例えばこんな殺人事件
――二〇一〇年代日本。
女性の行方不明事件が起こっていた。対象となるのは誰もが美人と認める女性ばかりだった。見目麗しく、また体型も細すぎず太すぎず……嗚呼、絵に描いたような美女ばかりだ。彼女たちは思い出したようにいなくなる。
身代金の要求もない。ふと失踪して行方知れずになる。書置きもなく、またその後の連絡もなく。かと言って何かの証言もなく。
犯罪に巻き込まれたのだろうか? それに関する情報もない。更には共通点としたら、長い黒髪の美しい女性だという処しかない。
全く謎の事件である。連続性も、曖昧だ。
連日の報道を見ながら苦笑する女が一人居た。彼女の名は、便宜上ラウラ。
長い黒髪をポニーテールにし、黒い服を好んで纏う。好奇心に丸々と丸まる大きい赤い瞳。女……とは称したが、外見は長い髪を覗けば実に中性的で。鑑賞に堪える美貌、と言えそうだった。
性別としては女である。だが、本人にとってその自覚はかなり薄いモノであるのも、また事実だ。
ラウラは紅茶を嗜む。少し鉄分を含むそれを楽しむ彼女は、一応世間的には凄腕の外科医とされている。だがその実態は……
「全く以て世間と言うのはナンセンスだな。真実と言うヤツが見えていない。真実と言うのは追い求めるモノでは無く、気付くものだよ。悟るのと、何ら変わりはしない。愚か、愚かに過ぎて欠伸のかけらも出て来ないとは、実に遺憾の意を示す!」
ケタケタと笑う。部屋に立ち込める独特の臭気……それは正しく血液の匂いであった。
そう。この女は殺人鬼である。
殺人鬼……ああ、その呼称は当てはまらないのかも知れない。彼女に罪の意識は全くなく、かつての誰よりも、純粋無垢に彼女たちを愛でていた。
そう、彼女たちを、だ。
その丸い瞳を甘く潤めて。彼女は出鱈目を報道するテレビの電源を消した。そして立ち上がっては隠し部屋を覗き込む。その空間は証明が少し暗めに設定されており、余計に異様な雰囲気を見せていた。
――その狭い部屋には、一体の人形が居た。
黒髪が美しく、死蝋のような白い肌を持つ、等身大の人形だ。
その部屋は消毒液の匂いが漂っている。しかして清潔感とは、また違った雰囲気を漂わせていた。……そう、しいて言うのであれば禁忌の匂いだろうか。嗅覚と味覚が密接に繋がっていると言うのであれば、それは確かに知恵の実の味をしていたかもしれない。
「んふふっ。今日もアナタは美しいなぁ……」
ほぅ、と熱い吐息を漏らして、ラウラは彼女の冷たい手を恭しく取る。
その部屋は異様なまでに冷えていた。だが、ラウラの熱い吐息と高ぶる感情を冷やすには至らなかった。
その人形の顔は先程まで報道されていた女性にとてもよく似ていた。しかし、その眼窩に収められていたのは、ダークブラウンの瞳ではなく、イミテーションの宝石にも見える……人工の瞳であった。
その人形は黒いドレスで覆われていた。フリルやレースで覆われている肢体は、そのほとんどが布で覆われている。ああ、本当に精巧緻密な人形であれば良かっただろう。
しかし、甘く蕩ける瞳の奥で……ラウラは昨晩の事を思い出していた。
――泣き叫び、せっかくの美貌も台無しに崩れた恐怖に慄くその表情。激痛に悶える四肢が強張り、施術台から浮き上がる様子。耳の奥に、目の奥に焼き付けられたそれは……やはりどう足掻こうと一人の女性が絶命する様子でしかなかった。
ラウラは女性を攫っては、殺め、外科医としての知識を悪用して……自分好みの人形に仕立て上げる事を楽しんでいた。
彼女の中の道徳観と言うのは、既に影形もなく。ただただ純粋に彼女たちを愛でていた。悪いことをしているという自覚はどこにもなく。しかし、理解されない事であると言うのは薄々知っていた。しかし、止められない。綺麗なモノを綺麗なままで。
……果たして、それの何が悪いのだろうか。
そう、疑う事も無く。ただラウラは物言わぬ彼女たちを飾り立て、鑑賞していた。
「嗚呼、美しい……」
「――ラウ、ラ……?」
だが、背後から声をかけられた。思わぬ声、しかし聞き知った声にくるりと振り返り、ラウラは首を傾げる。
「あれ? 今日来るって言ってたっけ?」
