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闇渡りのイスラと蒼炎の御子  作者: 井上数樹
第四部/黎明編

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【終節/闇渡りのイスラと蒼炎の御子】

 かくして、ツァラハトの新たな時代が始まった。


 夜魔による大災害を生き延びた人々にとって、復興が並々ならぬ努力を伴うものではあったことは言うまでも無いだろう。煌都に刻まれた傷跡は深く、富も人も多くが失われてしまったのだから。そして天変地異の中でさえ克服出来なかった様々な歪みが顕在化したことで、より一層深刻な分断を迎えた共同体もあった。


 しかし、開かれた世界の可能性は、それら旧き世界の名残をくらませてしまうほどに膨大だった。


 肥沃で手つかずの土地、未開拓の交易路、そして海への道と、海の先への道。


 復興が大事業であったことは確かだが、目の前に示された新たな地平は、人々を熱狂へと駆り立てた。都市を再建し、土地を拓くためにはより多くの人手が必要になった。爆発的に広がった農地には、生まれてきた子供たちを養ってなお余りあるほどの豊かさがあった。


 やがて世代を経て街が手狭になってくると、人々は恐れることなく外の領域へと踏み出していった。今や、夜魔たちが闊歩していた常夜の暗がりは無いのだ。不安が無いわけではないが、それ以上の大胆さが彼らを突き動かした。


 そうして移動した人々によって、かつての煌都を凌ぐほどの、新たな街々が築かれていった。


 それはすなわち、煌都というものがかつての権威を失うことを意味した。無論、文化や歴史の集積地として一定の地位を保ちはしたが、絶対性は望むべくもない。


 そして大燈台と紐づけられていた継火手たちの権威もまた、時の流れに従って薄れていった。


 地位や権力の見直しは、新しい時代を迎えるにあたって必要不可欠な作業だった。


 例えばパルミラなどでは、防衛戦にあらゆる階層の者が参加したため、必然的に階級格差の是正が促進された。戦う者が権利を得るというのは当然の法則である。元より他の煌都に比べて公平性の高い政治体制が敷かれていただけに、参政権の拡大はほとんど衝突を生むことなく進行した。


 他の煌都でも、継火手たちは程度の差こそあれ変化を余儀なくされた。最早彼女たちには、天火のような分かりやすい力は存在しないのだ。かつて支配者であっただけに、その立ち回りには細心の注意が必要になった。


 とはいえ、彼女たちには天火が無くとも知識というもう一つの武器があった。


 畢竟ひっきょう、共同体を動かしていく上で、行政的な知見は必要不可欠なものなのである。自分たちの人的資本がいかに高いかを理解している者ほど賢く立ち回り、そして、普通の人間たちの間に溶け込んでいった。



 新しい世界に、天使の存在など必要とされなかったのだ。



 しかしそれは、人々が神聖な存在を求めなくなったということではなかった。



 開拓とはすなわち、それまでそこにいたものが押しやられるということでもある。桶から溢れた水が埃を洗い流してしまうように、夜の森で生き延びてきた闇渡りたちは白日の下へと追いやられていった。


 煌都の勢力と同化した者も数多くいた。武力ではなく、個々人の特化した技能、例えば探索や収集といった生産性に繋がる力を持つ者は、再編された社会の中に居場所を見出した。差別意識の根絶には時間が掛かったが、誰が闇渡りであったのかは、世代を経てしまうと自然と薄れていってしまった。


 それが良いことなのか悪いことなのか、明確な答えを出せる者はいないだろう。


 しかし、差別の歴史を泣き寝入りしたままに出来なかった者たちにとって、進出した元煌都側の勢力と手を取り合うのは苦痛以外の何物でもなかった。


 あるいは、それまで闇渡りとして武力のみを拠り所としてきた者たちにとっても、再編された社会は住み辛いものだった。天地がひっくり返るような体験をしたのは、何も煌都の人間だけではないのである。


 かつて闇渡りの王が引き起こした戦争を再現しようとする者も現れた。だが、彼のような求心力を持つ者はついに現れなかったし、単に強い戦士が徒党を組んだだけの集団では、組織化された軍隊には勝てなかった。むしろいたずらに危険性を喧伝するだけの結果となり、掃討の対象となっていった。



