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闇渡りのイスラと蒼炎の御子  作者: 井上数樹
第一部/風読みの里編
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【第二十七節/会談】

「ゔぁー……あったま痛え……」


 死霊のような呻き声を上げながら、イスラは寝床から這い出た。

 昨日、限界まで飲み食いした後、よろめきつつもベットまでたどり着いたイスラは、そのまま布団に倒れ込んで動けなくなった。

 思えば、リダの町に立ち寄ったあたりから、満足な食事と睡眠をとっていない。それに対して、気の抜けない局面はあまりに多かった。いくら人並み外れた体力を持つイスラといえど、休まなければもたないところまで来ていたのだ。


 ただ、頭痛は二日酔いのせいなのだが。

 乳酒一杯あたりの酒気が大したものではなかったので、調子に乗って飲みまくった結果がこれだ。それに、疲れている身体に久々に酒を入れたのだから、滲みるのも無理はない。


 うずくまって頭を押さえていると、扉を叩く音が聞こえた。


「イスラ? 起きてますか?」


「ああ。開けて良いぞ」


 入ってきたカナンは、見慣れない衣装に身を包んでいた。上着とスカートが一体化した、鮮やかな青地の着物で、袖や胸元には白い糸で刺繍が施されている。ゆったりと身体を覆い隠すようなデザインで、袖口も広い。スカートの下には見慣れた茶色のズボンをはいている。


「その服、どうしたんだ?」


「里のお婆様にいただきました。若い娘に着てほしいって」


 そう言って、カナンはスカートをつまんでくるりと回って見せた。色々と不思議なところはあるが、こうして見ると普通の娘と変わらないな、とイスラは思った。

 服だけでなく、顔や髪もさっぱりとしている。さすがに森の中や廃墟を歩き回っていたので、薄汚れてきてはいたのだが、今はそんな汚れをすっかり洗い落としている。


「そうそう、里長のトビトさんに、朝食に誘われたんですけど……」


「遠慮する。ちょっと頭痛いしな……あんたは平気そうだな。昨日、俺と同じくらい飲んでたのに」


「私は継火手ですからね。天火アトルのおかげで、酔いが醒めるのも早いんです」


「へえ、何かと便利だな」


「そうでもないですよ。私も一度くらい、お酒で酔ってみたいんですけどね。まあ、トビトさんには私の方から伝えておきます」


「頼む」


 部屋を出ようとしたカナンは、思い出したように振り返った。


「そうそう、里の山の手に温泉がありますよ。行ってみたらどうですか?」


「そりゃ嬉しいな……さすがに、ちょっと臭ってるし」


 イスラは犬のように服の袖を嗅いだ。


「しばらくは、ここに留まるんだろ?」


「そのつもりです。どのみち、山道の位置も分からないですしね。この後、トビトさんから色々聞いてくるつもりです」


「分かった、せいぜいゆっくりさせてもらうよ」



◇◇◇



 二人が泊まっているのは、里の中心に建てられた集会場の二階だ。そのさらに上には天火アトルを戴いた燈台がある。イスラよりもずいぶん早くに起きたカナンは、気がかりになっていた継火の儀式を終えて部屋に戻った。すると、里の明かりが復活したのを知った老婆たちが訪ねてきて、お礼として着物を置いて行ってくれたのだ。


 正直、ありがたかった。替えの服は何着か持っていたが、一番気に入っていた緑のチョッキは、大発着場で無残に引き裂かれてしまった。


 あの時のことを思い出すと、全身に悪寒が走る。

 エルシャを出て、エデンを目指す旅に出ると決めた時から、苦難や困難にぶつかることは覚悟していた。不条理な暴力にさらされることも、逆に不本意な暴力を振るうことも。

 それでも、男に組み敷かれる恐怖は、想像していた以上だった。そうなっている状況というのは、自分の力を全て無力化されている状態なのだ。


 それだけに、イスラが駆けつけてくれた時、心底ほっとした。自分の目に狂いはなかったのだと思った。ただ、そんな彼を信じ切れずに、一瞬でも自死を考えてしまったのは、しこりとなって残っていたが……。


 ともかく、しばらくはこの里で休息をとりたい。欲張るなら、装備の補充や整備も済ませたかった。

 それを許してもらえるかは、この後のトビトとの会話次第だ。


 カナンは里の西側にある家に向かって歩いた。今朝、継火をしたおかげで、里の中は月夜よりも若干明るくなっている。もともと規模の小さい天火アトルだったので、火を入れてもこの程度だ。

 里の建物は、ほとんどが岩やレンガを積んで造られている。エルシャと同じように、屋根の上で作物を育てているが、豊作のようには見えなかった。戸口に座った老人たちが、彼女に向かって笑いながら会釈をしてくれる。カナンもにっこりと笑って挨拶をした。


