噂6『廻るメリーゴーラウンド』・噂7『観覧車から聴こえる声』
上向きの睫毛に縁取られた大きな目が、怖々とこちらの様子を窺っている。素で整った顔立ちの、いわゆる天然美人ってやつだ。まだ幼いし、子どもみたいだけど、せっせと顔面に手をかける必要の無いタイプだろう。
怯えられているにも関わらず、私は自然と頬が緩むのを感じた。
「あの、えっと……」
「こんにちはぁ! 聞いてると思うけど、私は手野響子。あなたが舞夜ちゃんよね。話は聞いてるわ。会えて嬉しい!」
「は、はい。帝釈くんの友達の柊舞夜です。よ、よろしくお願い、します」
なんだか会話に戸惑いが見えた。幽霊である私に怯えているのか。
それとも、あいつが何か余計なことでも吹き込んだのか。
「…なに人のこと睨んでんの?」
「別に。ねえ、私も舞夜って呼んでいい?」
「は、い」
「そんなに怖がらなくても大丈夫だってばー。私なんて幽霊みたいなもんだけど、そういう反応されると傷付くってゆーか」
笑いながらそんなことを言ってみると、舞夜は罪悪感からか申し訳なさそうな顔をした。予想通りの反応に余計に笑みが深まる。
――今後、色々やり易くするためには、ちょっとでも仲良くしてもらわないとね。
「それより何で制服なの? せっかくの休日なのに」
「え?」
舞夜は目を丸くして、戸惑ったように自分の衣装を確認する。濃紺色のブレザーから、まだ綺麗なローファーまで、全身学校で指定されているような格好だった。
「僕も似たようなもんだけど」
帝釈紫苑のなんの面白味もない学ラン姿はどうでもいい。彼の場合、黒にほど近い臙脂色のパーカーを中に着込んでいるのだけが特徴か。しかし敵のオシャレなんて死ぬほどどうでもいい。
「あんたは別になんでもいいし。それよりそのパーカーって校則違反じゃないの?」
「さすがに普段は着てない」
「ふーん。普通に私服で来たら良かったのに。授業があるわけでもないんでしょ?」
「でも……折角の遊園地ですし、制服で来たくないですか? 修学旅行、みたいな」
若い。理由が若い。
私は思わず眩しく感じた。高校生時代なんて、ほんのちょっと前のことだと思ってたのに。
なんだか虚しい気持ちになって、それ以上尋ねる気力がなくなった。
……入れ替わった時に備えて、私服の趣味も知っときたかったんだけど、まあいい。あんまり構っていると帝釈紫苑に勘付かれそうだから、今はここまでにしておく。
「今日は女の子も好きそうなとこに行くわよ!」
この時の為に、そういう噂を残しておいたのだ。私って、結構有能なのではないだろうか。
噂6『廻るメリーゴーラウンド』。
――メリーゴーラウンドが勝手に廻っていることがあるらしいよ。誰も乗っていないのに。明かりが灯っているのはとても綺麗らしいんだけど、ね。
ホラー感も薄いだろうし、これなら普通の女の子だって比較的平気に違いないと、早速その場を訪れたわけだが。
「確かに光ってるけどさぁ。……今何時か分かってる?」
「ぐっ……」
まだ太陽も下がりかけたばかりの真昼間。
目の眩むほど明るい強烈な日光に、メリーゴーラウンドの電飾は圧倒されてしまっていた。せめて夕暮れであればまだ見れたのかもしれないが、頭上一面に広がる健全な青空に、メルヘンとロマンチックはすっかり敗北を喫している。
「あ、誰か乗ってる」
「祓ってくる」
舞夜はふと示した先に、帝釈紫苑は躊躇なく向かっていく。
――いや、私の目の前でそういうの祓うの、やめて欲しいんだけど。
なんて、それが目的で此処にいる彼に言えるはずもなく。私は情けない気持ちで空を仰いだ。
なぜこんな時に限って、またとない日本晴れなのか。遊園地では最高の天気なのかもしれないが、この廃園ではそれも無意味だ。
溜息を飲み込み視線を戻すと、舞夜と目があった。思ったよりも怯えのない、落ち着いた様子で私の視線を受け止めていた。
……よくよく考えてみれば、帝釈紫苑のいない今がチャンスだ。あいつ、いちいち彼女の前に立つわ口は挟むわで、ほんと邪魔だったから。
「ね、舞夜のその制服、可愛いわね。変に派手じゃないっていうか、落ち着いてる感じで。ていうかスカート膝丈なの?」
我ながら、なんか発言がおばさん臭いぞ……。
それでも久しぶりに女子とファッションの話をするのは楽しかった。舞夜はよく他人の話を聞いてくれるので、私みたいなタイプにはとても喋り甲斐のある子だった。出しゃばり過ぎないし、ちょくちょく私のことも褒めてくれるし、仲良くなってもいいかな、とさえ思えた。
まあ体は奪うが。
「手野さんはやっぱり大学生ですね、大人っぽいです。その黒のフレアスカート可愛いですね!」
「これ? 彼氏の趣味よ。私、清楚ですーみたいな服が好きで。分かり易い趣味よねー。それで私がこんな格好してたら、他の女どもも真似みたいなことしてきてさぁ」
「修羅場」
八咫と鈴木は全然似合ってなかった。佐藤は童顔過ぎて背伸びしたコスプレにしか見えなかった。
加賀美レイナは、他と比べればまあ似合っていた。というか谷田くんの好み関係無く、彼女自身がそういう「私、清楚ですー」って感じの服を気に入ってたみたいだった。私の今の髪型も、彼女とお揃いみたいになってて不愉快だった。身長とか体型が似てたのも、私としてはさらに嫌だった。
ま、だとしても私の方が似合ってたし・可愛かったから、勝ち!
