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惨歌の蛮姫サラ・ブラックネルブは、普通に歌って暮らしたい  作者: ねこたまりん
第一章 姿なき百の髑髏は、異界の歌姫に魂の悲歌を託す
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誅殺されし皇帝の哀歌

 巫術師サラ・ブラックネルブは、たった今、口寄せの術によって読み取ったばかりの歌に、心底打ちのめされていた。


「なんという悲痛と、孤独……皇帝として、権力の頂にありながら、家族に疎まれ、憎まれ、信ずる家臣の一人とてなく、愛する者たちとも、ことごとく引き裂かれる宿命であったとは……」


 サラの口寄せの術は、対象となった死者の魂に残る感情を生々しく再現し、サラ自身のものであるかのように同調することで成立する。


 和歌をはじめとする古代歌謡は、ただ現代の言葉に翻訳しただけでは、歌に秘められている「歌力」に触れることはできない。


 口寄せによって、サラが歌の作り手の生き様を知り、その心情に深く心を寄せることで、歌の底で朽ちかけていた魂が揺すり起こされて再び目覚める。


 そうなってはじめて、和歌は膨大な「歌力」というエネルギー資源を産出するようになるのだ。


 愛用の作業台の縁を握りしめながら、はらはらと涙をこぼすサラは、和歌に秘められていた悲劇に没入するあまり、台の向こう側で胡乱な目を向けている男の存在を完全に忘却していた。


「あー、すまんが、そろそろこっちに戻ってくれないか」


 今まさにサラを泣かせている和歌を発掘した、考古学者のレックス・ヒギンズ教授が、情緒のかけらもない口調で、サラに声をかけた。


「ん? なんだ、まだいたのか、教授」


「仕事の最中に帰れるわけがないだろう」


「ああ、調書の作成があるのだったな」


「忘れんでくれよ」


「忘れたりはしないよ。思い出さないことは、多々あるがね」


「いい傾向ではないな、それは」


 ヒギンズ教授は、自分たちの関わるエネルギー事業に、サラの巫術が不可欠であることを、理解してはいるものの、完全に納得しているわけではなかった。


 どこまでも死者と一体化しようとするサラの、捨て身とも言えるやり方に、ヒギンズは学者として共鳴しかねる居心地の悪さと、説明の難しい危うさを感じていた。


魂振(たまふ)りというのだったか。いつもながら見事な技量だとは思うが、いささか、死者に近寄りすぎではないかな」


「何を言う。歌の作り主に肉薄することこそが、和歌蘇生の真髄ではないか」


「それはそうだろうが、君自身の人生を圧迫しかねないほど、『彼ら』の想念を飲み込むべきではないと、私は思うんだがね」


「心配性だな、教授は」


「心配もするさ。事業のパートナーだ」


「確かに、私の換えはいないからな」


「そういう意味ではないんだがね」


 サラはヒギンズ教授が自分に抱く懸念に対して、少しばかりの煙たさと、くすぐったさを感じていた。


 サラよりもだいぶ年嵩(としかさ)のヒギンズ教授は、時折、兄か父のような態度を見せることがある。


 そんなとき、サラは決まって、ふわふわと揺れ動く足場にぽつんと立たされたような、奇妙に落ち着かない気持ちを味わうのだ。


(教授は私よりも十ほど年上だったか。父というには若すぎるが、兄としては離れ過ぎているか。父だ兄だなどと、口に出したなら、さぞ呆れられるだろうな…)


 内心のふわふわもやもやした思考を隅に追いやりながら、サラは「茶でも入れよう」と言って、立ち上がった。


「君が茶を出してくれるとは、珍しいこともあるものだ」


 ヒギンズ教授は、サラが和歌への過度な同調から離れたことを察して、表情を緩めた。


「ほう。なかなか美味い。初めて飲む味だな。何という茶だろうか」


「隣人にもらった、謎茶(なぞちゃ)というものだ。なかなか深い味だろう」


「謎茶? いやその前に、このあばら屋に隣の家などあったか?」


「あばら屋はやめてくれ。一応仮の神殿だぞ。せめて作業場と言ってほしい」


「神殿でも作業場でもいいが、周囲は見渡す限り、野っ原だったと思ったが」


「普段は野っ原しか見えないが、時々屋敷が出現するのだ。わりと近所だよ」


「魔術による隠蔽(いんぺい)か。どういう人物なんだ。素性は?」


「よく知らん。若い娘が一人で住んでいる。屋敷が見えている時に、引越しの挨拶に行ったんだが、私が貧乏世帯だと話したら、茶と食料を分けてくれた。ああ、菓子もくれたのだった」