 難民は、難民のままだったのだ。



 しかし、追い詰められた人々には、一つの希望が残った。




「西の果て、かつて辺獄と呼ばれた長い道の先に、一つの街がある。物好きでお人好しな聖女様が、闇渡りをそこまで導き建てさせた街だ。そこに辿り着けば、我々は救われる」




 最初は誰も信じようとしなかった。救征軍の派遣を決めた煌都ですら、災害と復興の混乱で完全に失念していたのだ。無理からぬことだろう。よもやあの夜魔の氾濫の中で、城壁も持たず継火手も数えるほどしかいない集団が無事でいられるはずがない。



 だが、生き場を失った者たちが、藁にも縋る思いで過酷な旅を乗り切ると、確かにそれはそこにあった。しかも、十分に発展した状態で。



 救征軍の入植成功の報せは、瞬く間に全世界へと広がっていった。来るべき時に備えていた救征軍はすでに十分な余力を蓄えており、闇渡りの大移動を捌き切って見せた。しかも、単に難民を食べさせるだけではなく、難民を住民へと転換する仕組みさえ整えていた。




 その基盤となったものこそ、聖女と呼ばれた継火手が書き遺した、膨大な量の研究書(タルムード)だった。




 簡潔に言うとそれは、世界平和と人類福祉を主題とした研究であり、遥か遠くにある理想へ辿り着くための地図でもあった。一見すると夢物語のように見える到達点も、微に入り細を穿つ考察によって、実現可能だと思わせてしまうだけの説得力を伴っていた。現に開拓地の発展や難民の受け入れといった難題は、彼女の研究を下敷きにして実施されたのである。


 研究の射程は三百年後の未来にまで及び、後世の人々を当惑させたであろう難題を先回りして解決してしまっていた。その精度はほとんど予言じみており、畏怖の念さえ感じさせるものだった。


 実際のところ、未来そのものを覗くなど不可能であるため、あくまで考え得る可能性をひたすら列挙していったに過ぎない。とはいえ、未来予想を記した樹状図はこの世のどんなタペストリーよりも複雑な編み目を描き出していた。


 彼女の遺した研究は、難民たちの集合体に過ぎなかった救征軍を、かつての煌都さえ凌ぐ巨大勢力へと発展させた。


 当初は難民ばかりだった移住者も、時を経るにつれて多様化していった。商人や知識人にとっても、古い因習や固定化された階級が存在しないだけに魅力的な土地だったのだ。そうして流入した知識や文化は、ますます共同体を豊かにしていった。



 故に、かつてエデンと呼ばれたそこがいつしか聖都『カナン』と呼ばれるようになったのも、当然の成り行きであっただろう。




 そしてそれは土地の名前であると同時に、彼らの奉ずる女神の名前にもなった。




 予言めいた研究は、それを研究だと思わない人々によって聖典へと転化され、それを基にした教団が立ち上げられた。


 もちろん彼女にとって、それが望ましい事態であったはずがない。しかし新しい時代を生きる人々には、人生の指標となるべき思想が必要不可欠だったのだ。


 彼女の思想は世界中に伝播し、世代を経るごとに受け入れられ、それぞれの土地の風習と融合していった。人間の自由意思を重んじる根本思想は、開拓の時代の精神と極めて相性が良かったのである。故に時の為政者にとっても、利用するに足るだけの価値を持っていた。


 そうした歴史の流れは、あらかじめ予想されていたことだった。そもそも彼女は、自らの思想に必ず耐用年数が存在すると確信していた。己が死せる人間であるのと同様に、人から出た思想もいずれは効力を失っていく。そうなった時に、せめて健全な精神性だけが残っていれば良かったのだ。


 後は後世の人間の仕事だ。自分の思想を叩き台にしても良いし、あるいは真向から否定しても良い。思想とは批判と検証を繰り返すことによって進歩していくものなのだから。



 だが、彼女が遺した研究は耐用年数を遥かに超えて生き続けることになった。女神となった、彼女自身の名前と共に。



 三百年目を超えて、さらに二百年ほど経った頃には、彼女の研究は完全に別の物へと変貌していた。世俗権力との強力な融合、派閥の形成、解釈の相違……様々な問題が浮上したが、それを自浄するための予測はどこにも遺されてはいなかった。


