自己紹介
少年の名前は、帝釈紫苑といった。
捻くれてそうな彼の第一声は、
「地縛霊?」
……失礼な、と思ったが、正直ほとんど変わらないということに気付いた。だって私、ずっとミラーハウスに閉じこもってるし。
入れ替わろうと思った相手に、奇行をばっちり視認され、気まずくなった私は咄嗟に自己紹介をした。「噂どおり入れ替わられて、それからずーっと鏡に閉じ込められてる可哀想な女の子」と。それからあの雄叫びについては、ようやく人間に会えて嬉しくて、とあながちウソでもないことを付け加えておいた。
少年は初め(なんだコイツ)と言わんばかりの表情をしていたが、私がしつこく絡んでいると、やがて渋々といった様子で会話に応じるようになった。帝釈紫苑というゴツイ名前も、私が鬱陶しくせがんでやっと聞き出したものだた。
「それよりあんた、こんな所に何しに来たの? この廃園、私が言うのもなんだけど、なーんにもないわよ。強いて言えば、私がいるくらいね」
「……『噂』を調査しに来たんだ。家に依頼があってね」
「家ってなに? 家業ってこと? それでこんなオカルトっぽいのを調査しに来たの?」
「それが仕事だからね、先祖代々」
彼はあっさりそう告げたが、それ以上は語ろうとはしなかった。
「ふーん。学生の癖に働いてるんだ。大変ね。同情するわ」
「……他人のこと同情してる暇あるんだねー。余裕じゃん」
分かりやすい嫌味だった。私は表ではへらへら笑いを取り繕いながら、内心きつく歯噛みした。ムカツク奴。普段であればふざけんなと叫んでいるところだ。
そうしないのは、彼にまだ価値を見出しているからだ。
「それでこのミラーハウスに来たのね。あはは、私がいてビックリしたでしょ。まさか噂がほんとだったなんてーって」
「……そうだねぇ、さすがに僕も驚いたかな」
「でも他にもいっぱい――全部で7つくらいだっけ? 噂はあるのに、なんでこのミラーハウスを一番に選んだの?」
「いや、一番はアクアツアー。広かったから先に片付けて来た。次にここを選んだのも適当。ただ目に付いたからってだけ」
「ふーん」
なんてぼやきながら、私は内心、
(こいつには成り代われないな)
という、それだけの事実を確認していた。
性別が違うのはもちろんだが、まさかここまで特殊な職業に携わっているとは考えもしなかった。家業――家全体でこういったことに関わっているということは、私みたいな存在にとっては、恐らく天敵に当たる。
久しぶりの人間で美形だからって、軽率に入れ替わったりしなくてホントよかった。
「そんなことより、僕が知りたいのは此処の噂についてなんだけどね。手野さんがどうして今みたいな状態に至ったのかを、詳しく、手短に説明してもらえるとありがたいんだけど」
「いいわよ。ただし条件があるの」
「なに」
私は鏡いっぱいに身を乗り出した。
「私の愚痴、聞いて」
「は?」
風の強い日だった、という文学的(多分)な前置きから始まった私の話は、結局、一時間以上にも及んだ。
帝釈紫苑は思いの外辛抱強く聞いていた。
「で、谷田くんが言うから、わざわざアクアツアーは止めてあげて、それでこのミラーハウスに来たの!! そうしたらこれよ!? 信じられない!!」
「……谷田くんねぇ」
「そうよ谷田くん! 谷田アツシ! 谷田くんも悪いわ!! 独り鏡越しに見送った、かわいそーな私に気付きもしないんだから。偽物の私とさっさと立ち去っちゃうんだから、谷田くんもほんと分かってないというか……」
「その話まだ続く?」
「まだよ!!」
……聞き流していた、という方が正しいかもしれない。
別に、それに対して文句を言うつもりはない。赤の他人の愚痴なんて心底どうでもいいだろうし、私だって、聞いてくれる存在ならなんでも良かったわけだし。
「あースッキリした!」
「終わった? ……よく一時間も喋るね」
「詳しく説明しろって言ったでしょ」
「ああ言えばこう言う。死人ってなんで大人しく死ぬだけのことが出来ないんだろうなー」
その冷たい言葉より、彼がちらりと向けた視線に私は背筋をぞっとさせる。価値の無いもの、ゴミだとかそういったものを見る目。決して人間相手にする目じゃない。込み上げる恐怖と屈辱と怒りを、私はぐっと抑え込んで笑う。
怖い。ムカツク。嫌な奴。
しかし、彼を利用しない、という選択肢はあり得ない。
「ねえ、今度この遊園地に友達連れてきたら?」
「は? 何いきなり」
