噂5『ドリームキャッスルの拷問部屋』・噂1『廃園になった理由』
噂5『ドリームキャッスルの拷問部屋』
――ドリームキャッスルには隠された地下室があって、しかも拷問部屋になってるんだとさ。遊園地にあるわけないのに。だから今度確かめに行ってくるよ。
裏野ドリームランドのシンボルとも言えるだろうドリームキャッスルは、客人役になり案内されながらその内部を見て回るという、シンプルなアトラクションである。本来であればガイド役に続いて、それぞれの仕掛けを見てまわったのだろう。
地に落ちた「STAFF ONLY」の看板を踏み越え、一枚の床板を剥いだ先。何が潜んでいるかも分からない、深い暗闇に飲まれるように階段が続いていた。
狐が小気味よくぽんぽんと浮かべた、複数の狐火に導かれるように、紫苑と彼女は歩みを進める。
「なあ、覚えてる? この遊園地のウワサ。『子どもがいなくなる』ってやつ」
噂1『廃園になった理由』
――あの遊園地には度々“子どもがいなくなる”って噂があったな。閉演した理由は知らないけどさ。そんな噂があるようじゃねぇ。
人間が消える、攫われる、神隠しにあう――日常と切り離された空間について、そのような噂が立つのは別段珍しいことではない。山などの神域から、ブティックの試着室まで、それは昔も今も変わらない。
「……それって、手野響子の話が捻じ曲がっただけじゃないの? 今も行方不明のままなんだし」
「彼女の場合、実際のところ消えたのは死体なんだけどね」
それが未だに発見されていないから、手野響子は今でも行方不明者として扱われているのである。
「そういえばおかしいわね。でもあの二人がどこかに捨てちゃったんじゃない? もしくは秘密の部屋に隠したとか!」
「ミラーハウスに隠し部屋の類は無いらしいよ。まあ、手野さんの発言だからどこまでが当てになるかは分からないけどね」
「ふーん。その死体が此処にあるってこと?」
ドリームキャッスルの地下、螺旋状の階段は続く。冷ややかな足音が響くなか、狐火に照らされた影が、まるで踊るように揺らめいた。
「恐らくね。手野響子と遊園地を回ったとき、彼女の行動可能範囲も一応探っておいたんだ。この城から離れ過ぎると、ミラーハウスに戻されていたみたいだった」
そもそも手野響子に裏野ドリームランドを案内させたのは、彼女の過去の記憶に触れるのが目的だった。
加賀美レイナと谷田アツシが裏野ドリームランドでデートをしていたその日、行方不明になっていた女性。まさか、霊となって姿を現すとは思わなかった。
手野響子は紫苑が視える人間であることに驚いていたが、驚いたのは紫苑も同じだった。彼女は自分を、「噂通りこのミラーハウスで入れ替わられ、体を奪われてしまった」と思い込んでいた。そのうえ、「谷田アツシとこの遊園地に遊びに来た」と言う。
虚言か妄想かなんかだろうかと思ったが、話を聞くにそれは事実で、どうやら当時は、この手野響子と谷田アツシこそが恋人同士であったらしい。
谷田アツシは、加賀美レイナとここに来たのではなかったか。写真まではっきりと残されていたのに――。
――この女、浮気されて殺されたのかな、と紫苑は思った。単純な推測だが、あまり間違ってない気もした。
つまり加賀美レイナの言動がおかしくなったのは、殺人を犯したため。罪悪感か恐怖のせいかは知らないが、精神状態に何かしらの異変を来たしても決しておかしくはない。
さて手野響子をどうしようかと思ったら、どうやら彼女は何か企んでいるようだった。様子を伺うと、友達、しかも舞夜を連れて来てほしいと申し出てくる。
何を狙っているのだろう、入れ替わるつもりだろうか、と紫苑は予想したが、ただの霊がその手段を知っているとでも言うのだろうか。まあ、よく分からない思い違いをしてるだけかもしれないが……。
手野響子を始末しようと思った。恨みだか憎しみだかを積もり積もらせた、人に害を成そうとする怨霊だ。今後のためにも始末しておかなければならない。
しかし加賀美レイナの異変について、確定していない部分が多い以上、まだまだ彼女は利用できた。
向こうも紫苑を利用しようとしている。紫苑もまた、加賀美レイナの異変を調べるために、彼女を利用してやることにした。
だから、
「案内してよ、遊園地」
手野響子の入り込んでいる鏡に手をついて、鏡自体の異変を調べたが、何もなかった。ただの鏡だ。怨霊が一人引っ込んでいるだけの、ただの鏡。
手野響子の行動可能範囲を探ったのは、おまけみたいなものだった。こういうものには大体何かしらの意味があるのだと、紫苑は経験上知っていた。
ドリームキャッスルに背を向ける形で、ジェットコースターへと向かった。この二つは対となる位置にあって、その途中にアクアツアーやミラーハウスがあるらしい――。ぺらぺら語っていた手野響子は、ジェットコースターに近づいたところで姿を消す。以前も同じだったという。
……単純に考えると、ドリームキャッスルから離れることができない、ということだろうか?
