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闇渡りのイスラと蒼炎の御子  作者: 井上数樹
第一部/風読みの里編
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【第三十一節/昔話】

今回は少し趣を変えてみました。前半は世にも珍しい二人称です。

 いきなり生臭い話で悪いが、俺は自分の親父が誰なのか分からない。候補があまりに多くてさ……お袋は、取っ替え引っ替えに男を乗り換えるような女だった。何となく、この人かもしれないって思うことはあったけど……。


 まあ、それはお袋が悪いっていうより、闇渡りの女はそうでないと食っていけないって事情のせいだ。実際、街の連中と取り引きするには、山菜とかキノコとか、採取したものだけじゃ足りないからな。

 あん? どういうことか分からない? ああ、そうか……あー……忘れろ。


 ともかく、親父は誰だか分からず、母親ともあんまり仲が良くなかった。

 それでも棄てられはしなかった。単に人手が欲しかっただけかもしれないけど、お陰で色んな場所に行ったよ。


 ジョルダン砂漠の塩の湖、金と宝石の煌都パルミラ、東海の棄てられた造船所と、そこに至る海の道(ウィア・マリス)……そうだ、初めて海を見たのは、十歳くらいの時だったかな。


 どんな所かって? 説明が難しいな……うん、とにかくデカい。あの日は満月だったから、視界は開けていたけど、どこまで続いているのか見当もつかなかったな。見てると、だんだんと地平線が丸く見えてくるんだ。おかしな話だろ? ツァラハトって言葉と矛盾している。


 ……で、海なんて行って何をするかと言ったら、釣りだよ。ひたすら魚を釣って、食えそうな貝とか海藻を集めて、煌都まで持ってく。連中、海の魚なんてほとんど食えないからさ、金よりもよっぽど高値で売れるんだ。手の平くらいの貝で、鶏一羽だったかな。


 味? 物によるとしか言いようがないな。グロい見た目のくせに美味い魚もいるし、骨ばっかりで全然食えないやつもいる。赤身と白身があって、俺としちゃ、赤身の方が好きかな。ちょっと生臭いから、調理する時はひと手間加えなきゃならないけど。


 海に限った話じゃないけど、闇渡りは基本的には狩猟と採取で生計を立てるんだ。そこに、まあ、色々と別の事業ってやつを加えてな。


 だから、あちこち動き回って、ひたすら物をかき集めてこなきゃいけない。例えば岩塩とかがそうだな。そういや、この里の塩源ってあの温泉だろ? 舐めたらちょっとしょっぱかった。


 塩は何よりも貴重だからな。高く売れるし、俺たちがどれだけ忌み嫌われていようが、塩だけは絶対に買い手がつくんだ。特に内陸で、周囲に岩塩鉱の無い煌都となると、塩を調達するための隊商をいくつも抱えていたりするんだ。それでも十分に行き渡らないから、闇渡りでも売り込みが出来る。


 でも、闇渡りの生活なんてしがらみだらけでさ。部族だっていくつもあるから、大きな部族が小さい部族を呑み込んだり、好き勝手に荒したりなんてしょっちゅうだ。縄張り意識を持った連中だと、平気で侵入者を殺しにかかる。


 俺の部族も、そんな荒っぽい奴らにやられたんだ。三、四十人くらいの闇渡りが一斉に襲い掛かってきて、戦えるやつらは殺された。というより、若い女以外は皆殺しだ。年寄りを助けたって役に立たねえし、男のガキはもっとタチが悪い。助けたって、そのうち復讐に走るかもしれねえからな。


 お袋は、俺なんて放ったらかしにして、命乞いをしてたよ。それが最後だった。あれ以来、一度も会ってない。


 俺は伐剣を一本だけ握って、逃げて、逃げて、追いかけてきた奴を一人殺して、また逃げた。

 人殺しをしたのは、その時が初めてだ。まだ十二歳だったな。


 ……負い目はあるけど、後悔はしてないよ。そんな状況じゃなかったし、相手だって文句を言う資格は無いさ。

 ただ、人殺しは、出来ればしたくないな。後味が悪過ぎる。


 だから、一人きりになった後も、基本的には採取とか狩猟とかで食いつないだ。追剥ぎとか、傭兵とか、色々働き口はあったけど、毎日イライラしながら過ごすことが目に見えてる。かと言って、一人きりの狩猟生活っていうのも味気ないものさ。


 歩いて、狩って、食って、寝て……それを延々と繰り返した。何年も何年も、毎日。


 その間のことは、よく憶えてない。時々、凄い光景を見ることはあったけど、あんまり印象に残ってないな。ベテル火山の溶岩流とか、廃都ペルガモンの青い大門とか……火山は結構迫力があったけど、ペルガモンは、あちこち崩れてて、そんなに見栄えが良くなかったな。


 風景なんて二の次で、ともかくその日食える物があるか、寝れる場所があるか、そんなことしか考えてなかった。


 それで楽しかったかって?

