第二の人生
突然小屋にやってきた女性に健太が困惑していると、その女性は笑顔で健太に話しかけて来る。
「…あの、中に入れてもらっていいかしら? シチューも冷めちゃうから…」
「えっ? あっ…シチュ―? いや、どうぞどうぞ!」
「それじゃ遠慮なく失礼するわね…よいしょっと」
想定外の来客に困惑しながらも、訪問者から悪意も感じられなかったこともあって、咄嗟に言われるがまま小屋の中に女性を招き入れる健太。
女性は持参したシチューの入った鍋を近くのテーブルの上に置くと、改めて自己紹介を始めた。
「はぁ…突然ごめんなさいね! この辺の集落をまとめてる者なんだけど、アナタが来て早々に仕事になっちゃったから挨拶が遅れちゃって…私はアンナ、アンナ・マルセーユよ。それにしても、いきなりクエストNPCを担当させられるなんて運が無かったわね」
「あ、ど、どうも…俺は…中村 健太と申します…」
アンナと名乗る女性は健太と同じNPCであり、自分は近くの集落のまとめ役だと説明する。
どうやらNPC業務のことも把握している様子であり、ようやく意思疎通ができる存在と出会えて健太は安堵した。
「あら? ここに来る前に名前を決めなかったのかしら?」
「名前ですか? いや、そんな暇もなくて…」
健太の名前を聞いて首を傾げるアンナ。
NPCの設定を考える暇もなく送り込まれた健太には、名前を考える余裕など皆無だった。
どうやら普通は来る前にNPC名を自分で決めるものらしく、アンナは健太に現地名の提案をし始める。
「ナカムラケンタ…そうね…ケンタ…ケンタ・インソーンなんてどうかしら? ここではそっちの方がしっくりくるわよ。世界観とかも大事でしょ?」
「えっ? ケンタ…インソーン???」
「私達みたいな一介のNPCの名前なんて重要NPCに比べたらあっても無くてもいいものだけど、こっちでの名前があった方が色々便利よ」
突然人の名前を改名しようしてくるアンナさん。
彼女もどうやら本名ではないらしく、その容姿から勝手に日本人ではないと思い込んでいた。
確かにゲーム名からして西洋ファンタジーな世界観だけど、急に名前を決めろと言われても困ってしまう。
「え、いや…そんな急に言われても…」
「まぁ、色々と混乱してるみたいだから、とりあえず食事にして落ち着きましょうか。折角のシチューも冷めちゃうわ…他のことは食後にゆっくりとね」
「あ、はい…」
唐突に改名を迫られて健太が困惑していると、とりあえず食事にしないかと持参シチューを進めるアンナ。
朝から何も食べておらず、薄っすらと空腹感の様なモノを感じていた健太はその申し出を受け入れた。
何よりその美味しいなシチューの匂いに、先ほどから健太自身も頻りに気になっていたようだ。
「…美味い!? これって賄い的なヤツですか? いやぁ…こんな高そうな野菜がゴロゴロと」
アンナさんが持ってきたシチューはお世辞抜きで美味だった。
庶民の料理と言えば国から配給される粗悪な缶詰ばかりであり、食材から料理をつくるなんて今では上級国民しか楽しめないものだったからだ。
こんな料理は特別な日にしか口にできず、それこそ俺が食べられるのは誕生日の日ぐらいだった。
もし、こんなモノが毎日食べられるのだとしたらNebulaの生活保護も悪くはない。
この時代では調理という行為自体が庶民には珍しく、アンナから出されたシチューをガツガツと平らげる健太。
その様子をアンナは温かい眼差しで見つめていた。
それから程なくして、食後にようやく一息ついたところで健太はアンナにこれまでのことを話し始める。
いきなり見知らぬ小屋で目覚め、若返ったうえにCIN-NAMONというサポートAIに無理やりテキストデータを脳裏に刻まれたり、唐突にプレイヤー達の相手をさせられたことを健太から聞き、概ねその状況を理解したアンナはため息をつきながら話を続けた。
「…その様子だと、やっぱり大した説明もされずにココに放り出されたのね。最近その辺が雑なのよね…名前の件もそうだけど」
「あの、終身雇用の件は俺も承知してるんですが…自由時間って具体的にどう過ごせばいいんですか? 家に帰ったりもできるんですか? それにこの身体…このテーマパークから出る時は戻るんですかね?」