比較的丈夫なのだろう、やたらと綺麗な形で残されているあの城。そういえばあそこにも噂があった。
その地下には、拷問部屋が隠されているという――。
「それだけの理由で、よく此処まで来たわねぇ」
「まさか。それだけじゃない。……谷田と加賀美が手野響子を殺したあと、アトラクションで遊んでいったのはなんでだと思う?」
「サイコパス! 圧倒的サイコパァス!」
「違うし煩い。そもそも何故あの二人は、ミラーハウスなんかで人を殺したのか。恐らく偶然じゃない。谷田アツシは一度、手野響子をミラーハウスに誘導している」
ジェットコースターに乗ったあと、谷田アツシは酔って気分を悪くした。手野響子はアクアツアーに行きたかったが、彼の頼みを聞いて、しかたなくミラーハウスへと行先を変更したという。
しかし谷田アツシは、あの勝気、というより自己中心的な手野響子が、自身の頼みを聞いてくれるという確信があったのだろうか。さすがに、そこまでは紫苑にも分からなかった。
「ミラーハウスに残された死体を、ここまで運んできたのは二人じゃない。あまりにも目立つ。それに、手野響子は背を向けて去っていった彼らをよく覚えていた」
最早狐の返事も必要としていないかのように、紫苑は一人続ける。
「殺人が、ただの行方不明として処理されたのはなぜか。なぜ、谷田と加賀美は捕まらなかったのか。……ミラーハウスで殺害された、手野響子の死体はどこに消えたのか。いや、」
そこで、ようやく長い階段が終わった。
暗闇のなか、狐火に照らされてぼんやりと金属製のドアが浮かび上がっている。両開きのそれの重厚な影といい、取っ手に巻き付けられた鎖といい、それこそがまるでアトラクションの一種のように浮世離れしている。闇に目を凝らせば見える、そこらに張り巡らされた配管だけが現実みを感じさせた。
狐は一度、その鎖を両手の平に掲げるように乗せると、勢いよく引きちぎった。
「“いや”? 続きは?」
「……誰が、此処に運んだのか」
戸を押し開けば、思いのほか冷やかな空気が流れ出た。
真っ先に目に入るのは、中央に置かれた手術台だ。いつの時代の物だろう。電動ではなく足踏み式で、黒のマットレスは長年の使用に劣化したのか、奇妙に皺が寄りへこんでいる。――よくよく目を凝らせば、黒色なのは変色したためで、元は濃紺かそれに近い色だったようだ。
何がこうも染みついて変色したのか?
「……」
紫苑の視線を辿るように、狐火がふらふら移動する。
コンクリートの壁一面を覆う巨大な棚。縦横に区切られたその一枡一枡に整然と並ぶ、液体に満たされた水槽や瓶などのケース。その表面全てに、丁寧に書き込まれたラベルが貼られているため、中で沈黙するモノは非常に見辛いが。
中身は全て、人体の一部だった。
「ヒューッ、いきなりのパニックホラームービーねっ。いやサイコホラー? 頭が上の段、足の爪先が下の段かしら」
ラベルには神経質なほど事細かなメモが残されている。当時の人体の状態、固定液の種類や配合の具合、室内の温度から湿度まで。
「趣味悪過ぎ。無駄に凝ってるところも最悪」
「どういうこと? 毒みたいな水に浸かってるけど、全部本物の人間ね」
「恐らく、この遊園地にかつていた誰かの仕業だろうね。それが誰かまでは分からないけど」
室内をよく見れば、空調設備も整えられているようだった。かつては室内を照らしていただろう電灯は、その破片を床に散らしている。
探せばこの中に彼女も混ざっているのだろう。電気も通らぬ暗闇の底、静かに、眠るように。
「手野響子もいるのね」
紫苑はその言葉には答えなかった。
「……恐らく、手野響子の殺人については、遊園地側もグルだった。死体を放置していった谷田と加賀美が捕まらなかったなんて、絶対におかしい。だけど決定的な証拠が無ければ、それも絶対ではない……。二人がミラーハウスで殺した死体は、遊園地側が片付けたんだ。それで、ここまで運んできた」
「このドリームキャッスルと違って、ミラーハウスには秘密の部屋なんて無かったんでしょ? どうやって?」
秘密でも何でもない、けれど確実に表側から隠されている裏の場所。
「スタッフ用の通路があるだろ。この城みたいにさ」
噂未満の都市伝説みたいな、とんでもない話だ。
「殺人が行われたのがこの城じゃなくて、ミラーハウスだった確定的な理由は分からないけど、噂のせいかな。『地下室があって、拷問部屋まである、今度確かめに行ってくる』――。手野響子が即答するくらい有名な噂だったみたいだし、あまり怪しまれたくなかったのかもしれない」
「フーン。ずいぶんとヤバイ場所だったのねぇ、ここ」