犯罪が露呈したことに対する恐怖も、見つかってしまった事に対する焦りもなく。ただラウラは思わぬ来訪に首を傾げていた。
声をかけたのは、ラウラの……恋人と、呼ぶべき人物であった。ただ、ラウラは自らが女である自覚は薄い。恋人だと思っていたのは彼とその他大勢のみであった。
彼は、恋人である所のラウラの異常さには気付いていた。だが、その危うさにこそ惹かれていたと言っても過言ではない。……まさか、本当に崩れているとは思わないではないか。普段から怪しい発言を繰り返しているとは思っていたが……誰が。
「人、殺し……!」
「はぁ? キミまで何を言うのだね。人殺し? いつどこで僕が殺人を犯したと言うのさ。僕が何だかんだと手術を失敗させて、人命を喪わせた事など、ただの一度たりとも無いのは、ご承知の通りだと思ったが?」
彼の背筋に戦慄が走った。
男は一つの疑惑を得、恐る恐る確認の言葉を投げた。
「……まさか、その人は死んでないって言うのか……?」
「ちゃんと生きているじゃあない。美しいでしょう?」
会話が少し成立していない。嫌な予感は拭えなかった。疑惑が確信となり、彼は王手をかけた。
「……ぬいぐるみは、生きているのか?」
「何を今更な事を。前々から言っているだろう?」
「目を覚ませよ! その人は死体だぞ!?」
信じられない。目の前の現実が受け入れられなかった。だが、ラウラは恐怖で喚く事しか出来ない男に対して、ただひたすら哀れみの表情を向けることしか出来ないでいた。
「この子は昨日できたばっかりだから、まだどこも崩れていないぜ? 何を言うのだよ、馬鹿馬鹿しい。いや、煩わしい」
煩わしいな。
そう、もう一度呟いてからラウラはうっとりと陶酔の表情を浮かべた。
「……ああ、そう言えば男は未だやった事が無いんだったな。ちょっと実験台になってみてよ」
「いや、止め……!」
後ずさる彼に、ラウラは首を傾げる。
ただ一点の曇りなく、子供が蟻の手足を捥ぐような気軽さと無知で、ラウラは言う。
「……? キミは僕の事が好きなのだろう? ならば協力してくれたっていいじゃないさ」
――後には、ただ長いだけの男の絶叫が響き渡った。
ラウラは逃げていた。
単純に追いかけられているから逃げているのだ。何か悪いコトでもしただろうか。
彼の絶叫に不審を覚えた近隣住民の通報により、事態が発覚。警察に通報され……ラウラは警官が到着するよりも前に隙をついて逃げ出した。大勢に追いかけられるのは怖い。
何が悪いのか、全く分からない。
ラウラにはただ一点、それだけが分からなかった。人を殺すのは悪いコトだろう。……ならば、生き死には何処で区切られると言うのだろうか。分からない。彼女たちは生きていた。彼だって未だ生きているではないか。
ラウラは外科手術で一度も死なせた事は無かった。今回だって死なせたわけではない。少し、身体の内部構造に手を出すだけだ。
それだけだったのに、どうしてあんなにも否定されなければならないのだろうか。今まで上手くいった。これからもそうだろう。
分からない。分からないのだ。
「はぁっ、はぁ……ここ、は……」
無我夢中に逃げてきた為、現在位置が分からない。どうして大勢の人間に追いかけられなくてはならないのだろうか。分からない。怖い。
何かどうしようもない認識の差があるように思えてならない。怖いのだ。知らない事は怖い。知らないソレを認めるのが、恐ろしすぎる。
――いつの間にかに、ラウラは山の中へと入っていた。
秋も深いこの頃に、どうしてか桜が咲いている。その足元の彼岸花と合わさって、幽世に紛れ込んだような感覚さえ抱いた。
その幻想的な雰囲気に呑まれ、ラウラは状況も忘却し、唯、その光景に見入った。
「こんばんは、お嬢さん」
「……こんにちは、じゃあないの?」
ラウラは割いている桜の中でも一際大きい樹の下に立っている人に、ようやく気付く。声をかけられるまで、気が付かなかった。
しかし一度気付いてしまえば、その白と黒の二色しかないその人を無視するのは、ラウラには不可能であった。
のんびり会話と興じている場合ではない。だが道に……倫に迷子となったラウラは、その人との会話以外に最早やる事が無くなっていた。
