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闇渡りのイスラと蒼炎の御子  作者: 井上数樹
第二部/ウドゥグの剣編
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【第九十四節/爆炎】

 大抵の人間からは鈍臭いと思われているヴィルニクだが、彼自身に言わせれば、それはとんでもない過小評価だ。


 無鉄砲なマスィルに引きずり回される形で、ヴィルニクは様々な修羅場を渡り歩いて来た。それは闇渡りや夜魔たちの跋扈する戦場であり、同時に都市の特権階級が織り成す複雑な人間関係の網でもある。そんな場所を、マスィルの分まで注意深く見ていたら、否が応でも注意力や観察眼が磨かれる。



 だから、城壁に乗り込んで来た闇渡り達を相手取っていた時も、ヴィルニクは戦場の変化にいち早く気がついた。



 最初に感じた違和感は、風だった。


 それまで追い風に吹いていた風が、いつの間にか向かい風に変わっている。塔に掲げられた旗が、街の方に向かってばたばたとはためいている。それ自体は特段不思議なことではない。砂漠のすぐ近くにあるエリコではよくあることだ。


 だが、それに従って敵の動きに変化が生じている。せっかく城壁の上にまで乗りこんできた闇渡りの一部が、互いに顔を見合わせて後退を始めたのだ。それに伴い、敵の弓矢による攻撃が勢いを取り戻した。


「……っかしいなぁ?」


 斬りかかってきた闇渡りの伐剣をいなし、その腹にザンバーハの銃床を叩き込む。そのまま流れるように武器を回転させ、身体を曲げた敵の横っ面を殴り飛ばす。鉄の覆いを付けられた鈍器がぶつかれば、人間の頭骨などひとたまりもない。頭骨を陥没させられ、闇渡りはその場にくずおれた。


 見る目のある者なら賞讃するような手並みだが、それでもヴィルニクの動きが目を引くことはない。何故なら、敵も味方も、継火手マスィルの業火のような戦いぶりにくぎ付けになっていたからだ。


 その異名の通り、マスィルの戦い方は豪快かつ苛烈だ。戦斧の形状そのものはシンプルだが、継火手の膂力と鍛えられた技術が合わされば、それは無双の武器と化す。

 マスィルが斧を振るうたびに闇渡り達の血飛沫が飛び散り、刎ねられた首が断末魔の恐怖を顔に浮かべたまま城壁の下へと転がり落ちていく。恐れ慄いた敵にも容赦せず、一直線に突っ込んだマスィルは石突で敵の腹を突き破り、返す刀で斬りかかってきた敵の頭蓋を叩き潰す。


 そこに、個人的な恨みが込められていないと言えば嘘になるだろう。


「雑魚どもめッ!!」


 ガツン、とマスィルは石畳に斧を叩き付けた。


「これが、都市の人間を震え上がらせる闇渡りの手並みかッ! そんな程度で、継火手ベルニケをどうやって殺した!?」


 どちらかと言えば小柄な娘から放たれた怒号は、戦場に飛び交う他の怒声や弓、剣戟の音さえ押しのけ響き渡った。彼女の怒りに応えた天火が、その足元でゆらりと立ち上る。


「う、うろたえるんじゃねえ、たかが小娘一人じゃねえか!」


 闇渡りの一人がそう叫ぶものの、それに同調する者は誰一人としていなかった。言い出した本人でさえへっぴり腰になっている有様だ。


 その小娘(・・)が、飛んでくる矢を斬り払いながら真っ直ぐに突っ込んでくる。彼らに止める術など無かった。まるで難破船から逃げ出すネズミたちのように、闇渡りたちは次々と城壁から身を投げ出して地上へと降りていく。「待てェ!!」マスィルは追撃するが、追いかけられようはずもなく、城壁に拳を打ち付けた。


「おのれ、腰抜けどもめ……!」


「カッカしている場合じゃないよ。敵の弓兵の攻撃がどんどん激しくなってる。門にも破城槌がぶつけられてるんだ。そっちに行かないと」


「だが……っ!」


 マスィルは何か言いたそうに地団太を踏むが、内心ではヴィルニクの意見が正しいことにとっくに気付いていた。


「糞っ、門に向かう!」


 言うが早いが、マスィルは斧を掲げて敵味方の死体を踏みつけながら走っていく。「やれやれ……」ヴィルニクはかぶりを振りながらも、ザンバーハを担ぎなおして彼女の後を追った。


