第十五話 モサモサさん
「慶子さん、お店のジャンパーを借りて出ても、良いですか?」
休憩時間になり、外に出る前に、レジ前にいる慶子さんに声をかけた。
「かまわないけど、お店のだと目立たない?」
「いやあ、私のジャンパーのほうが、目立ちますし……」
そう言いながら、お店のジャンパーと、私が着てきたジャンパーをならべる。私のジャンパーは、あっちこっちにピンクの蛍光色が散らばっているものだ。特にその色が好きというわけではなく、これは通勤用のジャンパーで、暗くなってからも道路で目立つためのもの。
「ああ、そうね。お店のジャンパーのほうが、まだ目立たないわね。そのまま着ていって」
「ですよね。では、お借りしていきます」
そう言ってお店を出ると、駐輪場へと向かう。建物の陰からのぞくと、すでに隊員さん達は集まっていた。全員の顔が緑色で、銃のようなものを持っている。どうやら顔には、れいのドーランを塗っているようだ。
「……なんだろ、あのモサモサしてるの。人、だよね?」
整列している人達の中に、不思議なものが立っていた。訓練のための障害物?と思ったけれど、動いているところをみると、どうやら人のようだ。色はともかく、なんとなく東北地方のナマハゲっぽい。
「また、山南さんに質問するものが増えたかな」
一日一度は、師団長さんのおつかいで必ず来店するから、今日もどこかで会えるはず。その時にでも質問してみよう。
しばらくして、広報の人達と、カメラをかついだ人やマイクを持った人達がやってきた。その中に、隊員さん達と同じ服装をした、俳優さんの姿もある。
「おお、たしかにドラマと同じ人だ」
遠くから見ていると、隊員さんと話をして、顔にドーランを塗りはじめる。
「そこから撮影するのかあ……」
私も、どんなふうにドーランを塗るのかは気になっていた。ここからでは遠すぎてわからないので、これは録画してチェックしなくては。俳優さんの準備ができると、その場にいた隊員さん達が、二つのグループに分かれて動き始める。いよいよ訓練開始のようだ。
「モサモサさんチームと、そうでないチームなのかな」
モサモサの人達は、大きなトラックや他の隊員さん、そして取材スタッフさん達とは反対方向へと歩いていく。そしてしばらくすると、銃を撃ち始めた。いきなりの音に、思わずその場で飛び上がって耳をふさぐ。
「いきなり始まった!」
見ていると、どうやらモサモサチームが敵役のようだ。それを迎え撃つ形で、一度その場を離れていたトラックが、再びやってきて集結した。乗っていた人達は、素早く降りると、その場で姿勢を低くして、同じように銃を撃ち始める。その中には、さっきの俳優さんと、取材チームの人達もいた。
「おお、意外と本格的だけど、逆に取材チームの人達が邪魔になってそう」
モサモサの人達を迎え撃っている人達は、それぞれトラックの影に入ったり、地面に伏せたりしている。だけど、取材チームはそうはいかない。どう考えても、邪魔になっていた。
「ま、きっと、そんなの想定内だよね。プロなんだし」
撃ち合いはしばらく続き、そちらの決着がつくと、次は格闘技の実演がおこなわれた。私は走っているところや、ちょっとした自主トレしか見たことがないけれど、ああいうのを見ると、自衛隊ってやはり戦う組織なんだなと実感する。
「そう言えば……山南さん達って、どこにいるんだろ……」
「自分達ならここですが」
「ひっ」
真後ろで声がして飛び上がった。振り返ると、さっきのモサモサの人がたくさんいる。
「え、山南さん?!」
「どうも。御厨さん、見てたんですね」
「見てました」
声は間違いなく山南さんだ。だけどモサモサしてるし、顔は緑色だし、正直いって、見ただけでは誰だかさっぱりわからない。
「山南さん、こっちのチームだったんですか」
「俺もいるよー」
「ちなみに俺もー」
尾形さんと斎藤さんの声がして、モサモサさん二人が手をあげた。
「……」
二人も正体不明状態だ。
「こんなカッコウしてると、誰が誰だかわからないでしょう?」
私の考えを読んだのか、山南さんが笑った。
「ぜんっぜん、わかりませんよ。てか、全員、誰が誰だかまったく見分けがつきません!」
「ちなみにこれが、ドーランです」
山南さんが、緑色の自分の顔を指でさす。
「なるほど。緑色のナマハゲ装束にうもれて、まったく顔が見えませんね」
「緑色のナマハゲ……これは擬装っていうんです。あんなグラウンドでは、逆に目立ちますけどね。ちなみに、人間だけじゃなく、装甲車やバイクにもつけることもあります」
「ナマハゲじゃなかったんだ……」
よく見れば、たしかに草っぽい。感心しつつ、山南さん達はここにいるけど、取材はまだ続いていることを思い出した。
「あの、あっちに戻らなくても良いんですか?」
「自分達はあれでお役御免です。残りはあっちにいる連中に、すべてお任せなんですよ」
「そうなんですか……」
「自衛隊的にはあっちのほうがかっこいいけど、敵役のほうが早く解散できるって聞いてたから、わざわざこっちに志願したのさ、俺達」
尾形さんがいたずらっぽく言った。
「そうなんですか?」
「テレビの前でインタビューに答えるなんて、自分達のガラじゃないので」
山南さんの後ろで、モサモサの頭部分がいっせいに縦方向に動く。つまり全員がうなづいたらしい。