「ほぼ推測だけどね。ただ、ジェットコースターに残された霊は確実におかしかった」
幽霊コースターで死に続ける人間――浮浪者のような身なりをした中高年や、意味無く夜の街で屯していそうな若者たち。多少であれば、居なくなったところで気にも留められないような存在。
手野響子がいなくなったあと、紫苑は自力でその全てを祓った。死ぬほど疲れたが、得るものもあった。
彼らは生前おとずれた死の瞬間を、延々と繰り返していたのだった。あのふざけた虐殺を。
「……最初から変だとは思ってたんだ。この程度の規模で、これだけ怪しい噂が立つのもおかしいからね。噂が全てと言うわけじゃないけど、火の無いところに煙は立たないって言うし」
「怖ーい。ここがホラー映画の舞台なら、後は着ぐるみが武器持って襲いかかってきたら完璧ねっ。――と、あんなところにあるじゃない」
狐の示す先、片隅に黒い小山のようなものが見えた。近付きつつ狐火を寄せれば、どうやら身を屈めたまま放置された着ぐるみらしい。裏野ドリームランドのマスコットである、ピンクの毛皮でギョロ目な兎の着ぐるみだった。
紫苑もパンフレットで見たことがある。ふっくらした頬や、ぺたりと折れた片耳は愛らしいのかもしれないが、残念なことに上半身は裸に蝶ネクタイ。下には縞模様のパンツしか履いていない、変態親父のような格好をしたヤツだ。……舞夜に見せたら笑うだろうなー、としょうもないことを思ったのでよく覚えている。
こうして実際目にすると予想外に大きい。人なんか二人は入れそうなほど腹がでっぷりしていた。
「これで運んだのかな。いや、目立ち過ぎか」
「不味そうな兎ね。で、これ見ておしまい? 帰る? 何しに来たの?」
「……はっきり言って、もう用なんて無いんだよね。心配だった悪霊もいないし、面白いモノも無いし。手野さんの死体くらいなら探してやってもいいかなーって思ってたけど。……これなら、見つけない方が良かったかもね」
紫苑は背後の棚を一瞥した。うすら寒いほどに整然とした棚を。誰がどのような目的で、と、気にならなくもないが、それ以上は自分の仕事ではない。関わりたくもない。
「今更だけど、本当に舞夜を連れて来なくてよかった……」
「えっ、どうしてどうして?」
「うわ、なに急に。いや、泡吹いて倒れられでもしたら面倒だろ」
極めて普通の感性の持ち主である人間をこんな所に連れてきていたら、絶対にめんどくさいことになっていた。
「とりあえず帰って報告して、後は警察にお任せかな」
「うっしゃ! つまり、今日は警察に行かないってことよね? 今日やることは終わったのよね? 仕事終わり! 万歳!」
「もう僕に出来ることはないからね! 加賀美レイナの父親が警察に行くときに、僕じゃない上の誰かが動くんじゃないかな」
彼と一緒に事情を話せたら、説明も楽だし色々と都合もいいだろう。
ふーん、と聞いていた狐は、しばしの後、「えっ?」と目を丸くした。
「待って待って。あの依頼人が警察に行くかどうかなんて分からないじゃない。あんなに葛藤してたのに!」
「馬鹿。本当に行動を起こす気がない人間が、家みたいなところに調査の依頼なんてするはずないだろ。証拠品みたいに写真まで用意してさぁ。自覚があったのかはともかく、どうするかは薄々自分の中で決めてたはずだよ。……『入れ替わりの噂』に縋りたかったのは、本当だろうけどね」
以上の紫苑の言葉を慎重に、かつ実直に飲み込んで。
狐は呆れたように溜息を吐いた。
「人間って、本当にややこしくて面倒くさいのねぇ。自分一人まともに見れないんだから」
少しの間のあと、紫苑は微かに笑った。作り笑いだった。
「だから『鏡』があるんだろ」
「そんなもんかしら」
狐は呟く。
「うん、そうかもしれないわね」
いくら現実から目を逸らそうとも、夢の世界に逃げ込もうとも、誰だって自分自身から目を逸らして生き続けることは出来ない。誤魔化し続けることはできない。いつか、向き合わなくてはならない――。
その時、自分自身を見つめるために、どのような『鏡』を用意するのか。何をもって自分自身を覗きこむのか。それが、その人の行く末を左右するのかもしれない。
なんとなく狐は穏やかな気持ちになって手野響子のことを思い出した。どこまでも強いが自分勝手。周りを振り回し、態度も口もなかなかに悪くて――と、そこでふと、隣にいた紫苑に目をやった。
「……とりあえず、あんたは友だちをもっと大事にして感謝した方がいいわね」
「は? なんで」
「うん。あんたこそ鏡を見るべきね」
了
後書きは、活動報告(2017年 08月03日(木)) に。
駆け足連載でしたが、応援や読了ありがとうございました!