「だって暇なんだもん。ずっと独りでこんなとこにいるんだし、やってらんないって言うかさー。いっぱい喋ってたら、ちょっと昔のこと思い出しちゃった。……昔みたいに、色んな人に会ってみたいのよ。それにアンタだって、友達いないってわけじゃないでしょ?」
「いなくはないけど、それより――」
「写真とかないの、写真! いいじゃんちょっとくらい。見せて、みーせーてっ」
言葉を遮ってしつこくせがみ続けると、やがて観念したように、ずいぶんと古い型の携帯端末を取り出した。さっきまでの視線は嘘だったのかと思う程の素直さだ。鏡面に向けられた画面を覗きこむと、
「……女の子じゃん」
「悪い?」
まさか。私は内心の歓喜を押し隠して、ふーん、とだけぼやいた。
綺麗な少女のバストショットだった。困っているような、はにかんだ表情のお陰か、可愛らしい雰囲気である。艶のある黒髪は、小さな画面には入りきらないほど長かった。
他に友達はいないのかと思わなくも無かったが、余計なことを喋るつもりもなかった。
「悪くないと思うわ」
私はにっこり微笑んだ。
そんな笑顔の裏側なんて、誰も知らなくていい。
「いいじゃない連れて来てよ。喋りたいんだってばぁ。お願いお願いーっ」
「嫌だっつってんだろしつこいな」
「なんで!?」
「こんな危ないとこさすがに無理なんだけど」
あまりにも真っ当な理由に、私は言葉を詰まらせた。
かつては雰囲気たっぷりの洋館だったこのミラーハウス、今ではいつ上の階が崩れてくるかも分からない有り様である。
廃園をわざわざ訪れるような人間でも遠慮するような場所に、まさか普通の女子高生が入りたがるわけもない。
「べ、別に、ここじゃなくてもいいじゃない。ここは遊園地よ? ジェットコースターだってお城だってあるんだから。しかも今なら無料!」
「廃園だからね」
「それに、どのアトラクションも結構見た目から凝ってるのよ。可愛くて、メルヘンで、見てるだけで楽しいじゃない。女の子って、こういうファンシーなの好きよ? デートにどう?」
「どれも朽ち果ててるけどね? てゆーかさぁ、あの子を此処じゃない別のアトラクションに連れて行ったとして……君、ここから出られんの?」
「出れるわ。ある程度なら」
私の即答に、帝釈紫苑は「ああそう」とうんざりした顔になった。
鏡に閉じ込められた、と言った私だが、ある程度なら移動できると分かったのは、つい最近のことだ。
入り込んだ鏡ごと移動するのである。
以前この裏野ドリームランドに忍び込んできた馬鹿の一人が、ミラーハウスの外に散った、鏡の破片を盗んでいった。私はその鏡の破片に忍び込んで、遊園地中を回ったのだった。
久々の心躍る体験――と言いたいところだが、鏡に入った私が見れたのは、デニムのポケットの裏地ばかりだった。ほんとクソ。おまけにそいつら霊感ゼロで、私の存在にすら気付かないし。
結局そのままイライライライライライラしていると、気づけば私は、いつものミラーハウスに戻っていた。
時間が経ったからなのか、ミラーハウスから離れ過ぎたからなのか、とにかく原因は分からない。「ある程度なら」と付け足したのはその為だ。
「だからいいじゃない! 可哀想な私のお願いなのよ!? 退屈してるの!! 分かる?? 私の一日説明しようか? 見る、見る、見る。以上よ! 退屈がエブリデイ!! 可哀想!! ほんと可哀想!!」
「見るって何見てんの」
「壁、床、天井に空気、あとは空とか虫とか……? 特に空と虫は動きがあってオススメ」
「うわ……」
真顔で引いた様子の帝釈紫苑。私の苦悩をたった一言で流そうとするその態度に、取り繕ってきた笑顔が歪むのを感じる。というより、今日一日溜めこんできた苛立ちを、もうこれ以上我慢できない。本来、私はこんなに忍耐力のある人間じゃないのだ。
私目の前の鏡面に己の拳を叩き付けた。力の限り殴ったところで、鏡には揺れ一つ起こらないのがまた腹立たしい。
「言ってるでしょ、この私のお願いなのよ!? ねえ! 聞いてくれるわよね!?」
「……お前いい加減に、……。……いや、いいよ。連れて来てあげても」
「ほんとに!?」
「その代わりこっちにも条件があるんだけど……もちろん聞いてくれるよな? 自分から言い出したことなんだからさぁ」
まさか否定されるとは思ってもいない笑み。目を丸くする私の正面、鏡に掌をついて帝釈紫苑はにっこり笑う。
「案内してよ、遊園地」