 トビトの家に着いた時、彼女がノックをするより早く扉が開いた。桶と手ぬぐいを持ったトビアが驚いた様子で立っている。寝癖なのか、とび色の髪がぴんぴんとはねていた。


「おはようございます、トビアさん」


「あ、え、えっと、その……おはようございます!」


 言い逃げのような形で、トビアは慌ただしく里の道を走っていった。嫌われているのかな? とカナンが首をかしげていると、トビトが顔を見せた。


「良くお越しくださいました。闇渡りの方は、ご一緒ではないのですか?」


「いえ。わざわざ招待していただいて、ありがとうございます。イスラも誘ったんですけど……ちょっと酔いが残っているようで」


「そうでしたか。いやあ、実は朝食にも乳酒を用意しておりまして……いかんせん、野菜の育ちにくい場所ですので、あれを薬替わりにするしかないのです。さあ、汚いところですが、どうぞお入りになってください」


 促されて、カナンは家の中に入った。

 里長の家といっても、大きさは他の家と大して変わらない。壁は石造りで、木製のテーブルや椅子も飾り気のない武骨なものだった。壁には鮮やかな色彩のタペストリーが飾られていて、応接間の雰囲気を多少なりとも盛り上げていた。その反対側には、カナンの背丈ほどもありそうな大きな弓と矢筒が掛けられている。

 テーブルの上には、素朴ながらも湯気を立てた料理が並んでいる。茹でたジャガイモや鳥肉の燻製、山菜のスープ、それからトビトの言った通り、鉄製のポットの中には乳酒がなみなみと入っていた。


「粗野な物しか用意出来ず心苦しいのですが……」


「滅相もありません。感謝します」


 そう言ってカナンは席についた。

 食事をしながら、トビトはカナンに対して様々な質問をぶつけてきた。彼女らがどこから来たのか、何故闇渡りと継火手が一緒にいるのか、何が目的で、どこに行くつもりなのか、等々。

 それらに一つ一つ丁寧に答えながら、カナンはトビトの人となりを冷静に観察していた。


 見たところ、悪人とは思えない。穏やかだが部外者であるカナンらについてしっかりと探りを入れる用心深さもある。ただ、その方法が朝食に誘うという穏便なやり方だったのはありがたい。何しろ、リダの町ではイスラがその正反対の仕打ちを受けたのだから。


「少しおたずねするのが怖いのですが、貴方がたは、イスラに対して偏見を持っておられないのですね?」


「はっはっ、偏見などと……我々は、一応は天火アトルの下で生活しておりますが、蝋燭のような儚いものです。今朝は継火をしていただきましたが、それでもあの程度……つまり、我々も闇渡りと大して変わらないというわけです。ところで、私からも一つおたずねしたいのですが、貴女から見てこの里はどう映りますか?」


「どう、ですか……」


 カナンは少し逡巡してから、「穏やかな方ばかりの、とても良い場所だと思います」と答えた。

 トビトは苦笑した。


「正直に言ってくださって結構です。ここまで話して分かりましたが、貴女は聡明な方だ。もうとっくに気付いておられるはずです」


 遠慮はいりませんよ、とトビトは言った。


「……お年寄りが、多いですね」


「多い、というより、私とトビア以外は全員六十を超えています」


 その言葉の意味を、カナンは瞬時に理解した。いや、とっくに気付いていたと言うべきだろうか。


「人の交流が全くないのですね。何故ですか?」


 継火をした時、里の天火アトルは信じられないほど弱っていた。継火手が来ないまま、何年も放置されていた証拠だ。リダの町も大概だが、こことは比べ物にならない。加えて、老人ばかりということは、若い人間さえ入ってきていないということだ。


「……」


 トビトは無言で立ち上がると、東の窓を開き、縁にもたれかかった。


「この里の南東に、煌都ウルクがあります。昔は陸路で人が来ていましたが、二十年ほど前に瘴土が出来て、以来一度も隊商は訪れていません。それでも、シムルグを使って何とか空輸していた時期もありますが……カナン様もご覧になった、あの忌々しいティアマトどもが現れるようになってからは、それも出来なくなりました」


「夜魔に包囲されていると?」


「そうです。陸路も空路も、連中に阻まれて移動出来ないのが現状です。迂回しようにも、シムルグは山を離れたがらない。無理やり連れて行こうとすれば、振り落とされるのが落ちです。何より、我々風読みの部族は、都市の人々から良く思われていません。それは、貴女もご存じのはずです」


「……風読み。旧時代の、魔術師の末裔ですか」


「その通り。良くご存じでしたな。風読みなど、とっくの昔に忘れられた部族だと思っていましたが」


「まあ、色々と勉強はしてきましたので」


「しかし、それならお分かりになるでしょう。我々がここを出られない理由を」


「……」


 今度はカナンが黙り込む番だった。

 煌都の収容人数には限界がある。無理をすれば増やせるが、風習の異なる人間同士を狭い空間で一緒にさせるのは危険だ。すぐにいさかいが起きる。それを抑えるための都軍の人数も限られているし、暴動など起こされては目も当てられない。

 だから、煌都の人間はなるべく外部からの移民を防ごうとする。その理屈は、大祭司の娘であるカナンには容易に理解出来た。

 ましてや、彼ら風読みは、かつての魔術師たちの末裔だ。煌都の経典には、魔術師の傲慢さが神の怒りを買う一因になったと書かれている。ますます煌都に入れるわけにはいかない。


「でも……それなら、私のやろうとしていることも分かっていただけるかもしれません」


「と、言いますと?」


 カナンは顔を上げて、トビトと視線を合わせた。彼らこそ、エデンを必要としている人々だと思った。

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