CIN-NAMONから十分な情報を得られず、自由時間のことや変化してしまった自身の身体のことなどについて尋ねる健太。
「…テーマパーク? …あーそいうことね。そこまで気付いていなかったなんて恐ろしいシステムよね」
「???」
健太の問いに首を傾げるアンナだが、ある思い違いに気が付き話を進める。
そして、アンナの口から思いもしていなかった衝撃的な事実が付きつけられた。
「…あのね、ここはそもそも現実世界じゃないの。運営会社のNebulaが管理するゲーム… アンリアルファンタジアに存在する世界【アーネルトゥラストリア】の中なのよ」
「…………はぁ!? ゲームの世界!? そんなバカな!」
「と、とりあえず落ち着いて! 説明ナシに送られたんだから当然の反応よね…まぁ、説明されてても実際にここで目覚めた時は私も驚いたけど」
自分達がゲームの世界に居るのだとアンナから説明され、思わず声を上げる健太。
その後、動揺する健太をなだめながらアンナは自分達が24時間ゲーム内で活動している【生体NPC】だと説明する。
(ここがゲームの世界で…俺も含めてここにあるものは全部作り物なのか?)
目覚めた時に変化していた容姿も、性別に合わせてランダムに割り当てられたものらしく、別に若返った訳でもそもそも本物の身体でもなかった。
そして詳細は不明だが、元の生身の肉体は外で生かされたまま最新の技術でゲーム内に意識だけが閉じ込められており、自分達の意思では現実世界に帰還することは絶対に叶わないとアンナさんは教えてくれた。
つまり、Nebulaとの間で結んだ生活保護の契約により、残りの余生を俺は全てこのゲーム内で過ごさなければならないのだ。
「そんな…一生俺はここで暮らしていくのか…嘘だろ…ゲームの中で!? そんなの聞いてない!」
「アナタ、自分の意思でNebulaの生活保護を受けたんじゃないの? 説明会での話をちゃんと聞いてた? 契約書の内容は?」
「え…あっ…それは…」
健太はよく内容も確認せず、勢いで契約を結んでしまったことをアンナに話す。
するとアンナは大きなため息をつき、同情しつつも呆れた表情を浮かべていた。
「どうしてそんなに採用担当が急いでいたのかは知らないけど、企業の提供する生活保護がどんなものか知ってるでしょ? まともなモノなんて例外なく存在しないのよ。それにしても外は相変わらずみたいね…とにかく、こうなった以上はここで暮らしていくしかないわ。 それに、案外ここの生活はアナタが想像している以上に楽しいものかもよ? 私が知る限りではNebulaの生活保護は人気な方だし、進んでこの世界に来た人達も結構いるわけだしね」
「……」
アンナさんの話だと、この世界には俺達のような中身ありのNPCが少なくとも10万人以上は配置されていて、クエストの仕事も毎日ある訳ではなかった。
そもそも外と中では時間の流れも違うらしい。
シナモンが言っていた【ゲーム時間】というのもこの世界のモノであり、アンナさんはこの世界で既に約三年も過ごしていると言っていた。
俺が早々に体験した業務は、ある程度ローテーションで回ってくるとかないとか。
ちなみに行動制限などはクエスト進行に支障をきたさないための運営側の対策だと聞かされた。
そして、仕事がない間の自由時間はCIN-NAMONの言う通り文字通りこの世界で自由に暮らせることであり、何をしようが構わないらしい。
ただ、自傷行為や自殺の類の行動は制限されるとか。
「さて、ここからが大事な先人の知恵よ。先輩からのアドバイスね」
「は、はい!」
そして最後に何点か、この世界で安全に過ごすための基本的なルールを教えてもらった。
まず一つ目は、極力この世界では現実の生活習慣に沿って暮らすことだ。
ここでは飲まず食わず、不眠不休でも肉体的に死ぬことはないらしいが、人間らしい生活習慣を放棄すると遅かれ早かれ精神面に異常が出るらしい。
故に料理をしたり、何か作業したり睡眠したりなど現実と同じよう暮らしを進められた。
二つ目は【安全領域】と呼ばれる地域をでないこと。