「えっと、お疲れさまでした。それ、早く落としたほうが良いんじゃないですか? こうやって見ていると、かなりお肌に悪そうですよ」
顔は見るからにコテコテに塗られている。しかも、よく見れば耳まで。落とすのが大変そうだし、かなりお肌が荒れそうだ。
「そうですね。モサモサしたのも早く脱ぎたいし、ナマハゲから人間に戻ってきます。行くぞ」
山南さんの言葉に、ウェーイと呑気な返事が返ってきた。
「気のない返事をするな。民間人さんの前だぞ」
ウェイ!! と、元気な声があがる。
「……気の入れ方が違う」
首を横に振ってため息をつきつつ、山南さん達は、その場にいた全員を率いて立ち去った。その姿に笑いをかみ殺しつつ、取材現場に視線を戻す。そこでは、格闘技に俳優さんが参加しているところだった。
「あら、あやさん、もう良いの?」
一通り見てからお店に戻ると、慶子さんが顔をあげた。
「はい。不発弾処理みたいなのをやってたんですけど、遠くからだと見えないし、続きはテレビで見ようと思って」
「ああ、そうね。テレビのほうが、詳しい説明も入るものね」
「山南さん達、敵役で、草みたいなのいっぱいつけてました。取材から早く解放させるからって、そっちに志願したみたいですよ」
「そういえばさっき、お店の前を草集団が歩いていったわ。あれがそうだったのね」
慶子さんが笑った。
+++
そろそろ、取材を終えたテレビ局の人達が、帰る時間だろうというころ。見知らぬ集団がお店にやってきた。服装や雰囲気からして、ここの自衛官じゃない。ということは、テレビ局の人達だろう。
その人達は、今回の取材に関しての感想を話しあいながら、商品棚のほうへと向かった。手にしたのはジュースや栄養ドリンク系だ。お会計をしながら、彼等の会話に耳をそばだてる。どこそこの駐屯地は、とか、どこかの基地は、とか、そんな会話がされていた。もしかしたら、その手の取材をメインにしている人達なのかもしれない。
そこへ、若い男の人が足早にやってきた。ホットドリンクが置いてある棚から、ほうじ茶のペットボトルをとるとレジにやってくる。
「あの、申し訳ないのですが、プラカップを一つ、いただけますか、Sサイズの」
「はい。コーヒーでよろしいですか?」
「いえ、カップだけいただきたいんです」
「はい、どうぞ」
私が返事をする前に、慶子さんがカップをカウンターにおいてくれた。
「ありがとうございます」
お支払いをすませると、その人はお店を出ていく。さりげなく目で追うと、廊下にある長椅子に、あの俳優さんが座っていた。その人は、ペットボトルのお茶をカップに注いで、俳優さんに渡している。
「マネージャーさんだったんですね、さっきの人」
「みたいね」
慶子さんとヒソヒソとささやき合った。
「なんでカップを使うんでしょうね」
「イメージがあるんじゃないかしら?」
「ここ、誰の目もないのに」
「少なくとも、私とあやさんがいるじゃない?」
「そんな細かいところまで見てませんよ、私」
それでも耳はすました状態だ。俳優さんとマネージャーさんの、話している声が聞こえてきた。
―― トイレの洋式が少ない? トイレの便座が冷たい……? ――
その口調は、文句というより愚痴っぽい。
―― そりゃ、温かい便座に慣れてたら冷たいかもしれないけど、全部につけたら、電気代がすごいことになっちゃうじゃない? ――
普段から、節電を心がけている隊員さん達を見ている私からすると、ちょっと腹立たしい。それに、洋式トイレは少ないといっても、まったくないわけじゃない。
―― いまいち、きれいじゃない? ――
その言い分も間違ってる。施設的には古い部分もあるかもしれないけど、毎日のように隊員さん達が掃除をしている。きれいじゃないなんて、とんでもない。私も使わせてもらっているけれど、トイレが汚れているのを一度も見たことがない。
―― ここの隊員さん達、毎日きちんとお掃除しているし、感心するくらい、きれいに使ってるのに ――
ちょっとどころか、かなりムカついてきた。他のバイトさん達から聞いた話によると、トイレが汚れたりゴミが落ちていたりするのは、一般のお客さん達がたくさん来た時のほうが圧倒的に多いらしい。
―― 汚したりゴミを落としたりするのは、そっちのほうがずっと多いくせに ――
「……」
―― ま、たまに流し忘れちゃう人がいるって話は、聞いたことあるけど ――
テレビ局の人達は、お店の前の長椅子で長々と居座り続けた。
―― 早くどっか行ってくれないかな……。そうじゃないと、隊員さん達が利用しにくいじゃない ――
時計を見れば、三時のおやつタイムはとうにすぎている。本当なら、師団長さんのおつかいの山南さんや、事務をしている隊員さん達が来店する時間だ。きっと、この人達がいるから遠慮をしているに違いない。
―― ま、山南さんの場合は、遠慮っていうか避けてるっぽいかな ――
そこへ広報の人がやってきた。そして、テレビ局の人達にねぎらいの言葉をかけている。
―― お疲れさまじゃなくて、早くそこからどいてもらってくださいよ~。その人達がそのまま居座ってると、うちの売り上げが増えないじゃないですか ――
心の中で、広報さんにそんな言葉を投げかけた。




