噂2『ジェットコースターで謎の事故』
娘の様子がおかしい。
父親として彼女に違和感を覚え始めたのは、一体いつからだっただろうか。
近すぎず、離れすぎず、悪くない親子関係だと思っていた。仲良し父子とまではいかないが、たまに笑い、ふざけあい、家族で出かけることもあった。変に衝突することも無ければ、険悪になることもない。もっと仲良くなることを望んだこともあったが、十分理想的だと思っていた。
今はそれを後悔している。
もっと娘を見ていれば、関わっていれば。
もっと早く、娘のことにも気付けていたかもしれないのに。
「――いつから私は、娘に違和感を覚えるようになったのか。遡っていった結果、見つけたのがこれでした」
テーブルに差し出されたのは、イラストの描かれたパンフレットだった。目にも鮮やかな紫とピンクがごった返すなか、一際主張されるのは単純な一文。『裏野ドリームランド』。
テーブルを挟んで紫苑の向かい側に座る男性は、続けて茶封筒から数枚の写真を取りだした。
「これが娘の部屋に残されていた、その遊園地の写真です」
「窺っても?」
「はい」
現像された写真。右下に印字された日時どおりにきちんと並べられている。一際大きい一枚は、アトラクションの記念撮影のものだろうか。急降下する瞬間を撮ったのだろう、隣の席の男性と手を繋ぎ、きつく目を瞑っている。
「ああ、そちらは今も付き合いのある男性です。……今どきアナログかもしれませんが、娘はこういったものをきちんと保管しておくのが趣味でした。それも今ではさっぱりですが……」
「この遊園地を訪れてから、娘さんの様子が変わったと」
「はい。それに裏野ドリームランドには、不気味な噂が7つもありまして」
「噂ですか」
「はい。そしてそのうちの一つに、『ミラーハウスの入れ替わり』というものがあるんですよ」
――ミラーハウスから出てきたあと「別人みたいに人が変わった」って人が何人かいるらしいよ。なんというか、まるで中身だけが違うみたいだって……。
あまりにも眉唾な話だ。しかし藁にも縋る思いの前では、その怪しさも希望に代わる。ただの噂だとしても、無視できないほどの輝きに。
「娘の様子が変わった原因を探ってください。それはきっとあの、裏野ドリームランドにあるに違いない。ですから、依頼しましたとおり……」
言葉尻が途絶え、男性が俯く。
紫苑はテーブルに写真を置いた。
「……遊園地の噂を、調べればいいんですね?」
「はい」
「……」
裏野ドリームランドの噂2『ジェットコースターで謎の事故』
――ジェットコースターで起こった事故のこと知ってるか? 「事故があった」とは聞くのに、どんな事故だったのか誰に聞いても答えが違うんだ。
私は今日になって初めて、その噂の理由を知った。
「座席から振り落とされる、車両が壊れる……あれは?」
「んー、車両が脱線したみたいね」
帝釈紫苑が掲げる、うすっぺらい鏡の破片の中で目を凝らす。
動く幽霊コースター、哀れ乗った人間は無残にも命を散らしていく。そこには老若男女様々な人間――ではなく、下品な衣装の若者や、みすぼらしい身なりの中高年が多かった。
前者はともかく、後者はとてもじゃないが遊園地ではしゃぐタイプにも見えないが……。
まあ、彼らの行く末の詳細については割愛しよう。私にそういう趣味はないし、彼らにも興味はない。
「あんなのどうするの?」
「……なんとかするかな」
帝釈紫苑は口元に手をあて、真面目な顔をして考え込んでいる。しかしどれだけ真剣でも片手に鏡の破片を持っているのだ、余所から見たら不審者だろう。
条件なんて、初めは何をさせられるのかと思ったが、遊園地の案内一つで彼の信頼を勝ち取れるなら安いものだ。
私は、写真のあの子の顔を思い出してほくそ笑む。柊舞夜。髪型からして、私とは正反対の真面目なタイプだろうか。そしてこんな性格の男の友達なのだから恐らく人が好い、もしくは同じくらいヤバイ。まあ、実際のところは会ってみないと分からないけれど――。
「ご機嫌だね」
「なんでもなーい」
はやく会いたい。いや、ミラーハウスを訪れて、鏡の前に立ってほしい。私の前に。はやく。引きずり込んででも。私の新しいカラダ。
そしたら。
(真っ先に!! お前のことをフッてやるからなぁ、帝釈紫苑っ!!)