「……いやそんなことはいいんだよ」
何を普通に雑談楽しんでるんだ。私は馬鹿か。
「あの、なにか……」
「ううんなんでもない! 私の話なんていいの! 舞夜の話が聞きたいなぁ」
そんなことを急に言われて困惑したような顔をする彼女に、私は親しげににこにこ笑いかける。
「ね、舞夜ってこういうとこ好きなの? 廃墟とか、そういうの。もしくは幽霊とか……」
「うーん、嫌いじゃないですけど、今回はただ彼に呼ばれただけというか……。でも、なんだか新鮮で面白いです。どのアトラクションも、ちょっと崩れたり歪んだりしてますけど、凝ったデザインで綺麗ですし。折角来たんだし、色々見て周りたいなって」
「そっかぁ」
呟きながら、私はなんだか唇が渇いている気がして舐める素振りをした。もちろん体が無いんだから、そんなはずないというのに。
「ね、ねえ、それじゃあ次は、私のミラーハウスに――」
「終わった」
「おかえり、帝釈くん」
「……ずいぶん早かったのね」
「まあ」なんて曖昧な回答。汗一つ掻いた様子もなく平然としている敵のその様子に、私は苛立つよりもまず背筋がぞっとするのを感じた。
噂7『観覧車から聴こえる声』
――廃墟になった遊園地、人なんか誰もいない筈なのに……観覧車の近くを通ると声がするらしい。小さい声で、「出して……」って。
観覧車が近付くと、帝釈紫苑は噂を確かめるため、一人でさっさと進んでいってしまった。
残された私達はというと、観覧車から少し離れた位置で待機していた。危険だから離れてろ、というようなことを、帝釈紫苑が言い残していったためだ。私としては、観覧車でしたいことがあったわけでもないので、特に不満はなかった。舞夜は心配そうにしていたけど。
「静かですね……」
舞夜の呟きを耳にしながら、私はぼんやりと観覧車を見つめた。逆光のせいで影となっているが、それでも覆い隠せないほどに劣化している。気味悪く浮かぶ錆に、ヒビのはいったゴンドラの窓。
あの風の強い日を思い出す。
最後には、これに乗ろうと言っていた。デートのお約束ってやつだ。私が観覧車を指差してそう決めたとき、谷田くんは高い所が苦手だからだろう、困ったような顔をしていたが、最後にはもちろん頷いてくれた。
この遊園地の観覧車は、見ての通りそこまで大きなものじゃない。谷田くんだって乗ろうとするくらいの小ささ。ライトアップは綺麗だけど、それだけだ。
なのにあの時見上げた観覧車は、どうしてあんなにも大きく高く見えたのだろう。
「『出して』って声がするってことは、やっぱりあのゴンドラの中に閉じ込められてるってことなんでしょうか」
「……」
「手野さん?」
舞夜の艶やかな黒目に私が映る。鏡の中の私が。
「……本当に出て、どうなると思う?」
「え?」
「喜ぶと思う? 今さらどうなるの。だってもう何も無いのよ。閉園されて何年経ってると思うの? 外に出たらもう、中に戻ることなんて出来ない。後悔しても遅いの。現実を見てしまったら、もうどれだけ願ったって、何も知らなかった頃には戻れないの! 絶対に!」
「……外に出ず、ずっと閉じこめられてる方が、寧ろその子にとっては幸せだってことですか?」
「そうね」
私が頷くと、舞夜は複雑な表情になる。困っているのかもしれないし、子どもか私か、あるいはこういった存在に同情しているのかもしれない。だとしたら私にとっては、またとないチャンスなのだろうけど――。
私はぼんやりと、観覧車を眺めるがままだった。
私たちは遊園地にいる。裏野ドリームランド。現実から目を逸らすことのできる、非日常の、夢の国。
あの日、あの時は確かに自分であったはずの『私』という存在が、今の私にとってはあまりにも遠い。過去と今の間に横たわる数年は、ただただ底なし沼のように深い。
あの観覧車に閉じ込められたままの子どもは、そんなことも知らないのだろう。空白という名の暗闇も、自分がそこに落ちてしまっていることも。
「……出たいなんて、外を知らず、中にいるからこそ言える。その間だけしか言えない、勘違いの特権だってこと」
静寂がそよ風となって、舞夜の髪をなびかせる。風が出て来た。遠く、黒いシルエットみたいな木々の梢がざわざわと揺れる。太陽もすっかり傾いて、彼女の影が長く地面に伸びていた。
私は押し黙る彼女に、鏡の中から微笑みかけた。
「ね、舞夜」
あの観覧車に閉じ込められた子どもは、外に出ない方がいい。ずっと外の夢を見させてあげたらいい。観覧車のなかで、永遠に生きさせてあげたらいい。どうして現実に引きずりだす必要があるのだろう。
――だけど、私は違う。
「ミラーハウスに来てみない?」
舞夜は一瞬だけきょとんとしたが、やがてすんなりと頷いた。何も理解できていない子どもみたいな顔をしていた。
私には手段がある。希望がある。あんな惨めな子どもとは違う。失われた数年を、きっと取り戻すことができる。
私はもう、ここに居続けることはできない。幽霊に手をかけ、そしてなんとも無さそうな顔でこちらに戻ってくる帝釈紫苑を見て、改めてその思いを強くする。
外に出たら風を浴びたい。夕方に吹く、嵐みたいに強い風を。