 現在、敵の戦力の大半は城門を破ることに費やされている。本職の闇渡りたちは次々と城壁を這い上がってくるし、その下では丸太を結び合わせて作った破城槌が門扉に叩き付けられている。まるで銅鑼(どら)を鳴らしたような轟音が響き、そのたびに城壁のあちこちが軋む。


 ヴィルニクは、城門前に戦力を集中させるためにわざと手勢を引かせたのかと思った。それなら敵が戦力の一部を撤退させた説明がつく。

 それでも彼は、ほとんど直感に近い部分で、敵の不自然な動きを察知していた。


「これ以上叩かせるな! 油はどうした!?」


 目前に迫った敵を斬り払いマスィルが怒鳴る。そんな彼女に、頭から血を流した兵士が縮こまりながら報告した。


「て、敵の攻撃が激しすぎて、放棄を……」


「馬鹿者!!」


 マスィルは苛立ちを隠さず舌打ちした。

 いざ斬り合いとなると、防衛隊の兵士では闇渡りに太刀打ちできない。踏んできた場数や環境が段違いであり、ちらほら見受けられる腕利きの兵隊も、闇渡りたちは集団戦法で遠慮なく血祭にあげていく。彼らを一方的に叩けるのは、特別な訓練を受けた軍人やマスィルのような継火手だけだ。


「貴様ら、何のための兵隊だ! 門を死守するのが仕事だろうが!」


「しかし敵の攻撃があまりに激しすぎて、近づく事すら」


「言い訳するな! 取られたら取り返せ! 私も行くから、一緒に突撃するぞ!」


 有無を言わさずマスィルは隊長を突き飛ばし、自身もまた矢のような勢いで突進していく。よもや尻込みして継火手を死なせるわけにもいかない兵士も、待ち構える伐剣に恐れながら何とか立ち向かって行く。


 だが、狂騒の中でヴィルニクだけは冷静だった。


 マスィルを狙う敵を冷静に狙撃し、のこのこと近づいて来た敵は容赦無く粉砕する。救える範囲内で味方を助け、なおかつ敵の狙いがどこにあるのか探るのも忘れない。


 ヴィルニクはいささかも油断していなかったし、闇渡りたちを侮ってもいなかった。マスィルの友人だったベルニケとは彼も面識を持っている。それだけに、継火手を一方的に殺害した敵に対して警戒せざるを得なかったのだ。

 それが守火手たる者の使命である。


(おかしい……数は向こうが上だから、平押しに攻めたら確実に勝てるのに、どうしてこんな無駄な戦い方を……)


 敵が街に攻めて来るのは、当然だがそれを陥落させ征服するためだ。



 だが、もしそれ以外の目的があるとすれば?



 そもそもなぜベルニケは殺されたのか?



「……まさか」


 ヴィルニクが一つの可能性に考え至った時には、すでにマスィルは城門の敵をあらかた薙ぎ払っていた。油の入った壺を蹴落とし、眼下で破城槌を押している闇渡り達に浴びせ掛ける。

 城壁の他の箇所を守っていた継火手達も、続々と城門の上の尖塔に集まって来ている。


「我が彩炎よ、御怒りの鏑となり悪を……!」


「駄目だマスィル!!」


 ザンバーハを投げ捨て、今まさに法術を放とうとしていたマスィルを引っ張り抱き寄せる。「むぎゅっ」と蛙の潰れるような声がした次の瞬間、二人は爆炎に包まれ吹き飛ばされていた。


「くっ……!」


 身構えていたヴィルニクは、マスィルを抱いたまま何とか身体を捻り、自分が下になる形で受け身をとる。それでも、不自然な力の加わった肩から嫌な音が聞こえた。


「あ、ったたた……!」


「ヴィ、ヴィルニク!? なんて無茶を……」


「僕は平気さ、君が暴れないでいてくれたらね」


 そう嘯くヴィルニクだが、肩に走る激痛はいかんともし難い。秘蹟サクラメントの効力は残っているが、元々マスィルの天火は回復には向いていないのだ。


 それでも痛みを押し隠しつつ、ヴィルニクはゆらりと立ち上がった。



 そして、継火手マスィルと共に、歴史の歯車が動いたことをまざまざと目に焼き付けることとなった。

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