 サラは、壁の造り付け棚から紙袋と小皿を取って来ると、焼いた肉のような色の四角い物体を小皿に取り出して、ヒギンズ教授に勧めた。


「これは、何だ」


謎肉(なぞにく)ガム、というものだそうだ。ほどよい酸味があって、なかなか美味いぞ」


「謎肉…何の肉かは、聞いてこなかったんだろうな」


「その場で食べて美味かったから聞いてみたが、作った本人も知らんと言っていた」


 ヒギンズ教授は、食欲ではなく学者的好奇心から、謎肉ガムを手に取って、観察した。


「これは、かなりの魔力を含有しているな」

「そうなのか?」


「普通の調理で作られたものではなさそうだ。君の隣人は、錬金術師ではないかな」


「ああそういえば、食卓に錬金釜があったな。そうか、彼女は錬金術師だったか」


「食卓に錬金釜? 普段消えている屋敷といい、だいぶ変わり者のようだな…」


 ヒギンズ教授の目に、再び懸念の色が浮かんできたのを見て、サラはまたふわふわと落ち着かない気持ちになった。


「良き隣人だよ。もらった謎茶も謎肉ガムも、美味いのだから問題ないさ。それよりも、和歌の調書を作るのだろう」


 強引に話題を変えたサラに、ヒギンズは不満そうな顔をしたけれども、仕事の話を遮りはしなかった。


「ああ……できれば今日中に概要をまとめておきたい」


「なんだ、ずいぶんと急ぐのだな」


「あとで詳しく話すが、今回の発掘の成果は、この歌だけではなかったのだ」


「他にも複数あるのか」


「そうだ。それも、二つ三つではない。もっというなら、十や二十でもない」


「……過労死する未来が、いよいよ現実味を帯びてきたな」


 サラが憮然とした顔で言うと、ビギンズ教授も似たような顔で答えた。


「発掘した本人が言うのも何だが、空気を読んで控えめに出て来てくれないものかと、歌に泣きつきたくなったな」


「埋め戻すわけにはいかなかったのか」


「助手や共同研究者たちがいなければ、やっていたかもしれない」


 同病愛憐れむかのような視線を一瞬だけ交わしてから、二人はきっぱりと仕事に気持ちを切り替えた。


「そういうわけで、事業団としても、初めての規模であるだけに、全体の把握を急いでいる。採掘した『歌力』の貯蔵施設を早急に増設しなくてはならないだろうし、保全や警備の人員も増やす必要がある」


「うかうかしていると、『歌力泥棒』が出るか。それも、どこぞの他国どもが国家規模で盗っ人になりかねない、と」


「危険も顧みずにな。歌力を暴走させて自分の国を消しとばすなら勝手にすればいいが、うちでやられると迷惑だ」


 ヒギンズ教授は、用意してきた資料をサラに見せながら説明した。


「これが、今回の歌の意訳だ。発掘現場近くで待ち構えていた古代言語研究者が、二十人がかりで徹夜で作った」


「何徹だ?」


「何人かは五徹だと言っていたようだな」


「何をしてるんだ。止めないと死人が出るぞ」


「止めたんだがな…」


「謹んで、読ませてもらうよ…」


 サラは、行間に血走った徹夜の(まなこ)がちらつきそうな原稿を受け取って、読んだ。


…………

 

それは、一年を四分割した場合の、三番目に当たる期間、すなわち秋という時期のことであった。


高邁なる智を天よりさずかりし皇帝は、刈り取った穀類を貯蔵するために建てられた、粗末な小屋に幽閉された。


そこは、全てを失った皇帝の(つい)住処(すみか)であった。


小屋の屋根は、水辺に生える背の高い草を、乱雑に編んだだけのものだった。


大気中の水蒸気が冷えて水になり、隙間だらけの屋根から滴り落ちてくる。


皇帝の服の袖は水浸しになってしまった。


しかし、「余の袖が濡れている」と言っても、服を替えてくれるものはいない。


皇帝は、一人、泣き濡れた。



………


 サラの目が再び潤み始めたのを見て、ヒギンズ教授はできるだけ事務的な声で質問した。


「さきほど君の『見た』歌の世界に、このような場面はあったのか?」


「あったと思う。穀類の貯蔵庫だったかまでは分からないが、城砦(じょうさい)や邸宅とは言い難い場所で、野営に近い暮らしをしている光景が、幾つも見えた。彼は、ほとんどいつも、怯え、恐れていたように思う」