「こんな幻想の前では、そんな挨拶なんて塵か霞と同義さ。ああ、霧だったかも。さて、お嬢さん。キミは此処に何を感じたかね」
「何を感じたって……」
どう、形容すれば良いのだろうか。それすら迷うラウラは、桜と彼岸花に視線を彷徨わせる。思い付いたのは、此の世でなく……
「彼の世、かな。この世のものと思えぬ空間。現実に起こっているのだから、少しナンセンスな言い方だろうけど、僕にこれ以外の形容は出来ない」
「ほう? 存外リアリストだったんだねぇ。なら、答えが出そうなモノなのに」
コタエ。はて、何の答えだろうか。
疑問に首を傾げているとその人はスゥとラウラに歩み寄り、そうして笑った。
今まで人形に仕立ててきた女性の誰より美しく……そして誰より、狂的な、との表現が似合う笑顔だった。
「他人とは、一番身近な異世界さ。認識が少しずれていたって何ら不思議じゃあないだろう? だから、キミにとってアレは生きていても、他の人から見れば死んでたのさぁ」
蝶が舞うように気軽に放たれた言葉が信じられない。
不意に自らが言った言葉が思い出された。
――真実と言うヤツが見えていない。
――真実と言うのは追い求めるモノでは無く、気付くものだよ。
「悟るのと、何ら変わりはしない……?」
「正しくその通り。ようやく気付いたじゃあないか」
悪夢のようなその人はラウラを祝福した。にこりと笑い、そうしてやや緩やかに手を叩く。拍手だ。
その音は山に響き渡る。やがてやまびことして帰ってきて、山全体でラウラが<気付いた>事を祝福し始めた。
「まったく、渡ってきて最初にやる事がまさか迷える植物を導く事だとはね。地に繁り、生えよって? 冗談じゃあないよ」
悪夢は肩を竦めては、最後に一回手を打ち鳴らす。開いたその掌の上には……いつの間にかに光さえも逃がさないような……そんな、黒々としたサイズ――大鎌――が握られていた。
死神が持つに相応しいそれは、こうした幻想的な雰囲気に実に合致している。悪夢に呑まれたラウラは、思わず尋ねていた。
「アナタはもしかして、僕を殺す為だけに彼の世から渡って来たの?」
「似て非なる解釈だが、キミにとっての真実ならば……それは正解とも言える」
敢えて曖昧なままでいたいらしい。やがて粛々とそのサイズは振り下ろされた。
連続女性殺人犯が逮捕された。凶悪な犯人は人の家に勝手に押し入り、そして一部改造。家主の恋人を殺して逃走。家主は犯人を追いかけ、そしてその手にかかって死した。
腕のいい外科医を襲った悲劇として、それは大々的に報道される事となった。
その報道を見た、蜂蜜色の髪を持つ青年は顔を顰める。彼は真実を知っていた。
「……この結末で良かったんです?」
「んー? ああ、それ?」
それに応じる悪夢はただ淡々と肩を竦めた。それも含めて気に食わない青年は、悪夢に噛み付く。
「こんなの、噓八百じゃないですか。警察の方からも大分疑われて……正直僕だって色々と言いたい事があるんですけど!?」
「だが、真実として確定してしまったからねぇ。今更どうしろって?」
明らかに楽しんでいる表情をする悪夢に、青年は呆れかえって物申す事を止めた。その顔にありありと表れている不満を読み取り、悪夢は愉快な気分に浸る。
「ああ、そうさ。美しいモノは美しいままで手折ってやるのも、また一興じゃない。悪夢サマは気紛れなのさぁ。キミだってその事を存外分かってくれていると思ってたけど?」
「それとこれとは話が違うと思いませんか?」
「おっと、藪蛇だったか」
ひょいと肩を竦めて、そうして悪夢は話を眩ませた。青年はその事に気付かず、悪夢の飄々とした態度に苛立っていく。
「……まぁ、真実なんてどこにもないのさぁ」
やけにその言葉が生々しく聞こえた――。
セルフ二次創作をする目的で書いてみた訳ですが、書いてる途中、<悪夢>が話し始めた辺りは少し楽しかったです。所で、だからジャンル分けに大分困ります。いっそ分類不可でも設けてくれれば良いのに……
やはり<悪夢>が話し始めると謎の安心感がありますね。思い入れがある子なので、一回好きにさせるといくらでも話すところがまた憎らしくもありますが。