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闇渡りのイスラと蒼炎の御子  作者: 井上数樹
第二部/パルミラ漂着編

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【第八十六節/カナンの日々】

 カナンの努力によって、パルミラにおける難民団の存在は徐々に認められつつあった。装飾品の生産準備も着々と進んでおり、すでに作品のデザインを作る段階に入っている。イスラ達による廃都探索では、まだ旧時代の遺物を発見出来ていないものの、周辺の地図はパルミラの省庁から高値で買い取ってもらうことが出来た。


 難民団が排除されずに済んでいるのは、彼らが積極的にパルミラに貢献しようとしているためだった。元々煌都の中枢に居たカナンだからこそ、煌都の人間がどのようなことを望んでいるのか、あるいは嫌がるのかを読み取ることが出来た。

 文化的、階級的に相容れないとしても、経済的なつながりさえ維持すれば最低限の交流は保てる。商売に重きを置くパルミラならなおさらだ。他の煌都ならここまで上手くいくことは無かっただろう。伝統的に継火手の権力が弱いパルミラは、宗教的な価値観によって人を差別することを良しとしない。だからこそ、打つ手さえ間違えなければ理不尽に虐げられることはないのだ。


 だからこそ、難民団は決してパルミラの人間に嫌われてはならない。


 カナンは難民団に、整理整頓や身辺の清潔さを徹底するよう厳命していた。難民団の居留地にはパルミラの商人が頻繁にやってくる。彼らの印象を損なうことは、そのままパルミラでの立ち位置を悪くすることにつながってしまう。


 当然、洗濯や入浴は最優先事項だ。多少みすぼらしい格好をしていても、清潔であれば嫌な顔はされない。体臭が酷いなどもってのほか。服につぎはぎはあっても良いが、破れたままでいてはならない。

 居留地はティグリス川のほとりにあるが、パルミラよりも下流にあるため生活排水が混じっている。そのため、洗濯や料理、入浴に使う水は、わざわざ上流まで汲みに行かせていた。


 そういった涙ぐましい努力を積み重ねても、良いことばかりが起きるわけではない。


 ある日カナンの元に、代表の一人から小麦の値段が高過ぎるという報告が入った。

 イスラが脅しをかけた後も、足元を見て値段を釣り上げる輩は何人かいた。難民の宿命としてある程度は我慢するしかないと思っていたし、その商人が高値をつけるなら別の商人から買えば良い。


 ところが数日経っても値段は下がる気配がない。それどころか他の店の値段も明らかに釣り上げられていた。

 パルミラの小麦相場では、一袋につき銀貨ドラクマ三枚が適正価格となっている。一ドラクマで大体労働者の一日分の給料に相当する。だが、難民団の市場では小麦一袋が四ドラクマで売られていたのだ。しかも一つの店だけでなく他の店においても、微妙に値段を変えながら四ドラクマ以上というラインは守られている。


 談合が行われているのは明らかだった。


 カナンはそれぞれの商人の天幕に出向き、それとなく探りを入れてみた。こんなあからさまな談合、バレないと思う方がどうかしている。彼らが小麦に法外な値段をつけるのは、難民団の人間が舐められている証拠だ。

 実際彼らは、はぐらかしこそすれ積極的に否定しようともしなかった。薄ら笑いを浮かべ、仕入れに手間取ったとか、居留地に来るまでの護衛代だとか、子供騙しの言い訳で取り繕った。

 カナンも強気に出ることは出来ない。もめごとを起こすなと言っている本人が挑発に乗ったのでは示しがつかないからだ。それに、下手に恫喝でもすれば居留地から追い出されかねない。それだけは何としても避けねばならなかった。


 だが、ある商人がよぼよぼの犬を指さして「護衛の費用と餌代が必要だった」と言うにいたり、さすがのカナンも堪忍袋の緒が切れた。


 翌日、カナンは穀物商のバラクの店に出向くと、難民団の資金を利用して直接彼から小麦を買い取ると言い出した。元手となったのは、フィロラオスから依頼された魔導司書の修理代金、買い取られた地図の報酬、そして一時的に難民たちから徴収した購入費用だ。


 バラクの店が動き始めると、それまでの形勢はあっさり逆転した。談合をしていた商人たちでは、自分たちよりもずっと安い値段で小麦を売りさばけるバラクに勝てるわけがない。薄利多売で十分に利益を出せるバラクにとっては、難民団から頼られるのはむしろ美味しい話だった。

 ただ、彼はその状態が続くことを良しとしなかった。理想的な市場に独占や寡占は存在しない。たとえ一本の薔薇が綺麗に咲き誇っていたとしても、荊が他の植物を枯らしてしまうのでは、美しい花壇になりえないのだ。市場が多様性を失えば、衰退するのは目に見えている。


 カナンも同じ考えだった。それに、あからさまに談合対策を打ち続けていれば、逆恨みした商人たちによって悪評を広められかねない。たとえ不当な取引を退けられたとしても、ここに居られなくなるのでは意味がない。


 バラクの店を頼り始めて五日、ついに談合に参加していた商人達の連携が崩れ始め、一人また一人と値下げに踏み切っていった。

 ほとんどの店が適正価格内で売り始めた時点で、カナンはバラクの店から買うことを止めた。そして、余った資金を費やして宴会を開き、談合に参加していた商人も、そうでない商人も等しく食事の席に招いた。


「我々の生活が成り立っているのも、皆様との日ごろのお付き合いがあればこそです。難民団には贅沢をするだけの潤いはありませんが、日用の糧は常に必要としています。皆様が蔵の扉を開いてくださるなら、我々はそれに見合った対価でお答えしましょう」


 乾杯の音頭に代わって、カナンは念を押した。直接談合を追及するような発言はしなかったものの、それは暗に取り引きの健全化を訴えかけるものだった。商人たちも、その日を境に談合のような不正を行うそぶりは見せなくなった。ルールを守る限りは買い続ける、とカナンが保証したからである。


 そんな出来事を経ながら、カナンは難民団の運営に没頭するようになっていった。彼女自身、自らの能力を十二分に発揮したいと思っていたし、周囲もそれを望んでいる。だが、無理をしているように感じる者も皆無ではなかった。ペトラは何度もカナンに休むよう忠告したが、カナンにしか出来ない仕事が多い分、うかうか休んでいる場合ではない。


 イスラと会う時間は、ますます減るばかりだった。

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