 依然として、慈悲と自由とを守護するという、女神の基本的な性格は護り受け継がれていた。


 しかし教団は最早、それ自体一つの巨大な権力機構であった。そして時として、暴力の母体にもなった。そのことを問題と感じた者は少ない。何故なら、教団の教えは空気や影のように彼らの生活と密着していたからだ。


 現に、耐用年数を超えた後でも、女神の教えは人々の福祉を守護し続けた。彼女の思想が、根底に普遍性を備えていたからだろう。



 しかし、時代が流れ世界が複雑になるにつれて、女神の力だけでは救えない人々が現れ始めた。



 それは歴史の必然であった。巨大な仕組みは必ず内部に亀裂や陥没を生み出す。人の世の悲惨さは、まさにそのような場所にこそ生じる。


 格差、貧困、圧政、暴力……ありとあらゆる不条理が流れ込む澱みのようなその場所は、大多数の人々にとって目を向けたくない暗部となった。そしてその場所に押し込まれた人々も、押し込んだ人々を憎むようになる。


 人は生きて歴史を紡ぐ限り、己の内に夜を作り出す種族なのだ。女神の光をもってしても、その闇を照らしきることは出来なかった。



 だが、そこにはいつも常に、女神の教えとは異なる物語が息づいていた。



 誰が目撃したのか、誰が語り継いだのか定かではない。しかし夜に堕ちた人々は、そこで必ず打ち勝つ者(イスラ)に出会った。


『イスラ』は一人ではなかった。人の世の不正や不条理に抗い戦い続けた者は、いつしか自然とそう呼ばれるようになったのだ。


 だからどの街の暗がりにも、難民たちの旅路や地獄のような戦場にも、必ず『イスラ』はいた。その称号は英雄と近い意味を持ってはいるが、世俗的栄誉や富、栄光とはいつも無縁だった。


 栄光を求める者は、英雄にはなれても『イスラ』にはなれない。彼らの戦いに終わりは無く、挑み抗い続け、地上において旅人であり寄留者であることを告白し続けなければならないからだ。


 いかなる痛みを覚えようと、どれほど血を流そうと、ただひたすらに前を向いて歩き続ける。


 引き裂かれることを恐れず、この世の誰からも尊敬や畏敬を求めない。彼らはすでに、己の内なる燈台に光を灯し、それを護り奉ずるという奥義を身に着けていたからだ。


 そしてそのように生きることを苦にしない者だけが、自然と『イスラ』の称号を戴くようになったのだ。



 きっと最初の一人が、終生そのように振舞ったからだろう。



 彼らは、女神が掲げるのとは異なる光を、夜の世界の中に灯し続けた。女神の手が及ばず、諦めくじけそうになる人々を支え続けた。剣を持てない者のために戦い、暗闇の中に蹲る者の隣を己の居場所とした。


『カナン』が蒼炎の御子として生き続けたのと同じように、『イスラ』もまた人々の内に生き続けた。



 だが、その名前を持った最初の二人が、どのような旅を旅したのか。



 何を語らい、何を想い、何を敵として戦ったのか。



 どんな歌を、祈りを重ね、そしてどこへ旅立って行ったのか。



 憶えている者はもう、どこにもいない。




【完】

 ここまで読んでくださった皆様、お付き合い頂き誠にありがとうございました。


『闇渡りのイスラと蒼炎の御子』は、これにて完結です。


 ここからは後書きということで、とても個人的なことを語らせていただこうかと思います。もしよろしければ、あと少しだけお付き合いください。


 本作を書き始めたのは、私が大学を卒業する直前でした。正直なところ、当時はこれほど長く付き合う作品になるとは思っておらず、非常に軽い気持ちで連載に踏み切ったところがあります。


 しかし結果的に、この作品を書き続けること自体が、その後の私の生活を支えてくれました。私生活で色々と辛いことが重なりましたが、それでもこの作品を読んで下さる方々がいるという実感が、私を繋ぎ止めてくれていたように思います。