 ヒギンズ教授はメモを取りながら、話の続きを促した。


「皇帝が野営か。戦場だろうか」


「おそらくは。彼は即位する前に、隣国に大掛かりな戦争を仕掛けて、大敗している。その時に、前皇帝である老いた母親を、首都から遠い本陣に連れ出して死なせ、自分だけ逃げ戻っていた」


「とんだ孝行息子だな」


「いろいろと複雑な家庭の事情があったようでな。詳しくは分からないが、彼と最愛の女性との仲を引き裂いたのは、母親である前皇帝だったらしい」


「身分でも気に入らなかったのか」


「その女性は前皇帝の娘であり、彼の実の妹だだったのだ」


「それは、ダメだろう」


「ダメなんだが、他にも軋轢(あつれき)があったようでな。彼はとても若い頃に、母親の愛人を、彼女の目の前で射殺するという事件を起こしているのだ」


「実の母親に愛人がいるというのは、まあ息子としては辛く不愉快ではあるのだろうが」


「射殺された男は、彼の政敵でもあったようだが、詳しくは分からない。ただ、強い殺意と、泣きそうな混乱した心を感じて、胸が詰まるようだったよ」


「想像を絶する心境だ……君はよく耐えられたな」


「業の深い人物を『見る』のは、珍しいことではないからな。歌力の高い和歌を作った魔導賢者たちは、例外なく暗い記憶と感情を抱えている」


「底しれぬ闇が、力を生むということか」


「そうなのだろう。今日の口寄せで、彼の魂は既に目覚めかけているが、完全ではない。この和歌を私が歌い上げて、巫術によって魂の記憶をこの世界で具現化できれば、『歌力』は蘇るわけだが…」


 ヒギンズ教授は、それまでのサラの報告を書き取ると、改めて、今回の和歌の原文をサラに示した。


「安全に歌えるか?」


………


秋の田のかりほの(いほ)(とま)をあらみわが衣手(ころもで)は露に濡れつつ


………


「言葉で綴られている歌の光景だけが再現されるなら、荒事にはならないだろうが、彼の血塗られた記憶に精霊たちが反応すると、何が起きるか分からない。先週もそれで、神殿が全壊したわけだし…」


 ヒギンズ教授は、しばし考え込んでから、案を示した。


「可能な限りこの作業場から離れ、無人の野っ原で歌う。悪いが、他に方法を思いつかない」


「詫びしいが、それしかないだろうな。気に入っていた神殿の舞台も壊れてしまったし。そういえば、この歌の彼には、白い小さな花が咲き乱れる野原で、恋人と逢瀬を楽しんだ記憶もあったんだ」


「だとすると、野っ原で歌ったほうが、穏便に済むかもしれないな」


「そうだな……ああ、いや、ダメだ」


「成就しない恋だったのか」


 サラは、複雑そうな顔で、野原の逢瀬の顛末を語った。


「その恋人というのは、極めて力の強い巫女だったのだが、彼の実の弟と二股をかけていて、結局、弟のほうと結婚して子どもを産んでいる」


「ダメだな……」


「うむ、ダメだ……」


 翌日、ヒギンズ教授の立ち合いのもと、作業場が見えなくなるほど遠く離れた野原の真ん中で、サラはびしょ濡れの皇帝の歌を、慈しみと悲しみを込めて、高らかに歌い上げた。


 その結果、巨大な竜巻と豪雨が、サラとヒギンズ教授だけを狙って襲いかかるという事態に至るのだけれども、どこからともなく現れた「隣人」が、あっさり消し去ってくれたのだった。





*和歌の出典


 小倉百人一首 天智天皇の歌


*作中に登場する謎の隣人は、本作の姉妹編「災禍の令嬢ヴィヴィアンは、普通に無難に暮らしたい」の主人公です。

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