人のこと死人呼ばわりした罰だオラァ!! 実はちょっと気にしてます!!
いやまだ死んでるつもりはないけど、生きてまーす☆なんて元気に言える状況じゃないのは分かってるし!?
そしたら次はもちろん、『私』を奪ったあいつだ……。私のこの数年の憤怒と憎悪、ついでに心身に染みついた根暗っぷりを解き放ってやんよ……。
ついでに谷田くんにも蹴りくらい入れてやりたいけど、さすがに犯罪かなー? セーフかなー? ウーン、どっちでもいいーっ!
「(大丈夫かなこいつ……)……一人で鏡の中に閉じ込められてるのに、それだけ百面相して楽しそうなんだから、もう一生そのままで良さそうじゃん。よかったね」
「アハハそうねー、よかったねー?」
どれだけ腹立とうが苛立とうが、こいつが唯一の友達(この性格からして唯一だろ、多分)である舞夜ちゃんにこっ酷くフラれて号泣する様を想像すれば、限りなく穏やかな心地になれる。もしかしてこれが悟り……?
「そういえば、一度この遊園地を回ったことがあるんだろ? ジェットコースターがこうなってるってなんで知らなかったんだよ」
「ずっとポケットの裏地しか見えてなかったし……それに前はこの辺りでミラーハウスに戻されちゃったのよね」
「ふーん」と帝釈紫苑が振り返る、その視界の先には恐らくドリームキャッスルが見えているはずだ。
「この後ドリームキャッスルに行くのはオススメしないわ」
「なんで?」
「分かってないわねぇ~。この遊園地の回り方くらい調べときなさいよ」
ドリームキャッスルとジェットコースターは、それぞれ北東と南西で対極の位置にある。目に入るから近いだろうし行ってみよう、なんていうのは浅はかな考えだ。全くこれだから素人は。
「通は別のアトラクションを経由しながら移動するものよ。アクアツアーかミラーハウスが鉄板かしら。観覧車は最後だし……」
「へー」
「真面目に聞きなさいよ!」
「聞いてるよ。手野さんはどういう順序で移動したの?」
「私? まずはジェットコースターね。谷田くんはこういうの苦手なんだけど、私は好きだし。乗りたかったし。その時はこんな幽霊コースターなんて見えなかったけど……」
成す術もないまま、幽霊コースターの中で死んでいく人々(恐らく幽霊)。こんな光景が見えていたら、どんなに絶叫系が好きな人間でも近寄らない。
おまけにあの日は風が強く、心無しかアトラクションの揺れも激しかったから尚更だ。そういえば、そのせいで谷田くんは普段よりもビビってたっけ……。
「次はほんとはアクアツアーに行きたかったんだけど。谷田くん、ジェットコースターで気分が悪くなっちゃって……。トイレ行って、それから頼まれてしかたなーくミラーハウスに変更したのよねー」
アクアツアーは水上のジェットコースター、いわゆる急流すべりというやつだ。楽しみにしていたのだが、谷田くんが青白い顔であまりにも必死に頼み込むから、渋々計画を変更したのだった。
まあそのせいで、今こうなっているわけだが。……なんかこう考えると、谷田くんも悪い気がしてきたぞ。
「だいたい、彼女の中身がデート中に入れ替わったのに気付けないってどうなの、」
と愚痴を言いかけたその瞬間。視界がぶれたのは、また帝釈紫苑が歩き出したからだと思った。歩行の振動で視界が揺れたのだ、と。
そしてそれ以上のことを思考できる余裕も無く。
私は気付くと、元のミラーハウスへと戻ってきてしまっていた。
いきなり静かになった、と紫苑が気付いたのはそのすぐ後のことだった。
「ん?」
確認のため覗きこんだ鏡には、紫苑の顔が映り込むだけだった。あれほどやかましかった手野響子の姿は影も形もない。
紫苑は一度振り返り、遠くドリームキャッスルを眺めた。それからミラーハウスがある方向に目をやり、また正面のジェットコースターへと視線を戻す。
「なるほどなぁ」
紫苑は手に持っていた鏡を地面に投げ捨てると、靴底で思い切り踏み砕いた。