 楽しいも何も無えよ。ただ、時間だけが淡々と流れて行くだけだ。


 でも、それが最近少し変わってきてさ。

 


 カナンと会ってからだ。



 エルシャに初めて立ち寄ってみたら、あいつの大立ち回りにつき合わされて、気が付けば勝手に守火手にされてた。


 色々ともめごとに巻き込まれもしたけど、今となっちゃそう悪い気はしない。あいつの話とか聞くの、結構好きだしな。


 どんなことを言うかって? お前、聞かされてないのか? 意外だな……親父さんに話したって言ってたから、てっきり聞いたと思ってたんだけど。まあいいや。


 お前、エデンって聞いたことあるか? ……そう、大昔の土地の名前だ。楽園だなんて言われてたそうだけど、今となっちゃ誰も信じていない。


 あいつは、そのエデンって場所を見つけ出して、煌都から追い出された連中の避難所にしたいんだってさ。そんなに目を輝かせることか? 常識的に考えたら不可能だ。あるか無いかも分からないし、たどり着いたとしても復興させる手段が無い。人を移住させるとなるともっと大変だ。


 あいつだって、頭では理解してるだろうさ。そのうえでこんなバカなことを言って、煌都を飛び出したんだ。大したタマだよ。


 正直、俺はエデンとやらに行きたいとは思っちゃいない。居場所が欲しいなんて思ったことは、これまで一度も無かった。


 でも、あいつの進む先に何があるのかってことには、興味があるんだ。


 あいつは、自分の人生の目標をしっかり見定めてる。俺とは違ってね。だから、どこかで憧れてるのかもしれないな……。



◇◇◇



「と、まあ、こんなところだ。悪いな、まとまりの無い話になっちまって」


「いえ、そんな……」


 トビアは申し訳ない気持ちになった。イスラの過去が、自分の想像していたものよりずっと過酷だったからだ。


 彼の場合、父親は生きているし、母親と過ごした記憶も残っている。


 イスラには明確に父と断定出来る存在が無く、母親の温もりさえ感じたことが無い。


 そんな過去を抱えた人間に、興味本位で話しかけてしまったことが悔やまれた。


 だが、一方で、イスラの語った世界は確かにトビアの好奇心に火をつけた。話の中に現れた様々な場所のこと、都市や山や、それから海のこと。夜空とアラルト山脈の岩壁以外の場所を知らないトビアには、とても刺激的に聞こえた。


 ただ、それを手放しで喜ぶのは申し訳ない。トビアにはそんな気真面目さがあったが、そもそも引け目を感じられるようなことではないと思っているイスラは、乳酒の入った杯をフラフラと揺らして見せた。


「そんな申し訳なさそうな顔するな。せっかく話したんだからさ。第一、俺は少しも気にしちゃいない」


 見ろよ、とイスラは手元の細剣を掲げた。カナンから預けられた天火は少しも弱まっていない。


「カナン曰く、俺の心が乱れたら、天火も乱れるそうだ。全然そうは見えないだろ? つまりはそういうことさ……それよか、お前がどう思ったのかってことの方が気になるな」


「僕は……」


「外に出てみたいか? ろくでもない場所ばかりだけどさ」


「……まだ分かりません。行ってみたいと思うけど、怖いとも思います。それに、この里を出ることだって出来ませんから……」


 トビアの中で、イスラの語った話は渦を巻いている最中だった。まだ明確な像を描くだけの整理がついていないし、言葉にして他者に伝えることも出来ない。


 好奇心が興味をかき立てるが、イスラの言うように、世界には様々な苦難があふれかえっている。それを目の当たりにする覚悟を、今すぐ口に出すことは、トビアには出来なかった。


「まあ、あんまり急いても仕方が無いか。俺は話せることは話したつもりだし、あとはお前が決めろよ。時間はたっぷりあるだろうし、何ならカナンにも聞けば良い。俺は何かと物事を悪く考えるけど、あいつは正反対だ。似たような話でも、俺が言うのとあいつが言うのとでは、全然違ってたりするからな」


「はい、ありがとうございます」


「ああ。それと弁当、ありがとな」


 イスラは空になった杯をトビアに渡して、あらためて握ったままの細剣に視線を落とした。相変わらず、天火がまとわりついたままユラユラと揺れている。


「さて、残り時間はどうするか……」


 イスラが呟いたその時、里の上空に甲高い悲鳴と羽音が響き渡った。

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