隠しに入れて持ち歩いていた。
私室を出て、共有スペースに続く廊下を歩いていると、セバスティアヌスがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「サラ様、どうか食堂の方へお戻りヲ」
セバスティアヌスの呼びかけに、サラが言葉を返そうとした時。
『サラ・ダークネルブ、臨殿からのお召しである。疾く参れ』
強力な転移の術がサラを包み、その場からもぎ取るように連れ去った。
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帰ってきた女皇帝
「これは、なんじゃ」
ヒトマロ
「ナマコだよ」
帰ってきた女皇帝
「どこから持って来た」
ヒトマロ
「海だよ」
帰ってきた女皇帝
「海に入って獲ってきたのか」
ヒトマロ
「海辺で死んでる人がいたから、歌を詠んであげたら、くれたよ」
帰ってきた女皇帝
「これを、どうしろと」
ヒトマロ
「姫様が食べるよ」
帰ってきた女皇帝
「……お婆婆! 志斐のお婆婆は居るか!!」
志斐嫗
「はいはい姫様なんですか大きな声で……ぎゃあ!」
帰ってきた女皇帝
「これを炊屋に持って行け」
志斐嫗
「ななななんですこれは!?」
帰ってきた女皇帝
「ナマコだ」
志斐嫗
「ナマコ……もしや、コでは?」
帰ってきた女皇帝
「コが生だから、ナマコなのであろうよ。炊屋で塩漬けにでもせよ。このままでは、日持ちがせぬであろう」
志斐嫗
「…お召し上がりになるので?」
帰ってきた女皇帝
「羮にでもして宴に出せば、誰かが食うであろう。父上の膳にでも乗せてやれ」
志斐嫗
「はあ……コをナマで見せられたのは初めてですよ…」
ヒトマロ
「宴、たのしみだねえ。また何か取ってくるねー」
帰ってきた女皇帝
「これ、どこへ行く?」
ヒトマロ
「今度は山かなあ。またねー姫様!」
帰ってきた女皇帝
「山だと!? 変なものを拾ってくるでないぞ! これ、聞いておるか!」
*帰って来た女皇帝……持統天皇。
*ヒトマロ……柿本人麻呂。万葉集に、讃岐の島で死人を見つけて詠んだ長歌がある。(万葉集 巻二 220)
ナマコ(海鼠)……古代日本では、「コ」と呼ばれ、塩漬けにして食べられていたらしい。