 もちろんダラダラと書き続けることに対する悩みはありました。私生活を回しつつ、イスラの連載をしたうえでさらに公募向けの作品を書くという芸当は、私には出来ませんでした。「本当にこんなものを書いていて良いのだろうか?」と焦りを抱いたこと、数知れません。


 ですが、気が付いた時にはとっくに引き返せる地点を通り過ぎていました。だったらとことんやり切るしかない、と半ば開き直りに近い感情で書いていたところがあります。


 何より、質はともかく、これだけの文字数の長編小説を書き終えた時にどんな光景がみられるのかという興味が、途中から私のモチベーションになっていました。


 それに、「百万文字以上の作品を書き上げた」という人生の実績解除が欲しかった、というどうでも良いこだわりもあります。


 とりあえず書き上げた現時点で分かっていることは、「終わり数行の地点で泣く」と「同じことは二度とは出来ない」の二点です。



◇◇◇



 ここからは、作品について少々語らせてください。


 本作では「難民」という存在がキーワードになっています。しっかりと書き切れたかは分かりませんが、個人的にこだわりのある言葉でした。


 というのも、私の祖父が満州で育った人だったからです。満州国の顛末をご存じの方なら、日本の敗戦と共に満州国がどうなったか、そこで暮らしていた日本人がどうなったかも、御存じかと思います。


 私の家では、昔から満州脱出の物語が語り継がれてきました。関東軍武装解除の日、朝には隣人だった中国人が、昼には敵になって周囲を囲んでいるという状況に置かれたと聞いています。しかし同時に、自分たちを救ってくれた数名の中国人がいたとも聞いています。


 道中の過酷な旅のことや、日本人送還者の収容所のこと、そして天皇の人間宣言。神様だと思っていた存在がひっくり返される衝撃は、私には上手く想像が出来ません。


 ですが、小さい時に聞いた話というのは存外後々まで残るものです。難民という存在を登場させたのも、そういう影響があったからなのかもしれません。


 もっとも、満州国と引き揚げ者の話について書くなら、がっつりそこをテーマにして書きます。根っこの一つに個人的な思い入れがあるとは言え、『イスラ』で書きたかったのはそこではありません。


 イスラとカナンには、あれだけ頑張ったのだから、完全無欠のハッピーエンドを迎えさせてあげても良かったかと思いました。ですがたぶん、あの二人の方が納得しないだろうな、とも思わせられたのです。世界を救ったとは言っても、その後にこそ問題は山積みでしょうし、それらを見ながら安穏とすることは二人には出来ないでしょう。


 何より、どんなに辛い生き方になったとしても、あの二人ならば楽しく逞しくやっていってくれるのではないか、と作者としては信頼したいのです。


 願わくば、ここまで読んで下さった皆様にも、二人の姿がそのように映っていたなら幸いです。


 最後になりましたが、本作は助言や応援、感想を下さった多くの方々の助けがあって、何とか完成まで漕ぎつけた作品です。


 レビューを下さった皆様、感想で盛り上げて下さった皆様、本当にありがとうございました。


 また、ファンアートという最大級の継火を下さった、くうや様には心から御礼申し上げます。頂戴したイラストの数々がどれだけ励みになったか分かりません。


 そしてここまで読んで下さったあなたにも、改めて御礼申し上げます。願わくばこの作品が、あなたの生活を少しでも彩れていたなら幸いです。


 ありがとうございました。

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 長らく本作を応援して頂いた明太子まみれ様(くうや様)に依頼しました。最終決戦からおよそ十年後の二人を描いて頂きました。


挿絵(By みてみん)


 同、明太子まみれ様より。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かった。とても素晴らしい物語でした。 [気になる点] もう少しハッピーが欲しかった。特に二人のその後の幸せが見たかった。
[良い点] 少なくとも300年分の研究資料を残せる程度には長く生きることができたのですね……個人的にはそれだけで完全無欠のハッピーエンドと言ってもいいくらいです。 これだけの長い物語を終わらせたことに…
[良い点] 祝完結 二人は本当に素晴らしいバディでカップルでした。 後の世で意味や概念として通ずるくらいに、片翼となっても眼の光を失うことなく生きられたのだとしたら。 [気になる点] 二人のイチャラブ…
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