NPCの居住地域にはそれぞれ安全領域が設定されており、その地域に居ればモンスターやプレイヤーから攻撃される心配はないのだという。
逆に一歩でもその地域から出ると死のリスクが発生し、死亡時には現実世界でも死ぬと言われた。
「えっちょ…ゲームの中で死んだら死ぬんですか!?」
「あーごめんなさい。確かにここはゲームの世界だけど、私達にとってはもうここが【現実】なの。だからこの中での死は現実の死と同義よ」
「……そんな…」
ゲームという認識が死の概念を曖昧なものに感じさせてしまうが、あくまでも健太達にとってのアーネルトゥラストリアでの生活は【現実】なのだ。
改めてその事実をアンナから共有され、自分がとんでもない契約をNebulaと結んでしまったことを再び後悔する健太。
そんな健太を励ます様に、アンナはアドバイスを続けた。
「でも安心して、【安全領域】を出なければ死のリスクは確実に回避できるから。安全領域は人々の住む集落にそれぞれ一定領域割り当てられれている地域ね。この辺だと分からないと思うけどアモル川の桟橋からメルディラン方面の街道入り口までかしら…」
聞いたこともない土地の名前に困惑する健太だが、とにかく暫くは勝手に村から離れるなと警告される。
そして、同時にゲーム世界で過ごすための必要な重要な情報を共有された。
「そうそう、これも説明されてないと思うけど、私達もプレイヤー程ではないけど【ステータス】なども与えられているの…さぁ、手をこうやって三秒程度合わせて左右に開いてみて」
「……えっ…はい…」
アンナさんの指示通りに両手を合わせ三秒程経過してから左右に開いてみると、その場にゲームのメニュー画面のようなものが出現した。
こんな大事なことを教えてくれなかったあのポンコツサポートAIが本当に憎々しい。
そこには現在の健太のステータスなどが記載されており、様々な情報が数値化されている。
「アンナさんこれって…俺のステータスなんですか?」
「そう、自分にしか見えないから安心して。そのステータスはここでの暮らし方で大きく変化していくもので、私達の唯一の希望でもあるわね」
「希望?」
与えられら箱庭の中で静かに大人しく暮らすか、多少のリスクを犯して自分を成長させるかは自己責任だと話すアンナさん。
外の世界のように生まれた瞬間に終わっていることなどはなく、この世界は自分次第で様々な生き方を選択できる可能性に溢れていると話してくれた。
それから真偽は不明だけど、一介の村人から商人を経て一国の王様になった生体NPCも存在するらしい。
多分、それが面談の時に軽く説明された【生活レベルの向上保証】というヤツなのだろう。
それと、アンナさんは俺が初期配置された【ネポン村】と呼ばれる村の村長を【演じている】そうだ。
出世の方法は様々あり、アンナさん曰くゲーム世界の住人として【プレイヤー達を楽しませる】ように振舞えば勝手に暮らしはよくなっていくとか。
逆に何も自発的に行動を起こさなければ、一生初期設定のままで生きていくしかないらしい。
要はどれだけ積極的にゲーム世界に干渉したかで生き方を変えられるようだ。
「さっき話した二つ目のルールはアナタ次第ね。平穏な余生を過ごしたいなら初期配置の地域で細々と暮らせばいいし、この世界で何かを成し遂げたいなら広い世界を冒険してみるのもいいかも」
「でも俺…そんなやりたいことなんて…」
「別にスグになんて言わないわよ。ここで業務をこなしながらゆっくり先のことは決めればいいんだから」
「はぁ…」
多分、外の世界で俺にそんな行動力があれば生活保護なんて受けずに済んでいたかもしれない。
王様になったヤツだって事実かどうかも分からないし、仮に真実だとしても親が金持ちだった子供のように運がよかっただけだろう。
(俺は別に何も特別なことは望まない、ただ平穏で平凡な日常を過ごしたいだけ…でも、そんな考えだったから社会から弾きだされてこんなゲームのNPCにされてしまったんだろうなぁ)
少なくともこの時の俺は希望や可能性があると語られても、この世界で何年経過しようが何かを成し遂げようなんて考えもしていなかった。